17.ビッグマウス

「ビッグマウスも、景気付けには役立つな」


 毒島ぶすじまがクックックッと笑う。

 怪訝そうな表情を浮かべるリリス。


「だから、ビッグマウスって何よ!?」


 なんとなく、良い意味ではないことは感付いているようだ。

 そっと意味を教えてやると、みるみる眉尻が吊り上り、鋭く変わったその栗色の瞳で毒島を睨みつけるリリス。


「ケルちゃんに会ったら、私の本気を見せてあげるわよ!」


 鼻息を荒げるのはいいが、残りの魔力も考えてくれよ?


「出発する前に……」


 メアリーがローブの下から治癒小杖キュアステッキを引っ張り出す。


「ぶっしーはそこに座ってください」

「ぶっしー……って、青年団の連中もそんな風に呼んでるやつがいたが、それで通ってるのか? おまえらの間で」

「ただの偶然ですよ。そんなことより、傷を治しますのでさっさと座ってください」

「傷?」


 毒島がキョロキョロと首を回して、自分の身体を顧みる。

 昨日の戦闘でついたらしい咬創や掠り傷が、全身のあちこちに赤く滲んでいる。


「大したことねぇよ、こんくらい……」

「いいから、座ってください! 一緒に行動するのに、そんな状態の人を放っておいては治癒係ヒーラーの矜持に関わりますので!」


 メアリーの意外な強弁に少したじろぐ毒島。


「お、おう……んじゃ、よろしくな、チビッ子……」


 そう言いながらその場に腰を下ろそうとする毒島の額を、背伸びをしたメアリーがピシャリとステッキで叩く。


「あイタッ! 何すんだクソガキ!」


 室内に響く毒島の野太い濁声だくせいに、しかし、メアリーもまったく動じない。

 ハンドルを握ると性格が変わる人、というのは聞いたことがあるが、メアリーにとってはあのキュアステッキがハンドルみたいなものかもしれない。


「チビッ子とかクソガキとか……自警団というのは礼儀作法もなってない粗野集団なのですか? 治癒魔法を施すのはメアリーですよ!」


 メアリーの命運もここで尽きるか!? と思われたが、彼女の抗議に対して「お、おう……じゃあ、頼む」と、毒島もなんだかしをらしい。

 どうも、メアリー相手にペースを乱されている様子だ。


 毒島あいつ、もしかして意外といい奴?


「ところでさっき、青年団がどうとかって言ってましたけど、会ったんですか?」

「ああ、昨日な。そこの荷物もあいつらからの貰いもんだ」


 メアリーの治療を受けながら、毒島が俺の方へ顔を向ける。

 そうなのか。道理で、リリスが勝手に携帯口糧レーションを引っ張り出しても何も言わなかったわけだ。


「ってことは、青年団チームは、無事にコールで?」

「ああ。あいつらは俺の目の前で間違いなく戻ったぜ」


 そういえば……と、毒島が何かを思い出すように視線を宙に泳がせる。


「青年団の連中にも、おまえらのことを心配してるのがいたな、一人」

「それって、おかっぱで赤いワンピースの……」

「おう、そうそう、そんなやつだったな。……って、なんだ? あのおかっぱは、おまえの恋人かなんかか?」


 なにぃ――っ!?

 という顔つきで、壁越しに外の様子を窺っていた紅来くくるが振り返る。


「ちっ、ちがいますよ! だいたいそいつ、男ですよ?」

「はあ? アホかおまえ? 俺だって人を見る目には自信があるんだ。男と女を見間違えるわけねぇだろ! 出るところ・・・・・だってちゃんと出てたしな」


 なんだかんだ言って、そういうところはしっかり見てんな毒島こいつ

 ……まあ、すっかり幻術に騙されちゃってるが。


「はい。終わりましたよ!」


 治療を始めて約十分後、メアリーがスッと立ちあがり、キュアステッキをローブの中にしまう。

 傷は全身に点在していたが、浅い傷ばかりで治療難度は低かったようだ。


「表の様子は、どうなんだ?」


 毒島が治療を受けている間、壁に耳を付けて外の様子を窺っていた紅来だが、俺の質問に首を捻りながら振り返る。


「分からない。気配を探ろうと思ったんだけど、石壁越しじゃ限界があるね」

「じゃあ、扉を開けたらケルペロスとバッタリ……なんてことも?」

「まあ、無きにしもあらず……かな。とにかく魔物ってのは、人間を殺す本能だけで行動してるから。ここに人間がいると分かっていれば……」


 再度、身支度を整えた毒島が紅来の言葉を継ぐ。


「★6クラスなら、息を潜めて数時間ジッと待つくらいのことはするだろうな」


 急に脇腹の疼痛が激しくなる。

 これは……虫の知らせか、ただの神経痛か……?


               ◇


 全員、用を足してから再び毒島の周りに集まる。

 ノームサイズのせいかやや小さめだったが、キューブの中にトイレスペースが設けられているのは軽くサプライズだった。

 排泄物も次元相違結界とやらでどこかへ運ばれているんだろうか?

 便利な世の中になったもんだ……。


「俺が、先に出よう」と、石壁の文字盤に触れる毒島。


 それまで壁だった場所の一部が徐々に半透明に変わり、やがて完全に消え去ったあとには、扉一枚分ほどの出入り口が現れる。


 素早く周囲に目配せをしてから、毒島が外へ。

 続いて紅来。

 最後に、俺とメアリーが手を繋いで続く。


 これから二百五十メートル。何事もなく終わりますように……。


 そんな祈りを捧げ、心の中で合掌しながら数メートル歩いた時だった。

 フュルルルル……と、どこからともなく不気味な音が聞こえてくる。


 そう、まるで、犬が〝口唇こうしん〟でも震わせているような呼吸音。

 思わず音の出所を探して辺りを見渡す――が、何も見えない。


 見えないにも関わらず、脳天からつま先へ突き抜ける得体の知れない恐怖。

 全身の毛が逆立ち、全ての毛穴を鳥肌が電流のように駆け抜ける。


 前方へ戻した視界に真っ先に飛び込んできたのは、紅来を抱きかかえて横っ飛びに退避する毒島の姿。

 右から左へ、驚いたような紅来の顔がスローモーションで遠ざかっていく。


 ナニカイル――!!


 何かは分からない。

 分からないが、とにかく危機的な状況に陥っていることを瞬時に悟る。


 散れ――っ……と毒島の口が動いていたようだが、そんな言葉を聞くまでもなく、彼の動きに俺も脊髄反射していた。

 メアリーを抱きかかえ地を蹴ったのは、ほとんど本能。


 次の瞬間――!


 今まで立っていた場所を紅蓮の炎が一瞬で包みこむ。

 ジリリと音を立てた前髪の焦げた臭いが鼻孔を突く。

 まるで、頭上から、巨大な火炎放射を浴びせかけられたかのような焦熱の景色。


 頭上から……!?


 灼熱でひりつく顔面を上空に向ける。

 そいつ・・・が立っていたのは……たった今、俺たちが出てきたキューブの上。

 赤く濁る六つの魔眼と三岐の頭。


 ――――ケルベロス!!


 牙の隙間から漏れ出る火の粉で琥珀色にきらめいていた中央の狼面が、大きくその口を開く。

 巨大な顎門あぎとの中で、見る間に大きく膨張する火球。


「おれつえ――――っ!!」

「ブレス攻撃です!! きますっ!!」


 六尺棍を召喚するのとほぼ同時にメアリーも叫ぶ。

 もちろん、そんな警告を聞くまでもなく、あの姿を見れば俺にだってそれくらいは想像がつく。

 しかし、分かったところで、魔狼の口から吐き出された業火に対処する方法など持ち合わせていない。


 こんな攻撃もあるなら、最初から教えといてくれよっ!

 ……と心の中で毒づきながら、メアリーを庇うように背後へ回す。

 六尺棍を横に構える対ショック姿勢にどれほどの意味があるのかは解らない。


「リリス――!!」


 勝算があったわけでない。

 ただ衝動に任せて身体を動かしながら、知らぬ間にその名を前を叫んでいた。

 いかにリリスたんが無双であろうと、眼前に迫った業火から逃れる方法などあるとは思えなかった。


 死を覚悟した刹那――しかし、そんな俺の予想は完膚なきまでに覆される。


 俺とメアリーの前に風の如く現れた彼女が魅せた、大気を切り裂くような剣舞。

 直後、散り散りとなりながら不規則にぜる魔炎の花弁はなびら

 身長百五十センチの小柄な戦闘メイドが巻き起こした旋風は大気を断絶し、巨大な灼熱の呼気ブレスを跡形もなく霧散させる。


 まさに、真空の楯!!


 完璧に煉獄の危機を振り払ったリリスたんが、さらにレイピアの切っ先をケロベロスに向けて構える。

 亜麻色の髪をふわりと広げて振り向いた彼女の瞳が映したものは……毒島ぶすじまの姿。


「ビッグマウスかどうか、その目でご確認を」


 意外と、根に持ってる?

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