10.東宮伊呂波

 そう――東宮伊呂波とうみやいろは

 俺の知ってる彼は、間違いなく男だったはずだ。


 こちらへ近づいてきた伊呂波の顔色が、俺の言葉でサッと変わる。


「ちょっと嫌だなぁ、先輩。なんで今日に限って〝くん〟付けなんです? 今まで通り〝伊呂波ちゃん〟でいいですよぉ」


 いいですよぉ、って言われてもおまえ……。

 退き気味の俺に対して、さらに擦り寄るように言葉を繋ぐ伊呂波。


「まさかボクが〝ボクっ娘〟だから、そんな風に呼ぶことにしたんです?」

「いや……ボクっ娘は、自分のことをボクっ娘って言わないだろ?」


 そもそも、ボクっ娘って言うか……おまえボクじゃん!

 正真正銘、男だったじゃん!


 そうは思ってみたものの……伊呂波を見ているとどんどん自信がなくなる。

 ふんわりと広がる繊細な髪。愛くるしい瞳に、濡れたように艶やかな唇。薄桃色のマシュマロのように、やや赤みが差した柔らかそうな頬。


 可愛らしいケープ付きワンピースのほのかに膨らんだ胸元も、紛れもなく女性であることを示している……ように思える。

 声も、喋り方こそ伊呂波のままだが、明らかに半オクターブほど高い。

 加えて物腰もたおやか。


 あえて男子要素を挙げるなら、百六十センチ台前半の、女子としては少し高めの背丈くらいだろうが、それとて不自然なほど高身長というわけではない。


 こっちの世界では、性別まで変わってしまうこともあるのか!?


「今どきボクっ娘くらい珍しくもないでしょう? ……って言うか、なんです、そのちっこいのは?」


 肩の上で限定パイをかじるリリスをいぶかしそうに見つめる伊呂波。

 そんな伊呂波を、リリスも薄目で睨み返す。


つむぎくん……だれ、このオカマ?」


 先ほどにも増して、伊呂波の顔色が変わる。


「お、お、おか、オカマって……ボクはれっきとした〝男の〟ですよ!」

「……いや、男の娘も、自分で男の娘とは言わないような気が」

 

 と言うか、やっぱり男か!

 ボクっ娘の男の娘とか、逆に紛らわしいわ!


 東宮伊呂波――

 元の世界ではアルバイト先のファミリーレストランで一緒に働いていた同僚――いわゆるバイト仲間、というやつだ。

 一つ年下で高校も別。バイト先では俺が厨房で伊呂波はホール。

 それほど接点があるわけでもなかったが、なぜかシフトが重なることが多く、仕事の後はよく雑談をしながら、食事をしたり一緒に帰ったりしていた。


 確かに、元の世界の伊呂波も中性的な容姿容貌だった。髪型も、目の前の伊呂波より少し短い程度でほとんど変わらない。

 女装が似合いそう――などと周りにからかわれたりもしていたが、本人もまんざらでもなさそうに照れていたのを覚えている。


 帰り道で面白いものを見つけたりすると「先輩、ちょっとあそこ見てみましょう!」なんて言いながら、俺の腕を取って走り出したりすることもあった。

 男と解ってはいても、その華奢な手に引かれるとドキドキしたのを覚えている。


 だがしかし――こっちの伊呂波は、見た目だけなら完璧に女子じゃないか!


「一体、何なんです、この失礼なチビちゃんは?」

「これは、俺の新しい使い魔で……リリスっていうんだけど……」


 へぇ……と言いながら、繁々とリリスを眺める伊呂波。

 俺がこちらの伊呂波に会ったのは今日が初めてだし、彼がリリスを見るのも初めてと考えて間違いないだろう。


「ところで先輩、以前からボクといると、そんなふうに顔を赤くしたり照れたりしてましたけど……。それって、ドキドキしてる感じなんです?」


 再び俺の方に向き直って小首を傾げる伊呂波。

 男だと解っていてもドキドキするそのあざとい仕草。

 いや、男だからこそ、男心をくすぐる所作を熟知していると言えなくもない。


「ドキドキって言うか……そんな格好でいられたら、多少は意識しちゃうだろ」

「ふぅ~ん……って、あっ! もしかして先輩、男でもOK派でした!?」

「そんな派閥に入ってねぇよ!」


 マジで、伊呂波とはどう言う知り合いだったんだ?

 この世界にファミリーレストランなんてないよな?


「それはそうと、先輩、どうして急に職場アルバイトに顔出さなくなっちゃんたんです?」

「やっぱり、バイト仲間だったんだ……」


 思わず呟く。


「はい? 先輩……大丈夫です!?」

「あ、ごめんごめん、こっちの話! う~んと、魔物狩りモンスターハントの実戦授業で大怪我しちゃってさ……」


 まあ、俺が顔を出さなくなったのはその頃の話だろうし、嘘ではない。

 Tシャツをめくってダイアーウルフの咬瘡こうそうを見せると、伊呂波が真っ赤になった顔を慌てて横へ向ける。


「な、なにやってるんですか、先輩! き、急にこんな場所で裸にっ!」

「裸っておまえ……ちょっとシャツを捲っただけじゃん」

「い、いいからっ! 早く元に戻してください、破廉恥な!」


 破廉恥って……。これって、そんなに恥ずかしい行動?

 平気で下着姿になる紅来くくるなんかに慣らされて麻痺してたけど、やっぱり紅来あっちの方が特殊なのかも知れないな。


 そう言えば、バクバリィの施療院で、雫も『もう一つのアルバイト』という発言をしていたよな。後で聞き出そうと思ってたの、すっかり忘れてた。

 華瑠亜の部屋の掃除だけにしてはやけに蓄えが多いとは思っていたが、こっちのアルバイトの方がメインだったのかもしれない。 


「先輩、急に顔を出さなくなったから、オーナーも心配してましたよ」

「そ、そっか……悪いことしたな」

「いえ、ほら、先輩、春頃に厨房からホールに異動になったじゃないですか。それで嫌な思いさせちゃったんじゃないかなぁ、って、オーナーも……」


 厨房……ってことは、やはりレストラン的な店で働いていたのか?


「ほんと、大怪我でバタバタしててさ。無断欠勤状態になったから、なんだか顔を出し辛くなっちゃって……。連絡してくれれば良かったのに」

「先輩、店に連絡先教えてたんです? ああ言うお店・・・・・・なので、連絡先を伏せたままでも雇ってくれたはずですよね?」

「ん? あ、ああ! そうだっけ!?」


 ああ言うお店? どう言うお店なんだ? レストランじゃないの?


「もし復帰するなら、ボクが店長に話しておきますよ!」

「そ、そう? じゃあ、ちょっと訊いてもらおうかな……」


 なんにせよアルバイトの口利きはあり難い。

 リリスのお陰でエンゲル係数が異常に高いし、華瑠亜のハウスキーパー以外にも何か見つけなければ、と思っていたのは事実だ。

 かと言って、よく知らない世界で仕事を探すというのも骨が折れそうだ……と、二の足を踏んでいた中でのこの申し出。これは素直にありがたい。


「みんなも、元気でやってる?」


 もしかすると、もとのバイト仲間も揃っているかも知れない……と思っての質問だったが、伊呂波が残念そうに首を振る。

 学生のバイトは十二年生……つまり、元の世界で言う高校三年生が多かったらしく、夏休みに入って殆どのメンバーが就職活動のために店を辞めたらしい。


「もちろん、入れ替わりで新人も増えましたけど、先輩がいたころのホールメンバーはほとんど残ってないんじゃないかなぁ……」


 厨房のおじちゃんおばちゃんは相変わらずですけどね、と伊呂波が微笑む。

 そう言えば元の世界のバイト先も、ホールの方は俺より一つ二つ上くらいの人が多かった記憶はある。


「誰でも出来るって仕事でもないですからね。新人採用もかなり苦労してたみたいですし、先輩が戻ると聞いたらオーナーもきっと喜びますよ」

「え? そんな難しい仕事だったっけ?」


 レストランのホールだよな?

 そこまで専門的な仕事でもないような気がするんだが……おもてなしの心とか、そういう精神的な話だろうか?


「それより先輩も……もしかしてダンジョン攻略ですかぁ?」


 俺の装いをサッと一瞥しながら訊ねる伊呂波。


「あ、ああ、よく解ったな? 真夏に長袖のアンダーシャツなんて、やっぱり浮いてるか……」

「それもありますけど、〝かぁりん〟のナントカってチーム。レース資料で見たらフナバシティ高等院からの参加だと書いてありましたから、もしかして、と思って」

「『先輩も』って……もしかして伊呂波くんも?」

「伊呂波〝ちゃん・・・〟!!」


 頬をプクっと膨らます伊呂波。

 女子かっ!


「じ、じゃあ、〝ちゃん〟もアレだし……よ、呼び捨てでもいいかな?」

「ああ、はい。わ、解りました。呼び捨てなら……OKです……」


 なぜかモジモジし始める伊呂波。

 ……こいつ、本当に、男子だよな?


「もともとボク、この辺りの出身で……。去年、ティーバに引っ越して学校も変わりましたけど、夏休みに祖母の家に遊びに来てたら、地元の仲間に誘われまして」

「ってことは……イヴァイ青年団チーム?」

「ですです! ボクは役立たずですけど、他のメンバーはなかなかやりますよ。なんせ、普段からダンジョンに忍び込んで遊んでたような連中ですから」


 なるほど……退魔兵団や自警団チーム相手にそれほど差が開いてなかったのは、そういう理由もあるのか。


「役立たず、ってこともないだろ。伊呂波……って、専攻は何なの?」

「ああ、幻術士イリュージョニストです。魔臓活量も魔法適正もあまり高くないんですけどね」


 伊呂波が苦笑いを浮かべる。

 ふむ……。よく解らないが、幻術と言えばやはり、それなりに魔力を消費する職業ジョブなんだろう。


「なんで、そんな不向きな専攻を?」

「だって、認識阻害、使いたいじゃないですかぁ」


 そう言いながら、両手で小振りな乳房を持ち上げるようにアピールする。


「い、伊呂波……それってもしかして……」

「ええ。幻術で作った乳房です。視覚だけじゃなく触覚も改変してるので、揉み心地も本物そっくりですよ。揉んでみます?」

「もっ……揉むとか言うなバカッ!」

「あ、そうそう、心配しなくても、下のアレ・・も消してますから」

「そんな心配もしてねーよっ!」


 おまえの方がよっぽど破廉恥だわ!


「少ない魔力を、毎日認識阻害おっぱいとアレに全振りしてるんです」

「そ、そっか……。専攻選びの理由も、人それぞれなんだな……」


 間違いない。確かに伊呂波こいつ、役立たずだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る