03.追跡

「万が一、逃走でもされたら始末書ものだ。追跡できるように一応ナンバーだけは控えておけ」

「もう、控えました」


 ナンバープレートの前で屈んでいた中村が、立ち上がりながら答える。


(チッ……。これだからベテランの部下ってのは使いづれぇんだよな……)


 辻は、心の中で舌打ちをしながら、黒い魔動車の幌を捲る。

 〝たばこ〟 と書かれた木箱が幾つか積まれている。

 続いて運転席を覗き込む。

 座席裏の雫は、死角になっている上に麻布も掛けられていて、辻からは見えない。


 魔動車の前に廻り、鼻腔を突く、ツンとした独特の臭いに顔をしかめる辻。

 視線を落とすと、足元にはヌルリとした液体と共にドロドロになった食べ物のカス。

 これも、先に気づいていた中村がしゃがみ込んで、既に調べ始めている。


「嘔吐物ですな。まだ新しい」

「穏やかじゃないな……」

「ドアノブも……破壊されてるようですな」


 両替商の勝手口を見ながら中村が呟く。


「解かってる!」


 年上の部下に立て続けに検分で先を越され、やや苛立ったように答える辻。

 と、その時、魔動車の下に何かメモ帳のような物を見つける。

 この世界ではまだ珍しいパルプ原料の紙だが、学用品として学校などで支給されている再生紙品だ。

 

 傍に、携帯ペンも落ちている。

 万年筆のような構造なのだが、直ぐにインクも切れるし、筆圧の調整も難しい。

 それでも最近、携行性がウケて学生の間で流行り始めているものだ。


「通報にあった、車を調べにいった友達とやらのものか?」


 メモ帳とペンを中村に渡しながらニヤリとする辻。

 ようやく一つ、検分で中村の先を越せたことで、ささやかな虚栄心が満たされる。


「そのようですな。後で確認してみましょう」

「中村はここで待機。先に俺が中の様子を見てくる。五分経って戻らなかったら、応援を呼べ」


 嘔吐物に壊されたドアノブ、そして謎の遺失物おとしもの

 通報者が言っていた〝泥棒〟という言葉がにわかに真実味を帯びてくる。


 辻は鈍色にびいろのサーベルを抜き、勝手口から中へ滑り込む。

 物音はない……が、この臭いは――――


(血か!?)


 やや足早に、閉店中の店舗スペースへ進むと、カウンター内で椅子に腰掛けた男性の後ろ姿を発見する……が、この状況で椅子に腰掛けているなどいかにも不自然だ。


 サーベルの先でつつき、ゆっくりと回転椅子を回す。

 案の定、こちらを向いた初老の男性の胸には大きな創痕。

 恐らく、ここの店主だろう。既に息はない。

 服は血で真っ赤に染まっているが、不思議なことに床はほとんど汚れていない。

 

(殺されたのは……別の場所?)


 男の手にもショートソードが握られているが、使った形跡も見られない。

 抵抗する間もなく剣で心臓を一突き……と言ったところか。

 かなりの手練てだれの仕業だ。


 とにかく、当初、間の抜けた通報から予想してたような安閑あんかんとした茶飲み事案でないことだけは確かだ。

 殺人事件――――

 しかも、犯人のものと思しき魔動車はまだ外に停めてある。


(この犯人を挙げれば、俺もいよいよ百人長への道が見えてくる……)


 そうほくそ笑んだ辻の背後で、人の気配が揺らぐ・・・

 まるで、空間からおもむろに滲み出たかのような不思議な気配。

 慌てて振り返るとそこには、黒いコートを纏った男が静かにたたずんでいた。


「だ、誰だ! これをやったのは……おまえか!?」


 男の目が赤く光る。

 それが……辻が見た、男の最後の姿だった。

 背中の鋭い痛みとともに、辻の胸から飛び出してきたのは、自らの血で赤黒く染まった剣先。


(な……なんだ……これは……)


 ゆっくりと振り返った辻の目に映ったのは、先程椅子に座って死んでいた男の姿。

 そして、辻の背後から彼の胸を一突きにしたのもまた、その男であった。


「まさか……生きて……いた?」


 いや、辻の見立ては間違ってはいなかった。

 今ですら、左右別々の方向を向いて頭骨の奥へと落ちかけた双眸そうぼうと、その窪んだ眼窩がんかから生きた人間の精気は感じられない。

 間違いなく、死んでいる。


 これは……まさか――――


死霊使いネクロマンサー……か……」


 再び、黒コートの男を視認すべく振り返る辻の意識は、しかし、そこで途絶える。

 胸に剣を刺したまま、背後の死体・・・・・と共に床へ崩れ落ちる辻。


「この極限状態でネクロマンサーという解答に辿り着くとは、さすが自警団の十人長……と言ったところか」


 そう呟く黒コートの男――須藤の元へ、勝手口の方から巨漢の剣士――柿崎も、刀身の血を拭いながら近づいてくる。


「こっちも終わったぜ、兄貴」


 柿崎の剣を見て、須藤が目を剥く。


「まさか柿崎おまえ……殺したのか!?」

「あ……ああ。あいつ、俺の姿を見るなり電撃なんて放ってきやがって……」

「バカやろう! 直接手を下したら偽装できなくなるだろうがっ!」


 もう一人も、ここで、同じショートソードで殺そうと言うのが辻の思惑だった。

 ここの店主も、調べれば元組織の人間・・・・・・である事は解かるだろう。

 駆けつけた自警団の隊員と争って相打ちしたように見せかければ、長くは無理でも逃走の時間くらいは充分に稼げるはずだった。

 思いの他、自警団の到着が唐突だったため細かな打ち合わせもなく配置に付いたのだが、須藤も、いくら柿崎でも建物の外で殺人を犯すとは思ってなかった。


(くっそ! やはりこの柿崎バカには、念を押しておくべきだったか)


「まあいい……。ブツは、全部積んだのか?」

「あ、ああ。そこにあるので最後だ」

「よし、さっさと持ってズラかるぞ。牽引車でも呼ばれてたら、また新手がくる」


 二人で外に出ると、転がっていた自警団の魔術師――中村の死体を建物の中に引き入れ、勝手口のドアを閉める。

 柿崎が荷台へ登り、持ってきた小さな麻袋を、タバコの葉の入った木箱の中に突っ込むと、再び降りて今度は運転席へと座った。


「じゃあ、いくぜ、兄貴。予定通りバクバリィの別邸でいいんだな?」

「ああ。さっさと連中にブツを渡して、ケチのついた仕事からは手を引くぞ」


 須藤と柿崎の二人……そして、気を失ったままの雫を乗せた黒い魔動車が、後ろ向きのまま勢い良く表通りへ飛び出す。

 と同時に、通りの向こうから牽引車らしき車両が向かって来るのが見えた。


「やっぱり、呼んでいやがったか」と、須藤。


 黒い魔動車が、切りかえして南へ向かって走り出す。

 通りを歩いていた通行人から、危険運転に対して怨嗟の声が上がる。

 その中には……道路の反対側から成り行きを見守っていた萌花もえかの姿もあった。


(ちょ、ちょっとちょっと! 自警団の二人はどうなっちゃったのよ!?)


 萌花の位置から、裏路地へ入っていった辻と中村が、その後どうなったのか確認することはできなかった。

 しかし、少なくとも雫が魔動車から降ろされた様子はない。


(ったく……自警団あいつら! 取り逃がすなら、先にしずくを助けておけ、っつ~の!)


 もう、しょうがないなぁ……と呟きながら、萌花は履いていた上げ底のローファーを脱いで両手に持つと、魔動車を追って目抜き通りを駆け出す。

 前の世界向こうの萌花は陸上部で中長距離の選手をしていたが、この世界でも走競技部の中距離走ディアウロスで活躍していた。

 魔動車相手に裸足の追跡で追いつけるとは思っていなかったが――――


(自警団に通報する前に、少しでも逃げる方向を見定めておかないと!)


 身長一五三センチ。

 顔つきも、十五歳にしては童顔ながら、走競技で鍛えた肢体をしなやかに動かして目抜き通りを疾駆する萌花。


 小柄な体とはアンバランスに発達した大きな胸が、ノースリーブの上からでもブルンブルンと激しく上下に揺れるのが解かる。

 道行く人――――特に、ほとんどの男性が思わず振り返るロリ巨乳!


(あ~……、学校用の運動ブラじゃないと走り難いわっ!)


 が、今はそんなことを気にしている場合じゃない。

 少しでも長く、魔動車を見失うまで追い続けることが萌花の最大の目的だ。


 もともと、空気を読むのが苦手で人付き合いが得意じゃなかった萌花に、積極的に声をかけて、クラスのみんなと馴染めるように気を使ってくれたのが雫だった。

 しっかり者の雫にとっては、浮き気味のクラスメートに声を掛けるなんて普通の気遣いだったかも知れない。

 しかし萌花は、今の自分があるのは雫のおかげだと思っている。


(さっきは身が竦んで動けなかったけど……でも、絶対に助けるからねっ、雫!)


               ◇


「なんか……向こうが騒がしいわ」


 目抜き通りの奥に視線を向けながら呟くリリス。

 ほどなくして五〇メートルほど先の交差点に、道行く人々の悲鳴の中、左側から一台の魔動車が突っ込んで来るのが見えた。


 交差点の中央で道行く人を蹴散らして方向転換をした魔動車が、今度は蛇行しながらこちらに向かって突っ込んで来る。


「危ない!」


 慌てて腕を広げ、初美と立夏、そしてメアリーを道の端に寄せる。

 その直ぐ横をかなりのスピードで通り過ぎていく黒い魔動車。

 当然、市街地では違反となる速度だろう。


「ったく! なんだよあれ!」


 走り去る魔動車を見ながら、思わず悪態をく。

 荒い運転せいで、直ぐ傍には魔動車の幌から落下した木箱にもつが一つ。

 外れた蓋の隙間から何かの植物の葉がこぼれ出ているのが見える。


 〝たばこ〟 と記されているプレートを信じるならたばこの葉だろう。

 箱の奥からさらに出てきた麻袋が破け、中から淡褐色の粉末がこぼれ出ていた。

 乾燥剤か何かだろうか?

 甘い感じの、香草の様な香りが辺りに漂う。


「な……なに、あれ!?」


 リリスが、魔動車の走ってきた方向を見て目を見開く。

 魔動車の走り去った先を眺めていた俺も、リリスの声で再び振り返ると――――


 シャツの上からでもはっきりと分かる大きな胸を、バインバインと擬音でも聞こえてきそうなほど上下に激しく揺らしながら走って来る一人の女の子。

 幼く見えるが、歳の頃は雫と同じくらいだろうか?

 それだけでもかなり目を引くのだが、両手にローファー持って裸足で疾走しているのだからその異相はなおさらだ。


「な、なんだあのロリボインは!?」


 思わず、ストレートな感想が俺の口を吐いて出てくる。

 走るフォームがやけに綺麗なのがまた、なんとも言えず印象的だ。

 ……と、俺たちが見ているすぐ傍まで来たところで、バランスを崩して激しく転倒するロリボイン。

 きゃぁっ! と、幼げな悲鳴が、集まっていた人混みの中で響き渡る。


「お、おい!」


 慌てて駆け寄り、ロリボインの上半身を抱き起こす。

 傷だらけの足裏から滲み出る血。

 割れたり、或いは剥がれかけたりしている爪もあった。

 裸足で石畳を全力疾走すれば当然の結果だ。


「相手が巨乳だと、驚くほど行動が早いのね」


 ボソっと呟くリリスに続いて――――


「巨乳好きとか……いやらしいのです!」

つむぎくんは巨乳好き……」

「巨乳好きにゃのか……」


 俺を見ながら目を細める三人の貧乳ちっぱいたち。


「やかましいわ。そんな場合じゃないだろ!」


 おい、大丈夫か!? と声を掛けると、えっ!? と言いながら顔を上げて俺の顔を見つめる女の子ロリボイン

 ん? この顔、どこかで会ったことがあるような……。

 誰だっけ?


「お兄……さん?」


 お兄さん? 雫の友達の誰かか?


しいちゃんが、ボインになったのです!」と、目を見開くメアリー。

「違うだろ! 顔よく見ろ! 全然別人だ!」


 ノームだけに、人を見分ける顔ニューロンが発達してないのだろうか?

 とりあえず、ロリボインの足の治療をメアリーに頼む。

 ありがとう、とお礼を言ったあと、再び言葉を続けるロリボイン。


「紬先輩……ですよね?」

「う……うん。どこかで……」


 会った? と言い掛けて慌てて言葉を飲み込む。

 全然印象が変わってたので気が付かなかったが――

 身長に不釣合いなこの胸……間違いない!


「萌花……ちゃん?」

「そうですよ! 先日会ったばっかりなのに、なんですかぁ、ようやく思い出したような顔で……」


 先日?

 少なくとも俺がこの世界に来て約二ヶ月近くは会ってないはずだが……この子の言う〝先日〟 って、一体どれくらいの期間なんだろう?

 それにしても……前の世界向こうで会った時よりだいぶ雰囲気が変わったな。


 中学生だてらに化粧なんかもして、雫と同学年にしてはちょっと大人っぽい印象もあったんだが……今は全く逆だ。

 すっぴんの萌花はむしろ童顔で、胸以外なら雫よりも幼く見える。

 女の子って、化粧でだいぶ変わるものなんだな……。


「ところで、萌花ちゃん……。確か今日って、雫と一緒だったんじゃ……」

「雫……そう、そうなんですよっ! 雫が大変なんですっ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る