08.新しい魔法

「せ、先生もね! 新しい魔法、覚えてきたんだよ!」


 なぜか急に、対抗心を露にする優奈先生。

 そう言えば出発前、ティーバの駅でもそんなこと言ってたな……。

 同じヒーラーとしての矜持きょうじかも知れないが、だいぶ大人気ない。


「見たい?」

「いえ、特には……」

「じゃあ、ちょっと待っててね」


 ヒーラーって、人の話を聞かないタイプが多いんだろうか?

 回復小杖ヒールステッキを握って十秒ほど詠唱した後、俺に向かって「えいっ!」と先生が杖を振る。


 ……何も起きない。


「えーっと、俺、何をされたんです?」

「あ……あ……あで……あでしょなら……すて……」

「アディショナル・スティグマ?」


 嚙みまくる優奈先生の代わりに紅来が答える。


「そうそう! 略して追加聖痕ADST! 自動回復リジェネレート系の魔法だよ」

「リジェネ、って言うと、自動的に体力回復……みたいな?」

「うんうん! 効果時間は三〇分程ね。だいたい、使った体力の一割程度を自動で回復、って感じかな! 今、沸き上がる何かを感じない?」

「いえまったく」

「ええっ??」


 肩を落とす優奈先生。

 と言うか、沸き上がる何かを感じるほどの魔法なのか?

 説明を聞く限り、ちょっと疲れ難くなる程度だよな?

 物々しいネーミングの割には、やけに効果が地味な気が……。


「先生、その魔法って……」と、紅来が何か言いかける。

「ん?」


 首を傾げる優奈先生を前に、紅来が慌てて両手を振る。


「あっ……いえ、何でもないで~す」


 なんだ、今の歯切れの悪いやり取りは。

 何かちょっとした伏線が張られたような気がするが、当の優奈先生が全く気にしていないようなので、俺も敢えて聞き返すのは遠慮する。

 紅来が途中で止めたってことは、きっとまた、優奈先生が落胆するような内容に違いない。


「とりあえず、もう四時過ぎだし……少し腹ごしらえして、そろそろスタート地点に向かった方がいいんじゃない?」


 紅来の言葉に頷きながら、先生が華瑠亜の顔を覗きこむ。


藤崎華瑠亜ふじさきさんも、もう大丈夫?」

「ええ、すっかり元気です」


 華瑠亜も立ち上がり、下ろしていたボウガンを担ぎ直すとグッとガッツポーズを見せる。

 そう言えば華瑠亜こいつ、三人組に絡まれた時には既に元気一杯な感じだったよな。一体、いつから復調してたんだ?


 まさか――


「ほんとに、あのナデナデ・・・・で治った――ゴフッ!!」


 俺の脇腹に綺麗に突き刺ささる華瑠亜の左ボディーブロー。


「お……おまえ、何を……」

「うるさい黙れ! 余計なこと言わなくていい!」


 華瑠亜こいつ……倒れる前より元気になってないか?


               ◇


「あそこ! あの串焼き屋が美味しかったよ!」


 リリスが指差す方へ歩いて行くと、焼き網の上に美味しそうな串焼きをズラリと並べた露店が出現する。


 確かにこれは……美味しそうだ。焦がし醤油の香りが食欲をそそる。バーベキューではなく、久し振りの〝和〟の味に高まる期待感。

 豚串と鶏串を三本ずつ注文すると、沙羅双樹――いわゆる、サーラの葉で出来た皿に取り分けて渡してくれる。食べ終わればその辺に捨てられるエコディッシュだ。


「ちょっとそれ、一口ちょうだい!」


 この喧騒の中でも、リリスの生唾を飲み込む音がはっきりと聞こえる。


リリスおまえさっき、みんなと一緒に食べ歩きしてたんだろ?」

「優奈先生のお金だったし……遠慮してあまり食べられなかったわよ」

「ほんとかよ。おまえが食べ物で遠慮とか、ちょっと信じ難いんだけど……」


 ねぎまを一本掴み、肩の上のリリスの前に差し出す。

 串から鶏肉を引き抜くと、物理法則を無視して開けられた大口に放り込むリリス。一瞬で肉が消える。


 レトロゲームでこういうキャラ、見たことあるな……。

 そうそう、パックマン! って言うか――


「手のタレっ! 俺の服で拭くなっ!」

「うわっ、さむっ! 十五点!」

「ダジャレじゃねーよ!」


 リリスにハンカチを渡して、俺も長ネギを頬張ってみる。

 甘くて濃厚なタレも然ることながら、野菜そのものの柔らかな甘みが、とろみのある食感と共に口の中いっぱいに広がる。


 ネギでこれなら、肉もかなり期待できそうだ。

 これで四〇ルエンは、激安だぞ!


「じゃあ、代わり順番ね。次わたし!」

「ちょっと待て。ねぎまを代わり順番に食べたら、ずっと肉食えないじゃん俺!」


 すかさず、リリスの舌打ちが聞こえる。

 なんだこの使い魔!?

 と言うか、その提案に俺が引っ掛かると思ってる方がヤバいわ!


「ねえ、つむぎ!」


 不意に呼び止められ、声がした方向へ顔を向けると……華瑠亜が両手に焼きトウモロコシを持って立っている。


 他のみんなはさっきの見学で腹ごしらえもしたのだろうが、描紋所テントの前で休んでいた俺と華瑠亜はまだ何も食べてない。

 食料は持ってきてるが、飽くまでもそれはダンジョン食だし、潜入前に補給できるものはしておいた方が良い。


「ぐ、偶然ね! はい、これあげる」

「え……いいの? ありがと……」

「別に、あんたのために買ったわけじゃないからねっ!」


 華瑠亜が差し出してきた焼きトウモロコシを一本受け取る。

 代わりに、じゃあこれ……と、串焼きが入った葉皿を差し出すが、慌てて華瑠亜が首を振る。


「トウモロコシもあるし、夕方からそんなに沢山食べられないわよ」

「だっておまえ、二本食うつもりだったんじゃないの?」

「そんなわけないじゃない! 一つは……えーっと……携帯用よ。ダンジョン食!」

「焼きトウモロコシを?」

「う、うん……でもまあ、よく考えたら持って行き辛いかな、と思って……。そしたらあんたが通りかかった、ってわけ」

 

 無計画にも程があるだろ……。

 焼モロコシを折り、三分の一くらいをリリスに渡すと一分も経たずに芯だけになる。今さらだけど……凄いな、パックマン。


「じゃあ、代わりに飲み物でも買ってくるよ。その辺で待ってて」


 アイスティーを二つ買い、一つを華瑠亜に渡して近くのベンチに腰掛ける。

 今日は何かと二人で過ごす時間が多い。


「なんか、悪かったわね。逆にお金使わせちゃって……」

「いや、別に。どうせ串焼きだけじゃ足りないから他にも何か買うつもりだったし、ちょうど良かったよ。これ、美味しいし」


 そのまま少しの間、二人とも寡黙にトウモロコシをかじる。


「さっきは……」


 食べ終わると、ハンカチで口の周りを拭きながら華瑠亜が口を開く。


「ん?」

「あのバカ三人に絡まれた時のこと。……その、ありがとねっ」

「華瑠亜だけ絡まれたわけでもないし。たんに火の粉を振り払っただけだよ」

「へぇ……。火の粉を振り払うとか、ヘナチョコにしては強そうじゃない、いつの間にか」

「まあ、これでも一応、三日間の地獄の特訓を耐え抜いてきたからな」

「大袈裟ね。たった三日で強くなれるなら苦労しないわよ」

「まあ、それはそうなんだけどさ……」


 さっきの立ち合いも、たまたま直近の特訓で重ねてきた可憐かれんとの組み打ちの経験が生きたし、技を当てられたのも、最後はほとんど運任せだった。

 あれを狙って当てられるようにならいうちは、強くなった実感はない。


「ま、でも、結果的に助かったのは事実だし……なんて言うか、何かお礼? みたいなもの、言葉だけじゃなくて、したい気持ちもあるって言うか……」

「いいよ別に。さっきも言ったけど、自分のためでもあったんだし」

「でも、ほら、無駄に煽っちゃったのは私だし……」


 なんだ。自覚はあったんだ。


「何かして欲しいこととか、欲しい物、ないの? 何でもいいわよ」

「急にそんなこと言われても……って、ああっ! 何でもいいの!?」


 なぜか、華瑠亜の頬に赤みが差す。


「い、いや、何でもって言ったって、私のできる範囲のことよ!?」


 前髪を直し始める華瑠亜。


「うん。じゃあさ、ちょっと、〝日当〟上げてくれない?」

「……に、にっとう?」


 華瑠亜が固まる。


「そうそう、ハウスキーバーの。このリリスおおぐいと一緒だと食費がかかって……」

「大食いって何よ! 健啖家けんたんかと言って欲しいわね!」


 不満そうに腕組みをするリリスを横目に、華瑠亜も時を移さず口を開く。


「ち、ちょっと待って! 日当って……こういう、お礼とかで上げるもの?」

「よく解んないけど……何でもいい、って言うから……」


 やっぱり、どさくさに紛れて労使交渉するのは無謀だったか?

 華瑠亜が、手に持っていたコップをベンチの上に置くと、両手を膝の上に置き、かしこまった様子で怜悧れいりな視線を俺に向ける。


「あのね、紬? いえ……綾瀬紬くん!!」

「つ、紬でいいよ……」

「こんな可愛い女子が、何でもしてあげるって言ってんのよ?」

「自分で言うか、それ?」

「一般論よ!」


 一般論で〝こんな・・・〟とは言わないだろ……。


「日当の相談なんて、そんなもんいつでも聞いてあげるわよ!……あ、でも、聞いたからって、上げるとは限らないからね?」

「う、うん……」

「日当じゃなくて、リリスちゃん用の食料を現物支給という手も……」

「んー……」

「って言うか、話をらさないで!!」

「…………」


 華瑠亜おまえが勝手に逸れて……。


「そうじゃなくて、女子が〝何でもしてあげる〟って言ってんのよ? かなり稀有けうなチャンスだと思わない?」

「ちゃんす?」

「そう。何かあるでしょ? そう言う時に頼むこと、いろいろと……」

「いろいろ、って……例えば?」


 華瑠亜の顔がまた、ぽわぽわと真っ赤に変わってゆく。


「例えば、ってあんた……。えーっと、例えば、きっ、きっ、きっ――」

「キスしてくれ……とか?」


 華瑠亜の言葉を継いで剛速球を放り込んできたのは――リリス!

 気がつけば、いつの間にか残りの串焼きも全部平らげている。


「はああああ!?」


 リリスを見下ろして同時に叫ぶ俺と華瑠亜。

 差し棒のように、串で華瑠亜の方を差しながらリリスが続ける。


「だって、そう言うことなんでしょ? 華瑠亜ちゃんが言いたいのは?」

「そ、そうだけど、いや、違くて! なんて言うかその……そう! それは一般論で! とにかく、そんな、き、キスとか……こんな人目の多いところで、できるわけないじゃないっ!」


 残りのアイスティーを一気に飲み干して華瑠亜が立ち上がる。


「コップ、返しておいてね! 私、もう行くからっ!」


 十八時スタートだから、あんたも早く来なさいよ! と言い残して、足早に目抜きの奥へ消えて行く華瑠亜かるあ


 一般論だろ? 動揺し過ぎじゃないか、華瑠亜あいつ!?


 そこまで考えて、シルフの丘で華瑠亜にキスしたことを思い出し、自分でも顔が火照る感覚に少し動揺する。

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