04.水無月花椒

水無月花椒みなづきかぐわ……さん」

「ん? 立夏りっかの知り合い?」


 無言の立夏に代わり、水無月と呼ばれた修道女が口を開く。


「患者さん、立夏さんのご友人の方だったんですね」


 僅かに間をおいて立夏も訊ね返す。


「水無月さん……この施療院に移ったの?」

「ああ、いえ、普段はティーバの施療院なんですけど、今、被災地の応援でどこも人手不足なので、私もあちこち応援に……」

「そう……」


 そう言うと立夏は、先程までオートミールが入っていた、今は空になった皿を持って腰を上げた。


「これ、給仕室に戻してくる」


 立夏が病室から出て行くと、俺としずくは思わず目を見合わせる。

 元の世界の話だが、以前、世界史担当の斉藤先生が病欠の時、代わりに教壇に立った教頭先生のカツラがズレていたことがあった。

 クラス全員が、それに気付いた時と同じような空気感になんとなく似ている。


 そんな微妙な沈黙が流れる中――


立夏りっちゃんと知り合いなんですか?」と、口を開いたのはメアリーだ。

「え? ああ、立夏さん? うん……ちょっとだけね」


 微笑んではいるが、言葉を濁すような水無月さんの返答。

 

「そのわりには、あまり仲が良さそうじゃなかったですね。寧ろ、気まずい空気が流れていたようですが、何かあったんですか?」


 ド直球!

 さすが、リリスに負けず劣らずKY空気を読まないスキルが半端ない。

 メアリーこいつに、ズレたカツラは絶対に見せちゃいけない。


「う……ううん、そんなことないよ! 知り合いって言っても、ご実家の仕事関係でお邪魔した時に、少し会ったことがある程度だから」


 微笑を崩さずにそう言って、ベッドの横の椅子に腰掛ける。

 先程まで華瑠亜かるあが使っていた椅子だ。

 改めて名札を見ると、【一級プリーステス 水無月花椒】とある。


 立夏はたしか、カグワさん、と呼んでいたな。〝椒〟一文字でも〝かぐわしい〟と読めるはずだが、わざわざ〝花〟を付けると言うのは……。

 花椒ホァジョーという香辛料があったと思うが、そこから取った名前だろうか?


「あなたが、綾瀬紬あやせつむぎさん? 紬くん・・か!」

「はい」

「名前を聞いててっきり女の子かと思ったけど、なかなかのイケメンね」


 包帯が巻かれた俺の右腕を見ながら、冗談っぽく微笑む水無月さん。

 最初はやや固くなっていた彼女も、KYメアリーの不躾さに、逆に肩の力が抜けたのだろか? 口調が軽やかになったようだ。


「イケメンなんて……言われたこと、一度もないですよ」

「そう? まあ、私の趣味も変わってるからねぇ」


 微妙に失礼な人だ。


 藍色が混ざったような濃紺のロングストレートヘアに長い睫毛、同じ色の瞳。

 少しやつれているせいか最初は三〇代かと思ったが、近くで張りのある唇やキメの細かい肌を見て、二〇代後半か……或いはもっと若いかも知れないと思い直す。

 どこか幸の薄そうな影は気になるが、色白でとても綺麗な顔立ちの女性だ。


「看病で付き添いなんて……立夏さんとは特別な関係?」

「ただのクラスメイトですよ、立夏とは」

「そうなんだ。なんとなく雰囲気が立夏さんの……ああ、ううん、なんでもないわ」


 そう言ってまた、クスリと笑う。

 大人っぽい雰囲気とは対照的に、幼げな笑顔がとても可愛らしい。


「その格好で、あまりパパをおだてない方がいいですよ」


 となりのベッドに腰掛けたメアリーが口を開く。


「パパ?」と、不思議そうに聞き返す水無月さんに構わず、メアリーが続ける。

「どうやらそこの変態さん、修道女のコスプレには目がないようなので、気をつけて下さい」


 懐かしいな……変態さん復活かよ。

 メアリーの隣に座った雫も、思い出したように相槌を打つ。


「ああ~……さっきの、何だっけ、真樹更紗まきさらささん?」


 雫が口にした名前に、少し驚いたように目を大きくする水無月さん。


「更紗さんのこと、知っているんですか?」

「あ、いえ、私じゃなくて兄がですが……」


 向き直る水無月さんに、俺も問い直してみる。


「知ってるというほどじゃないですが……。水無月さんも?」

「普段は私もティーバ内の施療院が担当なので、あの地域の職員は大体顔見知りなんだけど……更紗さんとは、非番の時に時々食事に出かけたりもするのよ」

「そうなんですか。俺は今日の昼間、ちょっと頭を打って治療してもらっただけですけど……世の中狭いですね」

「昼間は頭で、夜は右腕? 綾瀬くんは傭兵部隊にでも入っているのかな?」


 俺の右腕の包帯を解きながら、水無月さんが突っ込む。

 大人しそうな見た目に拠らず、喋ってみるとなかなか面白い女性のようだ。


 包帯が解けると、軟膏なんこうでテラテラと光る患部があらわになる。

 薬のお陰で痛みはないが、赤黒く焼け爛れ、プチプチと気泡が広がる前腕は見るだけで痛々しい。


 雫もメアリーも、そして俺でさえ顔をしかめる中、水無月さんは俺の右手を握りながら、慣れた様子で治療小杖キュアステッキを揺らして呪文の詠唱を開始する。

 詠唱は一分ほどで終了したが、薄黄色に輝くステッキを俺の右腕の上に添えたまま、左右にゆっくりと動かし続ける水無月さん。


「このまま、一〇分ほど再生魔法リジェネレーションを施すわね」

「は……はい」


 それは構わないのだが、このままずっと手を握られたまま?

 ちょっと照れ臭いな……。


「そう言えば、修道女のコスプレがどうとかって言ってたけど、綾瀬君、こういう服、好きなの?」

「え~っと……面倒臭いのでそう言う話は蒸し返さないでくれませんか?」


 そう頼んだものの、時すでに遅し。


「さっきも、会話中にいきなり『さらさ』とか『セクシー』とか、わけの解らないことをブツブツと呟いていたのですよ」


 メアリーが、水無月さんの言葉を呼び水に告げ口を開始する。


「それ、コスプレ云々うんぬんって以前に、ちょっと危なくない? 頭も診てあげようか?」

「えーっと、そこの金髪は俺の使い魔なんですけど、まだいろいろとアレな部分も多いので、はなし一〇〇分の一位で聞いておいてください」

「ほぼ嘘じゃん!」


 うん……突っ込みが早い。


「まあでも……可愛いもんねぇ、更紗さん。歳は私とほとんど変わらないはずなのに、全く歳を取らないのよ。どう見てもまだ十代!」

「水無月さんはおいくつなんですか?」

「女性に歳を訊くなんて失礼よ? 五年前からずっと二十歳はたち!」


 二十五歳か。


「でも更紗さん、残念ながら結婚してるし……諦めた方がいいわね」

「別に狙ってませんから」


 そうこうしているうちにも、右腕の火傷の跡はみるみる薄くなり、代わりに元の肌が右前腕を覆ってゆく。

 まるで、ローストチキンの調理映像を逆再生しているようだ。

 凡そ一〇分が経過する頃には、右腕は火傷前とほとんど見分けが付かないくらいにまで元の姿を取り戻していた。


「よし。表面の魔傷はほとんど取り除けたみたいね」


 ステッキを腕から遠ざけながら水無月さんが満足そうに頷く。


「表面の?」

「ええ……。まだ皮膚の下の組織は完全に復元できていないけど、私や綾瀬君の魔力の許容量だって限界があるしね」

「俺の魔力も関係あるんですか?」

「術の発動は私の魔力を使うけど、細胞の再生は、残存細胞から元の状態を演繹的に類推して無から有を作る作業なので……その部分は患者の魔力に依存するのよ」

「はあ……」

「見たところあなたの魔力はまだまだ余裕がありそうだけど、私は施療院ここの当直だし、今、綾瀬君の治療だけで魔力をカラにするわけにはいかないから」


 ごめんね、と言いながらステッキを懐にしまう水無月さん。


「痛み止めは朝まで効いてるはずなので、また明朝にでも、私か、私の魔力が残っていなければ別のプリーストが残りを治療するわ」

「明朝だと……十二時間越えちゃいますけど、大丈夫なんですか?」

「うん。魔法で魔傷の侵食は抑えてあるので大丈夫」


 右腕の火傷を治すだけでもそれだけ消耗するのか……と、ふとモンスターハント対抗戦の時のことを思い出す。

 あれだけの大怪我を一気に治しきれたのは、数名の術者がいたということもあるだろうが、俺のMPが桁違いに多かったお陰もあるのだろう。


 せっかくの異世界転移でチート設定もないのかと悲観していたが、このMP量だけは、いろいろな意味で充分にチートと言えるかも知れない。

 魔法があるから怪我くらい大丈夫……なんて少し甘く考えていたが、この世界こっちはこっちで、それなりの制約があるのがだんだんと分かってきた。


「それにしても……立夏りっちゃん、遅くないですか?」


 誰もが気付いてはいたが、あえて口にしなかったことをメアリーが尋ねる。

 一瞬、水無月さんの表情も曇る。


「さっき隣の部屋から音がしたし、荷物の整理でもしてるんじゃないか?」


 音が聞えたのは本当だが、それが立夏が泊まる部屋からかどうかは解らない。

 そもそも、整理しなければならないほどの荷物もないはずだが……。


「では、私はそろそろ、この辺で……」


 また、微妙な空気になるのをけるように水無月さんが腰を上げる。


「ありがとうございました」

「いえ、仕事なので」


 ニッコリ笑って一礼すると、水無月さんは静かに病室を後にした。


               ◇


 コンコン……と、ドアをノックする音に、立夏が入り口の方を顧みる。

 そこには、廊下に立ったまま、開きっ放しにしていたドアに右手を添えている水無月花椒の姿があった。


「ごめんなさい……。開いていたので覗いてみたら、立夏あなたの姿が見えたので」

「別に、構わない。……終わったの?」

「はい。跡が残るといけないのでとりあえず表面だけですが。残りはまた、明日の朝にでも治療させて頂きます」

「そう、お疲れさま」


 そう言うと立夏は、水無月から視線を外して再びベッドメイキングを続ける。

 華瑠亜が泊まることになったので、給仕室へ行ったついでに新しいシーツと寝具を借りてきたのだ。


「少しだけ……いいですか?」


 水無月の声に、立夏が再び顔を上げ、無言で入り口のほうに向き直る。

 喜怒哀楽のない、無表情の雛形のような立夏の視線に、水無月が僅かにいつするように口ごもる。


「えっと……あの……英春えいしゅん隊長……お兄さんのことですが……」

「その話はもう何度も聞いた。別に私は、あなたを怒っていない」


 水無月の言葉に被せるように立夏が答える。


「はい、それはもう、何度もお聞きして……解っています。あの……謝罪ではなくて……お兄さんの……英春さんのお見舞いを許して頂けませんか?」

「…………」

「いえ、お見舞いだけじゃありません! もし許して貰えるなら、意識が戻るまでずっと介護のお手伝いだって……」

「無理」


 立夏の、完結で突き放すような返答。


水無月さんあなたが兄の意識を取り戻してくれるの?」

「い、いえ……それは……」

「兄の身辺については、実家が管理しているので私の一存ではどうにもならない」

「そこを……もし差し支えなければ、立夏さんに口添えを――」

「私も……」


 再び、水無月の言葉を遮る立夏。


「私も、水無月さんあなたはもう、兄に関わるべきではないと思う」

「立夏さん……」

「早くさわさんと結婚して、ご自身の人生を歩まれるべき――」

「澤とは……」


 今度は、水無月が立夏の言葉を遮るように言を継ぐ。


澤健太郎けんたろうとは、婚約は解消しました」

「……え?」

「ああいうことがあったから、という訳でもないですが……あの件で退魔兵団を退団した私では、あの家に嫁ぐことは……」

「そんなこと……」

「いえ、いいんです」


 否定しようとした立夏を、再び水無月が遮るように話を続ける。


「私の問題でもあるんです。あの件依頼、私自身も健太郎と一生添い遂げられる自信がなくなったと言うか……有体に言えば、冷めたんでしょうね、気持ちが」


 決して嫌いになったわけではないんですが……と言って寂しそうに微笑む水無月を、立夏も複雑な感情の篭った瞳で眺める。

 暫し、二人の間に横たわる沈黙。

 やがて、立夏が先に口を開く。


「とにかく、私も今は忙しいので、今日はお引取りを」

「ああ、うん……ごめんなさい。今日は綾瀬君の付き添いのためですもんね」


 それには答えず、再びベッドメイキングの続きを開始する立夏。


「彼……綾瀬紬くん……英春さんにちょっと似てません? 顔立ちもそうですけど……なんと言うか、雰囲気のようなものが」


 手を止めて立夏が水無月を顧みる。


「……お疲れさま」

「ご、ごめんなさい! 余計なことを……。近いうちまた、立夏さんのお宅にもお伺いしますね!」


 そう言うと、一礼して水無月が部屋を出て行った。

 彼女を見送ったあと、立夏またシーツに手を伸ばすが……今度はすぐに手を止め、入り口の方に向き直って声をかける。


「そこにいるんでしょ? 紬くん」

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