10.祭壇の異変
俺の声に、華瑠亜もようやく祭壇の異変に気付いて目を見張る。
祭壇から溢れ出たのち、引き合うように空中で集まり、徐々に巨大な輪郭を形作っていく謎の闇粒子。
あれは……なんだ!?
粒子の集束に伴い、さらに輪郭がくっきりと〝人型〟を形成してゆく。
全長は三メートルほどだろうか?
全身真っ黒ではっきりとは分からないが、シルエットを見る限り、スカートのようなものを履いた女性にも見える。
「ふ……伏姫……?」
「ふせひめ?」
「トミューザムがパワースポットになった原因となったノームの名前だよ」
この世界では、八犬伝の伏姫はノームだったのか!?
「この地のノームが災禍を鎮めるために、族長の娘を生き埋めにしたのがきっかけだって伝えられてる」
「生き埋め? それが……伏姫?」
「本名は伝わってないけど、樽のような入れ物に、膝と額をくっつけるような格好で押し込まれて埋められたらしい」
つまり、体育座りで膝の間に頭を
その、顔を伏せた体勢から、いつの間にか〝伏姫〟と呼ばれるようになったらしい。当然だが、元の世界の八犬伝の内容とはまったく違う。
第二層出発前の
あんな体勢で固定されたまま
「でも、族長の娘なら……いくらだって免れることはできたんじゃないのか?」
「
メアリーが答える。
そういえばメアリーも、その神託とやらで生贄にされそうになったんだよな。
「伏姫の魂を鎮めるために、八匹の忠犬もお供として一緒に埋められたらしいんだけど……ブルーちゃんの進化に使って、仙珠が力を失ったのかも……」
「でも、例は少ないとはいえ、進化に使ったのは俺たちが初めてでもないだろ!?」
そもそも、毎年ここから仙珠自体を持ち出しているのだから、宝具の喪失が伏姫の出現を促しているのであれば、毎年伏姫が出現していてもおかしくない。
そうなんだよね……と、紅来も眉を曇らせながら頷く。
「伏姫クラスの霊体だと、現界の魔物で言えば★7以上だからね。そんなのを現出させるには、あえて召喚するくらいしかないはずなんだけど……」
紅来が説明を続けている間にも、空中で結集した闇粒子の輪郭はさらに鮮明になり、気がつけばその全貌をあらわにしていた。
まだ、黒いトーンを貼り付けたようなシルエットの状態ながらも、民族衣装のような服をまとった女性の姿がはっきりと宙に浮かび上がっている。
部屋全体が薄暗く変わっていくような錯覚。
照明石の光が、三メートルもあろうかという彼女の身体にどんどん吸い込まれていくようだ。
突然ブルーが、床を蹴って向かってきたかと思うと、俺を突き飛ばす。
さらに、転倒しそうになった俺の脇腹を咥えて後方に飛び
「ひゃうっ!!」と、慌てて宙に舞うリリス。
「痛たた……」
何すんだよっ!! と文句を言おうとした直後、俺の立っていた位置に黒い瘴気のような
同時に、大きく口を開いた〝伏姫〟の姿が視界に映る。
まさかあの瘴気……あいつが吐き出したのか?
「あぶないでありんす」
俺を床に降ろしてブルーが呟く。
「あ、ありがと……」
「ダークブレスだ! 散れっ!!」
兵団シーフの
い、いや……一人だけ、まだ祭壇の前で立ち尽くしている人影。
祭壇の周囲で、連続して爆ぜる瘴気の中に佇む白銀の聖女――
そうだ……相手の★がいくつだろうが、
その場にいる全員から送られる期待の視線の中心で、聖さんがゆっくりとその手に持った魔導杖を頭上に掲げる。
その先に集束する聖なる光の粒子が……って、あれ? 出ていない!?
よく見ると、杖を持つ手が小刻みに震えているのが分かる。
「う……撃てません……」
聖さんが、徐々に後退りを始める。
撃てない?……って、ターンアンデッドが撃てないってことか?
どういうことだ?
掲げた杖を下ろし、こちらを振り返る聖さんの顔にはっきりと浮かんでいたのは、紛れもない焦りの色。
赤みを増した淡紅色の瞳とは裏腹に、白い肌はさらに色を失い、蒼白に変わっている。
「と、とにかくぅ、こっちへ下がってください、聖さぁん!」
兵団
しかし、伏姫に背中を向ける聖さんをなぜか避けるようにダークブレスを撒き散らし続ける黒影。
まだ、カラクリ人形のように動きがぎこちない分、狙いも粗い。
しかしそれも、伏姫の姿がはっきりするに従って徐々に滑らかになり、比例してブレスの狙いも正確になってきているようだ。
「とにかく……すぐにここを離れなければなりません……」
半ば放心状態にも見える聖さんが
宙に泳がせた視線の先にあるものは……螺旋階段!?
あんなヤバそうな魔物を暴走させたまま、あの細い階段を上って逃げる、っていうのか!?
あんな場所でブレスで狙われたら、それこそ逃げ場はないぞ!?
「でも……それじゃあ
「残念ですが、彼のことは諦めてください」
悲痛な表情で問いかける
確かに、原因は分からないがターンアンデッドが撃てない今、自分たちですら無事に帰還できるかどうか怪しい状況だ。
諦めざるを得ない……と考えたとしても、客観的には無理もないかもしれない。
だが、しかし――
例えそうだとしても、にべもなく非情な判断を下す聖さんだろうか?
もしかすると、非常事態に際しては、最善手を即断即決できるようでなければ退魔兵団の団員など務まらないのかもしれない。
でも、それでも……どうしても、これまで見てきた聖さんと目の前で佇む彼女との間に、言いようのない違和感を感じる。
そしてそう思ったのが俺だけでないことは、当惑気味に聖さんを見つめる全員の顔が物語っていた。
と、そのとき――
聖さんがニタリ、と、口元を歪める。
ゆっくりと上げたその顔に輝く赤い双眸。
そう、あれは
一体、彼女に何が起こってるんだ?
『ようやく……見つけたぞ……』
聖さんの開かれた、しかし、動きのない唇の隙間から発せられた不気味な声。
いや、声は間違いなく聖さんのものだ。
しかし、そこに
俺の右腕を、両手でギュッと掴むメアリー。
「なんですか、あのイメチェンは……。草生える……」
「いや、草は生えないが……」
聖さんの
聖さんの異変に、
いや、彼らだけじゃない。
我が〝愉快な仲間チーム〟の面々もそれぞれに武器を構え、白銀の聖女の変容に対峙する形となる。
「聖さん! 一体、どうしたんです!?」
語りかけたシーフの貝塚へ、聖さんがわずかに首を回して微笑みかける。
『貝塚……とか言ったな? 聖の意識はいま、精神の闇の底深くに沈めてある』
「お、お前はなんなんだ?」
『私の名は、闇の精霊タナトス。
「はぐれ……精霊?」そう呟いたのは寿々音さんだ。
はぐれ精霊? なんだそれ?
眉を顰めて振り向くと、ちょうど目が合った
「使役者の死亡とか、精霊魔法の反動とか……とにかく、なんらかの理由で精霊界に戻れなくなった精霊のことだよ。大抵の場合はそのまま現界で消滅する」
「ってことは、消滅しないやつも?」
「上手く
「憑かれると、なにかあるのか?」
「精霊憑きでもせいぜい、目や耳がよくなる、みたいに五感が鋭くなる程度だと言われてるけど、もし聖さんの
あいつは相当、高次の精霊ってことになる……と、タナトスと名乗った聖さんを顎で指す紅来。
『そう……本来であれば私も、かつての私の使役者が戦死したときに、この世から消える運命であったのだ……』
◇
ガタン! と、突然室内に鳴り響く破壊音。
「きゃあっ!!」
すっかり夜の
ベッドの上で、男にまたがっていた女が部屋の入口に目を向け、ドアを蹴破って仁王立ちに佇む男の姿に目を見開く。
「あ……あなた……?」
女の言葉に呼応するかのように、廊下の男がゆっくりと室内へ歩を進めながら、ギリリと奥歯を噛み締めた。
「
「や、やっぱりって……ちが……これは……」
そこまで言って、ベッドの上の女性――
侵入者の男――白浦峰
刃渡り四十センチ。
戦闘職以外の一般人でも購入が認められているギリギリのサイズ。
「お、俺は……違うんだ! あんたのかみさんに誘われて……」
ベッドでお仰向けに寝ていた
しかし、男の言葉に、征二の顔がさらに険しさを増した。
「ひ、ひいっ!!」
ツカツカと歩みを速め、一気に近づく征二から身を守るように、両手を頭の上でクロスさせる間男。
「あ、あなたっ! やめ……」
征二を制止しようとした静が、しかし次の瞬間、顔中に飛び散った生暖かい感触に言葉を飲み込む。
そっと、顔を撫でた手のひらを見下ろしてみると……ランプに照らされた指先に纏わりついた、赤く粘り気のある液体――――血だ。
さらに、その下の膝に当たってゴロリと転がっているのは、持ち主を失った腕。
ゆっくりと顔を上げると、学生時代には剣士を専攻していた征二の一太刀が間男の顔面に深々と突き刺さり、頭蓋骨を両断していた。
「いやああああ―――――――っ!!」
静が上げたありったけの叫び声に、宿屋の従業員や他の客が慌てて集まってくる。
部屋の惨状に一瞬たじろいだ野次馬たちだったが、すぐに、呆然と立ちつくす征二に気づいて皆で取り押さえた。
例え不貞への復讐だとしても私刑が認められているわけではない。殺人は当然に重罪だ。
征二が連行されていったドアの外を、その姿が見えなくなったあとも、静はしばらくの間、呆然と眺め続けていた。
それから二ヶ月ほどののち、静は子供を身篭っていることに気が付いた。
主人――征二との営みが途絶えて既に一年以上が経っていたし、殺された間男との間に出来た子供で間違いない。
ちょうどそのころ、裁判所を通じて自警団から一通の通知も届いた。
夫、征二の刑期が五年に決まったとの知らせだ。
殺人としてはかなり軽い刑期だが、不貞の報復であったことが情状酌量の余地となったらしい。
有罪が確定したことで、離別申請も征二の同意なく受理されるだろう。
しかし同時に、ショートソードを手にしたあの夜の征二の様相を思い出し、別の不安が静の脳裏を
五年後、あの男に、私とこの子まで命を狙われたりしないだろうか?
余命五年と宣告されたような恐怖が静の心を締め付けるようになった。
同時に、征二に対する激しい恨みの念も湧き上がる。
事件以来、不貞のせいで夫に殺人を犯させた女として、働いていた施療院でも周りから白い目で見られるようになっていた。
自分をこんな境遇に追い込んだ征二への恐怖と憎悪。
その二つの感情は日に日に大きく膨らみ、同時に、静の心を
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