第九章 地底の幼精 編 ~地上を目指して
01.昇降穴
「これが……昇降穴?」
呟く可憐。
大長老の
突如、幅の広い洞窟路に出たところだった。
「かなり広い
俺の言葉に、先頭を歩いていた案内役のウーナが前を向いたまま答える。
「横道と言うよりも、これが本洞窟ですね」
「なるほど。それにしても……酷い臭いだ……」
「この奥はコウモリの巣に直結しているんですよ。巣の下に溜まったコウモリの糞尿からの臭気がここまで漂ってくるんです」
「そう言えば、あの
肩の上でリリスも顔を顰める。
「ポーチに入ってたら?」
「飛べるようにって、ポーチはもうほとんど使わないと思って……パンとチーズで満杯にしちゃったの」
言われてみれば、やけにポーチが膨らんでいる。
ウーナが、左に曲がって本洞窟を下って行く。
「あれ? 出口は反対じゃ?」
「本洞窟はそうなんですが、出口前がかなり高い崖になっていてこちらからは登れないんですよ」
「じゃあ、どうやって……」
「しばらく下ると別の横道がありますので、そこから地上へ向かいます」
どうやらこの洞窟は、俺たちがノームの集落を目指していた時に歩いていた地下空洞とほぼ平行に通っているようだ。
集落に辿り着く前にもアンモニア臭を強く感じた場所があったが、あの辺りがコウモリの巣だったとすると、巣までは三〇~四〇分ほどだろう。
「その横道までは、どれくらい歩くんだ?」
「一〇分程ですね」
よかった……
できれば、おぞましいコウモリの巣なんかへはなるべく近づきたくない。
出来るだけ口呼吸だけで切り抜けようと試みるが、咽から咽頭を伝って込み上げてくる強烈な臭気は完全に防ぎ切れない。
食道をせり上がってくるような嘔吐感。
洞窟の天井付近には、数はそれほど多くないが、キーキーと鳴きながらコウモリも飛び回っている。
「ううぅ~……紬くん、ちょっと、パンとチーズ取って……」と、リリス。
「え? こんな中で? 食べるの?」
「うん……やっぱり、ちょっとポーチの隙間を開けた方がいいかな、と思って」
「それなら……無理に食べなくても、ちょっと捨てれば……」
「なにもったいないこと言ってんのよ! いいから、早く取って」
「もう飛べるんだし、自分で取れよ……」
そう言いながらも、パンとチーズをリリスに渡す。
「頼むから、そこで
ウーナが言っていた通り、約一〇分ほどで、出てきた側とは反対側の壁面に少し大きな裂け目が見えてきた。
「ここです」
裂け目の前に着くと、そのまま止まりもせず裂け目に滑り込むウーナ。
直後、可憐と俺、最後尾のラルカもそれに続く。
数メートルも進むとかなり通路が広くなる。
並んで歩けるほどではないが、人一人歩く位なら充分な広さだ。
「多少、臭いも和らいだな……」
「そうね……これくらいなら、食も進むわね」
「ど、どうだろ……そこまでポジティブな環境でもないと思うけど……」
と、その時、大きなゲップをしながら後ろを振り返るリリス。
「なんだ? どうした? 吐くなよ!?」
「違うわよ! なんか、後ろで足音がしたような気が……」
「足音? 魔物?」
「解らないけど……コウモリの鳴き声が邪魔で……聞き間違いかな?」
「この辺りに魔物は出るのか?」
念のためウーナに訊ねてみるが、前を向いたまま首を振る。
「いえ、聞いたことはないですね。まあ、
「ま、まあ、そうだな……」
万が一出たとしても、あの狭い裂け目を通れるとも思えないし、直ちにここや集落に危険が及ぶ事はないと思うが……
また少し進むと、大きな部屋のような空間に出る。
天然の
壁には幾つかの裂け目があるので、またそのうちのどこかに潜って進むのかと思ったのだが……ウーナが、
「どうした?」
「こ……これは……」
ウーナの前の岩をよく見ると、どうも昔からあったものではなさそうだ。
周囲と馴染んでいないような……つい最近そこに置かれたような違和感。
「もしかして……落盤か?」
可憐の問いに、ウーナが岩の周囲を確認しながら頷く。
「そのようですね……。五日前にここを出た交易班は何も言ってませんでしたから、ここ数日で頻発していた地震が原因でしょう」
「昇降穴と言うのは……この奥なのか?」
「はい。岩の後ろも確認してみましたが……ほとんど隙間がないので、これ以上は進めませんね」
そう言ってウーナが少し考え込むような様子を見せるが、直ぐに話を続ける。
「とりあえず、人手が必要ですね。集落に戻って結界術を使える者を連れてきますので、ここでしばらくお待ち頂けますか?」
結界術……以前、メアリーが巨大な落盤を動かしてくれた、あれをやるのか。
そう言えばレアンデュアンティアの三兄弟も何かの結界を使うと言ってたし、ノームは結界術が得意な種族なのかも知れない。
「解った。……では、お願いしよう」と、可憐。
「ラルカも、ここで一緒に待っていてくれ」
ウーナの言葉に、最後尾にいたノームが頷く。
それを見て、「では」と言いながらいま出てきた窟路を戻っていくウーナ。
直ぐに、ウーナのランタンの明かりも闇の中へ消える。
「何だか、胸騒ぎがするわ……」と、リリス。
「胸ヤケだろ」
「む・な・さ・わ・ぎっ! さっきの足音、何だったんだろう、って」
その時、リリスの言葉に被せるように、ウーナが消えた窟路の奥から「ぎゃあっ!」と、短い悲鳴が聞こえた。
思わず、可憐と目を合わせる。
なんだ? 魔物か?
まさか……ほんとに、
背筋に冷たい汗が流れる。
隣でクレイモアを抜く可憐。
俺も、六尺棍を召喚して臨戦態勢に入る。
「食べたばっかりで体が重いわ……」と、げっぷをしながらお腹をさするリリス。
「馬鹿なこと言ってないで、シャキっとしろよ!」
徐々に近づく足音。
同時に、小さな明かりがポォっと浮かび上がり、少しずつ大きくなる。
あれは……ウーナのランタン!?
しかし、窟路の暗がりから
「誰だ、おまえ!?」
「ああん? なんだ、おまえらか!?」
俺の呼び掛けに答えた男の声には……聞き覚えがあった。
フードを脱いで
「バッカス!?」
左手に持っているのは、恐らくウーナが持っていたであろうランタンだ。
そして、右手には
先端の赤黒い染みは……血か!?
「
「まあ、俺もいろいろやらかしてたからな。こんなこともあろうかと財産の一部を他の場所に隠しておいたんだ。その場所と引き換えに牢番を買収したのさ」
とことん悪知恵だけは働く奴だ。
一人ってことは、他の兄妹は見捨ててきたのか?
「おまえ……ウーナを、殺したのか」と、殺気を帯びた声色で可憐が訊ねる。
「おおっと! 慌てんなよ? 殺しちゃいねぇよ」
可憐のただならぬ気配を感じ取ったのか、バッカスが慌てて否定する。
「突然そこで鉢合わせたから驚いて思わず斬りつけちまったが……腕に傷を負わせた程度さ。こいつを落として逃げていったぜ」
そう言って、左手のランタンを目の前に掲げる。
ホッと胸を撫で下ろすが――――
「んなことよりもよ……」
そう呟きながら、突然、手にしたランタンをこちらに投げつけるバッカス。
反射的に、俺と可憐が、それを叩き落そうと同時に身構える。
突かれたのは、バッカスから注意が逸れたその一瞬の隙――――
素早く横へ移動したバッカスが、傍にいたラルカの右腕を逆手に捻り上げる。
更に、そのまま羽交い絞めにされたラルカの手から滑り落ちるランタン。
フードの上から、ラルカの首元に鈍く光る鉈がつきつけられる。
「さっさと先に進んでもらおうか? 別にもう、おまえらをどうこうするつもりもないんだが……この
今まで意識していなかったが、よく見ればかなり小柄なノームだ。
まだ子供だろうか?
だからこそバッカスにも、人質として目をつけられたのだろう。
それにしても本当に、やることがいちいち下衆な男だ。
「もう、
そこをよく見ろ、と、落盤を指差す可憐。
「な、なんだ、ありゃ……」
「落盤で昇降穴が塞がれてる。ウーナはあれを除くために人手を呼びに戻ったのだ。当然、お前の事も話すだろう。もう、詰みだ」
「ふ……ふざけるな! こんなところで終わって堪るかっ! どんなことしてでも逃げ延びてやるっ!」
そう言うと、ラルカを羽交い絞めにしたままジリジリと奥へ移動するバッカス。
何をする気だ?
「俺らは、他の裂け目に隠れてる。もし集落の連中が来たら、俺は
「無駄だ、バッカス!」
そんな俺の言葉にも、全く耳を貸そうとしない。
「無駄じゃねぇ! 俺が隠れてる間にその落盤を
「無駄ってのは、そう言う意味じゃねぇんだよ……」
人質を盾にしたところで、
ラルカを避けてバッカスを攻撃するなど造作もない。
六尺棍を握る手にグッと力が入る……が、そんな俺を制するように、可憐が目の前に手をかざす。
「いい。ここは、私が行く」
「ん? だ、大丈夫だよ。
「そうじゃない。事情が事情だから大丈夫だとは思うが……使い魔で傷つけた場合、検証が慎重になるので時間もかかるし、後から厄介なのだ」
そう言えば、正当防衛を除いて使い魔で人を攻撃するのは禁止されてるんだっけ。
いや、正当防衛じゃなければダメなのは剣での攻撃でも一緒だろうが、恐らく、使い魔を使った場合はより厳しく検証が行われる、という事だ。
「それに……」と、可憐が続ける。
「ん?」
「この下衆は、私が、メアリーの
斬り捨てる――――
何気なく言ってるが、つまり、斬り殺すってことだよな?
幾ら相手が人質を取ってる下衆野郎とは言え……十七歳の女の子が顔色も変えずに言えるセリフだろうか?
悪人に容赦は不要……“悪・即・斬” が、この世界の常識!?
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