11.火柱

 無我夢中で駆け出した俺の視界の中で、不気味な火柱がぐんぐん大きくなる。

 先程から脇腹がチクチクと痛む。

 押し寄せる胸騒ぎを何度も振り払いながら、もつれる足を必死で動かす。

 全速力のはずなのに、速度はいつもの半分も出ていない錯覚に襲われる。


 無事でいてくれ、メアリーっ!


 やがて、火柱を取り囲むように人垣を作っているノーム達の後ろ姿が見えてくる。

 皆の瞳が空ろ気映し出しているのは――紅蓮の炎。

 その視線の先で何が起こっているのかここからでは分からない。


 しかし、迷わず目の前のノーム達を両側に突き飛ばしながら、中心へ向かって人垣を分け入るように突き進む。


「ち、ちょっと、紬くん!?」


 俺の性急過ぎる行動にさすがに不安を覚えたのか、ローブのポケットからリリスが声を掛けてくるが、今は一刻を争う場面だ。

 いや、根拠はない……が、俺の勘が〝早く早く〟と語りかけてくる。


 突然突き飛ばされたノーム達の驚きが徐々に伝播する。

 俺を中心にザワザワと広がっていく不穏な空気。

 しかし、今は余計な事を気にしている場合じゃない!


 突然、人垣が途切れ、開ける視界。

 俺の背丈よりさらに三〇センチほど高い木柵が目の前に立ち塞がり、その向こう側に煉獄を思わせる火柱が出現する。


 全部で四本。


 不規則に火の粉が舞い、熱気が顔面を襲う。

 炎が俺の鬼胎きたいを煽り、不安のボルテージは一気に最高潮に達する。


 火柱は、三角すいのような形に組んだ杭の中で薪に火をつけ、燃え上がらせた物だった。

 俺が辿り着いた時には、既に全ての杭が炎に包まれていた。


 そして、真っ先に俺の目に飛び込んできたものは――


 最も手前の火柱――杭で組まれた三角錐の檻の中で黒く燃える小さな人影。

 すでに判別できない程に皮膚は焼け爛れていたが、それが身に着けているポンチョのような服には見覚えがあった。

 炎で熱せられた顔面とは対照的に、急激に冷えていく耳朶じだ


 間違いない……。

 メアリーが着ていたフードローブだ……。


 対魔処理が施されていたため燃え難かったのか、持ち主の体が燃えてなお、未だに原型を保っている。


「そ……そんな……」


 ぐらりと地面が揺らぎ、下半身から力が抜ける。

 立っていることができない。

 周りの景色は遥か彼方に遠ざかっていくのに、黒い肉塊となったメアリーの姿だけはどんどん視界の中で歪み、大きく膨らんでいく。


 がっくりと膝を折り、地面にへたり込む。

 木柵を、血が出る程に強く握り込んだ両手の指はわなわなと震え、幻想的に揺れる炎の動きによって夢現ゆめうつつの狭間に引き込まれていくような感覚。

 生まれて初めて味わう、心に空いた大きな穴に飲み込まれそうな恐怖。

 絶望という名の静かな激情。


 これは……現実なのか?


『せっかくですので、胸、借りてあげますよ』

『アホですか? ツムリはカタツムリの生まれ変わりか何かですか?』

『お二人がここにいる間、パパやママと呼んでもいいですか?』

『そんなんじゃ、パパの大切な人を守ることなんてできないですよ』

『本当に……メアリーはパパのお世話になっていいんですか?』


 次々と、俺に向けられたメアリーの眼差しが、浮んでは消えていく。

 自分でも気が付かないうちに両目から流れ落ちた涙が膝を濡らしていた。

 メアリー、メアリー……


「メアリィィィ……ィィ……」


 喉に熱いものが込み上げ、そして、嗚咽が漏れる。

 遅れて俺を追ってきた可憐もようやく追いつき、柵の向うの光景に息を飲む。


「あれは……メアリーか?」


 可憐の問い掛けに、俺も項垂うなだれたまま頷く。


「ああ、そうだ……あのローブ、間違いない……」

「ローブ? ……ああ、いや、そうじゃなくて、あの真ん中にいる……」


 え?

 慌てて顔を上げる。

 真ん中?


 俺の位置からではちょうど火柱の影になって見え辛かったのだが、四本の火柱に囲まれた中央付近に石壇のようなものがあり、一本の太い磔柱たっちゅうが立てられている。

 下には薪が積まれており、磔柱にロープで縛りつけられているのは――


 メアリー!!


 服装は、他のノームが着ているような、カラフルな刺繍の民族衣装に着替えさせられているが――

 見覚えのある艶やかな金髪が、不規則にぜる火の粉の向こうではらはらと揺らめいている。


 涙で歪んではっきり見えないが……間違いない、メアリーだ!


「な……なんで? このローブの子は?」と、後ろに立っている可憐を振り返る。

「そう言えば昔、亜人の生贄文化について授業で習った記憶があるな」


 可憐が何かを思い出すように寸刻の間を置き、言葉を続ける。


「確か、生贄より先に、冥界での形代となるものを燃やし、最期に生贄の魂を天に捧げるんだとか……。このローブを着てるのは恐らく形代の人形だろう」

「ってことは、もうすぐ……」


 再び柵の向こう側に視線を戻す。

 ちょうどその時、火の点いた松明を持って石壇へ近づく人影が見えた。

 あれは――レアンデュアンティア三兄弟の一人だ。

 確か、キールとか言ったか!?


「おれつえーーっ!!」


 青白い光を放つ俺の両手を見て周囲のノームがざわめく。

 召喚した六尺棍を杖代わりに立ち上がると、かさずリリスに命じる。


「リリス! すぐにメアリーを連れてこいっ!」


 言われるまでもなく、既に宙を飛んでメアリーの元へ向かっていたリリス。

 石壇の手前で青白く輝き、その姿を変貌させる。


 メイド騎士リリスたん


 驚いて立ち止まるキールの目の前でレイピアを一振りしたかと思うと、次の瞬間にはメアリーを縛っていたロープが切れ切れに四散する。

 レイピアを収め、広げたリリスの両腕にふわりとメアリーが舞い降りた。


「あ、あれは確か……ツムリとやらの使い魔!?」


 離れた場所から石壇を眺めていたバッカスが叫んだが、言い終える頃にはもう、そこにリリスの姿は無かった。


 柵の向こう側、すぐ俺の前まで戻ったリリスが、一旦メアリーを地面に置く。

 続けて抜刀したかと思うと、俺の目の前、幅二メートル程の範囲で木の柵が切り刻まれ、木片が地面にバラバラと散らばった。

 その様子を見ていた周囲のノーム達が 、再びざわめきながら後退あとずさる。


「メアリー!」


 急いでメアリーに駆け寄り、小さな肩を抱きかかえた。


「大丈夫、息はあるわ」


 元のサイズに戻ったリリスが、肩の上から俺に話しかける。


「メアリー! 大丈夫か? メアリー!」


 俺の呼びかけに、んん……と小さく呻いて、薄っすらと目を開く。

 少しだけ左右に動いた後、俺を見つめて動きを止める碧い瞳孔。


「メアリー……俺だ! 分かるか?」

「パ、パパ……ですか?」

「ああそうだ! もう大丈夫だ!」

「どうして……どうして、来たんですか……」

「え?」


 苦しそうに搾り出されたメアリーの思いがけない言葉に、少なからず狼狽する。

 どうして……だって?

 来ちゃいけなかったのか?


「メアリーが、生きている限り……ずっとパパに、迷惑をかけます」

「誰が……そんなこと!?」

「バッカスも、大長老もそう言ってました。でも……それだけじゃありません」


 虚ろだった碧眼の焦点が次第に定まってゆく。


「誰に言われなくても、それくらいはメアリーにも分かります。パパと一緒に行けば一生迷惑を掛けます。ここに残っても、パパは優しいですから、ずっとメアリーのことを気にかけながら生きていくことになるのです」

「そんなこと、ちっとも……」

「それよりなにより……ここにいるノームの皆が、メアリーの死を望んでいるのですよ。メアリーに生きていて欲しいと思っている者は一人もいないのです。だからメアリーは、本当のパパとママの元へ行こうと決めたのです」


 ああ……そうなんだ。

 メアリーは最初から分かってたんだ。

 五十日間も――実際には二週間程だったらしいが、誰一人、取り残されたメアリーを探しにくる者はいなかった。

 仲間達に見捨てられたことが分かっていたからこそ、ここへ来る事を拒んだんだ。

 例えここへ来ても、自分の生還を喜ぶ者は一人もいないのだ、と。


 こんな幼い女の子が、自ら生を諦める程に追い詰められていると言うのに、誰一人救いの手を差し伸べようとしない。

 俺は、本当の意味で分かっていなかったんだ。両親を目の前で失い、さらに、同族の全てから死を望まれるという状況が、メアリーの生きる気力をいかにむしばんでいたかという事を。


 本当に自分は生きていていいのか?

 この小さい胸の中でずっと自問自答していたに違いない。

 こんな少女を生みだすことが、本当に、争いのない理想の社会だと?


 ふざけるなぁっ!!


「メアリー……。ここにいるのが辛ければ俺と一緒に行けばいい。迷惑? そんなの、メアリーにここで死なれることが一番の迷惑だっての」


 メアリーの両目に、少しずつ光る物が溢れてゆく。


「他の連中のことは知らない……。でもな、俺はメアリーに生きて欲しいと思ってる。いや、俺だけじゃない。可憐ママだって、リリっぺ・・・・だってそうだ!」


 いや、そこはリリス・・・でいいんですけど……と、リリスが呟く。


「俺達のことを思って死を決意したなら、同じように、俺達のために生きることを選べよ、メアリー!」


 メアリーが、俺の言葉を聞きながら両手を口にあてがい、嗚咽を漏らす。

 抱きかかえられたまま、大粒の涙が次々とこめかみを伝って髪を濡らし、地面に零れてゆく。


「メアリーは……メアリーは……どうずればいいのが……もう、わがりまじぇん」

「メアリーはどうしたいんだ? その通りにすればいい」

「メアリーは……メアリーは……じにだぐありまじぇん! 生ぎだいです!」


 ようやく今、俺はメアリーの心からの声を聞けた気がする。


「じゃあ……行こう! 俺達と一緒に!」

「メアリーは、生ぎでで……いいんでずか……?」


 答える代わりに、俺は思いっきりメアリーを抱き締めた。

 当たり前だろ! 何も悪い事してない奴が生きてちゃ悪いなんて言うなら、それは社会の方が間違ってる!


 メアリーの震える肩を抱きながら、俺は視線を上げる。

 ゆっくりとこちらに近づいてくる人影――――バッカス!


「お取り込み中悪いんだがなぁ、ツムリさんよ。メアリーセレップは一族の為に死を覚悟したんだ。今さらやっぱり嫌ですは通らねぇんだよ」

「それを言うなら、メアリーこいつは俺の使い魔だ。それに手を出すってことは、使役者に対して剣を抜くのと一緒だ。殺されても文句は言えないぞ」

「だとしたら何だ? セレップを生贄に決めたのは俺じゃねえ。神託に従ったとは言えそれを了承した一族全員だ。お前はここの全てのノームを相手にするつもりか?」


 メアリーを可憐に預けると、ゆっくりと立ち上がり、俺もバッカスを睨みつける。

 こんな、ヤクザみたいな顔つきのオッサンとメンチを切り合うなんて、元の世界にいた頃の俺では絶対に考えられないけどな。


 しかし、今は全く恐怖心はない。

 先程味わった〝メアリーを失った絶望感〟を思い出す。

 あの恐怖に比べれば、こんな糞オヤジとやり合うことくらい何ともない!


「必要とあれば。全員を相手にしてでもメアリーこいつを守る」

「できると思ってるのか? セレップは、神が一族の命運を握ってると告げた存在だ。奪われると分かれば、俺達だけじゃねぇ。集落の全員が武器を持ってお前の前に立ちはだかるぞ」

「おまえこそ、できないと思ってるのか? リリスの……俺の使い魔の実力の片鱗は、もう見てるだろ?」


 もちろん、実際に使役するとなれば長くても一〇分が限度だ。

 いや、昨日も相当に酷使しているし、今だってジャンバロを捕らえたり、メアリーを救ったりするためにリリスたん・・・・・を使った直後だ。


 恐らく、使えても五分が限界。


 地上に上がる昇降穴が分かっていれば一直線に突破することも可能だが、それも分からない以上、五分で数百人のノームを相手にする事になるかもしれない。


 それでも……。


 それでも、目の前でメアリーが殺されるのを黙って見ているくらいなら、俺はそうすると決めた。

 メアリーの死を確信した時に感じた、深淵に精神が飲み込まれそうな恐怖。

 あれを抱えたまま、この先の人生を笑って歩んでいけるとは到底思えない。


 しばし、バッカスを睨みつける。

 俺の本気度を値踏みしているのかのように目勝まかつバッカス。


 ……とその時、バッカスの後ろから別のノームが近づいてきた。

 ポーカー部屋にいた、青髪の女ノームだ。

 バッカスに耳打ちをし、バッカスも、俺から視線を外すことなく何度か頷きながら女ノームの話を聞いている。


 なんだ? このタイミングで何を話してる?


 話していたのは、それ程長い時間ではない。

 恐らく、一分かそこいらだろう。

 女ノームが戻ると同時に、天を仰ぐようにおもむろに両手を広げるバッカス。

 続けて、芝居がかった大きな声で、広場中のノーム達にも聞こえるように高らかに宣言をする。


「たった今、この事態を収拾するための新たなる神託を賜った!」


 バッカスの宣言に、ノーム達が俄かにさざめき立つ。

 新しい……神託!?

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