03.記念日?

 昔、母親の持っていた本の中でそんなフレーズを読んだことがある気が。

 いや、ちょっと違うか?

 こんな優男やさおとこの短歌みたいな内容だったっけ?


「どうしたの? ボ~っとして」

「ああ、いや……」


 一瞬、脱線しかけた思考が、リリスの声で引き戻される。


「どうせ女夢魔サキュバスにとっては、ほっぺにチューくらい挨拶みたいなもんだろ」

「そんなこともないよ。少なくとも私はしたことなかったし……」

「ほんとかよ」

「ほんとですよ。感謝してよ? 初めてのファーストキスなんだから!」


 そりゃ、初めてだからファーストキスと言うわけだが……。

 それとも誘惑するための、いろんな意味でのリップサービス?


「結構ドキドキするものね、これだけでも」と、赤らんだ頬を左手でパタパタと扇ぐリリス。

紅来くくるの時と、言ってることが違うじゃねえか」

「人のを見るのと自分がするのとは、また違うわよ」


 こんな程度でドキドキしてるようなやつが、人間の男を誘惑とか……ハードル高くない?


つむぎくんは?」

「ん?」

「ドキドキした?」

「う~ん……まあ、少しは」


 こんな、人形フィギュアみたいなサイズが相手でも、キスをされればそれなりにドキッとするものなんだな。


「その割には、リアクション薄いわね」

「だってお前、そもそも俺を誘惑するために人間界にいたんだろ? 今さら、ほっぺにチューされたくらいであたふたするような話でもないだろ」

「じゃあ、もっとすんごい事してあげよっか?」


 そのサイズじゃこれ以上のことなんて――――


 そう言いかけ、「シッ!」と言うリリスの制止で言葉を切る。

 肩の上で、人差し指を唇に当てながら背後の暗闇に視線を走らせるリリス。

 気が付けばブルーも、耳をピクピク動かしながらジッと後方を見つめている。

 見つめる先は……先程までいた地下河川の方向。


「どうした?」


 声を落としてリリスに訊ねる。


「一瞬……何か聞こえたような気が」

「何かって? またコウモリ?」

「違う。解からないけれど……何か、獣が喉を鳴らすような感じの?」


 喉鳴り? 新手の魔物でもいるのだろか?

 この地下空洞ではまだ魔物に遭遇していないが、オアラ洞穴での、★1だらけの会敵状況を思い返すとあまり緊張感は湧かない。


「危なそうな奴か?」

「一瞬聞こえた気がしただけだから解からないけど……何れにせよ音だけじゃそこまでは解からないよ」

「もう聞こえない?」

「うん。もしかしたら気のせいかも」

「そっか。とりあえず、ここでじっとしてても仕方ないし、一旦戻ろう」


 再び、紅来達の元へ向かって歩み始める。

 気が付けば、前方に松明の明かりが見えてきていた。

 暗闇で上手く距離感は掴めないが、紅来と立夏がいる場所だ。


 自然と歩みが速まる。

 同時に、リリスの不穏な言葉を聞いたせいか、脇腹がチクリと痛む気がした。


               ◇


「おっ! 戻って来た!」


 シルフの丘、遊歩道の入り口。

 その脇道――オアラ洞窟へと続く林道の向こうに、可憐かれんたち三人の人影を逸早いちはやく見つけて手を挙げたのは勇哉ゆうやだ。

 その声を聞いて、歩牟あゆむ初美はつみ優奈ゆうな先生も林道の奥へ目を向ける。


「よかった~、無事だったのね!」


 嬉しそうに手を振る優奈先生も、しかし、直ぐに表情を曇らせた。


(他の三人は?)


 林の奥に現れた人影は、可憐、華瑠亜かるあうららの三人だけだ。


「紬たちは……どうしたんだ?」


 歩牟が当然の疑問を口にするが、その場にいた誰にも解かるはずがない。

 音が聞こえそうなほど、激しく早鐘を打つ鼓動。

 共有された悪い予感に、全員が眉をひそめる。

 声の届く場所まで近づいた可憐たちに、改めて優奈先生が訊ねた。


「他の……三人は?」


 沈鬱な表情の可憐と麗、そして、泣き腫らしたように赤い目をした華瑠亜。

 夏の林道を歩いて来た割には、顔色は青白く、ほとんど汗を掻いていない。

 ぼんやりとした胸騒ぎが現実の凶報に変わりそうな不安を感じたのは、優奈先生だけではなかった。


「先程の地震で、洞穴最深部で地盤崩落が発生しました」


 多少震えてはいるものの、しっかりと落ち着いた声で可憐が答える。


「地盤……崩落……」


 可憐の言葉を繰り返す優奈先生を横目に勇哉が訊ねる。


「紬たちは、それに巻き込まれたのか?」

「ああ……。生死は確認できていないが……」

「生きてるわよ、絶対!」

 

 可憐の言葉を打ち消すように、そして、自らに言い聞かせるように華瑠亜が叫ぶ。


「私も、そう思う」


 華瑠亜の言葉を受けて、即座にはっきりと答える可憐。

 え? と、意外そうな表情で華瑠亜が可憐の方を見た。


「崩落が起きたのは地面だけで、天井は無事でした。巻き込まれた三人が土砂に埋まって身動きが取れないと言う可能性は少ないと思います」


 可憐の話を聞いていた他の六人が一様に頷く。


「空洞に投げ込んだ石の反響から考えると、土砂の上まではせいぜい六~七メートル。空洞の底までは十メートル程度。決して浅くはないですが……」


 戻る道すがら、ずっと分析していた内容を話す可憐の口元を、他の六人もただ黙って見つめている。


「呼びかけに返事はなかったし、松明の火も見えませんでしたが……決して命を落とすような高さではありません。恐らく、一時的に気を失っていただけかと」


 華瑠亜が、我が意を得たりと言った表情で大きく頷く。


「不幸中の幸いですが、メンバーも恵まれてます。唯一の男子でポーション係だった紬、レンジャー系の選択科目を履修している盗賊シーフ紅来くくる、そして、予備の松明を持っていて、火属性魔法も扱える立夏りっか。サバイバル向きの面子です」


 可憐の話を聞き終わると、優奈先生が満を持して口を開く。


「で……どうする?」

「シルフの丘の管理小屋へは?」と、可憐も質問で返す。

「さっき行ってみたけど……あの地震の後だからね。待機中だったレスキューメンバーも、ふもとの方に駆り出されているみたい」


 優奈先生と一緒に管理小屋へ赴いていた歩牟も横から付け加える。


「仮にオアラ洞穴で何かあったとしても、優先順位を考えると直ぐに救助パーティーを編成するのは難しいだろうって……」

「そんな……」


 恨めしそうに呟く華瑠亜の横で、しかし、二、三度頷いてみせる可憐にとっては概ね予想通りの展開だったのだろう。


「私たちで、救助パーティーを編成しましょう」

「そうこなくっちゃ!」


 可憐の言葉に、すかさず勇哉が呼応する。


「メンバーは、私と優奈先生、それに、男手も必要になると思うので、歩牟と勇哉。その四人でいいと思います」


 名前を呼ばれた三人が大きく頷いた。


「勇哉には私の小盾スモールシールドを貸そう。歩牟は、武器体納を使っているだっけ?」

「うん」


 アイアンパイク! と歩牟が叫ぶと、黄色い光と共に小振りの槍が現れる。


 どうですか、先生?

 ……と、一応引率の許可を得るために可憐が確認するが、その声色には有無を言わせない迫力が滲む。


「い、いいんじゃないかな、それで……」


 すっかり可憐にお任せ、と言った様子の優奈先生の言葉を遮るように、慌てて華瑠亜が食い下がる。


「ちょ、ちょっと待って! 私は? 私も行くわよ!」

「残念ながら、狭い窟内では弓兵アーチャーは戦力になり難い」

「し、下の、あの空洞は広いかも知れないじゃない!?」

「だとしてもあの暗さだ。夜目ナイトアイ心眼マインドアイを習得していなければ役に立たないだろう」

「な、夜目ナイトアイは今練習中よ! ほらっ!」


 華瑠亜が両手で光を遮りながら瞳孔を開き、魔力で反射板タペタムを生成する。

 猫のように目が光る……が、明度が安定していない。

 反射板タペタムが不安定なのだろう。

 これでは、いざと言う時にゆっくりと狙いが絞れない。


 しかし――――


「……解かった。華瑠亜も一緒に行こう」

「え? ほんと? あ、ありがと……」


 華瑠亜が、自分から言い出した事ではあったが、意外そうにお礼を言う。

 合理的な理由以外で可憐が方針を変更するのは非常に珍しいからだ。


「多少でも夜目ナイトアイが使えるなら、捜索に役立つかも知れない」


 そもそも、危険度Fランクの洞穴だ。

 普通に考えれば、対魔火力よりも迅速な捜索を目的とする方が合理的だ。

 しかし――――可憐には一抹の不安もあった。

 あの地下空洞も、同じFランクと判断していいのだろうか……と。


「因みに、地震の原因は解かっているの?」と、麗。

「管理小屋の話によると、分析ではやはり、四日の地震の余震だったらしい。本震とほぼ同規模ってのは珍しいと言ってたけど」


 歩牟の答えを聞きながら、可憐も思考を巡らす。


(余震だったのなら、恐らくあれが今回の最大余震だろう。またあれだけの揺れが起こる可能性はかなり低いと見ていい)


 可憐が、麗と初美に、引き続きレスキューの編成を要請するよう指示を出す。


「よし。管理小屋で必要な物を買い揃えたら、直ぐに出立しよう」


               ◇


「やっぱり……降りる」


 俺の背中で立夏が呟く。

 六尺棍を横に持ち、そこに立夏のお尻を乗せるようにして負ぶって歩く。

 小柄とは言え四〇キロ前後はあるだろう。

 体の痛みはほとんどなかったが、歩き始めて既に十五分……正直、結構キツい。


 よくアニメや漫画で、平気で何十分も女の子を負ぶって歩いたりしてるシーンがあるが、今なら解かる。ありゃ嘘だ。

 体を鍛え上げている運動部員ならいざ知らず、俺みたいな運動部員にとっては想像以上の重労働だ。

 しかし、疲れた様子を見せれば立夏も気を使うに違いない。


「いいから……だまって負ぶさってろ」


 極力、平気な顔で答える。

 が、声はごまかせない。


「結構キツそうな声だぞ、紬」

「なんか、息が上がってるよ、紬くん」


 前を行く紅来と、今だけ紅来の肩を借りているリリスが俺の方を振り返る。

 崩落した時に一緒に落ちてきた松明は先程その寿命を終えた。

 今、紅来が持っているのはここに落ちてから使い始めた予備の松明だが、それもあと一時間もすれば消えてしまうだろう。


「大丈夫だってば。それより、ちゃんと前向いて歩かないと危ないぞ」

「あとどれくらいなんだよ、その川の場所は?」

「もう直ぐだと思うけど」


 立夏を負ぶっている分さっきより歩みは遅いが、それでもあと五分も歩けば着くと思うんだが……。


「あ、聞こえてきた! 水の音!」


 逸早いちはやくリリスが気が付く。

 程なくして、俺の耳にもザァザァという川の流れる音が聞こえてきた。


 更に数分後、ようやく先程と同じ場所まで辿り着く。

 ゆっくりと立夏を下ろし、六尺棍を地面に置く。

 手から離れた六尺棍が、自動的に形を失って体内に戻る。

 思わず腰に手を当てて伸びをするように体を逸らした。


「ありがとう」

「ああ。いや、立夏は軽くて助かったよ」


 川の周りは、両岸一メートルくらいの幅で侵食が進み、周りの地面より数十センチ程低くなっていた。

 その手前の壁際を拠点ベースに決める。

 紅来が、立夏から預かっていた魔道杖を立夏に返すと、そのまま腰も下ろさず川沿いを歩いて行く。


「どこ行くんだよ?」

「薪になりそうなもの探してくるよ。松明が消えるまでには必要でしょ?」

「待てよ。俺も行く」


 片手を挙げながら歩き去ろうとする紅来に、俺も慌てて声を掛ける。

 こんな暗い洞窟内を一人で探索とか、普通は相当恐いと思うんだが……。

 地震以外に関してはもの凄いイケメンだな、紅来あいつ

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