18.ケルベロス

 完璧に煉獄の危機を振り払ったリリスたんが、さらにレイピアの切っ先をケロベロスに向けて構える。

 亜麻色の髪をふわりと広げて振り向いた彼女の瞳が映したものは……毒島ぶすじまの姿。


「ビッグマウスかどうか、その目でご確認を」


 意外と、根に持ってる?

 本気なのはいいんだが……魔力の残量、ちゃんと把握してるんだろうな?


 昨日の戦闘で、ざっくり見積もっても六万の魔力を消費している。

 魔粒子濃度がほぼゼロパーセントのダンジョン内では睡眠による回復量も限定的だろう。

 先ほどブレスを蹴散らした〝旋風楯(仮)〟だって通常技ではないはずだ。

 どんぶり過ぎる勘定だが、残魔力はせいぜい三万程度ではないだろうか?


「り、リリス? 分かってんだろうな?」

「大丈夫です、ご主人様。瞬殺モードでいきますので」

「瞬殺モード? そんなのあったの?」

「前回の戦闘でひらめきました」

「閃く?」

「はい。頭の上で、電球がピコーン、と……」


 え? ロマ〇ガシステム!?


 ブレス攻撃が防がれたのを見て、キューブの上からケルベロスが飛び降りる。

 四メートルを超す巨体とは思えない、軽やかで清閑な身のこなし。

 着地の瞬間に沈み込んだ頭を再びもたげ、六つの魔眼でリリスたんをめ付ける。


「おい……大丈夫なのか、あのチビは?」


 耳朶じだに触れる毒島の囁き。

 振り向くと、いつの間にか紅来くくると一緒に俺の傍らに立っていた。

 戦闘モードとはいえ、それでも小柄なリリスたん。毒島からみれば相変わらずチビのままなのだろう。


「とりあえずここは、あいつに任せてみてください」


 出立前の言動から察するに、毒島とて自らは傍観する立場に甘んじながら、女子を矢面に立たせることを良しとする性格ではないはずだ。


 ……が、リリスたんはこの世界においては使い魔で、普通の少女とは違う。

 そして何より、目の前でブレス攻撃を完封して見せた彼女の実力は、一級剣士をもうならせるに十分なインパクトだったはずだ。

 俺の言葉で、毒島も腹を決めたように固唾を飲む。


 先手を取ったのは――――リリスたん!


 ほんのわずかに腰を屈めただけの最小限の予備動作で床を蹴る。

 ケルベロスとの距離、約二十メートルが瞬時に縮む。


 リリスたんの初動と同時に、琥珀色に輝き始める魔狼の顎門あぎと

 ケルベロスが魔炎のブレスで迎撃を試みる。

 火球の形成から放出までは二秒弱。


 ……が、それよりも早く、疾く!


 ブレスの射線をかいくぐってケルベロスに肉薄し、その前胸ぜんきょう部にレイピアを突き立てる神速のメイド騎士。

 彼女の強靭な太ももが絶対領域の中で……そして、右上腕二等筋はメイド服の上からでも分かるほどにグンッと膨らむ。


 装飾護拳ナックルガードの淵まで一気に差し込まれる超真鍮オリハルコンの刀身。

 切っ先は魔狼の浅胸せんきょう筋と三角筋を貫き、肋骨ろっこつ内に到達する。


 直後に放たれた魔炎のブレスは、リリスたんの頭上をかすめただけで無人の床を焦がす。


 だが、しかし――。


 ★5のキラーパンサーですら、C・L・A(キューティーリリスアタック)による幾閃もの刺突に一分は耐えたのだ。

 ましてや★6のケルベロスが、細剣一本突き立てられたくらいで止まるものなのか?


 危惧は現実となる。

 動きを止めることなく胸部でリリスたんを突き飛ばして距離を取るケルベロス。

 さらに三つの顎で徒手のリリスたんを噛み砕かんと襲い掛かる。


 巨大な牙がリリスたんの喉元に突き立てられようとしたその刹那!

 バシュン、という炸裂音とともに全身から血煙ちけむりを上げて膝を折ったのは……。


 ――ケルベロス!?


 魔狼の巨体が、大きな音を立てて無常にも地に崩れ落ちる。

 血煙の中でうごめいているのは――。

 胴体、四肢、首、顔面――全身の血管という血管から飛びしてきたような幾百、幾千本もの紅蓮の〝糸〟。

 断末魔のいとますら与えられない、まさに一瞬の絶命。


 血塗られた万糸ばんしが再び魔狼のむくろの中へ隠れるのを待って、リリスたんがレイピアを引き抜く。

 その、赤く染まった刀身にまとわりついているのは――今しがたケルベロスの全身から飛び出していた謎の糸?

 しかし、それも束の間……すぐに刀身に吸収され、元の美しい細剣の姿に戻る。


 なんだったんだ、今のは!?

 あの、無数の糸のようなものは……あれは、あのレイピアから出していたのか!?


 そんな事を考えた矢先、不意にブラックアウトする視界。

 音が消え、世界から切り離されたような孤独の空間が周囲を埋め尽くす。


 これは……この感覚は、覚えがある。

 トゥクヴァルスでキラーパンサーを仕留めたあとに感じた、あの虚脱感。


 膝から力が抜け、地面に崩れ落ちると同時に、意識は寸断された。


               ◇


 川原で待っていると、東雲しののめ色の霧の向こうから、渡し舟に乗って誰かがやってくる。

 よく見ると、舟の上から悲しそうな顔をしてこちらを見ているのは……亡くなった祖母だ。


「お……お婆ちゃん」


 祖母が、スッと右手をあげて俺の背後を指差す。

 振り向くと――背丈は二十センチくらいだろうか?

 一匹の小鬼が俺に近づきながら何か話しかけてきた。


「やっぱり、B・L・A……ビューティー・リリス・アタックでいいよ」


 リリスの声だ。

 慌てて川の方を振り返ったが、もう既に祖母の姿はない。

 代わりに渡し舟の上に立っていたのは……紅来くくる!?

 船の上から、紅来が小鬼に話しかける。


「それじゃあC・L・A(キューティーリリスアタック)とほとんど変わらないし、もう少し、どこか変えた方がいいんじゃない?」

「う~ん……どこか、って?」


 リリス声の小鬼が何かを食べながら聞き返す。

 あれは……携帯口糧レーション!?


「たとえば、最後をトーチャーに変えるとか。〝拷問〟って意味だけど」

「ビューティー・リリス・トーチャー……B・L・Tか。悪くないわね」


 なんだかB・L・Tベーコンレタストマトサンドみたいな名前だ。

 紅来あいつのことだし、もしかするとわざと狙ってるのかもしれない。

 ……というより、なんだこの状況は!?


 今度は、どこからともなくメアリーの声まで聞こえてくる。


「メアリーは、もっと覚えやすくて簡単なのがいいと思いますよ」

「たとえば?」

「残酷剣!」

「却下! カッコ悪いし、可愛くないっ!」


 重い瞼を上げる。

 霧も川原も消え失せ、薄っすらと開いた視界に映ったのは……薄暗い室内。

 どうやら〝小部屋キューブ〟内で横たえられているようだ。


「こ……ここは?」

「あ! パパが起きました!!」


 抱きついてくるメアリーに続いて、俺の質問には紅来が答える。


「お、気が付いたね! 最初にいたキューブの中だよ。紬が目を覚ますまで、とりあえずここで待機しよう、ってことになってさ」


 紅来の声を聞きながら、ゆっくりと上半身を起こす。

 頭は重いが、特に目立った外傷はないようだ。


「最初の部屋? 第一層へ続く階段がないけど……」

「あれは、部屋から人がいなくなれば自動的に消失だよ。また誰かが上る時までどことも繋がらない。常識でしょ」

「そうなのか。今……何時だ?」

「午前十時ね」


 クロノメーターを見ながら答える紅来。

 リリスがこちらへ飛んできて俺の肩に乗る。


「ちょっと計算を間違えて……LP(生命力)まで消費しちゃった」


 ごめんね! と言いながら、舌をペロリと出すリリス。

 やっぱりロ〇サガシステムか……。

 魔力が空になったせいで、体力がガツンと削られたんだろう。

 トゥクヴァルスで経験したのとそっくりの感覚だったからな……意識が飛ぶ前になんとなく、それは察した。


 コノヤロー!! と説教をしたい気持ちもあるが、あれがなければケルベロスも倒せなかったんだろう。

 三途の川を見てきたことには目を瞑り、今は無事な我が身を祝福しよう。

 祖母ちゃん、ありがとう。


「あの、気持ち悪い技のせいか。なんなんだ、あれ?」

「んー……、簡単に言うと、吸血剣? みたいな感じ?」

「きゅうけつ?」

「うん。レイピアから出た触手が、魔物の血管すべてに潜り込んで血を吸い取る、って感じ。吸い取った分だけ、紬くんの魔力に還元されるんだよ」


 還元されたはずなのに、ぶっ倒れたの?


「魔力消費いくつなんだよ、あれ?」

「発動コストは四万くらいかなぁ。そこで、魔力が空になったショックで紬くんは倒れたけど……直後に一万ほど還元されてるから、今は大丈夫だよ」


 なるほど……発動と吸収は同時ではないということか。

 還元率は悪いが、三日間も意識が戻らなかった前回とは違い、今回、数時間で目が覚めたのはすぐに魔力を回復できたおかげかもしれない。


 それにしても四万って……C・L・Aの倍かよ。

 発動魔力のインフレ感も半端ないな。

 リリスのやつ……まったくサキュバスっぽくないが、紛れもなく、俺にとっての大悪魔に成長しつつあるのは間違いない。


「で……さっきから、気絶してる人の横で何を話してたんだ?」

「新技命名会議だよ。ビューティー・リリス・アタックでいいって言ってるのに、紅来ちゃんが、それじゃあカッコ悪いって……」

「そりゃまあ……俺も、そう思うけど」

「じゃあ、紬くんはどんなのがいいのよ!」


 キッ、と眉を吊り上げてリリスが頬を膨らませる。

 べつにそんなもん、どうだっていいんだが……まあ、ここはせっかくだし、使役者として超絶カッコイイ名前を考えてやるか。


「漆黒の紅十字……名づけて、ダーク・ブラッディークロス! どうよ!?」

「うわぁ~~、ないわぁ~~」


 すかさず、呆れ顔で却下する紅来。


「とりあえず、黒と赤、色が二つ続いてる時点でセンスないし、十字要素もどこよ? って感じ」


 紅来のダメ出しにリリスも渋い表情で頷く。


「考えてみれば、使い魔だってブルーとマナブだからねぇ……。紬くんのネーミングセンスはランクFだよ」

「なんだよおまえら! B・L・AだのB・L・Tだのよりは全然マシだろ!」


 ふふっ、とメアリーが笑う。


「やっぱり残酷剣ですよ」

「「「却下!!」」」


 あれ……? そう言えば、毒島はどこいった?

 室内を見渡すと、少し離れた壁際に寄り掛かってジッとこちらを見ている毒島と目がう。

 俺の視線に気が付いて、紅来も毒島の方を振り向く。


「毒島っちは? なにか意見はない?」と、紅来。

「ああん? んなもん、何だっていいだろ」


 あんな、学のなさそうなのに訊いたってろくな意見出てこないって!

 ……と、紅来に耳打ちするリリスを「いいからいいから」と流して、再び毒島に話しかける紅来。


「そんなこと言わずにさぁ。せっかくだから毒島っちも何か意見出してよ」


 ジロリ、と俺たちを一瞥したあと、おもむろに毒島の唇が開く。


「ヴァルキュリア・フルール……」

「……え?」

「ヴァルキュリアは死を司る女神。フルールは〝花〟。全身から出た触手が錦宝樹きんぽうじゅの紅い花そっくりだったし、細剣フルーレの語源にもなってる言葉だ」

「…………」


 黙って毒島の話に聞き入る俺たち四人。

 正直、毒島の意外なポエティックスキルに驚きを禁じ得ない。


「な、なんだよ!?」


 俺たちの反応に、少し戸惑ったように聞き返す毒島。


「いえ、なんていうか……なかなかいいじゃない……」と、リリス。


 結構気に入ったようだ。

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