02.萌花
ピタリとカーテンが閉じられた両替商の窓を睨みながら。
店のすぐ横の脇道に入ると、目の前に、カフェテラスから見ていた
遠くから見ていた印象よりも、車体はやや大きく感じる。
雫も魔動車に詳しいわけではなかったが、あまりこの辺では見ない形だ。
近づくと、プ~ンと漂う、甘い感じの香草のような香り。
幌の中を覗くと、〝たばこ〟と書かれたいくつかの木箱が積み重なっている。
(たばこの葉かしら? 確か北国の方で沢山栽培されていると習ったけど……)
幌の下のナンバープレートを見て番号を控える雫。
……が、しかし、車体に比べてプレートがやけに新しい。
(もしかして……偽造ナンバー?)
外から両替商の建物の中の様子を伺う。
特に何か物音が聞こえてくるようなこともない。
まだ大丈夫そうだ……と判断し、素早く魔動車の周囲を調べる。
その方が荷物の積み下ろしに便利だからだが、目の前の魔動車も例外ではない。
ぐるりと魔動車の周囲を巡ったあと、下を覗き込むと太いサイドメンバーの横に車台番号が刻印されているのが見えた。
車体固有のシリアルナンバーのようなもで、これは偽造のしようがない。
雫は、急いでその番号もメモに書き留める。
(よし! これで、もし逃げられても所有者は解かるはず!)
立ち上がろうとした雫の背後で、ジャリ、っと地面を踏みしめる音がした。
腰を屈めたままハッと振り返った雫の目の前には――――
浅黒い肌の、二メートル近い大男がジロリと雫を見下ろしていた。
後ろで束ねた長髪には白いものも混ざっているが、歳は三〇代半ばほどだろうか。
薄暗い裏路地でも、彫の深い顔の奥でギラつく目は異常なほど白い。
背に担いだ大きな両手剣が、威圧感に更に拍車をかけている。
カフェテラスから見えた二人組みの一人……剣士の男だ。
慌てて立ち上がり、表通りに向かって走り出す雫。
が、すぐに髪の毛を掴まれ、思いっきり後ろに引き摺り戻される。
頭皮が剥がれるのではないかと思うほどの激しい痛みとともに、ブチブチと髪の毛の抜ける音が頭蓋骨を伝わって聞こえて来た。
激痛で、思わず両目に涙が溢れる。
大きな声を挙げようと開いた口も、すかさずもう一方の手で塞がれた。
「なんだあ、おまえ?」
背後で響く、不気味な男の声。
(た……助けて!)
しかし、明るい表通りから薄暗い裏路地を覗き込む通行人は皆無だ。
……いや、一人だけ、その時の雫の様子を見ていた人物がいる。
通りを挟んだ向こう側のカフェテラスから、両手で口を押さえながらこちらを見ている人影――――
(も……モエちゃん……)
しかし、その姿を確認した直後、雫は強引に男の方へ振り向かせられる。
と同時に、躊躇なく雫の細い
一瞬で全ての焦点がぼやけ、視界が白く霞む。
「か……はっ……」
胃液と共に地面に溢れ落ちたのは、お昼に食べた消化中のサンドイッチ。
だが、それに気づく間もなく、既に雫の意識は寸断されていた。
「誰だった、
両替商の勝手口から、外に出ることなく黒コートの男が訪ねる。
「ああ……兄貴が怪しい気配を察知した、って言うから来てみたが……」
柿崎と呼ばれた剣士が、倒れた雫の体を足で転がして仰向けにする。
今は、魔動車の陰に隠れて、表通りからは死角になった位置だ。
「誰だ、
「まだ子供だろ。やつらが使うにしては幼すぎるし、行動も無防備過ぎる」
「じゃあ、何なんだこいつ?」
「解からんが……恐らく俺たちを怪しんだ一般人ってとこじゃないか?」
黒コートの言葉を聞いて、柿崎が忌々しそうに大きな舌打ちを鳴らす。
「だからこんな昼間に行動するのは嫌だったんだよ」
「夜じゃ、この地区に魔動車は入れんだろう」
「車なんてなくたって、あれくらいの量の粉……」
「元はと言えば、
チッ、と、もう一度、今度は小さな舌打ちを鳴らす柿崎。
(ったく! ギルドホールの件と
「で……どうするよ、
「いや」と首を振った後、束の間、考えを巡らせる黒いコートの男……須藤。
「こいつ単独とも限らん。もし仲間に通報でもされてたとしたら面倒だ……」
「じゃあ……どうすんだよ?」
「とりあえず、縛って座席の後ろにでも放り込んでおけ。場合によっては人質に使えるかも知れん。殺すのは追っ手が居ないと確認してからでも遅くない」
ったく、
雫の顔を確認するように、顎から両頬を挟むように掴む。
「よく見るとこのガキ、けっこう可愛い顔してんじゃねぇか」
続けて、腹部を出したショート丈のTシャツを捲り、雫の薄い胸を覗き見る。
「
へへ……と、口許をだらしなく歪めながら浮かべる下卑た笑い。
「やめとけ! 悪い癖だぞ」と、須藤が柿崎を
「へいへい。お堅いこって……」
そう言いながら柿崎が、雫の
魔動車のドアを開けると座席の後ろにある狭いスペースに押し込み、上から麻布をかけて目隠しをした。
「モタモタしてられん。さっさと〝粉〟を運び出して箱に詰めろ。引き払うぞ」
須藤の指示の元、再び二人は両替商の建物の中へと姿を消した。
◇
「怪しい車が三丁目の両替商の傍に停まってて……ええ、はい。そうです……今、友達が、泥棒かもって言って、様子を見に行ってるんですけどぉ……」
萌花の持った通話機の向こう側から、じゃあ、念のため何人か向わせますね……と言うような、のんびりとした男の声が漏れ聞こえている。
萌花に合わせるかのように、相手の声にも緊張感が感じられない。
「はい。じゃあ、お願いしまぁす」
そう言って通話機を置くと、店員にお礼を言って再びテラス席に戻る萌花。
(デザート食べる前に、時間経ち過ぎてお腹一杯になってきちゃったじゃない!)
でも、それはそれでダイエットになっていいのかな? などと、不満を自己解決しながら、テラス席に戻って再び通り向かいを
雫はナンバープレートの番号を控えていたようだが、立ち上がると、その後も車の周りをうろうろと歩き回っている。
さらに、奥に背を向けながらしゃがみ込み、車の下を覗き込む雫。
(ったく……何やってんのよ、雫!?)
雫の話を本気で聞いていたわけではないが、それでも怪しい魔動車の周りを嗅ぎ回るなど、いかにもトラブルの原因になりそうだ。
ガラの悪い持ち主にイチャモンでもつけられないかと心配になる。
魔動車は非常に高級品で、一般家庭がおいそれと持てるような代物ではない。
何かの団体や企業……でなければ金持ちの道楽と、大体相場は決まってる。
後者なら、どうせ持ち主もロクなもんじゃないと萌花は決めつけている。
と、その時、雫の後ろに、本当にガラの悪い大男がにゅうっと現れるのが見えた。
(やばい! 本当にでた!)
走って逃げようとした雫の髪の毛を掴んで引き戻し、口を塞ぐ大男。
一瞬、雫と目が合ったような気がしたが、それも束の間――――
男の方に向き直させられた雫が、力なく地面に崩れ落ちる。
(な……なによ、あれ……)
あっと言う間の出来事だった。
相手から見えないよう、慌ててしゃがみ、テラスの柵越しに様子を伺う萌花。
今見えた出来事の意味を必死で考える。
少なくとも、車の所有者にイチャモンを付けられるなんていう、お茶の間法律相談レベルの状況ではない。
柵の隙間から注視し続けるも、魔動車の影になる位置まで引き摺られていったようで、何が起こってるのかよく見えない。
(ちょっとぉ……どうなってんのよ雫! デザート、どうすんよ……)
あまりに不測の事態に、他愛のない心配事で心がバランスを取ろうとする。
少しして、先程の大男が姿を現す。
荷台からロープのような物を取り出し、再び魔動車の影に隠れる大男。
さらに間を置いて、今度は魔動車の横まで何かを引き摺ってくるのが見えた。
あれは――――
(雫!?)
両手両足も縛られ、口には猿轡を嵌められているように見える。
運転席のドアが開き、中へ入れられる雫。
繁華街とは違い、ガバメントエリアで人通りも
魔動車のドアを閉めると、再び建物の中に姿を消す剣士風の男。
(どうする? 今なら……いますぐ行けば雫を助け出せるかも知れない!)
しかし――――
身体が動かない。
魔動車の近くまで行けば、あとはドアを開けて雫を引っ張り出し、表通りまで出るだけ……時間にして、一〇秒か二〇秒、長くても三〇秒はかからないはずだ。
でも……もし見つかったらと思うと、体がすくむ。
(雫ぅ……、私、どうすればいい!?)
テラスの柵に額を押し付けなら、萌花は自問自答を繰り返す。
少しして、先程の大男ともう一人、黒いコートを着た男……これもかなり立派な体躯の持ち主が建物から出てくるのが見えた。
二人で交互に、建物から何かを運び出しては荷台へ積み込んでいく。
荷台の幌は、真後ろだけでなく横からも開けるようになっているようで、相変わらず表通りからは、裏路地の二人を注目する人はいない。
(とにかく、このままここにいてもしょうがない!)
萌花が急いで会計を済ませ、店の玄関から表通りに出る。
……と、ほぼ同時に通りの向こう側――両替商のすぐ手前に自警団の小型魔動車が到着するのが見えた。
◇
「あれか、通報のあった魔動車ってのは」
そう言いながら、自警車の助手席から剣士風の男が降り立つ。
腰には灰褐色の鞘の刀剣……自警団の標準装備のサーベルだ。
歳は三〇歳前後だろうか。
胸のネームプレートには十人長の肩書きと共に〝
続いて運転席側から降りて来たのはかなり年輩の……初老と言っても差し支えないほどに髪に白いものが目立つ、小柄な男性。
左手に嵌めた藍色のグローブの甲には雷系魔法円が銀糸で刺繍されている。
恐らく、速射術式用の魔道師用グローブだ。
胸のプレートには準一級
「とりあえず……駐車違反は間違いないですな、辻隊長」
「牽引車は呼んであるんだよな?」
「はい。一台牽引中らしく、こちらへ回るのはあと二〇分ほどかかるかと」
(二〇分か……)
普段、駐車違反程度の案件なら、運転手を見つけて口頭注意くらいで済ませるのだが、たまにうろたえた運転手が逃走を図ることがある。
通報では強盗かもしれない、などと言っていたことを思い出し、念には念を入れておくことにする。
「万が一、逃走でもされたら始末書ものだ。追跡できるように一応ナンバーだけは控えておけ」
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