04.雫が大変なんです

しずく……そう、そうなんですよっ! 雫が大変なんですっ!」


 そう叫んで身を投げ出してくる萌花もえかを、のけぞりながら慌てて支える。

 中学生離れした大きな双丘が俺の胸に押し付けられ、萌花が口にした不穏なセリフが一瞬で頭から消し飛ぶ。

 萌花の過剰で無遠慮なボディタッチは以前からだが、最近はこのチートボインを使う戦法がブームらしい。


「はいは~い! 抱きつかにゃくてもおはにゃしはできるにゃん? はにゃれてはにゃれて~」


 俺と萌花の間に両腕を差し込んで引き離すように広げる初美を、萌花がやや不満そうににらみ返しながら訊ねる。


「この猫語のかたは、先輩の彼女さんですか?」

「いや、初美も立夏もふたりともただのクラスメイトだけど……」

「〝ただの〟 じゃないにゃん! 監視委員にゃん!」


 また、わけの解からんことを……。


「よく解かりませんが、私が先輩とどう話そうと、ただのクラスメイト・・・・・・・・・さんにとやかく言われる筋合いはないと思いますけどぉ」


 今度は、張り付いたような笑顔を初美に向けながら話す萌花。

 さっきまでの不満そうな表情よりも数倍恐い。


「ちょっとしたってるくらいで普通、いちいち抱きついたりしないにゃん!」

「ちょっとじゃないですぅ。ちゃんと、性的に好きですぅ」


 萌花こいつも、アホだ。

 痴女モードの初美とどこか似ている気がする。


「せ、性的、って……ど、どう言うことにゃん!」

「そう言うことです。お兄さん・・・・と私は、いつもこうなので」


 そう言いながら、胸を押し付けるように再び俺の腕を抱きかかえる萌花。

 こういう、明らかにおかしな距離感の接し方は苦手なはずなんだが……この世界のボインにはエナジードレインの能力でも備わっているのだろうか?

 なぜか抵抗力が失われる。


 不意に、背後から響く立夏りっかの声。

 場の空気……というか、俺の周囲の空気を震撼させる。


「いつ……も?」


 その、さめざめと冷え切った声色にハッと我に返り、慌てて腕をふりほどいて萌花から離れる。


「い、いつも、って……そんなゆっくり話したこともないだろ!」


 実際、前の世界向こうでは軽く挨拶を交わして数分話す程度だった。

 この世界線ではどういう付き合いになっているのか解からないが、二ヶ月も会ってなかったことを考えても、いもうと繋がり以上の付き合いはないだろう。


 と言うか、雫……そう、雫だ!


「そんなことより! 雫がどうしたって!?」

「ああ! そうです! 雫が大変なんですっ!」


 そこまではさっきも聞いた。


「さっき暴走してた魔動車……そこに乗ってた二人組みにさらわれて……」

「はあ? さらわれたって……なんでそんなことに!?」


 それって、誘拐事件ってこと?

 予想以上に大変な事態じゃねぇかっ!


「雫が、あの魔動車、泥棒かも知れないって言って……調べに行ったんですけど、逆にあいつらに見つかっちゃって……」

「自警団へは?」

「連絡はして、隊員も二人来ていたんですけど……あっさり逃げられて……。それで私、少しでもあいつらの向かった先を確かめようと追いかけてたんですよ」


 それで裸足で……。

 足先を見ると、メアリーの治癒魔法キュアーのおかげで傷はほとんど消えている。


「傷の具合は……どうだ、メアリー?」

「表面はほとんど消えました。中の裂傷が少し残ってるので、まだ多少痛むかも知れませんが」

「ううん、全然平気! マジヤバイ! ありがとう!」


 萌花のお礼に対して、いえいえ、と首を振るメアリー。


「義妹のご友人とあれば、これぐらいのこと、やぶさかではありませんよ」

「……ギマイ?」


 なんでもない! と、俺は慌てて会話を遮る。

 メアリーの言葉を真に受けられて、また脱線でもされたらたまったものじゃない。

 とにかく今は、一刻も早く雫の救出策を考えないと!


「さっきの魔動車、ティーバ街道を西に向ったよな?」

「真っ直ぐ進めば王都まで繋がってるけど……途中、いくつも大きな街はあるし、かと言って街に入ったとも限らないし……」


 立夏の説明を聞きながら、はやりな……と再確認する。

 とりあえず、魔動車の消えた方向という情報だけで追うことは不可能だ。

 どうする? もっとピンポイントで探すことはできないのか?


「雫ちゃんの髪の毛でもあれば、ダウジングが使えるにゃん」


 オアラで俺たちを捜索したときに使ったペンデュラムは、そのまま初美が保管することになっていたのだが、どうやらいつも持ち歩いているらしい。

 とは言え、雫の毛髪を探すには家まで戻らなければならないし、移動時間だけでも三〇分……いや、正味一時間は掛かるだろう。


 それに、毛髪を手に入れたとしても、ペンデュラムの仕様を聞いた限りでは幾つもの観測点でダウジングを繰り返す必要があるということだ。

 行き先がある程度絞り込めていなければ、それさえ難しい。


「だめだ……時間がかかり過ぎる……」


 もっと、短時間でなんとか出来る方法はないのか?

 リリスが口を開く。


「あいつは使えないの? 何だっけ……マサオ? マモル?」

「マナブか!」

「そうそう、それ。あいつ、鼻が利くんでしょ?」

「そうは言っても、雫の匂いのするものなんて……」

「あいつらが落としていった、あの荷物は? 結構臭いが強いし、同じもの積んでたとしたら、まだ追えるんじゃない?」


 あの木箱からこぼれてたタバコの葉っぱか!


「珍しく冴えてるじゃん、リリス!」

「珍しくとか、一言余計なのよ……」


 鞄からファミリアケースを取り出し、ムーンストーンのリングで軽く叩く。

 飛び出した黒い球体が、すぐに骨犬マナブの姿に変わる。

 臭いを嗅がせて追わせる……と言っても、前の世界向こうの警察犬なんかの例を考えると、相当訓練が必要なミッションであるはずなんだが――――


「どうだ、解かるか?」


 くんくん、とタバコの葉の臭いを嗅いだマナブが、顔を上げるとカチャカチャと音を立てながら背中の骨翼を広げる。

 筋肉も羽毛も何もない、まるでひしゃげたフォークのような翼なのだが、それにも関わらず宙へふわりと浮かぶ。

 一般的な鳥類が得る揚力とは、全く別の仕組みで浮いているのだろう。


 マナブが、くだんの魔動車が走り去った方向へ一〇メートルほど飛んだ後、浮いたままこちらを振り返る。


「特に訓練もしてないんだけど……あれは、ついて来いってことか?」

「使い魔は、特別な訓練をしなくても、相性さえよければきちんと使役者の意を汲んだ行動をとってくれるはず」


 マナブの行動に疑心暗鬼な俺の気持ちを見抜いたのだろう。

 先回りして説明してくれた立夏の言葉に、俺も大きく頷く。


「ってことは……俺とリリスは相性が悪いってことか……いたっ!」


 右側頭部にリリスの強烈な回し蹴り。


「だから、一言余計だって言ってんのよ!」

「軽い冗談だろっ! 意を汲めよ、意を!」


 それにしても――

 付いて来いと言われても、どこまで行ったかも解からない魔動車相手だ。

 いくらなんでも、徒歩で追うのは無謀だ。


「タクシーみたいな旅客営業車って、現世界ここにもあるの?」

「聞いたことないにゃん」と、初美クロエ

「予約制の旅客車ハイヤーはあるけど……」と、立夏も首を傾げる。


 流しで走ってるような営業車はないのか。

 でも、あれこれ迷ってる暇はない!

 少し車道に出て、道行く魔動車に対し、親指を立てながら腕を上げる。

 サムズアップ……前の世界向こうで言う、いわゆる「ヒッチハイク」の指サインだ。


 こちらでも意味が通じるかは解からないし、前の世界向こうですら中東やアフリカでは侮辱的なサインとして受け止められていると聞いたことがある。

 文化の違う場所でこういったサインを不用意に使うのは控えた方がいいのだろうが……かと言って、単に手を上げてるだけでは誰も止まってくれない気がする。


 こんな物騒な世界でいもうとがさらわれたんだ。

 臭いだって、時間が経てばどんどん拡散していくだろう。

 ゆっくりベストプランを考えてる余裕はない。

 多少のリスクは覚悟してでも、ベターだと思ったことは即実行だ!


 何台かスルーされた後、五~六台目でようやく一台の魔動車が目の前で止まると、四〇歳前後の、気さくそうな男が運転席から顔を出して話しかけてくる。


「おう! 若いの! どうした、そんな所で突っ立って!?」

「すいません、実は、ある車を追ってるんですが……足がなくて困ってるんです! 途中まででもいいので乗せてもらえませんか?」

「んんー……俺ぁこれから王都に向かうんだが、そっち方面でいいのかい?」

「はい、とりあえずは……」


 我ながら説明の歯切れが悪い。

 そんな俺の説明を聞く運転手も、当然ながら怪訝そうな表情を崩さない。


「ある車ってなぁ……一体どう言う事情で追ってるんでぃ?」


 まあ、当然の質問だよな。

 妹が誘拐されたと……正直に話して良いものだろうか?

 普通に考えれば、そんな面倒ごとに関わるのは御免だと断られかねない。

 しかし、そこを伏せて乗せてもらおうなどとはやはり虫のいい話か……。


「実は……」


 萌花から聞いた事件の経緯を説明する。

 話を聞きながら、ますます険しくなっていく男の表情。

 やっぱり、だめか……そう思った次の瞬間――


「おう! そういう事なら、さっさと乗れぃ!」

「え? い、いいんですか!?」

「あったりめぇよ! そういう事情なら、断っちゃ男が廃るってもんよ!」

「ありがとうございますっ! 今、これしか持ち合わせがないんですが……」


 そう言って、ポケットから銀貨二枚を差し出す。


「べらんめぃ! そんなもん、あんたみたいな若いのから受け取れるかぃ! 俺ぁ、あんたの妹さんを助けたいから乗せるんでぃ! それ以上のもんは要らねぇよ!」


 感動で思わず目頭が熱くなる。

 この世界でも、こんな人情に触れることができるなんて……。

 そして、こんな江戸っ子に出会えるなんて!


「メアリー! 治癒はどうだ?」

「はい、もう大丈夫だと思いますよ、パパ!」

「パパぁ!?」


 萌花がまた目を丸くしてるが、今はゆっくり説明してる暇はない。


「萌花ちゃんは……これまでの経緯をもう一度自警団に通報してくれないか?」

「は、はい! 分かりました、先輩!」

「ああ……それと……」

「ん?」


 小首を傾げる萌花。


「ありがとう。雫のために……足、そんなになるまで走ってくれて」

「あ、いえいえ! 私にとっても雫は大切な友達ですから!」


 頭を下げる俺に「やめてくださいよ」と、萌花が両手を振りながら赤らむ。


 たまたまメアリーがいたからよかったようなものの、最初に遭遇した時の彼女の素足はかなり痛々しい状態だった。

 雫を想ってあそこまで頑張ってくれたことには感謝しかない。

 結果的に、それで俺たちが雫のピンチを知るここともできたわけだし……。

 ほんとうに、ありがとう!


 頭を上げると、今度は初美の方に視線を向ける。


「初美も、萌花ちゃんに付き合ってやってくれ。あと……俺の実家と、華瑠亜かるあのとこにも連絡してくれないか? 今日、例のバイトに行く予定だったんだ」


 オアラ合宿で買い物係りになった時、初美には華瑠亜のハウスキーパーの件は話してあるので〝例のバイト〟で話は通じる。

 とくに何かを聞き返すこともなく、俺の言葉に黙って頷く初美とクロエ。


「立夏は――――」

「一緒に行く。紬くんと」

「え?」

「あなただけじゃ、心配……」


 立夏は以前から、俺のこの世界に関する知識レベルを訝しんでいたんだよな。

 恐らく、それが漠たる不安感を煽っているのかも知れない。

 今はマナブという新キャラも使役中だし、テイマーに詳しい立夏が同行してくれるのは確かに心強い。


「解かった、一緒に行こう! ……おじさん、俺たち三人、乗れますか?」

「てやんでぃ! 俺の名前は寅之助とらのすけだ。山田寅之助! おじさんなんて呼ぶんじゃねぇやい!」


 名前まで江戸っ子っぽい。


「前の座席に座れるのは俺も含めて三人までだが、座席裏に仮眠スペースがあるから、そのちっこいのはそこに乗っけりゃ大丈夫でぇじょうぶだろ」

「ちっこいのとは何ですかっ! メアリーはこう見えても二〇――――はたち(モゴモゴ……)


 メアリーの口を塞ぎながら座席の後ろに放り込む。

 余計な会話で時間を無駄にしたくない。

 続いて俺が座席の中央に座り、最後に立夏が乗ってドアを閉める。


「じゃあ、寅之助さん、あそこの骨犬スカルドッグを追ってもらえますか?」

「何でい、水くせえなぁ、昨日今日会ったみたいに。寅さんでいいよ、寅さんで!」


 いや、実際、さっき会ったばかりなんだが……。


「んじゃ、行くぜぃ!」


 寅さんの掛け声とともに、マナブがティーバ街道を西へ向かって飛び始める。

 意外と速い!

 俺たちを乗せた魔動車も、マナブの後を追って徐々にスピードを上げた。

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