09.動揺

 一般論だろ? 動揺し過ぎじゃないか、華瑠亜あいつ!?


 そこまで考えて、シルフの丘で華瑠亜にキスしたことを思い出し、自分でも顔が火照る感覚に少し動揺する。


「どうしたんだろうね、華瑠亜ちゃん?」


 リリスが小首を傾げる。

 悪意なく、本当に不思議がっているのがリリスこいつの恐ろしいところだ。


「お……お前がとんでもないこと言い出すからだろ」

「とんでもない、って……あそこまで言われたらそう言うことでしょ? 一般論って言ってたし、華瑠亜ちゃんが慌てることないと思うんだけど……」


 そこまで言って、何かを思いついたようにポンと手を叩くリリス。


「でも、人目のないところでならキスしてくれる、ってことよね、あれ!」

「いや、さすがに俺は、そこまでの拡大解釈はできないかな……」


 リリスを肩に乗せ、空になったコップを売店に戻しに行く。


「それはそうと、俺が他の女子とキスとかしても平気なわけ? リリスおまえの課題って、一応、俺を篭絡ろうらくすることなんだよな?」


 まあ、無理だろうけどな。


「う~ん、まあ、ちょっと嫌だけど、つむぎくんが私にゾッコンになってくれてるなら、ライトなキスくらいは目を瞑るわよ」


 ゾッコン、って……。


「おまえ、ちょいちょい、言葉遣いが古臭いよな」

「そう? ……それに、童貞を骨抜きにしたところで学校の評価も低いし、そう言うのもちょっとくらい経験しといてもらった方がいいかも」

「言っておくけど……俺、未経験じゃないからな?」

「ええ!? えええええええっ!!」


 俺の肩から滑り落ちそうになったリリスが、必死でシャツの袖を掴んでよじ登る。

 いや、リリスおまえ、飛べるだろ!?


「驚き過ぎでしょ。俺にも彼女がいたのはリリスも知ってたよね?」

「そうだけど……高校生同士がたった二ヶ月で、そこまでいくもの?」

「それはまあ、人によりけり……」

「それ、十三章も終盤になって明かす事実じゃないよね!?」

「なんだよ、十三章って?」

「なんだろ? なんとなく、今その辺りにいる気が……」


 そう言いながら、どんよりとうつむくリリス。


「なんだよ……ついさっきは、未経験じゃ不満みたいなこと言ってなかった?」

「そうなんだけど……いざそう聞いちゃうと、それはそれでショックって言うか」

「現在進行形の浮気とかならともかく、過去の話だぞ?」

「紬くんは、私が過去に、誰かとそう言うことしてたとしても気にならないの?」

「うん、別に……」


 そもそも、リリスおまえを恋愛対象として見てないしね?


「人間って、そういうもの!?」

「人によるだろうけど、過去のことなんて気にしてたらキリがないしなぁ……って言うか、人間より貞操観念がしっかりしたサキュバスって、どうなのよ?」

「どうもこうもないわよ。気になるんだから仕方ないじゃない!」

リリスおまえさ、女夢魔サキュバスっつ~か、悪魔やめた方がいいんじゃない? 向いてねぇよ」

「すっごいそもそも論・・・・・できたわね……。それ、紬くんが人間向いてない、って言われるようなものよ?」


 うん。そう言ったつもり。


 少し歩くと、道幅が急に広がり――というよりも、ちょっとした広場のような所に出る。中央には何かの掲示板のようなものが立っており、その前に集まって、ガヤガヤと話をしている多くの人影。


「なんだろうね、あれ?」と、リリスが首を傾げる。


 よく見ると、掲示板にはトミューザム攻略チームらしい名前が書かれている。

 チーム名の横には数枚の数字の板がぶら下げられていて、時折、係員が数字板を入れ替えては別の数字に変えていく。


【退魔兵団 ダンジョン攻略同好会チーム】……2.2倍

【自警団 ガチ攻略チーム】……2.4倍

【イヴァイ青年団チーム】……6.4倍

【達成チームなし】……30.0倍


 これは……いわゆる〝オッズ板〟ってやつか!

 恐らく、最初にトミューザムの〝恩恵グレイス〟である〝八房やつふさの仙珠〟を入手するチーム……なんかを予想するレース賭博だろう。


 見たところ、ひじりさんの所属する退魔兵団チームが一番人気のようだが、それでも二倍以上のオッズがある。

 この参加数で二倍以上なら圧倒的な人気というわけでもない。オッズ的には、毒島ぶすじまの率いる自警団チームと人気を分け合っている形だ。


 三番人気が、俺たちよりも先に受け付けを済ませていたチームだろう。イヴァイ青年団チーム……名前からして地元の若手メンバーだろうか。


 そして四番人気が……あれ? 達成チームなし?

 さらにその下に、俺たちのチーム名らしきもの・・・・・を発見する。


【かぁりんと愉快な仲間チーム】……45.0倍


 誰だよかぁりん・・・・って……。


 もしかしてあいつ、普段からこの愛称で呼ばせようと企んでたのか?

 意外と痛々しい奴だ……。


 それにしても、最低人気はともかく、達成無しより低いってどう言うこと!?

 仮に、もし俺たち一チームだけの参加だっとしても、下手すると二番人気になるってことだぞ?


 オッズを見る限り、胴元の取り分テラ銭は一割程度だろう。

 元の世界の競馬なら二十五%、宝くじに至っては五十五%の控除率だったことを考えると、一割はなかなか良心的だ。


 そこから逆算すると、俺たちのチームの支持率は……約二%か!

 かぁりん、人気なさ過ぎ!


「只今、タイムサービスで~す! 投票券、一万ルエン分以上の購入で、限定トミューザムパイをプレゼント中! 今日限り! 先着五十食ですよー!」


 オッズ板の前に並べられた長机の向こう側で係員が声を張り上げる。


「さっさと行くぞ、リリス!」「行くわよ、紬くん!」


 俺とリリスが同時に……別々の・・・方向へ動き出す。


「どこ行くのよ、紬くん!?」


 後ろからリリスの声が追いかけてくる。


「どこって……みんなのところに戻るに決まって――」

「その前に、買っていかないと! その、投票券ってやつ、一万ルエン分!」


 なんで、さも当然かのように言ってるんだ、あいつ?


「まてまて! 一万ルエンだぞ! 銀貨一枚だぞ!? なんでパイごときのためにそんな大金を払わなきゃいけないんだよ!」

「だ、誰もパイのことなんて言ってないじゃない。当たれば何倍にもなるんでしょ? 投資よ、投資! 資産運用アセットマネジメント!」


 パイが目的じゃないなら、一万ルエン分に拘る必要もないだろ……。


「あのな、ああ言うのはギャンブルって言って、投資とは言わないんだよ」

「え? 競馬や麻雀も、人間界のギャンブルはみんな資産運用だ、って……お父さんが言ってたよ?」


 そう言えばあいつ、女夢魔サキュバスと人間のハーフだったんだっけ。

 おまえの親父はダメ親父だっ!


 ダメ娘のリリスがさらに説明を続ける。


「賭博は、参加者が結果に関与できない〝賭事とじ〟と、関与できる〝博事ばくじ〟の二つを合わせた言葉で、レース予想みたいな賭事は資金管理ファンドマネジメントをしっかりすることで……」


 やけに理論的なダメ親父だったみたいだな。


「とにかく、ダメなものはダメ! パイも他の露店で買ってやるから」

「ダメだよ! だって、限定だよっ!? 今日限りだよ!?」


 やっぱり、限定パイが目的じゃん!!


 宙に漂いながら鼻をすすり始めるリリス。

 泣くか!? こんなことで? 泣くのか!?


 あー、もう!!


「解った解った! 泣くなこんなことで! みっともない!」


 これで買ってこい! と、リリスに銀貨を一枚渡す。

 元々この世界で暮らしていた〝つむぎ〟が、そこそこ貯め込んでいたおかげでなんとかなってきたが……このペースで使われたらさすがに底を突くのも早そうだ。

 銀貨を受け取った途端、リリスがニッコリと微笑む。


「解ればいいのよ、解れば」

「あれ? なに? うそ泣き?」

「切り替えが早いだけ」

「言っておくけど、買うのは一番人気の方だからな!」


 はいは~い! と、手を振りながら飛んでいくリリス。

 退魔兵団と自警団……迷うところだか、やはり普段から魔物専門で相手にしてる退魔兵団に分があるだろう。毒島よりは聖さんを買いたい、という心理も働く。

 まぁ、これで俺たちがダメでも、退魔兵団がトップなら手堅くプラス一万ルエンだ。考えてみればそんなに悪い賭けでもないように思える。


 三箇所ある購入窓口には、それぞれ既に十人ほどが列を作っている。

 しかし、するすると前の方へ飛んでいくと、余所見をしている人の前に何食わぬ顔で割り込むリリス。


 うわー……。リリスあいつもなかなかに狡賢チートだなぁ。


 数分後、リリスがパイの入った紙袋と青色の投票券を持って戻ってくる。

 はいこれ! と投票券は俺に渡して、さっそくパイの包み紙を開け始める。


「もう食うのかよ? 今、串焼きとトウモロコシ食べてきたばっかり――」

「だって……戻ってからじゃ、みんなに分けないと、感じ悪いじゃん?」


 うわー……、感じわる……。


「あれあれぇ……? もしかして……紬先輩じゃないですかぁ?」


 その時、不意に後ろから声を掛けられる。

 知らない女の子の声……のはずなのだが、なんとなく、どこかで聞いた事があるような特徴のある抑揚。


 ……どこだっけ?

 記憶の糸を手繰り寄せながら振り向くとそこには――


 睫毛まつげに触れるくらいの位置で切り揃えられた、おかっぱショートボブ。

 二重瞼のパッチリとした愛くるしい目元に、淡く桃色に光る唇。丸い鼻の稜線も、全体の雰囲気に溶け込んでいてとても可愛らしい。


 ひざ丈より僅かに短い、クリムゾンレッドのケープ付きワンピース。その裾から伸びた足元は、黒のハイソックスと焦げ茶色のトレッキングブーツに包まれている。


 これでフードでも付いていれば、童話に出てくる赤ずきんちゃんかと見紛みまがうほどの出で立ちだが、むき出しの紫紺の髪は、こちらへ近づく少女・・の歩みに合わせてふわふわと上下になびいている。


「やっぱりそうだ! 紬先輩ですよね!? ボクですよ、ボク!」


 見覚えがある。あの喋り方。あの顔立ち。

 でも……俺が覚えているのは――


「……伊呂波……くん?」


 裏返った声を確認するまでもなく、かなり動揺しているのが自分でも解る。


 東宮伊呂波とうみやいろは

 俺の知っている彼は、間違いなく男だったはずだ。

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