09.狙われる理由

「そこまで疑わなくても……もう狙われる理由もないんでしょ?」


 いぶかしそうに料理の臭いを嗅ぐ俺を、リリスが半ば呆れたように眺める。

 先程、二人のノームが運んできたものだ。

 小さなちゃぶ台サイズのテーブルに並べられたそれらは、見る限り心配していたような『昆虫料理』などではなさそうだ。


「そりゃそうなんだけどさ……どうも、今回の生贄に関しては、食人鬼グールを退けるためだけに出た話じゃないような気がするんだ」

「他に、何があるのよ?」

「それは分からないけど……なんとなく嫌な予感がするんだよ」

「そんなこと言ったってさ、臭いを嗅いだだけで毒味なんてできるの?」

「いや……」


 正直、全く分からん。

 もしかすると何かの異常でも見つけられるかと思ったが、そもそもノーム料理の標準スタンダードが解らないのだから異常も見つけられるはずがない。


「何か、変わった感じはないか?」


 料理から顔を離しながら、右隣に座っているメアリーに訊いてみる。


「見た目は、特に変わったところはないですね。ちょっと豪華なくらいです」


 確かに、献立は思いの他充実している。

 野菜スープや炒め物などのおかずに加え、明らかに鶏肉や豚肉と思われる普通の・・・肉料理、更にはチーズやパンまで並んでいる。


「こんな食材、どうやって手に入れてるんだ?」

「交易に携わっているノームもいますし、ここなら地上も近いので直接山野で狩りをしている者もいると思います」


 集落内を移動中に見かけたノーム達の出で立ちを思い浮かべる。

 確かに、あのヨーロッパの民族衣装のような華やかな服飾品は、人間界に持っていっても人気になりそうだ。

 他にも、ノーム独特の工芸品などもあるのかも知れない。


「それに、万が一毒にあたっても、メアリーが治療しますよ。パパがメアリーに求めていたのは、そう言うお世話・・・なのですよね?」

「あ、ああ……まあ、そうなんだけど……」


 答えながら、メアリーから、その向こう隣に座っている可憐へ視線を移す。

 ちょうど、俺の方を横目でチラ見した可憐と目が合う。


「さっきのは、変な隠し立てをしたつむぎが悪いんだからな」と、再び可憐がプイッと前を向く。

「別に、何も言ってないじゃん」

「顔が言ってた」

「だってさぁ……いくらなんでも刃物を持ち出すのはやり過ぎじゃね? あれは洒落にならないぞ!?」


 さっきは本当に斬り捨てられるかと思った。


「鞘の方で叩こうと思っただけだ」

「扱うのが可憐じゃ、鞘でも大惨事だろ」

「最初から隠そうとせず、ちゃんと説明してくれれば良かったのだ」


 間に座ったメアリーが、なだめるように俺と可憐の膝の上に手を置く。


「まあまあ、お二人とも。夫婦喧嘩は止めて下さい。ママもそろそろ許してあげて下さいよ」

「いやいや! ちょい待て! なんでメアリーが仲裁役みたいなポジションなんだよ」


 しかしそんな俺の抗議は、このマイペース娘にいつも通り一蹴される。


「元はと言えば、変に隠し事をしようとするパパが一方的に悪いんですよ」

「元はと言えばと言うなら、メアリーがあんな格好・・・・・で俺のベッドに入ってきたのがそもそもの――――」

「とは言え、パパも悪気はなかったわけですし、反省もしてるようですからね。罪を憎んで人を憎まずです」


 まあ、寸でのところでメアリーが体を投げ出して庇ってくれたおかげで可憐に叩かれずに済んだのも事実だ。

 なんだか、痴漢の示談金を払う冤罪の被害者みたいで釈然としないが、もうこの話はあまり引っ張らないでおこう。


「そんなことよりさぁ、早く食べない? 毒なんてないよきっと」


 相変わらず何の根拠もない発言をするリリス。

 もっとも、イメージ的に悪魔が毒に侵されるというのもピンとこないからな。

 リリス的には大した問題ではないのかも知れない。

 さらに可憐も、リリスの意見を捕捉するように言葉を繋げる。


「私も、毒はないと思う。人間を、理由もなく殺したりすれば、重大な協定違反で身柄の引渡し対象になるからな。さすがにそこまでのリスクは犯さないだろう」


 それを聞いて、リリスが「ほらっ!」得意気に俺を見上げる。


「ほら、って、リリスおまえは腹減ってただけだろ?」


 とは言え、殺したりするつもりなら今まで他にもチャンスがあったのは確かだ。

 それをスルーしてわざわざ不確実な毒殺なんかを選ぶこともないだろう。


「いざとなればメアリーの治癒魔法もありますし、食べましょう!」


 一番狙われてる可能性が高いと思われるメアリーまで、存外楽観的だ。

 治癒係も一緒に食べるんじゃあまり意味ないけどな……。


「ではまず、パパから、“あ~ん” して下さい」

「え? まだやるの、あれ!?」


 あまりそういう雰囲気じゃなさそうなんだけどなぁ――――

 そう思いながら可憐の方を見ると、やや憮然とした表情ながらも、横目で俺を見ながら口を開ける。


 え~と……やるんだ!?


               ◇


 ペチ、ペチ、と頬を叩かれる感覚。

 この感じは――――


「紬くん、起きて! 紬くん!」


 そう、リリスが俺を起こす時の、いつものペチペチだ。


 結局、食事の後は何の異変を感じる事も無かった。

 しばらく、みんなで今後の事を話したりしながら時を過ごし、ベッドに入ったのは恐らく夜の一〇時頃だっただろう。

 時計はないが、料理が運ばれてきた時に支給係のノームが夜の七時頃だと言っていたので、感覚的にそれほどズレてはいないはずだ。

 左端のベッドは俺とリリスが使い、可憐とメアリーは真ん中のベッドで寝ることにしたのだが――――


「う~ん……リリスか? どうした?」


 薄っすら目を開けると、体を横にして寝ていた俺の顔を、リリスが覗きこむように屈んでいる。


「何か……部屋が、臭くない?」


 言われてみれば、お香のような臭いがするし、少し煙たい気もする。

 ベッドから起き上がろうとして、初めて、両手が後ろ手で縛られていることに気がついた。いや、手だけでなく、両足首もだ!


 な、なんだこりゃ!?


「お、おい、リリス。お前は動けるのか?」

「うん。……って紬くんは?」

「手足が縛られてる。これ……解けるか?」

「ちょっと待ってて」


 賊の仕業だとすればまだテントゲル内にいるかも知れない。

 極力小声で会話をする。


 リリスが俺の背中側回り、縛られている手首の周りでなにやらごそごそ始めた。

 恐らく、レイピアでも抜いて縄を切ろうとしているのだろう。

 刺突剣であるレイピア――しかもあのサイズでは切断に時間が掛かりそうだが、折れ杖おれつえーを召喚しても、この状態では繋げて六尺棍にすることはできない。


 とりあえず、手が自由になるまではちびリリスに頑張ってもらうしかない。

 やはり……俺たちが狙われる理由は、まだ何か残っていたのか!?


 五分ほどしてようやく手首の縄が緩んできたのを感じ、引きちぎってみる。

 だいぶ切り込みが深くなっていたのか、思いの他あっさりと縄が切れた。

 勢い余って、後ろでガサゴソやっていたリリスを吹っ飛ばしてしまう。


「きゃっ! なにすんのよ突然!」

「ごめんごめん。ちょっと力を入れてみたら、意外とあっさり……」


 と、突然キャノピーが勢い良く開け放たれ、その向こう側でぼんやりと何者かの人影が浮かび上がる。


「おまえ、気が付いたのか!」


 そう言いながら近づいてくる人影の脇腹に、まだ縛られたままの両足で思いっきりドロップキックをお見舞いする。


「うがぁっ!!」


 不意を衝かれた人影が横へ飛ばされてうずくまるのを見て、空かさず六尺棍を召喚する。


「リリス! そいつを見張っとけ!」

「分かりました。ご主人様」


 メイド騎士モードに移行したリリスが、賊の脇腹にさらに二回ほど蹴りを入れると、またしても「うがっ! うがっ!」と呻き声が聞こえた。

 リリスあいつ、容赦ねぇな……。


 リリスが振り返って俺の足首の辺りを二、三度、軽くピュピュッとレイピアで突くような仕草を見せる。

 足首を縛っていたロープがバラバラに分かれてベッドの上に散らばった。


 解いたロープの中から一番長そうなものを選び、リリスに渡す。


「これで、そいつの手を縛っておけ」

「はい、ご主人様」


 リリスが、賊の両手を後ろに回す。

 切断されて短くなったロープでは手首を縛るのは難しかったのか、賊の親指同士を後ろ手で縛る。


「よくそんな結び方知ってるな?」

「はい。以前、人間界をリサーチしていた時に覚えました」


 こいつはどんな資料でリサーチを……と、もうそこは突っ込むまい。

 キャノピーを開けると、部屋中にやや濃い煙が立ち籠めていて、少し呼吸をするだけで頭痛がする。

 恐らくベッドの周囲だけ、キャノピーのおかげで煙の流入がだいぶさえぎられていたのだろう。


「もう一本、ロープを探してくるから、もうちょっと見張っててくれ」


 そうリリスに声を掛けて、真ん中のベッドのキャノピーを開けると、案の定、可憐も両手両足を縛られていた。

 ……のだが、よく見ると可憐はパンツとブラジャーのみの下着姿だ!

 賊に脱がされたわけではなく、最初からその出で立ちで寝ていたのだろう。

 部屋のランプは一つだけ残して全て消していたので、薄暗くてはっきりとは見えなかったが、何と言うか……下着姿で縛られている姿は非常にエロティックだ。


 闇に目が慣れるまで、もう少し眺めていたいのはやまやまだが、緊急事態だ。

 可憐の足のロープを急いで解くと、再びリリスに渡して、今度は賊の両足首をしっかりと縛らせる。とりあえずこれで、もう簡単には動けないだろう。


「よしリリス、戻っていいぞ。何かあったら大声で知らせてくれ」

「はい。ご主人様」


 六尺棍を戻すと、リリスもスゥ~っと元のサイズに戻り、俺が寝ていたベッドの上に、賊を見下ろすように腰掛ける。

 とりあえず、可憐の両手のロープも解いておくか。


 再び真ん中のキャノピーを開けた途端、ベッドの脇をこちらへ向かって猛スピードで近づく人影が!

  まだ賊が潜んでいたのかっ!


 人影が一気に距離を詰め、右足で前蹴りを放ってくる。

 かろうじてかわしたものの、下ろした右足を軸にして続けざまに放たれた左り回し蹴りが俺の左肩にヒット。


つぅっ!」


 と、声は漏れたが……思いのほか衝撃は軽い。

 これなら、急所にでも当たらない限りは……。

 その時、人影の胸元にぼんやりと輝く淡い光が目に入る。

 あれは……!


 ベッド脇からキャノピーを超え、部屋の中央に躍り出ながら、さらに人影が繰り出した右前蹴もギリギリでかわす。

 踏み込みが甘い?

 ランプの明かりで人影の姿が浮かび上がる。


 やはり……可憐か!


 人影の正体は、後ろ手に縛られ、下着姿のまま右足を振り上げた可憐だった。

 胸元の光は……ライフテール。

 俺は上からTシャツを着ていたため、可憐からは光が見えないらしい。


 直後、左肩、首の付け根辺りに走る鈍痛。

 かかと落とし!?


 薄暗い上に、可憐から見たら逆光になるせいか、まだ俺が判別できないのだろう。

 痛みをこらえつつ肩の上にある可憐の右足を掴むと、俺も一気に前へ押し込む。


 可憐! 俺だっ!

 ……と、言いかけたが、可憐が残った左足で床を蹴り、掴まれた足を軸に空中で腰を回転させたのを見て慌てて口を噤む。

 薄暗闇の中、連続攻撃を受けている最中に迂闊に喋っては舌を嚙みかねない。

 宙で体を水平にするように放たれた左蹴りに右こめかみを痛打され、一時的に右耳の聴覚が奪われる。


 とんだお転婆だな、おい!

 

 一瞬意識が遠のくが、こちらも必死だ。

 構わず一気に可憐を抱え込んでベッドに押し倒す。


 手を縛られている分、蹴りの威力がかなり削がれているのは助かった。

 踏み込みが甘かったのも、上半身を使えなかった故だろう。

 両手も自由だったらとてもこうは行かなかったはずだ。

 本当に可憐と結婚することがあっても、夫婦喧嘩だけは止めておこう……。

 

「お、おいっ、可憐! 待て! 俺だ!」


 可憐をベッドに押さえつけながら、ようやく口を開く事ができた。


つむぎ……か? なんでおまえが……私を縛る!?」

「俺じゃねぇ! 賊はさっき捕まえたからっ」


 ようやく、バタバタと暴れていた可憐が、俺の腕の中で静かになった。

 気が付けば、下着姿の可憐を背後から抱きしめてベッドに押し倒したような格好。

 無我夢中だったため掴む場所など頓着してなかったが、この右手の平に感じる柔らかい感触は……お、お、お、おっぱい!?

 しかも、格闘の拍子にブラジャーがずれてしまったのか、どう考えてもじかに触れている感触だ。


「おい、どこ触ってる」と、可憐。

「お、おっぱ……」って、俺も説明してどうするっ!

「ご、ごめんっ!」


 慌てて万歳をしながら体を離すと、直ぐに可憐の手を縛っていたロープを解く。

 暗闇の中、可憐が軽く手首を摩ったあと、ブラジャーを元の位置に戻す。


「ごめん、俺も、咄嗟の事で、掴む場所まで考えてなかったって言うか……」

「見られるのは抵抗あるが、触られるくらいなら……まあいい」


 口を開いた可憐の声色は至って普通だ。

 え? そういうもの?


「ところで……メアリーはどこだ?」


 メアリー……、そうだ、メアリー!


「可憐! め、メアリーはどこだ!?」

「私が聞いてるんだが……」


 シャツを着ながら振り返る可憐を残し、慌てて一番左端のベッドも調べるが、やはりメアリーの姿は見当たらない。

 すぐに賊の元まで駆け戻ると、両手足を縛ってうつ伏せのまま放置しておいた賊を、足で転がして仰向けにする。


「おい! メアリーはどこだ! どこに連れてった!?」

「め、メアリー?」と、苦しそうに訊き返す賊の顔に見覚えがあった。

「おまえ……ジャンバロか?」

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