03.涙がとまらない

 涙が止まらない。

 後ろ手で裏口のドアを締めた途端、ぶわっと両目に溢れてくるものを一生懸命拭うメアリー。

 ローブの袖が、あっという間に涙でびしょびしょになる。


 バッカスの断末魔からさかのぼること、約一時間――――


 中央テントゲルの裏口で、堪えきれずに嗚咽おえつを漏らすメアリー。

 たった今つむぎから聞かされた言葉が、頭の中でループする。


『毎日メアリーの体調を気遣う負担の方が大きいなとも思ってたんだ』

『似たような援護ができる魔物をテイムできれば替えは利くんだよ』


 従者から渡されたタオルをひったくるように受け取ると、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔に押し当てながらゆっくりと歩き出す。

 中央テントゲルの裏口から真っ直ぐ歩いた対面に設営されているのが、当面の住居としてメアリーにあてがわれた小さなテントゲルだ。


(メアリーにお世話して欲しいって言ってたのにっ! ……メアリーがいいって言ってたのにっ!) 


 パパはうそつきです!

 パパはうそつきです!

 ……ツムリはうそつきですっ!!


 心の中で何度も繰り返しながら、トタトタと歩く。

 自分のこれまでの人生は灰色に変わり、そしてこれからの人生の意味すべてが失われたような、地に足が着いていない感覚。

 多くの仲間と共に暮らしていけることになったにも関わらず感じる、言い様のない孤独感に押し潰されそうになる。


 自分のテントゲルの前に着き、扉を開けて中へ入ろうとすると、従者が「ガウェイン様が、これを巫女シャーマン殿にと……」と、何かを差し出してくる。

 タオルの隙間からチラリと覗くと、差し出されたのは神水晶だった。


「なんで……今、ごんなのもを……?」


 まだ涙声だ。


「神水晶は、べに水晶と対を成しています。神水晶をお持ちになって念じれば、紅水晶を持った者の五感を共有することができる……と」

「紅水晶? もう一人の従者の方が持っていた、赤い水晶のことですか?」


 涙を拭きながら訊き返すメアリーに、頷いて答える従者。

 紅水晶を持ってる人と五感を共有すると言うことは――――


(あの場にいなくても、あの中の様子が解るということですか? でも、なぜガウェイン様はメアリーにそんな物を……)


 不思議には思ったが、とりあえず神水晶を受け取ってテントゲルの中に入る。

 従者は、それ以上は同伴せずテントゲルの外で控えるらしい。


 メアリーとしても、居たたまれなくなって勢いで出てきてしまったが、あれが紬や可憐かれんとの最後の別れになると思うと、言いようのない寂しさが込み上げてくる。


(今さら、あの部屋の様子を見たからと言って一体何になるというんですか……)


 そうは思いつつも、受け取った神水晶を両手で包み込むように持つ。

 自然と、中央テントゲルの方へと向かう意識。

 そもそも、今のメアリーに他の事を考えろと言う方が無理な話だろう。


 気が付くと、メアリーの前にはガウェインを始め、大長老衆の背中が並んでいた。

 その向こう側には、紬、可憐がこちらを向いて座っている。

 そして中央には、パンとチーズに囲まれて幸せそうなリリス……。


(あれ? いつの間にメアリーはここに来たのですか!?)


 辺りを見回そう……と思ったのだが、体の自由が利かない。

 先程までいた中央テントゲルの中なのは間違いなさそうだが、視点も、いつもよりも明らかに高い。

 立っているのは……裏口の近く? と、周囲の景色から想像する。

 手には、何か丸い物を抱えている感触――――


(これがもしかして紅水晶? と言うことは、今、紅水晶を持っていた従者の五感にメアリーの意識が同調してるということでしょうか!?)


 体は動かせないが、五感はきちんと働いている。

 耳を澄ますと、紬と可憐が話しているのが聞こえてきた。


『メアリーのこともそうだが……あれでは紬だって辛いのではないか?』

『それこそ、俺のことは二の次でいいよ……。今は、メアリーにとって何が一番幸せか考えなきゃ』


(メアリーのこと? やっぱりパパは、自分のことじゃなくメアリーの事を考えてあんな事を言ったのですか?)


 リリスの声も聞こえてくる。


『メアリーの代わりはテイムすればいい! なんて……猫一匹まともに育てらんないのに、強がり言っちゃって』


(やっぱりパパ、メアリーの代わりなんてそんな簡単に捕まえられないんじゃないですか! 見栄っ張りですっ!)


 更に続くリリスの声。


『私の事なんかよりさ、紬くんはどうなのよ? 泣くくらいツラタンなら一緒に連れていけばよかったのに』


(ツラタン? ……と言うか、泣く!? パパが、メアリーとの別れで、泣いたというんですか!? 今だけはオシャベリリっぺに感謝です!)


 やがて、ガウェインが紅水晶の従者を側に呼ぶ。

 そろそろ、全員で出立の準備に入るらしい。

 従者の移動に合わせて、メアリーの五感もガウェインの側まで運ばれる。


『案内役は、ウーナとラルカじゃ。但し、ラルカには声は掛けずともよい。ラルカに合うくらいのフードローブだけ用意するのじゃ』


 対魔用の実戦ローブじゃぞ、とガウェインが付け加える。

 メアリーの意識とは関係なく、従者が頷く感覚。

 続いて、ガウェインが紅水晶に触れるのも解った。

 その瞬間、メアリーの五感が自分の体に戻る。


 自分用の小さなテントゲルの中で一人、神水晶を胸に抱えて立っていた。

 両の頬が涙で濡れている。

 しかし、その涙は、先程までの寂しさに満ちた涙ではない。


(やっぱりパパは、メアリーのために憎まれ役を演じていたのです。そして、メアリーとの別れに泣いてくれたのです。 無理しちゃって……パパはアホなのです!)


 嬉しさで、どんどんと両目から溢れる暖かな雫。

 しかし、それをこらえようとも思わなかった。

 紬や可憐と会ってメアリーも思い出すことができた。

 大切な人が出来たからこそ流せる、幸せの涙があったということを。


 その時、後ろで入り口の扉が開く音がする。

 泣き顔のまま振り向くと、そこに立っていたのは――――ガウェインだった。


「ガウェイン……様?」

「見えて、おったかの?」

「はい、あの……なぜメアリーセレップにあんな光景を……?」

「そうじゃな。なぜじゃろうな……」


 メアリーを見つめながらも、どこか遠くを見遣るようなガウェインの眼差し。


「敢えて言うなら……贖罪 、かの」

「ショクザイ……ですか?」

「バッカスに扇動されていたとは言え、我々も一時はそなたをにえとすることを了承し、協力もした。あの者達がいなければ、今頃はそなたの命もなかったであろう」


 メアリーですら、一時は生きることを諦めたのだ。

 今こうしていられるのは、間違いなく紬達のおかげだと言って良い。


「そう考えれば、メアリーという巫女シャーマンを、我々は一度失ったのじゃ。一度失ったものであれば、とことん失うのもまた天啓のような気がしての」

メアリーセレップには……なんのことなのか全く解りませんが……」

「まあ、有体ありていに言ってしまえば、わしの気まぐれじゃよ」


 そう言ってガウェインが、白い髭を撫でながらフォッフォッフォッ、と笑う。


「じゃからの。今度は、そなたの生きる場所はそなた自身で決めるがよい」

メアリーセレップ……自身で?」

「うむ。そなたをこの世に繋ぎとめたのはそなたとあの者達かれらとの絆じゃ。ならば、この先の身の振り方についても、その絆に従うのが筋のような気がしての」

「いいの……ですか? 巫女シャーマンのお役目はどうするのです?」

「なぁに、本当に必要な時には、そなたがどこに居ようと我々の方から使いを出して伺いにいくでの。心配せずともよい」


 そこへ、従者が子供用のフードローブを持って現れる。

 それを受け取りながら更に言葉を続けるガウェイン。


「これを着て、ラルカとして彼らを案内し、もう一度彼らの人品を見極めるがよい」


 そう言いながら、ガウェインがローブをメアリーに手渡す。


「その上で、もし付いて行こうと決めたのであれば、そのまま彼らと行くのも良かろう。……但し、神水晶はかならずそなたと共に」


 どうやら、紅水晶からも、神水晶を通じて所有者の五感に同調したり、映る景色を観察したり……と言ったことが出来るらしい。

 メアリーは頷くと、ローブと共に渡された、ネット状に編まれた紐に神水晶を入れて首からかける。


 その後、少しの間、机の上に置いてあった紙に筆でサラサラと何かをしたためると、紙を四つ折りにしてガウェインに渡した。


「これは、メアリーセレップが賜った最初の御神託です。もしメアリーセレップが戻れば同じ御神託を告げますが、戻らなければこの手紙の通りにしてください」


 当然ながら、交神の儀などを行った様子もない。

 手紙の中身はまったくの、メアリーの勝手な指示なのだが――――


「解った。よかろう」と、ガウェインが頷く。

「では、早く準備をするが良い。このことを知っておるのは一部の者だけじゃ。ウーナにも知らせておらんから、声を出してバレたりせんようにな」


 そう言うと、くるりと回って出入り口へ向かうガウェイン。

 出掛けに、外へ控えていた従者に指示を出すのが聞こえた。


「このテントで降臨香を焚くのじゃ。巫女シャーマン殿が交神の儀に入る」


               ◇


「と、いうわけですよ」

「はあ……」


 予想外の展開に、思わず口を吐いた返事が間抜け過ぎて自分でも嫌になる。

 あのガウェインがそんなことを?

 ガチガチに凝り固まった思想の持ち主かと思っていたが、長年、この因習による悲しみを目の当たりにし、一番それを憂いていたのもまた彼だったと言うことか?


「なんですかその反応は! せっかくメアリーがパパのお世話をしに戻ってきてあげたのに、何か他に言うことはないんですか!」

「ああ……ってことは、メアリーの中では、行くって決めたのか」

「なんですか『メアリーの中では』って。そうじゃなきゃ姿なんて晒しませんよ! 鈍さに磨きがかかってませんか?」


 相変わらず口は悪い。


「いや、まあ、盛り上がってるところ悪いんだけど……やっぱりメアリーのことを考えると、あの集落でシャーマンとして……」

「無駄ですよ」

「はい?」

「全てお見通しなのだと、さっき伝えたじゃないですか」

「何を……見通したんだよ……」

「パパは、メアリーのことが大好きで、別れが悲しくて泣いてたってことです」


 んん~、事実ではあるけど、だいぶ端折はしょられてる。


「メアリーの世話が大変だとか、代わりはどうにでもなるとか……それも全部嘘だってこともバレバレです」

「まあ、概ねその通りなんだけどさぁ……盗撮はさすがに卑怯だろ? 違法な手段で集めた情報に証拠能力は……」

「ゴチャゴチャうるさいです! あれだけメアリーに大嘘ついて騙したんですから、もう信用なんてできません! メアリーも、自分のことは自分で決めますので!」

「ので、って言われても……」

「付いて行きます……のでっ!!」


 可憐の方を見ると、俺と目が合い、軽く両手を挙げて首を振る。

 思わず苦笑い、と言った様子だ。

 リリスは……まあ、どうでもいっか。


 そうだな……覚悟を決めるか。

 ここまでお膳立てされて意固地になるのも、逆に男らしくないよな。


「解った。これからいろいろ大変だと思うけど、よろしくな、メアリー」


 メアリーの表情が、沸き上がる喜びを隠すことなく満面の笑みに変わる。

 そのまま、思いっきり俺に抱きついてくるメアリー。

 強がってはいたが、やはり同伴を断られはしないかと不安だったのかも知れない。


 ほっとして泣いているのだろう。僅かに肩が震えている。

 出会った時に比べるとだいぶ素直に感情を出すようになったな……。

 そんなメアリーの頭をそっと撫でる。

 そのまま、少しだけ時間が流れ、おもむろにメアリーが顔を上げる。


「それでは……目のゴミも取れましたし、そろそろ、行きましょうか」


 ああ、目の、アレか。ゴミ……ね。


「ウーナ達を待たなくても、大丈夫なのか?」

「彼らは恐らく、直ぐには来ません」


 そう言いながらメアリーが、首から下げた神水晶を指で差し示す。

 なるほど……それでこちらの状況も向うにお見通し、ってわけか。


「来る前に受けた説明によると、この先に直ぐ分かれ道があるはずですが、枝分かれはそこで最後だと言ってました」

「どちらに行けばいいのか知ってるのか?」

「一応、右だと言ってた気がするのですが……間違ってたら直ぐに大きな縦穴になってるらしいです」

「暗闇の中じゃ、落とし穴みたいなもんか……」

「そうですね。危険ですし、念のため左通路をクソっぺに調べてもらいましょう」


 そう続けるメアリーに対し、リリスが腰に手を当ててしかめっ面になる。


「ちょっと! さすがにクソっぺは失礼でしょ! せめてリリっぺに――――」

「さっさと行って調べて下さい。左!」

「ったくもう……」


 ブツブツ言いながらリリスが落盤の裏の隙間に姿を消す。

 リリス、早速パシられてるじゃん……。


               ◇


「ガウェイン様……それは?」


 ガウェインが四つ折の手紙らしき物を広げるのを見て、同じく大長老のブランチェスカが訊ねる。


「新しい巫女シャーマン殿が賜った、初めての御神託じゃ」

「なんと! いつの間に……」


 手紙を読み終わったガウェインが、僅かに顔をほころばせながら、近くにいた従者に指示を出す。


「直ぐに長老会を召集せよ。今後の方針について話し合わねばならなくなった」

「御神託には、何と?」


 従者が立ち去ったのを見てブランチェスカが訊ねるが、答える代わりにガウェインが手紙を渡す。

 読みながら、ブランチェスカの口が、呆気に取られた様子でポカンと開く。


 『一つ。守護家は無くします。みんなで協力して災禍を退けてください』

 『一つ。今後一切、生贄は禁止します』

 『一つ。ご神託が必要なときは、パパの家まで来てください』

 『一つ。セレップが最後のシャーマンです。後継者は選びません』

 『それではみなさん、ごきげんよう』


「ご、ごきげんようって……。こ、こんなものが、御神託ですと!?」

巫女シャーマン殿がそう言うのだから、そうなんじゃろ。我々は、それを信じるのみじゃよ。今まで通りの」

「こんなものを全て実行するとなれば……今のシステムを根底から作り直さねばいけませんぞ!?」

「まあ、仕方ないじゃろう。儂にも、死ぬ前の最後の大仕事が出来たようじゃ」


 そう言いうとガウェインは、フォッフォッフォッ、と静かに笑った。

 

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