第十一章 黒衣の怪物 編
01.黒い魔動車
「あの黒い魔動車……何か変じゃない?」
「ん? なに?」
前髪を上げて頭の上でまとめる、いわゆる、前髪アップヘアスタイル。
やや広めの額のせいで、大人びた雫とは対照的に年齢よりも幼く見える。
紬の記憶に残っていた〝化粧をしたおマセな中学生〟とは反対の、無邪気で子供気な印象の萌花だが、雫がそんな印象の違いを知る由はない。
「あの路地に停まってる……ほら、あの真っ黒な……」
「ああ……ほんとだ。脇道、魔動車は侵入禁止なのにねぇ」
大して興味も無さそうにそう言うと、またメニューに視線を落とす萌花。
駅から少し離れた商業地区の目抜き通りに面したカフェテラス。
二人で遅めの昼食を食べたあと、これから食後のデザートを頼もうとしているところだった。
とは言え、ショップへの商品の搬入などで一時的に駐車をしているのは特に珍しいことではない。
しかし――――
そもそもあの区画には、役所が近い関係で代書屋が立ち並び、それ以外には抜歯屋や喫湯店など、荷物の搬入とはあまり縁のなさそうな業者が軒を連ねている。
唯一、小売店らしき建物と言えば、魔動車の隣の両替商だ。
この世界では、持ち込まれた宝石類をそのまま店で売る両替商も珍しくない。
……が、その両替商もまた、カーテンの閉められた窓を見る限り今日は閉店しているようだ。
魔動車が停まった直後から眺めているが、見落としでなければ、運転席からも幌側からも人が降りてきた様子はない。
(やっぱり、何か変だな……)
細かい事でも、気になり始めるとなかなかそこから意識を切り離せなくなる雫。
両親の血液型は共にB型だったが、六年生の頃、
血液型自体がまだ発見されて間もないこの世界では、両親の血液型によって子供の血液型が左右されるという知識も一般にはほとんど知られていなかった。
しかし、それ以来、漠然とした疑問が雫の頭から離れなくなる。
――――B型同士の両親からA型の子供が生まれるものだろうか?
ついに、最新の研究施設にまで行って問い合わせた結果……答えはノー。
その事が、両親から雫と
両親から本当の事を聞いた時はかなりのショックだった。
優しい
しかし、大好きだったからこそ真実を知って、言いようのない孤独感を覚えたことを今でも覚えている。
血の繋がりがなくなってもまだ、
今はそうでも、兄に恋人ができたら? 或いは結婚したら?
血の繋がりは一生消えることはないが、それがなければただの他人。
何かの切っ掛けで
このまま妹としてだけ接していることに、子供ながらに危機感を抱いた。
そんな思いが一気に駆け巡り、気が付けば『部屋を別にしたい』という言葉が口をついて出ていた。
雫にとってそれは、
思い悩んだ雫がバカらしく思えるほどに。
雫が部屋を分けたいと言った時の絶望的な表情の方が、寧ろずっと印象的だ。
あの時のお兄ちゃん、可愛かったな……と、クスリと思い出し笑いをする雫。
「なに? 私、何か変なこと言った?」
萌花が再び顔を上げる。
「あ、ううん、ごめん。ちょっと思い出し笑い。昔のお兄ちゃんのこと……」
「あ~、出た! ブラコン発言!」
「ブラコン? 私が?」
「うんうん! 最近はだいぶマシになったけど、ちょっと前まではすぐ、同級生の男の子に『お兄ちゃんの方が、お兄ちゃんの方が』って言ってたじゃない」
「そうだっけ?」
「うんうん! ……まあ確かに、ちょっとだけ格好いいけどね~、紬先輩」
雫は、家に遊びにきた萌花が、馴れ馴れしく兄の腕に触って話しかけていた様子を思い出しながら、あれでちょっとだけ?……と、彼女の呟きを否定的に反芻する。
腕だけならともかく、つい最近……もう二ヶ月ほど前になるだろうか。
無駄に大きな胸を
これまでは、同級生と比べても大きさの目立つ胸を恥ずかしがっていた萌花だったが、最近になってそれがある場面では大きな武器になることに気づいたようだ。
さすがにその時は、雫も思わず
それ以来、
(ほんと、あの胸は厄介ね……)
少しのあいだ萌花に向けていた視線を、再び
……と、ちょうどその時、魔動車の運転席と助手席のドアが開くのが見えた。
続いて、魔動車の両側に降り立つ二人の男。
二メートル近い剣士風の大男と……黒いコートをぴっちりと着込んだ青白い顔の、そちらも一八〇センチ前後はあろうかという立派な体躯の持ち主。
こんな真夏に、黒いコート!? と、雫が眉を
細い裏路地に運転席側を奥にして停車してあるので、よほど注視でもしていない限り二人の動きに気づくことはないだろう。
日差しが強いだけに、路地裏の影は逆に濃い。
実際、目抜き側から男たちを訝しがる視線は皆無だ。
「ねえ、ちょっと、あの二人……」
「ん? どうした?」
メニューを見ながら答える萌花の頭からは、既に黒い魔動車のことなど完全に抜け落ちている。
男たちは、二、三度周囲を見回して警戒したあと、剣士風の男が傍の建物のドアノブに拳を、まるでキュウリや大根といった野菜をへし折るかのように振り下ろす。
もちろん、へし折られて地面に転がったのは野菜などではない――――
金色のドアノブだ。
知人が訪ねてきた……などといった凡庸な用件でないことは一目瞭然だ。
間違いない! 泥棒だ! と雫が確信する。
白昼堂々と大胆ではあるが、手際は非常にいい。
誰に気づかれることもなく、二人の男が壊したドアから建物の中に滑り込む。
恐らく、位置的に見て、男たちが入って行ったのは両替商の勝手口だろう。
と、その時、両替商の窓のカーテンが開き、まるでそこから逃げ出そうとでもするかのように、初老の男が慌てた様子で窓の鍵を開けるようとしているのが見えた。
が、それも、注視していた雫だからこそ気づけた程度の一瞬の出来事。
男はすぐに、奥へ引き摺られるように消えたかと思うと、再びカーテンが閉じられる。
ただごとじゃない! と、腰を上げる雫。
「ごめん……私、ちょっと見てくる!」
「え? 見てくる? ……って、何を!?」
さすがに今度は、萌花も顔を上げて雫を見上げる。
「あの魔動車よ。あいつら、きっと泥棒よ!」
「はあ? なんでそんなこと……」
「詳しい話はあと! モエちゃんは自警団に連絡しておいて。私は、逃げられてもいいように車体ナンバーだけ確認してくるから!」
「ち、ちょっと! 雫ぅ! 危ないって!」
萌花の危惧を背中越しに聞きながら、雫がテラスの出口に向かう。
普段は、どちらかと言えば慎重に行動するタイプで、決して軽弾みな言動をとるような性格ではない。
が、こうと決めた時の行動力も人一倍早いのが雫だった。
店内へ戻ることなく、テラスの柵に設けられた出入り口から直接表通りに降りる。
萌花を残しているし、無銭飲食を疑われることもないだろうと見越しての行動だ。
両替商の窓から一瞬だけ見えた様子を
当然、この世界においても重罪だ。
絶対に見過ごせないという正義感……と言うよりも、雫を動かしていたのは、たまたま目撃してしまった者の使命感に近い感情だ。
もし自分が行動するかどうかであの窓際に見えた人物の命が左右されるとしたら、ここで動かなかった自分に対して一生後悔の念を抱いてしまうように思えた。
この辺りの行動原理は、兄の紬と非常によく似ている。
左右に目を配り、行き交う魔動車を巧みに避けて通りの反対側へと辿り着く雫。
交差点ごとに交通整理もされているのだが、市街地のほとんどで魔動車は時速三〇キロ程度に制限されているため、回り道をせずとも渡るのに苦労はない。
目的の両替商は、渡った場所から一〇メートルほど北の道沿いだ。
カフェテラスの方を振り返ると、目を細めながら心配そうにこちらを見ている萌花の姿が目に入る。
さっさと自警団に連絡して! とでも言うように、片手で通話器を耳に当てるような
それを見てようやく、萌花も店内へ向かってゆっくりと歩き出す。
通話機を借りに向かったのだろう。
萌花が店内に消えたのを見届け、雫も雑踏を掻き分けながら足早に歩を進める。
ピタリとカーテンが閉じられた両替商の窓を睨みながら――――
◇
「ところでそのパンチラ……じゃなくて
前を歩く立夏の背中に向かって問いかける。
長〇さんコスチュームの小道具となっていたカーディガンは、さすがに夏の日差しの下では暑いので腰に巻いている。
あれほどやきもきしながら見ていたパンチラなのに、今はとても懐かしい。
「これは……小説に出てくる異世界の服」
軽く振り向き、横顔を俺に見せながら答える立夏。
小説? それってまさか――――
「チート修道士の異世界転生!?」
視線を前に戻しながら、立夏がコクリと
あれかぁ! またあの本かぁ!
「あの小説、挿絵も多いらしいから、それを参考にしたみたい」
「もしかして、ルサリィズ・アパートメントも……」
「小説に出てきた異世界のお店がモデル……らしい」
やっぱしっ!
思い返せば、この世界に来てから幾度となく俺の前に現れた因縁の本だ。
トゥクヴァルスを再訪した際の、宿泊所の休憩室。
オアラ合宿では
読もうとした機会も何度かあったのだが、結局今まで読めず仕舞いだった。
「あれ……ね」
立夏の指差した先を見ると、ちょうど書籍店があり、店頭には売れ筋の本が何種類か平積みされている。
近づいて見てみると、平台の最前列、ほぼ中央に「チート修道士の異世界転生」の一、二巻がそれなりの幅を取って並べられている。
扱いを見るに、やはり売れているらしい。
手にとって著者を確認する。
「
本名かペンネームかは解からないが、この人物も、俺たちと同じ世界から、この世界へ転移して来たと言うのだろうか?
ペラペラと、軽く本をめくってみる。
それだけでも、〝
そう言えば、登場人物がうちのクラスの男子……さらに言えば、俺がよくつるんでる仲間に酷似していたんだっけ……。
オアラで、
月島薫……記憶にはないが、学校の関係者だったのだろうか?
もしかすると、
「初美……この、月島薫って奴に、心当たりあるか?」
「…………」
「は、初美?」
「禁則事項にゃん」
「え? ……なんで!?」
こんな作家のことが、なんでピンポイント禁則に?
やはり何か
しかも、初美もそのことを知っているということ?
立夏が居なくなれば禁則指定も解除できるはずだ。
後で詳しく聞いてみる必要があるな。
「とりあえず……買っていってみるか、この本……」
「それなら、
「そうなんだ。……じゃあ、荷物になるのも嫌だし、そうするか」
手にした本を再び平台に戻そうとして、レジに座っていた店主と目が合う。
少し気まずい。
「分かるにゃん! コミケでエロ同人誌の売り子と目が合あった時にゃんか、本を戻し辛いにゃん……」
なんでエロ同人限定なんだよ!?
「ってことは、初美はルサアパに入った段階で元ネタに気づいてたんじゃ?」
「まあ、にゃんとにゃく……」
「それなら、早く教えてくれればよかったのに」
「禁則事項にゃん……」
「禁則って……まあいいや」
〝月島薫〟関連の話は、立夏がいないところでまたゆっくり訊ねよう。
今度はメアリーが俺の手首を引っ張る。
「じゃあ、メアリーのパンツ、買いに行きますよ!」
「ああ、そっか……そんな約束してたっけ……」
と、その時、肩に乗っていたリリスがハッと振り向く。
「なんか……向こうが騒がしいわ」
目抜き通りの奥を見ながら呟いた。
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