02.悪・即・斬

 悪人に容赦は不要……“悪・即・斬” が、この世界の常識!?

 クレイモアを構えた可憐が前に出る。


「最後に一度だけ警告しておく。今ラルカを離せば命だけは取らないでおいてやる」

「な、なに強がってやがる。この状況でお前に手出しなんか……」

「できないと思ってるのか?」


 静かな、しかし、確信に満ちた可憐の恫喝。

 薄暗闇の中でも、気圧されたバッカスの顔色が変わるのが分かる。

 しかし、窮鼠のバッカスも、ここは退けない。


「そ、それこそ無駄なハッタリだ! どうせ戻ったところで極刑はまぬがれねぇんだ。ここで命が助かったからって連中に引き渡されるなら結果は同じだろうが!」

「……そうか」


 短く答えて、可憐がクレイモアの切っ先を下げる。

 下段の構え。


 ザッ、と地を蹴る音と共に、一気にバッカスとの距離が詰まる。

 恐らく、バッカスが説得に応じるなどとはつゆほども思っていなかったのだろう。

 初動に全く躊躇ちゅうちょがない。


 ラルカの頭の位置を確認し、相手の死角に入るよう低く突進する可憐。

 バッカスからは、まるで可憐が消えたように見えたに違いない。


 あたかもバッカスの命を絡め取るために遣わされた死神の影の如く、可憐の黒髪が地を這うようになびく。


 スピードはもちろん、リリスたんに及ぶべくもない。

 それでも、常人のそれを遥かに上回る可憐の瞬発力は、恐らくリリスたんが見ている高速の世界に近い景色を、彼女にも見せているのではないだろうか。


 慌てたバッカスの瞳が、不可視の刺客を探して落ち着きなく揺れる。

 ラルカの右肩口から足元を覗き込むように、僅かに身を乗り出すバッカス。


 ――が、直後、彼の鼻先を何か・・が掠める。

 同時に、バッカスの眼前で渦を巻く三筋の鮮血。


 気が付けば、鉈を掴むバッカスの人差し指、そして中指が、第二間接の直ぐ下から綺麗に消え去っている。

 更に、辛うじて繋がっている薬指も、皮一枚。


 針の穴を通す正確さで、鉈の柄を握るバッカスの右手を下段から刺突したのは――

 言うまでもない。可憐が持つクレイモアの切先だ。


「ぐ、ぐおあぁぁ~~っ! 痛えぇぇぇ~~っ!」


 辛うじて鉈を落とさずに粘ったものの、思わずラルカを捕まえていた左手を離し、右手の薬指を押さえるバッカス。

 まるで、これ以上の指の喪失を全力で拒絶するかのように。


 可憐は……しかし、宙に飛んだ二本の指が地に落ちる間もなくクレイモアを水平に切り返す。

 小さなラルカの頭上で真横に薙ぎ払われる両手剣。

 大きく踏み込みながら放たれたその斬撃は――


 バッカスの両手首を容赦なく切断する。


「ぐぎゃあぁぁぁーーっ! あう、あう、あう……」


 手首から噴き上がる、毒々しい真紅の花が……バッカスの顔を真っ赤に染め上げる。


 素早くラルカの手を掴んで引き離しながら、可憐が、情けなく嗚咽を漏らすバッカスの左脇腹に深々と膝蹴ひざげりを突き立てる。

 手首のない両手で腹を抱え込みながら、膝を折るバッカス。


 完全に、戦意を喪失している。


「いでえ! いでえっ! い、いのぢだげは……だ、だ、だずげでぐれ……」


 突っ伏すようにうずくまり、土をむように、涙と鼻水交じりで懇願する。

 これまでのきたない振る舞いから転落した、あまりに哀れな姿……

 だが、容赦なく頭上から、その左肩を踏みつける可憐。


「遅い。さっきの警告が最後だと、言ったはずだ」

「だ、だのむ……わるがっだ……ゆるじで……ゆるじで……」


 氷のように冷え切った可憐の瞳に、僅かに現れる侮蔑の情動パトス


「……あの世で……メアリーの両親にも、同じように土下座しろ」


 そう言いながら、バッカスの後頭部に突き立てたのはもちろん……メアリーから預かった、元々は彼女の母親が使っていたクレイモア。

 一片ひとひらの慈悲もなく貫通したその切先が、バッカスの口から舌を押し出すように飛び出し、地面に突き刺さる。


 もっとも、貴様が天国に行けたらの話だけどな……。


 そう呟いた可憐が剣を引き抜くと同時に、地面に一気に広がる血溜り。

 束の間、痙攣したようにピクピクと動いていた体も、完全に沈黙する。


 バッカスは、絶命した。


 冷徹な可憐の一面を目の当たりにして、俺も少しの間、言葉を失う。

 しかし……同時に痛感する。


 悪・即・斬――――


 この、新撰組の精神のような考え方こそ、俺が転送されてきたこの世界の習慣エートスであり理想イデアなのだ、と。


 我が身は自身で守る。

 相手が魔物であれ犯罪者であれ、敵を前に油断をすれば即、命の危機に直結しかねないのがこの世界の常識。

 恐らく、これからもずっと、そういう日常の中で俺は生きていくんだ。


 気が付けば、可憐に強く引っ張られたラルカが地面に倒れたままだった。

 抱き起こして、膝やローブに付いた土汚れを払ってやる。


「大丈夫か? 怪我はないか?」


 ラルカがフードを被ったままコクリと頷く。

 体格から見て、恐らくまだ年端も行かないノームだろう。

 身長も、恐らくメアリーと同じくらいなんじゃないだろうか?


 なんでこんな子供が案内役に……とも思ったが、大長老達が身寄りの無い子供を何らかの理由で育てているケースが、メアリー以外にもあるのかも知れない。


「とりあえず、あとはみんなが来るまで休んでよう」


 ランタンを拾って近くの岩に腰を降ろすと、可憐も俺に習う。


バッカスあいつ……殺しちゃったけど……大丈夫なの?」


 リリスが悪魔らしからぬ心配を口にする。

 刀身の血を拭き取りながら、バッカスの死体を一瞥する可憐。


「恐らく。ウーナを斬りつけたあとだったし、実際に鉈も持ってたからな。ちゃんと正当防衛は成立するはずだ」


 どう見ても、最後のトドメは過剰防衛に思えるが、まあでも、前の世界向こうの常識が必ずしも現世界こちらで通用するわけじゃないのは解ってきた。

 正当防衛の定義だって俺の知ってるものとは違うかもしれない。

 この世界で、前の世界向こうの常識を振りかざすのはあまり得策じゃないだろう。


「ウーナ、本当に殺されてないだろうな?」

「それは大丈夫だろう。バッカスも落盤を退けるための人手が来る事を想定して話をしていたし、ウーナが逃げおおせてるのは間違いない」

「これで……ちょっとは、メアリーの両親の弔いにはなったかな?」

「どうかな。メアリーにはきちんと、親のかたきの最期を見届けさせたかった気もするし……私達の独り善がりだったのかも知れないが……」

「そう……かもな」

「でも、とりあえず、私自身の溜飲を下げる為にも、あれ以上あの下郎に息をさせておく気にはなれなかった」


 可憐の言葉に、小さく頷く。

 その気持ちは俺も一緒だ。


「あのメアリーちびっこのこと、まだ引き摺ってるの?」


 リリスがまた茶々を入れてくる。


「いや、引き摺るとか、そんなんじゃないけどさ……親のかたきの最期を見届けるかどうかは、その後の気持ちの整理にも重要かな、って」

「そんなに心配なら、今からだって迎えにいけば良いじゃん?」

「いいんだよ。行ったところで “交神の儀” とやらの途中だろうし……ここでのことは後からまた、誰かに聞いて知るだろ」


 それにしても……と、バッカスの断末魔を思い出す。


 あいつが殺されるところを見てもあまりショックを受けていないのは自分でも意外だった。

 元の世界の多くの人がそうであるように、これまでの人生で刃物を持った相手と対峙したような経験はなかった。

 人が殺されるところもそうだし、ただの死体だって葬式以外では見たことがない。


 この世界ならいつかそういう場面にも遭遇するだろうとは思って覚悟はしていたが、いざその場に立ち会ってみて、ほとんど動揺しなかった自分に驚く。

 薄暗い洞窟の中と言う特殊な環境のせいもあるだろう。

 まだ現実感に乏しいのもある。

 ただ、俺自身が幾度か死線を彷徨さまよったことで、この世界に於ける “死” そのものを身近に感じるようになっているのも事実だ。


 しかし――――

 いつか俺が、今日の可憐と同じような立場になった時、迷わず相手の命を絶つことができるだろうか?


「なあ、可憐?」

「うん?」

「一つ、訊いてもいいか?」

「なんだ、改まって」

「今まで、人でも亜人でも……今回みたいに正当防衛で殺したことはあるのか」

「ない。初めてだ」


 初めてであれかよ!?


「その……何て言うか、人の命を手に掛けて、拒絶反応みたいなもはないのか?」

「拒絶? 何の話をしているのか解らないが……悪は斬らなければ世の安定は保てないのが道理だ。紬は、害虫駆除の初体験にいちいち拒絶反応を起こすのか?」


 害虫駆除……その程度の感覚?

 それが、昨日今日現世界こっちに来た俺と、十七年間、現世界こっちの流儀や習俗を叩き込まれた記憶を持つ者の差なのか?

 この世界で生きる限り、自分の身はもちろん、大切な人の命を守るためにもそうなるべきなのだと、理屈ではなんとなく理解できる。

 しかし一方で、躊躇なくそうできるようになった自分を想像しても現実味がない。


 この世界でも、前の世界向こうと姿形や性格も変わらない仲間がいたことで、どれほど孤独感を紛らわす事ができたことか。

 しかし、同時に鬼胎きたいも膨らむ。

 この世界の人間と俺のとの間に、簡単には埋められない決定的な違いもあるのではないかと……。


ラルカあんたも、座ったら?」


 リリスの声で、ふと我に返る。

 考え事をしていて気が付かなかったが、顔を上げると、まだ座りもせずジッと立ったままのラルカが目に入る。

 少し体をずらし、空いた隙間をポンポンと叩きながらラルカに声を掛ける。 


「ここ、座すわれよ」


 しかし、俺の声が合図だったかのように、ラルカがトタトタと歩き出す。

 ん? ……と思って見ていると、昇降穴を塞いでいるくだんの落盤の前に立ち、おもむろに右手を添える。

 薄っすらと、右手を包むように現れる白く光るもや

 やがて、その靄が右手を伝って落盤全体を繭のように覆い隠してゆく。


 これは――――

 確か、ノームの集落へ向かう途中でメアリーもやってた……魔動力!?


 やがて、その重さを大きく減らされた落盤がラルカの腕の動きに合わせて徐々に動き始める。

 メアリーが動かした落盤ほど大きくはないが、それでも数メートルの一枚岩だ。

 大人数人がかりでも動かせないような岩が子供一人の手で動かされている様は、やはり何度見ても規格外の光景だ。


「はぁ~~あ……ラルカもその技、使えたんだ!?」


 ラルカが岩から手を離したのを見て話しかける。

 ずれた落盤の奥には、人一人がなんとか通れそうなほどの隙間が開いていた。

 でも……それなら何で、ウーナは集落へ戻ったんだ?

 振り向いたラルカが答える。


「ラルカではありませんよ」


 そう言いながらフードを脱ぐ小さなノーム。


 一つだけ残ったランタンの明かりでは、離れた落盤のそばまで照らすにはあまりにも不十分ではあったが……

 そんな薄暗がりでも輝いて見える艶やかなブロンドのショートボブに碧い瞳。

 何より、一時間前まで聞いていたあいつ・・・の声をここで聞き間違えるはずがない。


「め……メアリー!?」


 思わず漏れた素っ頓狂な声が窟内に木霊する。


「まったく……黙って見ていればこんな岩くらいで立ち往生とか……よくそんなていたらくでメアリーのお世話は要らないなどと言えたものですね」

「いや、って言うか、なんでラルカがメアリーおまえに変わって……」


 リリスが、ふわふわとメアリーに近づき、彼女の周囲を二、三回くるくる回ったあと、目の前でピタリと止まる。


「間違いない。本物だっ!」

「当たり前ですよ! メアリーがいないのを良いことに、よくも人のことを “ちびっこ” “ちびっこ” と連呼してくれましたね、くそっぺ!」


 ついに、リリスの “リ” の字もなくなった。


「ちょ、ちょっと待てメアリー。お前がなんでここにいるんだよ?」

「相変わらず鈍いですね。パパのお世話をするために決まってるじゃないですか」

「お前のお世話は必要ないって、はっきり言ったはずだぞ!?」

「無駄ですよ」

「……え?」

「そんな嘘をいたって無駄ですよ、と言ってるんです」


 メアリーがローブのボタンを外し、前を肌蹴はだける。

 ネット状に編まれた紐に包まれた、野球ボールほどの大きさの水晶がメアリーの首から下げられているのが見える。

 まるで、漁で使われるガラスの浮き玉のようだ。

 あれは……神水晶!?


「メアリーには全てお見通しなのです」


 得意げに薄い胸を反らすメアリーを、俺も可憐もリリスもただポカンと見つめた。

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