18.さようなら

 …………さようならメアリー。

 奥歯を嚙みながら、俺も心の中で呟いた。


 メアリーはノーム社会の中で、シャーマンとして大切にされながら生きていける。

 身寄りのないメアリーにとってこれ以上望むべくもない結果に落ち着いた。

 なのに……なぜか鼻の奥が痛くなる。


「ちょっと、つむぎくん。いくらなんでも他に言いようが……」


 さすがのKYリリスも心配そうに俺を見上げる。

 と言っても、パンを頬張りながらなのであまり真剣味は感じられないが。


「いいんだよ……あれくらいはっきり言わなきゃ納得しなさそうだったし……」

「はっきりって言うか……ほとんど嘘じゃん? 逆にトラウマになるんじゃない?」


 そんな?

 俺、そんなに酷い感じだった?

 リリス同様、可憐の表情も冴えない。


「メアリーのこともそうだが……あれでは紬だって辛いだろう?」

「それこそ、俺のことは二の次でいいよ……今は、メアリーにとって何が一番幸せか考えなきゃ」


 可憐かれんの答えの変わりに、左肩に暖かな重みが加わるのを感じた。

 なんとかこらえていたと思ってた涙が、知らないうちに頬を湿しめらせていることに気がつく。

 心を直接暖めてくれるような、可憐の右手の温もり。

 俺、慰められてるのか……

 慌てて、人差し指で軽く涙を拭き取る。


「『メアリーの代わりはテイムすればいい!』なんて……猫一匹まともに育てらんないのに、強がり言っちゃって」


 憎まれ口が止まらないリリスだが、こいつはこいつなりにメアリーのことを心配してるのかも知れない。


「うるさいなあ。……リリスおまえこそ、散々喧嘩してたくせに、実は一緒に行きたかったとか?」

「そりゃ、まあね。せっかくチームリリス・・・・・・にも後輩もできたことだし、パシリにしようと楽しみにしてたのに」


 なぜうちの女使い魔達は、チーム名に自分の名前を入れたがるんだろ。

 どう考えてもチーム紬だろ!?

 と言うか、リリスおまえの方がパシられそうな勢いに見えたけどな……。


「私の事なんかよりさ、紬くんはどうなのよ? 泣くくらいツラタンなら一緒に連れていけばよかったのに」


 つ……ツラタン?


「そりゃあ……短い間だったけど、親代わりなんかして情も移ったしな。小生意気だったけど可愛いところもあったし……シャーマンの件さえなければ一緒に行くのもやぶさかではないな、とは……」

「ローリコーン」と薄目で呟いたリリスが更に続ける。

「紬くんって、そういうとこあるよね」

「ないわっ! 訊いといてそりゃないだろ」


 ロリコンでは、断じてない!

 はず……だが、パパ、パパと慕ってくれたメアリーを思い出すと、どう言うわけか、胸がキュっと締め付けられる気がする。

 これが俗に言う、父性愛のような感情なんだろうか?


「憎まれ役を買って頂き、申し訳ない」と、ガウェインが軽く頭を下げる。

「……その代わり、メアリーの身の安全と自由は保証できるんだろうな?」

「それは……約束しよう」


 ガウェインの言葉を聞いて可憐も口を開く。


「友人との面会は自由と言われてたが、シャーマンともあろう立場の者が気軽に一般のノームと会っていいものなんですか?」

「他の集落は解らぬが、ここでは、“交神の儀” 以外ではシャーマンも普通のノームじゃよ。バッカス達がにせのシャーマンをしつらえていた時が寧ろ異常だったのじゃ」


 前のシャーマンも、以前は普通に皆の前に姿を現していたのだが、ジュールバテロウを守護家に任じた頃から全く表へ出なくなったそうだ。

 恐らく、バッカスが中心となってシャーマンの死を隠匿し、代りに弟をシャーマンに仕立てて自分たちを守護家に就任させたのだろう。


 働くことなく生活が保証され、且つ、生贄になるリスクもない。

 シャーマンの神託や危険な宝具をチラつかせてまつりごとも意のままにできる。

 何か問題があれば適当な御神託で皆が治まる。

 生贄だって選び放題だ。


 もしあのままバッカスの自由にさせていれば、ノームにとっては数十年間、或いはそれ以上の最劣等者支配カキストクラシーを覚悟しなければならなかっただろう。

 そう言った異変を逸早いちはやく察知するためにも、普段からシャーマンの露出を多くしておくのは有効だろう。


「さて! メアリーの事もどうやら一件落着だし、これ以上の長居は無用だな」


 俺は、努めて明るく、可憐とリリスに話しかける。

 リリスが、両手に持っていたパンとチーズの欠片を慌てて口に放り込む。


「ほうえ……ほごほごふんいいまあおうか!」

「何言ってるか分かんねーよ!」


 ガウェインが、赤い水晶を持った従者に合図をしながら、口を開く。


「地上へはこの裏の岩壁の裂け目から出ることができるのじゃが……」


 やっぱりそうだったんだ、と得心しながら、続くガウェインの言葉を待つ。


「何箇所か枝分かれしてる場所もあるからの。途中まで案内あないの者を遣わそう」


 そう言うと、近づいた従者に耳打ちをするように指示を出す。

 どうやら、案内役の名を伝えているようだ。


「では、こちらも準備があるからの。お主たちも、昨夜休んだテントに戻って、出立の支度を整えられるがよい」


               ◇


 目的のエリアまで後一キロメートルもないだろう、と言う辺りで、明らかに振り子ペンデュラムの動きが変わる。

 これまで直線的にしか振れていなかった小瓶が、クルンクルンと楕円を描く。


「動き、変わったね」


 紅来くくるの言葉に、華瑠亜かるあうらら、そして初美はつみが同時に頷く。


「だいぶ風が強いけど……そのせいじゃないよね?」と華瑠亜。

「うん。風で煽られたってこんな動きにはならないよ」


 風の影響を受けないよう、四人でしっかりと周囲を囲んでいる。

 すっかりお馴染みになった、本日五回目のダウジング風景。


「方向的には……やっぱりこの川を渡らなきゃないみたいね」


 そう言いながら、目の前を流れる幅五メートルほどの川に目を向ける麗。

 先程から、ハーフパンツの勇哉ゆうやが川に入り、女子の為に大き目の石を飛び石のように並べている。


「そらそうだろうよ? 渡るつもりだからこんなことさせられてるんじゃないの?」


 麗の言葉に勇哉が顔を上げる。


「渡らずに済むならそれに越したことないし、念のためのダウジングよ」

「そんなこと言わずに、見てくれよこの、考え抜かれた石の選択と配置を!」


 麗の後ろから、他の三人も川を覗き込む。


「適当な石を適当に置いてるだけじゃないの?」と、華瑠亜。

「馬鹿言うな! 石は、濡れても滑りにくい石英岩だけを厳選してる。で、おまえらの平均身長は一五七.七五センチだろ?」

「どこでそんな情報を……」

「クラスの女子の身長・体重とスリーサイズは全部頭に入ってる」

「ギャルゲーの主人公の親友枠ね、あれ」


 ボソっと呟く麗に、また初美だけが吹き出すが、勇哉に向ける華瑠亜と紅来の視線は急激に冷気を増す。

 それを見て、慌てて取り繕う勇哉。


「と、とにかくだ! その平均身長に歩幅係数の “〇.四五” を掛けた、約七〇センチ、つまり、おまえらの歩幅に合わせて丁寧に石を並べてだな……」


 そこへ、周囲を探索していた歩牟あゆむが戻ってくる。


「すぐそっちで、川を跨ぐように木が倒れてる場所があったから、そこから向こう岸に渡れそうだ」

「よし! じゃあ案内して、歩牟」と、紅来。


 女子四人が歩牟の後ろに付いて歩き出す。


「お、おいっ! 飛び石これどうすんの!? なんだよせっかく……」


 慌てて岸に上がり、タオルで足を拭き始める勇哉に、華瑠亜が「さよなら」と冷たく言い残す。


 五分も歩かないうちに、倒木地点に辿り着く勇哉以外の五人。

 かなり以前から倒れていたらしく全体的に苔むしているが、幹はかなり太く、一本橋としては充分な幅だ。

 難なく五人とも渡り終える。


「さて……と。また少し北上して、いよいよね」と、マップを見ながら呟く紅来。

「あと一キロくらい?」

「もう、そんなにないかな? 七~八〇〇メートルくらい。エリアの中心まで進んでもプラス百メートル前後でしょ」


 華瑠亜の質問に、紅来がマップのスケールバーを使って距離を測る。

 初めて歩く森林の中とは言え、三〇分も見ておけば充分だろう。


「いよいよ、なのね……」と、呟く華瑠亜。

「なぁに?  緊張してきた?」


 華瑠亜の前を歩いていた紅来が振り返って訊ねる。


「緊張って言うか……ほんとに会えるのかな、って、信じられないような感じ」

「まあ、確かにねぇ……。あの魔具も相当くたびれてるし、瓶も、華瑠亜が割っちゃったしねぇ……」

「あれは、紅来がおっぱ……」


 言い掛けて、慌てて口を噤む華瑠亜。

 先頭の歩牟がチラリとこちらを流し見るのが見えた。

 勇哉のように突っ込んで訊いてくるわけではないが、そう言えば朝も同じようなこと言ってたな……くらいは考えていそうだ。

 軽く咳払いをして華瑠亜が話を続ける。


「ま、まあ、魔具の見てくれもあるけど……ここまで追ってきたのも、実際に紬の姿を見ながら、ってわけじゃないでしょ?」

可憐かれんもね」と、紅来に付け加えられて華瑠亜の顔が少し赤くなる。

「そ、そうよ! 可憐も、リリスちゃんも、紬も、みんなよ! でも、紬の爪を使って追ってるから、代表して紬が、って言ったの。わ……悪い?」

「い、いえ、別に悪くはないですし……って言うか、何この既視感デジャビュ……」


 と、とにかく! と華瑠亜がまた咳払いをする。


「姿も見えないまま、地下のあいつらを追跡してきた、ってのがさ……何て言うか、現実感に乏しいというか……」

「いる……よ」


 突然、後ろから聞き慣れない声がする。

 思わず振り向く、華瑠亜と紅来。


「紬くんは……いるよ」


 初美だった。

 クロエを出していないのは、皆で固まって移動しているので、カミングアウト事故を防ぐためだろうか。


「えっと……可憐もね」と、今度は華瑠亜が付け加えるが、再び初美が繰り返す。

「紬くんは、いる」


 かたくなな返答に一瞬固まる華瑠亜の肩を、紅来がポンと叩く。


「初美はほら、ずっと爪入りペンデュラムで紬を追っかけてたわけだし、何か特別、感じるものがあるんじゃない?」

「わ、私だって、それはあるわよ! 感じるから! 紬の気配的なやつ……」

「気配的って……さっきと言ってること違うじゃん」

「さっきのは、何て言うか、例え話みたいなもので……」

「何を何に例えてたのよ」

「そ、そんなことより! さっさと行きましょ!」


 少し離れた歩牟の後を追って小走りになる華瑠亜を、紅来も追いかける。

 その時、どこからともなく聞こえてくる声。


 お~い、みんな~、どこだぁ~~?


 う~ん、何か忘れてるような気がするな?  と紅来が首を捻った。


               ◇


 中央テントゲルを後にしてから約三〇分後、支度を整えて岩壁の亀裂の前に集合する。

 俺はメアリーから貰ったローブを、可憐はクレイモアを手に持ち、見送りに立つガウェインの前に赴いてそれを差し出す。


「これらは、メアリーセレップから預かったものです。申し訳ありませんが、ガウェイン殿から彼女へ返しておいては貰えませんか?」


 可憐の言葉に、しかし、首を振るガウェイン。


「それは、現シャーマンが直にあなた達にお渡しした物。それを第三者が取り次いで返却するなど許されぬ話じゃ。返すのであれば、お主ら自身の手で返されよ」

「そうは言われましても……」


 案の定、その場にメアリーは姿を見せなかった。

 いろいろあったが、最後くらいは笑顔で別れたかったんだが……

 結局、あの泣き顔が見納めになってしまったと思うと、やはり胸が痛む。


「今、メアリーセレップはどちらに?」


 可憐の質問に、赤い水晶を持った従者が答える。


「今は降臨香を焚いて “交神の儀” に入られました。恐らく、新しい守護家について御神託を賜るまではご退室されないかと……」

「それは、どれくらいの時間がかかるんですか?」

「その時々に寄ります。直ぐに賜ることもあれば、一週間籠もりっ放しの場合も」


 さすがにそこまで不確定な期間を待つ訳にもいかない。


「まあいいじゃん? また今度、返しに来たら?」と、リリス。

リリスおまえはまたそんなお気楽なことを……」とたしなめはしたが、しかし、よくよく考えればそれ以外の方法も思いつかない。

「では……これらは当面私達がお預かりしておくとメアリーセレップにお伝え下さい」


 そう言って可憐がクレイモアを再び背に担ぐ。

 俺も、一旦畳んだローブを広げてシャツの上から羽織った。


 元の世界で言えば、この辺りは茨城県の北部ってとこだろう。

 二度と来られない場所ってわけでもない。

 しばらくして、メアリーがここの生活に慣れた頃に、また様子を見にくるのも悪くないかも知れない。

 もっとも、その時にも会ってくれるかどうかは分からないが……


「では、私たちはこれで」


 可憐の言葉を受けて、ガウェインが案内役のノームに声を掛ける。


「頼んだぞ。ウーナ。ラルカ」


 その言葉に頷く、二人の案内役のノーム。

 そのうちの一人が、「ウーナです。宜しくお願いします」と会釈をしながら、先に岩壁の裂け目へと足を踏み入れる。

 フードローブを纏い、手にはランタンを持っている。

 フードで表情は見えないが、声からすると若い男のノームのようだ。


 続いて、可憐、次に俺。

 最後尾からもう一人、ラルカと呼ばれた小柄なノームが、ランタンを持って続く。

 やはり、フードローブに隠れて表情は見えない。


 裂け目に入る直前、ふと、メアリーの視線を感じたような気がした。

 もしかしたら……と思って振り返るが、やはりメアリーの姿はない。

 それを確認した俺の気持ちは――――はっきりとした “落胆” だった。

 自分でも知らないうちに、最後に聞いた、メアリーの寒々とした『さようなら』が相当堪えているのだと、ようやく気付く。


 またいつか……笑って会えるよな? メアリー。

 心の中に蘇るメアリーの笑顔を振り払うように、俺は再び前を向いた。

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