11.恐怖と憎悪
自分をこんな境遇に追い込んだ
その二つの感情は日に日に大きく膨らみ、同時に、
そんな折、兵団所属の
魔物との戦闘で下半身を失っており、
この世界の普通の人間の魔臓活量は、一万どころか数千にすら満たない。
止血と痛み止めだけで延命はしていたが、意識はなく、ほどなく生命活動を終えるであろうことは誰の目にも明らかだった。
そんな、命の
家族が来るまで地下の霊安室に死体を移動させるのも、担当である静の役目だ。
さらには、気を失っていたために正式な使役解除、あるいは抹消処理できなかった使い魔たちを、ファミリアケースごと処分する必要もあった。
静は、男の死体を地下に運ぶと、荷物からケースを取り出し、そっと蓋を開けた。
◇
『ケースの呪縛が解かれた瞬間、精霊である私の身体は闇のエレメンタルへと戻り、意識とともに霧消するはずだった……』
本来であればな……と呟き、タナトスと名乗った声の主が再び言葉を繋ぐ。
『しかし、目の前に現れた女の心は、目の前で恋人を殺された恐怖と、殺した相手への憎悪の念でドロドロと膨張していた……』
事件の原因を考えれば、逆恨みと言われても仕方のない感情だ。
しかし、理屈とは別に、恋人が惨殺された記憶――それが精神に与えるダメージは相当に深刻だったであろうことは想像に難くない。
もしかすると、その時からすでに、静という女性の心は壊れかけていたのかもしれない。
『その女の一番深いところにポッカリと空いた精神の奈落を私は感じとり、私は思った――この女の中でなら存在を保てるかもしれない、と』
「感情の振れ幅の大きい人が、稀に高位の精霊憑きとなることがあるとは聞いたことがあるが……」
貝塚の言葉に寿々音さんも頷きながら、緊迫感のない声で応える。
「それでもせいぜい、人の精神が耐えられるのは★3程度のはずだよぉ。死霊浄化できるほどの高位精霊が憑くなんて話、聞いたことないなぁ……」
聖さん……いや、その体に宿ったタナトスと名乗る精霊が、今度ははっきりと、邪悪な笑みを浮かべながらベールを脱ぎ捨てる。
白銀の聖女を象徴した白く長い毛髪が、舞い飛ぶ闇粒子の中でふわりと広がる。
ただし今は、俺たちの前に立ちふさがる恐怖の触手として……。
『そう……あの静という女だけであれば、いかに心の闇が深かろうと、私の存在を維持することは不可能だっただろう……』
「だけで、って……他にもいたって――」
言うのか?……と言いかけて、貝塚がハッと言葉を飲み込む。
『この世に存在を許されたその日に父親を殺され、以来、常にあの女の恐怖と憎悪にさらされ、心の闇を
「聖さんか!?」
『そう。……あの静という女の中に入ってようやく分かった。私の
もはやこれも必要ないな……と、タナトスが、持っていた魔導杖をやすやすとへし折り、床へ投げ捨てる。
カランカラン、と、絶望の音色を奏でる乾いた音。
『静の中に入り込んだあと、徐々にこの女――聖の精神も私の器として改変し、完全に私の存在を移し終わったあと、私は眠りについたのだ……』
「もしかして、
『さあな。人の身体のことは私にもよくは分からない。私も、なんとか存在を維持できる器に出会ったとはいえ、意識を保てるほどではなかったからな』
タナトスが眠っている間に聖さんはこの世に生を受け、そのあとは国からの生活支援を受けつつ、母と二人、貧困の中で細々と暮らしていたらしい。
「でもぉ……」
寿々音さんが、なにか思案するように小首を傾げる。
「確か聖さん、ずっと前から精霊を見たりぃ、物心ついてからは
『それは、魂の底にくすぶっていた私の
「じゃあ……ここで目覚めたのはぁ、伏姫の亡霊のせい?」
『私が目覚めたのは、もっと以前だ……』
タナトスが、親指で自らの――聖さんの胸元を指差す。
『この女の中に、ある事件をきっかけに、一つの感情が芽生えた』
「ある事件?」
『
「それって確か……聖さんが兵団に引き抜かれるきっかけとなった事件じゃ……」
『そのとき、この女の中に生まれた感情――〝ノブレス・オブリージュへの渇望〟が私を眠りから呼び覚ましたのだ』
ノブレス・オブリージュ……聞いたことがある。
もちろん、アーマード・〇アに出てくる破壊天使のことじゃない。
ただ、アニメがきっかけで少し意味を調べたことがある。
正しくは〝ノブレッソブリージュ〟に近い発音で、直訳は〝高貴な者に伴う義務〟……つまり、社会的地位を保持するには社会的責任も伴う、というような意味だ。
『ずっと自分は不幸なのだと思い込んでいたこの女にとって、他人を救済したその出来事は、初めて自分が幸福な側の人間なのだと自覚できた瞬間――』
「でも、それじゃあ……」
俺と同じ違和感を、先生も感じているのだろうか。
〝自分は幸福である、なぜなら他者を救済できるような立場の人間なのだから……〟
それじゃあまるで――
「原因と結果が逆転してるじゃないか……」
そんな俺の疑問に答えたのは、突如、祭壇部屋に響いた男の声だった。
「
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