第1話 アルヴォン飛脚2章 ニアの街2

 アリーが用意してくれた料理を平らげると、タギは部屋を頼んだ。ダロウは既に鍵を用意していた。帳場から鍵をタギに向かって投げた。


「いつもの部屋だ。二階の一番端だ」


 ダロウが渡してくれた鍵を持って階段を上って部屋の鍵を開けた。二階は一部吹き抜けになっていて、キャットウォークの廊下沿いに両側に五室ずつ並んでいる。タギはいつも階段から一番遠い端の、一号室か六号室を頼んでいた。今度は一号室だった。まだ客など一人もいない時間だから、どの部屋も空いていた。

 荷物を床において、後ろから付いてきたランに


「夕べ、寝てないから、少し寝かせてもらうよ」


 と断って、寝台に倒れ込んだ。横になると思いがけないほど疲れているのに気づいて、そのまますぐに眠り込んだ。


 目が覚めたとき、まだ部屋の中は明るかった。空気は湿っぽかった。かすかな雨音が聞こえた。雨か・・・・・、横になったまま目だけで辺りを窺うと、部屋の隅でランが何かごそごそと動いていた。

 桶に布を浸して、それを絞って体を拭いている。そう言えば顔を洗う機会もなかったな、と思いながらもう一度ランを見て、タギは目を見張った。思わず身動きしたようで、寝台がぎしっと音を立てた。その音に気づいてランがタギの方を見た。


 とたんに顔を真っ赤にして、ランは裸の胸を両手で押さえてしゃがみ込んだ。タギもしばらく声が出なかった。


「ラン・・・・、おまえ・・」


 ランはしゃがみこんだまま、上目遣いにタギを見た。いやいやをするように首を振った。タギはあわててランに背を向けた。間抜けな質問が口をついた。


「ラン・・、おまえ、女の子だったのか」


 しばらく経ってから返事があった。


「はい・・・。ごめんなさい。ごまかすつもりはなかったの。ただゼリが旅の途中は、カーナヴィーに着くまでは男の振りをした方がいいって言ってたから。・・それにタギは最初から私を男の子だと思っていたから。訂正するほどのこともないって思って・・」

「そうだな。うかつといえばうかつだけど、・・・そんなことも確認しなかったとは私も間抜けだな」


 ランの眼に必死な光が浮かんだ。胸を押さえたまま立ち上がった。


「ねっ、私が男でも女でも同じことでしょう?カーナヴィーまで送ってくれるでしょう?怒って見捨てたりしないでしょう?」

「送っていくって約束したのだから、約束は守るよ。でももうちょっと詳しく聞かせてくれるかな?」


 ランの体から力が抜けた。安心したようにぺたりと座り込んだ。小さな声で返事をした。


「はい・・・」


 ランがきちんと服を着て、寝台に座ったタギの前に椅子を引いてきて座った。行儀良く足を揃えて、両手を膝の上に置いている。あらためて見るとなぜ男の子に見えていたのかむしろ不思議だった。髪が短いせいと服装かもしれないな、それに女の子がアルヴォンを超えようとするなんて端から考えなかった所為だ、とタギは思った。淡い金髪をうなじのところで切りそろえていた。まっすぐなさらさらした髪だった。白い肌はきめが細かく、唇が何も塗ってないのに鮮やかに赤かった。タギを見つめる目が濡れているように艶めいていて、小さな女の子なのにタギは一瞬どきりとした。公平に見て、相当以上の美少女だな、あと数年もしたら、すれ違う男が皆振り向くような美女になる、とタギは思った。


「私は・・・ラン・クローディア・アペルといいます。アペロニアの領主、サトゥーリオ・アペル伯爵の娘です」


 ランが低い声で語り出した。年齢よりずっと大人びた口調だった。


 アペロニアというのはアルヴォン大山塊の南にあるグルザール平原の中の公国だった。平原の東の端に近く、アルヴォンの麓にあって、よくその領国を保っていたが、最近急速にグルザール平原で勢力を伸ばしているセシエ公に下ったと聞いていた。タギがニア街道の東のはずれになるレリアンを出発する前に、セシエ公の勢力伸長の最新情報として伝わってきたことだった。天然の要害に依ってよく防いでいたアペル城が、領主の腹心といわれた男の裏切りで陥ちたのだと。伝わってくる間に情報は変質するものだが、領主の家族、親族は皆殺しにあったとも言われていた。セシエ公のいつもやり方だったからタギもそうだろうと思っていた。


「アペロニアのことなら聞いたことがある。セシエ公の一番新しい獲物だと」


 ランの眼から涙が落ちた。それをぬぐおうともせず、タギを見つめていた。


「父も母も、二人の兄も殺されました。マクセンティオの裏切りで。あれほど父に信頼されていたのに!」


 声は低かったが抑えきれない激情が籠もっていた。


「私はしばらく領内でかくまわれていたのです。父のことを慕っていた領民も多かったので・・。しばらくすれば警戒もゆるむから、それから逃げ出した方が安全だと思って。カニニウスとゼリもそういう考えだったし。カニニウスとゼリというのは私の守り役でした。小さい頃からずっと私についていてくれて、特にゼリは女だったけれど剣も馬も誰にもひけを取らないほど巧みで、本当に頼りになる人でした。二人のおかげでアペル城の落城の混乱の中で逃げ出せたんです。でもマクセンティオが私の死体がみつからないことに気づいて・・。あんなにたくさんの死体をいちいち検分したのでしょう。それで急に捜索が厳しくなって隠れていられなくて、カニニウスとゼリと一緒に叔母―父の妹―が嫁いでいるカーナヴィーに行こうとしたのです」

「それで追っ手がかかった?」

「はい。境を越えるときにひと騒動ありましたから、逃げ出したことが知られてしまいました。私がどこへ行くかということなどマクセンティオにはすぐ分かったでしょう。叔母しか頼るところがないことはよく知っていましたから。カーナヴィーまでのグルザール平原の中の街道は、セシエ公の支配地を通りますから使えません。ニア街道を通るしかないことも簡単に推測できます」

「昨日のことでたぶんランは死んだと思うんじゃないかな。あの崖から落ちて生きているなんて、奇跡みたいなものだから」

「マクセンティオは私の死体を見るまで安心しないと思います。それにセシエ公も執念深いことでは有名ですから」


 ランはまだ安心できないと言っている。タギも少し考えると不安材料がたくさんあることに気づいた。セシエ公は自分に逆らった公国を滅ぼしたときは、その支配階級を徹底して根絶やしにするのが遣り口だった。女子供でも容赦はしないと言われていた。アペロニアの旧領主の娘が生きていると知ったら放ってはおかないだろう。まだ追っ手がうろうろしているかも知れない。昨日ランたちを襲った連中だけとは限らないからだ。彼らだけなら、昨日の首尾を報告に戻るだろうからもう追っ手はいないかも知れない。しかし幾組も追っ手を送ったと考える方が自然だった。追っ手を掛けるなら、アペロニアから真っ直ぐアルヴォンに入ってニア街道を東から追う一隊と、カンディア街道を南から登って、ニアから東に向かう一隊とで挟んでしまえば逃げられない。自分でもそうするだろう。

 そうであれば気を付けて行動しなければならない。ランの服は上等すぎて目立つ。アリーに頼んでもっと目立たない服を調達しよう。


「ちょっと待ってて。私でなければ戸を開けないで。いい?」


 ランが頷いた。タギが何をしに行くのか分からなかった。タギにも裏切られるかも知れない。でもそうなったら自分にはどうしようもない。タギを信頼するしかないのだから、ほんの少しでもそんな懸念を表に出すようなことはしてはいけない、ランはそう思った。

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