10.メアリーはどこだ

「おい! メアリーはどこだ! どこに連れてった!?」

「め、メアリー?」と、苦しそうに訊き返す賊の顔に見覚えがあった。

「おまえ……ジャンバロか?」


 間違いない。こいつは……。

 このテントゲルまで案内してくれたノーム……ジャンバロだ。

 後ろから、Tシャツとショートパンツを身に着けた可憐も近づいてくる。


「なんだか、部屋が煙たいな……」

「恐らく、何か神経系の香か何かじゃないか? だいぶ薄まったけど、さっき吸い込んだ時はかなり頭がガンガンしたから。……そんなことより、おいっ!!」


 ジャンバロの胸座むなぐらを掴んで持ち上げる。

 うっ、と苦しそうな呻き声を上げるが、構ってはいられない。


「メア……セレップをどこへやったのか聞いてるんだ!」


 質問に答える代わりに唇の端を吊り上げる。

 そんなジャンバロの体を床に叩き付けると、続けて思いっきり横腹を蹴り上げた。


「うがあっ!」


 もちろん、こんなことは俺だってしたくない。

 が、事態は一刻を争う……そんな予感がする。のんびりやってる暇はない!

 可憐も、俺の後ろからジャンバロに警告を放つ。


メアリーセレップの行方…… 喋るまで、一本ずつ指の骨を折っていくぞ! なあ、紬!」

「え、えぇ? ……お、おおっ!!」


 ……って、俺? 俺がやるの、それ!?

 再び、足で転がしてうつ伏せにすると、後ろ手に縛ったジャンバロの右手人差し指をグイっと捻り上げる。

 これを、へし折るの? 蟹の脚を食べるのとは訳が違うぞ?


 もっとも、ノームからしてみれば相手が “人間” というだけで、未知の種族に対する恐怖心のようなものは少なからずあるだろう。

 そんな状況での可憐の脅しは、特に特別な訓練を受けてるわけでもなさそうなジャンバロを震え上がらせるには充分な効果だった。


「しゅ、守護家の連中が連れていった! ……お、俺は、大長老達の指示で、催眠香を焚いていただけだ……」


 良かった! 喋ってくれて! しかも、聞いてもいないことまで!

 それにしてもこの件、大長老達も嚙んでるってことか……。なんてこった。

 守護家の連中が連れて行ったってことは――――


「やっぱり……メアリーセレップに、如何わしいことでもさせる気か!?」

「如何わしい? ……何を想像してるのか知らんが、そんな話じゃない。セレップは生贄として選ばれたんだ。その使命を全うさせるだけだろう」


 生贄?

 食人鬼グールの脅威がない今、生贄など必要ないだろう!?


 その時、後ろでバタンと扉の開く音がした。

 振り返ると、入り口の外からこちらを覗き込む人影が一つ。

 あれは――――


 ガウェイン!


 そう、中央テントの評議の場で主席大長老と名乗っていた、ガウェインだ。

 ちょうどいい。俺もこいつに話を聞きたいと思ってたところだ。


「おいっ! どういうことだ、ガウェイン! 約束が違うぞ!」


 しかし、俺の問い掛けには答えず、ゆっくりとガウェインが足を踏み入れる。

 クンクンと鼻を鳴らして部屋の臭いを嗅ぎ、続けてジャンバロに話しかける。


「なんじゃこの濃度は? こんなに薄いのでは、目を覚まされるのも無理はないのぉ、ジャンバロよ」

「は、はい……申し訳ありません。あまり焚き過ぎると、脳に影響がでることもあると聞いておりましたので……」

「誰がそんなことを考慮しろと言った? 殺さなければ良いと申したはずじゃが?」

「はっ! 申し訳ありません……」


 結局、このジジイもとんだ食わせ者だってことか。


「おいっ! 話してるのは俺だろ!」


 ガウェインがジロリと俺に目を向ける。

 その眼差しは、かたくなな意思を思わせる非情さを漂わせながらも、どこか物憂げで悲しそうな光を湛えているようにも見えた。

 しかし今は、この老妖精の心の有り様をのんびり推し量っている場合じゃない。


メアリーセレップの意思さえ変わらなければ地上に連れて行ってもいいって……そう言う話じゃなかったのかよ!?」

「約束は、たがえておらぬ」

「強制的に連れ去っておいて何言ってんだ! 意思が確認できないように画策するなんて、実質、約束を反故にしてるのと一緒じゃねぇか!」

「だから……強制ではないと言っておるのじゃ」

「なにぃ?」


 まさかメアリーが、自ら進んでこのテントを出て行ったと?

 夕飯のあと、あんなに楽しそうに地上の事をあれこれ質問していたのに?


「有り得ない! もう一度、メアリーセレップに会わせろ!」

「出来ぬな。そなた達の説得を受ければセレピティコの決心が揺らぐやも知れぬ。あくまでもこれはノームの問題じゃ。人間の言葉で判断を曇らせるわけにはいかぬ」


 後ろで話を聞いていた可憐も、グイッと身を乗り出す。


食人鬼グールは私達がほふりました。これ以上、なぜ生贄を必要とするのですか?」

「さらに他の食人鬼グールがいないと、そなたは断言できるのか?」

「それは……。しかし、仮にいたとしても、あの横穴の抜け道を通ってくる事は不可能なはずでは?」

「……そういう問題ではないんじゃよ」


 そう言う問題じゃなければ、どう言う問題だって言うんだ!?


「一度下ったご神託は絶対なのじゃ。仮に、セレピティコの命を助け、ご神託に従わぬまま食人鬼グールの脅威から逃れることができたとしたら……どうじゃ?」

「神託の絶対性が……疑われかねない、と?」


 可憐が呟くように答える。

 なるほどね……そういう理屈だったのか。


「そうじゃ。神託は決して誤ることのない、唯一無二の絶対的な指標でなければならぬ。それがあったからこそ、我々は争うことなくこれまで平和を享受できたのじゃ」

「じゃあ、あれか? もう食人鬼グールのことなんて関係ない、神託が神託で有り得る為にメアリーセレップは自ら犠牲になることを選んだと……そう言うことか?」


 俺の問いにガウェインが、冷徹な眼差しを以って応える。


「疫病が広がれば病人を虐げる。飢饉になれば食料を奪い合う。外敵に襲われれば矢面に立つ事を押し付けあう……人間もノームもそれは一緒じゃろう。争いを起こさぬ為には、個人の利害を超えた絶対的な判断基準が必要なのじゃよ」

「その為なら……幼い少女の犠牲も厭わないと?」

「そなた達人間から見れば不条理に見えるかも知れん。しかし、各々おのおのが各々の権利を主張し合い、折り合いが付かねば後は争いしかないのじゃ」


 確かに、人類の歴史は戦争の歴史でもあるかも知れない。

 しかし――――


「争えよ」

「……なん、じゃと?」

「納得いかないなら争えばいいじゃねぇか! 争って、自ら命を危険に晒して、そこからようやく、心底こんな経験はもうごめんだって、皆が幸せになれるような方法を皆で考えていくものだろ!?」

「野蛮じゃな……そのような歴史を経ずとも、我々はこうして皆が幸せを享受できる方法を見つけることができたのじゃ」

「皆だと? メアリーは……セレップはどうなる? あいつはみんなの中に入れて貰えないのかよ? 残った者達だけで『今回も神様のおかげで助かった』と?」


 そんなものが本当に、平和を享受するための理想のシステムだと?

 俺は認めない!!


 再び、俺の後ろから可憐が質問する。


「生贄を捧げたからと言って、災禍から逃れられるとは限らないではないですか?」

「因果など心の持ちようじゃよ。疫病が流行り、生贄を捧げたにも関わらず百人が死んだとしよう。そこで生贄などなんの意味も無いと見切りをつけるか……」

「……或いは、生贄のおかげで百人で済んだと有り難く思うか?」


 先回りして答えた可憐を、ガウェインがじろりと一瞥する。


「そうじゃ。そして我々は、後者の思想を持つことで争いを避ける術としたのじゃ。神の意思の前に個人の観念など無意味じゃろう? 時が災禍を退けたとしても、それまで皆が争わずに過ごすには、皆が信じられる御神託の絶対性が必要なのじゃ」


 ガウェインの説明に、しかし、可憐が更に食い下がる。


「ならば……生贄などという野蛮なものでなくても、他の供物でもよいのでは?」

「大きな災禍を退ける対価が、軽々しい犠牲であっては神まで軽んじられよう」


 災禍を退ける為の神託なんかじゃなかったんだ。

 いや、もしかしたら最初はそうだったかもしれない。でも今は?

 神託こそが唯一無二の選択肢であると、どうすれば皆で信じていけるのか……完全に手段と目的が逆転してやがる!

 こんな茶番で作り上げた虚像に神の意思もクソもあるかっ!


「自分たちで考える事を放棄して、女の子の犠牲なしじゃ権威も保てないような神託にすがって生きるなんて……まるで、進歩を諦めた抜け殻の集まりじゃねぇか!」


 俺の言葉を聞きながら、ガウェインは目を閉じ、ゆっくりと首を振る。


「いくら話しても……平行線じゃな」

「はあ? 肝心要かんじんかなめメアリーセレップ本人がいない場所で、なに勝手に悟ってんだよ!」

「だから、これはセレピティコの意思でもあると言ったじゃろう? このテントで焚いた催眠香はノームには効かぬ。そなた達が眠っている間に、セレピティコにはきちんとことわりを説き、納得の上でにえの儀式へと赴いてもらったのじゃ」


 平行線――――

 確かに、このじじいとこれ以上話していても、時間を浪費するばかりで事態は絶対に好転しない。その意味では確かに、平行線と変わらない。

 メアリーが納得しただと?

 こいつらからそんな話を聞いて、はいそうですかと納得できるはずがない!


「リリス、一緒に来い!」


 急いでシャツとローブを身に着けると、入り口に立つガウェインの前へ歩み寄る。

 贄の儀式?  一体何のことだ?

 メアリーを連れ去ったのが守護家の連中だと言うなら、とりあえずあのポーカー部屋に行けば何か見つかるかも知れない。


退け。教える気がないならこっちで勝手に探す。メアリーあいつは……俺の大事な相棒だ。おまえらに勝手なことはさせない」


 その時、暗闇だった入り口の外が、突然、夜が明けたかのように明るく照らされた。しかし、その光が長閑のどかな朝陽などでないことは明らかだ。

 紅蓮に揺らめく不気味な洞穴内の風景……。

 あれは、炎の明かりか!?


 慌てて靴を履き、ガウェインを押し退けて外へ飛び出す。

 明かりの出所を確かめようと視線を泳がせた先……ノーム達が住むテントエリアのほぼ中央付近に、何本もの火柱が不気味に立ち上っているのが見えた。


 何だ、あれは!?


「……もう手遅れじゃよ。にえの儀式が始まったのじゃ」


 そんなガウェインの言葉を最後まで聞くことなく、気が付けば俺は火柱へ向かって無我夢中で駆け出していた。

 贄の儀式だと? あいつら、メアリーに何をする気だ?

 胸騒ぎが治まらない。

 無事でいてくれ、メアリー!!


               ◇


「な……何だよ、これ?」


 早朝四時半。

 夜明け前の清々しい空気が、青く白み始めた東の空から流れ込んでくる中、シルフの丘の休憩所前に六人の人影が集まっていた。

 呟いた勇哉ゆうやの目の前、朝露で湿ったガーデンテーブルの上に、紅来くくるが並べた二つの茶色い小瓶乗っている。


「え~っと、こっちが可憐の髪の毛で、こっちが紬の――――」

「それは見りゃ解るわ! どうして瓶が割れてんのか、って聞いてんの!」


 紅来くくるの説明に被せるように、再び勇哉が大きな声を上げる。


「割れてないよ。ヒビがはいってるだけ」

「それを普通は割れてるって言うんだよ!」

「まあ、え~っと、最初から話すとまず……華瑠亜かるあのおっぱ……」


 ぎゃああああ! と、華瑠亜が慌てて紅来の口を手で塞ぐ。


「おっぱ?」


 勇哉が首を捻る。

 “おっぱ” と聞いて真っ先に思い浮かぶのは “おっぱい” だが――――

 同級生の中では嫌でも大きさが目を引く華瑠亜の胸をジッと見ながら考えるも、おっぱいと割れた瓶の因果関係が思いつかない。

 

勇哉あんた! 何見てんのよ、イヤらしいっ!」


 華瑠亜が慌てて胸を抑えながら、矢がセットされたクロスボウを勇哉に向ける。


「おわっ! おまえそれ、危ねぇから! 」と、スモールシールドを目の前に掲げながら慌てる勇哉。

「もしかして、あれか? 胸の谷間に挟んで持ち歩いてたのが、ギュッとやった瞬間にパリン、みたいな?」

「峰不〇子かよ……」と、すかさず突っ込むうららに、初美はつみだけがプッと吹き出す。


「はぁん? んなわけあるかっ!」


 昨夜、紅来にいじられて以来、おっぱいネタには少々神経質になってる華瑠亜が、頬を赤らめながら思わず引き金を引く。

 放たれたクロスボウの矢が、勇哉の持つスモールシールドにカツン! と弾かれて宙へ跳ね上がった。


「どわっ! おまえ、それ、マジで洒落なんねぇぞ!」


 慌てて歩牟あゆむの影に隠れた勇哉に、勇哉おまえはなんでわざわざ地雷を踏みに行くかねぇ……と、歩牟も呆れ顔だ。

 気を取り直すように紅来が二、三度手を叩く。


「まあ、あれだ。私が見たところ、この瓶は単なる入れ物だよ。中身さえあれば、皿でもコップでも何でもいいんだと思う」

「また適当なことを……」と、ぶつぶつ呟く勇哉を無視して紅来が続ける。

「よしんば何らかの魔法効果マジックエフェクトを備えた瓶だったとしても、まあ、ちょっとヒビが入っただけだし……」


 もともと、この魔具コーリングサークル自体に懐疑的だった紅来にとっては、今さら小瓶に多少のヒビが入ったくらいで狼狽するような事態でもない。


 但し、おまけでもらったペンデュラムの方はなかなかの拾い物だと見ていた。

 まだ皆には伝えていないが、あれが本当に可憐と紬の位置を指し示していると仮定するなら、やはり地底での二人の移動には何かしら目的がある可能性が高い。

 更に言えば、それは地上に戻る算段に基づいた行動なのではないかと……。


「とにかく、涼しいうちに少しでも距離を稼ごう!」


 紅来の声掛けに、全員、もう一度持ち物の確認を始める。

 可憐と紬あの二人が何をするつもりなのかは分からないが、とにかく二人の位置をトレースしておけば、いざと言う時には手助けが出来るかも知れない。


 六人が歩き始めると同時に、頭を出し始めた太陽が朝靄あさもやの丘を淡く照らし始めた。

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