07.トミューザムコード

寿々音このバカがリュックを忘れたせいで、トミューザムコードも持ってないしな」

「ま、ドンマイ、ドンマイ!」と、寿々音すずねさんが貝塚かいづかの肩をポンポンと叩く。

「おまえは気にしろ!」と、貝塚が寿々音さんの頭を小突くのとほぼ同時に、紅来くくるが突然、大声を上げた。


「あぁ―――――っ!!」

「ど、どうした!?」

「トミューザムコード……」

「う、うん……。ん?」


 確か、フェスティバル会場の受付でコードのメモを渡されたあと、最後は紅来に預けたはずだ。


「あのあと、おまえ、どこにしまったんだ?」

「そのまま、紬のリュックのポケットに……」

「はあ? 紅来が持ってたんじゃないの?」

「いや……受け取ったとき、目の前に紬のリュックがあったからさ。とくに、なんの気もなしに、そのままそこに……」

「ってことは……」


 そう……リュックは第二層でティンダロスハウンドに食い付かれて放棄してきたのだ。つまり、俺たちもトミューザムコードを持ってない、ってことか!


「ど……どーすんのよ!?」と、今度は華瑠亜がうろたえたような声を上げる。

「あんた、第二層にリュック捨ててきちゃったじゃない!」

「あ、ああ……そうだな……」

「そうだな、じゃないわよ! なんでそんな大事なもの捨てちゃうのよ!」

「いや、俺だってそんなところにコードがあるなんて知らなかったし……っていうか、そもそも捨てろって言ったの華瑠亜おまえじゃん!」


 しかも泣きながら!


「なんか、俺の身体の方が大事とかなんとか、感動的なセリフ言ってなかった?」

「コードが入ってるって知ってたら……そのへん、どっこいどっこいか、むしろ、リュックの方がちょっと大事だったわよ!」と、ガックリ肩を落とす華瑠亜。

「ま、マジかよ……」と、俺の肩も落ちる。

「〝八房の仙珠〟だっけ? そんなにその宝具が欲しかったの?」

「宝具なんてもう、どうでもいいのよ!」


 え? このダンジョン、それが目的じゃなかったのか?


「ただ……八房の仙珠がないとトップ扱いにならないし、投票券だって外れちゃうじゃない!」

「目的が変わっちまってるじゃん……」

「だって……四十五万ルエンだよ! 四十五万!!」


 俺の両腕を掴んで揺さぶる華瑠亜の双眸が、ルエンマークに変わっている。

 肩の上で、リリスも頭を抱える。


「お金が貰えないんじゃ、私もステーキハウスに連れてってもらえないじゃん!」


 ステーキハウス? そんな約束してたっけ?


「と、とにかく、せっかくだし、祭壇まで行ってみましょうよ! ね?」


 場をとりなすように声をかけたのは優奈先生だ。

 その声に促されて、全員で中央の祭壇へ向かって歩き始める。


 近づいてみると、中央にあったのは高さ一メートルほどの四角柱だと分かった。

 天辺は約四十センチ四方の正方形で、祭壇……というよりは、石の〝台座〟といった方がしっくりくる形相けいそうだ。


 ぐるりと一周してみると、四角柱の一辺から何かのパネルのようなものが飛び出している。

 覗いてみると、五個ずつ二段に分かれたボタンが、合計十個付いている。

 ボタンにはそれぞれよく分からない文字が書いてあるが……この字、どこかで見た記憶があるぞ。

 パネル台を覗き込んだメアリーが、振り返って俺を見上げる。


「これは、古代ノーム文字の……数字ですよ。左上が【1】、そこから右へ一つずつ増えていって、右下の数字が【0】です」


 数字……そうか! 紅来に騙されてびっくりトラップに引っかかったとき、カウントダウンで動いていた文字が、言われてみればこんな感じだった。


「恐らくこれが、トミューザムコードの入力パネルね」と、俺の隣で紅来が呟く。

「でも……コードはアルファベットだったよな?」

「たぶんだけど、アルファベットが数字に対応してるんだろうね。Aなら1、Bなら2、みたいに」


 言われてみれば確かに、数種類のアルファベットしか使われていなかったな……。

 華瑠亜も反対隣から覗き込む。


「あんた、最初にコードを眺めてたわよね? 覚えてないの?」

「そんなの、瞬間記憶能力カメラアイでも持ってない限り無理だろ!」

「使えないわねぇ……」

「無茶言うなって……。確か、十二桁だったよな? せいぜい最初の四文字くらいだよ、覚えてるのは」


 最初の四文字は……確か〝B、H、B、H〟だった。

 単純な配列だったからそれだけはなんとか記憶に残っている。

 紅来説に従って数字に直すと〝2、8、2、8〟か。

 もちろん、それだけでは意味は成さないのだろうが……。


 と、その時、俺の頭の中で何かが弾けるような感覚にハッとする。


 正方形の台座。

〝八個〟の仙珠。

 そしてなにより、〝2、8、2、8〟という数字……。


「そ、そうか! そういうことかっ!」


 思わず上げた歓声に、その場にいた全員の視線が俺に集まる。

 びっくりトラップの時のことを思い出したのか、冷めた視線で俺を見上げるメアリー。


「また、くだらない屁理屈でも思いついたんですか、パパ?」

「平方根だよ、平方根!」

「へいほうこん?」


 その場にいた全員が小首を傾げる。

 あれ? 平方根なんて元の世界なら中学生で習うレベルだけど……この世界では平方根の概念がないのか?


「二乗の逆の概念だよ。〝ある数字〟を二乗すると〝a〟になるとするだろ? この〝ある数字〟が〝aの平方根〟つまり〝±√a〟だ。じょ……常識だよね?」

「そんな常識ないよ!」と、紅来がすかさず突っ込む。


 やはり……この世界には平方根の概念はないのか?


「そう言えば! 退魔院の選択科目で数学をとったんですけど……講義でそんな感じの内容があったような、なかったような……」


 思い出すように答えたのは優奈ゆうな先生だ。

 退魔院といえば元の世界では大学にあたる機関だ。そこまでいってようやく、中学生レベルの数学を、しかも選択で?


 そういえば、このダンジョンを作った古代ノームは数学の知識にも優れていたと言ってたが……。

 少なくともこっちの人間社会では、魔法や各種スキル、戦闘術などを優先的に習得するため、一般科目は後回しになっているのかもしれない。


「で、よく分かんないけど……その平方根とやらが、どうしたのよ?」


 華瑠亜が、突然わけの分からないことを言い出した同級生おれいぶかしんで、眉間に皺を寄せる。


「正方形の台座に出現する八個の宝珠に因んだ数字……つまり、〝√8〟がトミューザムコードの数字になってたんだよ!」

「んーっと……トミューザムコードを掛け合わせると八になる、ってこと?」

「正しくは最初に小数点が入るから〝√8〟は〝2.828……〟ってことになるけど」


 さらに言えば〝√8〟は無理数だからイコールではないのだが、コードとして使われているのは十二桁までなので、そこまで分かれば事足りる。


「で? そのルート8、ってのは、いくつなんだ?」と、訊いてきたのは勇哉だ。

「それは……覚えてない」

「そ……それじゃあ意味ないじゃない!」


 華瑠亜が、今度は俺の首を絞めながらガクガクと揺さぶる。


「ま、待てって! お、落ち着けってば! ゲホッ、ゲホッ……」

「落ち着いてられますかっての! あんた、ここまでもったいぶって解答出さなかったら、まじでボウガンの刑だからね!」


 なんですかその怖そうな刑は……。


「で、でも……それだと少しおかしくない?」


 優奈先生が手を挙げて質問する。


「綾瀬くんは〝√8〟の数値を覚えてないのに、なぜトミューザムコードの数字がそれと一緒だと解ったの?」

「実は俺、円周率とか平方根とか……無理数を覚えるのが結構好きで〝√8〟は覚えてなくても〝√2〟なら二十桁くらいまでは暗記してるんですよ」

「あ! 円周率なら知ってる! 円周率イコール3、ってやつだよね? 休み前に授業で習ったとこだ」と、声を上げたのは紅来だ。


 円周率≒3、かぁ……ざっくりだなぁ。

 高等院でようやく、小学生レベルの算数なのか。


「まあ、あれも、正確には3.14159265358……と永遠に続いていくわけだど……」

「永遠って、おかしくない? 永遠なのに誰が確かめたのよ?」


 それはまた別の証明問題なんだけど……。


「今はそういうもんだと思ってくれ。で、〝√2〟も〝1.41421356237……〟と続く無理数なんだよ 。一夜一夜に人見頃ヒトヨヒトヨニヒトミゴロ、ってやつだ」

「…………初めて聞く呪文ね」


 呪文じゃないけど、いいやもう、それで。


「で、ここで必要になるのが、素因数分解」

「そいんすう……ぶんかい?」


 予想はしてたが、それも分からないらしい。


「えっと……8を素因数分解すると……いや、言葉は知らなくてもいいや。8は二の三乗……2×2×2、とも表せるだろ?」

「う、うん……?」

「つまり〝√8〟ってのは〝√2×√2^2〟、簡単に言うと〝√2〟の倍ってことだ」

「全然簡単に言えてないわよ!」


 華瑠亜の眉間の皺がどんどん増えている。


「わけ分かんない説明はいいから、さっさと答えを言いなさいよ!」

「分かった分かった! ちょっと待てってば!」


 また首を絞められそうになり、慌てて飛び退すさる。


「〝√8〟は覚えてなかったけど、最初の〝2828〟って配列が〝1414〟の倍……つまり〝√2〟の倍の数字になってたのでピンときたんだよ」


 紅来から携帯ペンを借り、床で筆算を開始する。


「√2≒1.41421356237……だから、これを二倍で……√8≒2.82842712474! これがトミューザムコードだ、きっと!!」


 きっとそうだ。そうでなきゃ困る!

 もし間違っていたら、待っているのはボウガンの刑だ。

 立ち上がると、計算した数字を正確に打ち込んでいく。


「2、8、2、8、4、2、7、1、2、4、7……」


 最後、十二番目の数字……【4】を、恐る恐る打ち込む。

 その直後――!


 突如として祭壇の上に現れた強烈な光球に、思わず一同が目を細める。

 ネオンのように白、赤、青……と代わる代わる明滅しながらバスケットボール程まで膨張した光の球が、今度はゆっくりと萎んでいく。

 やがて、光の中から台座の上に鎮座するように現れた八個の宝珠。


〝仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌〟


 それぞれの珠に刻まれた八種類の漢字。

 間違いない。これがトミューザムの宝具、〝八房の仙珠〟だ!


 だが、しかし……この宝具の色は一体……!?

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