08.【立夏】七月十三日・お見舞い(後編)
――帰り道。
私が前で、紬くんが後ろ。心地よい、黄昏時の寡黙。
私の足音に合わせるように、紬くんの足音もピタリと重なる。
試しに少しだけ歩調を速めてみると、紬くんの足音も速まる。今度はゆっくり歩いてみると、紬くんの足音もゆっくりに変わった。
ふふ……なんだか可愛い。
紬くんと二人の時はいつもこんな感じ。
最初は、気を使っていろいろ話しかけてくれたけど、最近は二人になるとほとんど話しかけてくれなくなった。
私の度重なる塩対応に(好きでそうしてるわけではないのだけど)、さすがに愛想を尽かされたのかな? と心配になったけど、どうやらそうでもないみたい。
私の扱い方を悟ったようで、黙って過ごす方が居心地良いことが分かったらしい。
一応、空気はそこそこ読めるみたいね。
でも……今日は話しておきたいことがあるの。
意を決して立ち止まり、思い切って振り向くと、少し驚いたように見開かれた紬くんの瞳を見つめ返す。
黒く澄んだ、元気な頃の兄さんにそっくりの目元。
紬くんもどうしていいか分からないのか、立ち止まって私を見返している。
私から話しかければよいのだろうけど、出かかった言葉が、しかし、何かに堰き止められるように、喉の辺りでもやもやと滞っている。
自分から話しかけることがこんなにも苦しいなんて、しばらく忘れていた。
おねがい紬くん。あなたから話しかけて。
たっぷり……十秒くらいは見つめ合ったかもしれない。
耐え切れなくなって最初に口を開いたのは……やっぱり紬くん。
「な……なに?」
その問い掛けが合図だったかのように、ようやく私の口からも言葉が零れた。
「……覚えているから……テイムキャンプのこと。全部」
それだけ言うと、私は再び前を向いて歩き出す。
ここ何年も感じていなかったような、妙な充実感が身体中に
よしっ、言い切った。えらい、私!
「あれは……緊急事態だったから」
なんか、後ろで紬くんが言い訳を始めてる。
「やっぱ……ショックだよな?」
べつに、ショックなんて受けてないけれど。
「ああ言うのって、完全に意識ない時は危険みたいだけど……ぼんやりとだけど意識が戻ってたみたいだから、立夏……」
「うん……」
何を必死に弁解しているんだろう。
もしかして、私が怒ってるとでも思っているのかな。
私、さっき、そんなに怖い顔してた?
「えーっと……初めてだったのか経験済みなのかは分からないけど……」
「初めて」
そう言えば……紬くんはどうなんだろう? キスの経験はあるのかな。
去年の今頃、誰かと付き合っていた、と言う噂は聞いたことがある気がするけど。
「あんなのただの施療行為だし、初めてにカウントすることないからな?」
「…………」
なるほど、そう言うことか……。
紬くんは、
私にキスだと勘違いされるのは、紬くんには重荷ってことか。
でも……私は……私はどう思ってるんろう?
そっと口元に手を当てて、あの時の紬くん唇の感覚を思い出す。
これまで紬くんのことは兄さんの代わりにのように思っていた。
紬くんに兄さんの面影を重ねることで、兄さんがいなくなってできた心の穴を、少しでも小さくしようとしているのだと。
そして、だからこそ恋愛対象なんかじゃないとも思っていた。
でも――。
茜色の空に照らされた幻想的な雑木林が、いつもより私の心を素直に照らし出しているような気がする。
あの、トゥクヴァルスでの
そう思っている自分に気がついて、心の底から驚く。
駅に着くと、もう一度紬くんを顧みてその瞳を真っ直ぐ見つめる。
やはり、さっきと同じように、少し戸惑ったように落ち着きを失う紬くん。
私は、ゆっくりと息を吸い込み――吐き出しながら、紡ぐ。
今の私が伝えたい、ありったけの言葉を。
「あなたが、ノーカウントにしようが忘れようが、どうでもいい」
「うん」
この
いや、鈍ちんは紬くんだけじゃない。多分、私も一緒だった……。
「でも、私の初めては、あれだから」
必死で……言葉を搾り出す。
私の口元を見ながら、呆気に取られたように目を
一体、私の言葉をどんな風に受け取っているんだろう?
ううん、別にどうでもいい。
今は多分、あなたの気持ちは関係なく、とにかく私の気持ちを伝えるべきときなんだ。なぜかは分からないけど、そんな気がする。
ただ、今の私の、正直な気持ちを伝えたい。
あの時のこと、絶対に忘れてほしくない。
一生、あなたの頭に焼き付けておいてほしい。
今は――
「それだけ。じゃあ、またね」
もしかすると私は――
あなたに兄さんの面影を重ねていただけではなく、一人の男性として意識していたのかも知れない。
そして、理由は解らないけど――。
本当に、全く根拠はないのだけど――。
あなたがいつか、兄さんの魂を
駅の階段を小走りで駆け上がりながら、大切なことを思いだす。
「明日、何時に可憐の家にいくのか、訊くの忘れた……」
戻って訊く? それとも、ここで紬くんが上がってくるのを待つ?
一瞬迷ったけど、結局そのまま駆け上がる。
多分今は、あなたの顔をまともに見られそうにないから。
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