05.隣室
右腕の治療を終えたあと、トイレへ行こうと廊下へ出たところで隣室からの話し声に気が付いた。
この声は
二人は顔見知りのようだし、偶然会ったついでに世間話を交わすくらいのことはしてもおかしくはない。
なんだったら水無月さんに、もう一度治療のお礼でも言っておこうか……というくらいのつもりで隣室の前を通りかかったその時――
「
水無月さんの声が聞えて、思わず廊下側に開いていたドアの陰に身を隠す。
お兄さん?
例の……意識が戻っていないという立夏のお兄さんのことだろうか?
ただの挨拶や世間話かと思いきや、意外と立ち入った内容のようだ。
立夏のお兄さんが昏睡状態となった事件に、この
二人の会話からだけでは詳細は解らないが、どうやら水無月さんが立夏のお兄さんのお見舞いに訪問したがっているのを、雪平家が断っている、という構図らしい。
五分ほど話したあと、水無月さんが部屋から立ち去るのが解った。
俺も、このままそぉっと戻るか……。
って、いやいや! うっかり忘れてたけど、尿意も限界だ!
トイレへ行くには部屋の前を通らなきゃないし……たった今来た
ただ、通り過ぎるとしても、黙って通り過ぎた方がいいのか……それとも『よっ! ここにいたんだ?』とか、白々しく声を掛けた方が自然だろうか。
俺、そういう演技が下手クソなうえに、相手はエスパー立夏だからなぁ。
そんなことを考えていると――
「そこにいるんでしょ? 紬くん」
「ひゃいっ!」
室内からの立夏の呼びかけに、思わず上擦った返事をする……と同時に、考えていたことが尿意とともに吹っ飛んでしまう。
ゆっくりと、ドアの裏から出て室内を覗き込む。
視線の先には、待ち構えるように真っ直ぐこちらを見ている立夏。
「よ……よう!」
「…………」
「えーっと、その……トイレに行こうと思ったら、たまたま声が……」
「…………」
俺の言い訳に対し、無言・無表情の立夏。
「まあ、何も聞いてない! ……と言えば嘘になるけど、その……立ち入った内容だったみたいだし、ほとんど意味は理解できてないって言うか……」
「……いつから?」
「え? ……ああ、んーっと、ちょっとだけだよ。五分くらい」
「そう。……ほぼ全部ね」
「そ、そっか……」
「…………」
気まずい。今から考えればなんで隠れてしまったんだろう?
〝お兄さん〟という単語に思わず反応してしまったが、立夏との関わりの中で彼女の兄の存在が、俺の中でも僅かなしこりとなっていたのかもしれない。
「じ、じゃあ、俺、トイレに――」
「水無月さんは……」
俺が部屋を出ようとするのとほぼ同時に話し始める立夏。
仕方なく立夏の方へ向き直る。
「水無月さん? ……が、何?」
「兄の幼馴染で、退魔兵団では兄と同じ部隊に配属されていた」
「う、うん……」
まあ、会話の内容からなんとなくそれは解ったが……。
「一年前の魔力変換塔の攻防戦で、兄は彼女を
「そう、だったんだ……」
そういう事情のせいだろうか。会話の雰囲気から、立夏や、少なくとも立夏の家族は水無月さんに対して良い印象は抱いてないような雰囲気は伝わってきた。
しかし、作戦中、必要に応じて仲間を庇うというのは通常の行動だろう。
特に、水無月さんはおそらく
それでも水無月さんに
理屈と感情は別……ということかも知れないが、俺が知らない事実が他にもあるのかもしれない。
「ちょっとぉ!
背中越し、突然かけられた声に思わず肩がビクっと震える。
「よう! おかえり……」
「おかえりじゃないわよ! 何してるのよ二人っきりで!?」
入り口の方を顧みると、食事から帰ってきた華瑠亜が立っていた。
さらに、華瑠亜の肩の上に座っているのは口の端に生クリームを付けたリリス。
その後ろからは勇哉もこちらを覗き込んでいる。
「いや……ちょっと話を……」
「それは見れば解るわよ。なんでわざわざ、病室から出てこんなところで話してるのか、ってこと!」
「うんうん。なんか怪しいのよね、紬くんと立夏ちゃん!」
華瑠亜の肩の上で、リリスも調子に乗っている。
おまえはまず、口の周りのクリームを拭け!
「それは、えっと、通りかかったら立夏がいて……と言うか、この部屋はそもそも……」
しどろもどろの俺に代わって立夏が説明する。
「ここは、私がとった部屋。
「そ、そう……。それは……ありがとう」
そう言いながらも、怪訝そうな表情を崩さずに部屋の中へ入る華瑠亜。
「じゃあ、俺はちょっとトイレに……」
「ちょっと待ってよ」
部屋を出ようとする俺を、華瑠亜が呼び止める。
「な、なに?」
「ここが私たちの止まる部屋だとしても、紬がいる理由にはなってないわよね?」
自らベッドメイキングの続きをしながら華瑠亜が話を続ける……が、シーツの敷き方が、控えめに言って非常に汚らしい。
華瑠亜の雑な手つきを見かねて「私がやる」と、立夏が交代する。
「あ、ありがと……。って言うか、
「
「訊かざるを得ないくらい
「いや、って言うか、
「どうなの、立夏!?」
俺の言葉に被せるように、立夏へ質問を振る華瑠亜。
「ないと言えば、ない」
またそれか……。こいつらの返事、言い回しがおかしいんだよ!
当然のごとく華瑠亜の懐疑的な眼差しが、探るように俺を凝視する。
「そのわりには
いや、だから、いい加減――
「そろそろトイレに行かせてもらえないかなあっ!?」
臨界点が迫り、さすがの俺も語気を荒立つ。
◇
トイレから戻ると、立夏、華瑠亜、勇哉、リリスはまだ隣室にいるようだった。
放っておいて自分の病室に戻ろうとすると――
「ちょっと! 紬! どこ行くのよっ!?」
部屋の中から、
「どこって……病室に戻ろうかと……」
「なんでわざわざそっちに行くのよ」
「わざわざっつーか……そっちが俺の病室なんだから、普通だろっ!」
とりあえず、一旦引き返して華瑠亜たちがいる隣室へ入る。
華瑠亜のベッドを挟むように、椅子に腰掛けた立夏と勇哉。
ベッドの上では華瑠亜が胡坐をかき、その肩にはリリスが乗っている。
目の前に置いたリュックを、「あれ~……ほんと無いなぁ……。忘れてきたかなぁ?」などと言いながらガサゴソと漁る華瑠亜。
何か解らないけど、まだ探してたのかよそれ。
「さっきの、耳よりな話がどうとか、ってやつ?」
「うん、そうなんだけど……」
とその時、「あっ!」と、華瑠亜が何かを思い出したよに声を上げる。
「そうだそうだ! 忘れてた! 皺にならないようにノートに挟んでおいたんだ!」
そう言いながらグシャっと二つ折りになったノートを取り出し、その間から、同じく皺だらけになった一枚のチラシを取り出す。
ノートと言っても、元の世界の〝コ〇ヨ〟や〝ツ〇メノート〟が作ったようなしっかりした文具ではない。
この世界では発明されたばかりの、まだまだ質の悪いパルプ紙を紐で閉じただけの代物だ。当然、雑に扱えば――
「グチャグチャじゃねぇか、ノートもろとも」……という結果になる。
「うっさい!」
突っ込んだ勇哉の方をキッと睨らみながら、チラシの皺を伸ばしてベッドの真ん中に広げる。
室内には、四隅に合計四つのランプが
【トミューザム・ダンジョン フェスティバル ~一八三九~】
顔を近づけて、なんとか見出しだけは読み取ることが出来た。
なにこれ? ……と訊こうとして慌てて口を
フェスティバル、ってことは何かの〝祭〟で間違いないだろう。
全員が当然に知ってるようなメジャー行事である可能性もあるわけで、迂闊な質問はできない。
「なにこれ?」
華瑠亜の肩からリリスが、俺の代わりに質問する。
もちろん、使役者である俺の意を汲んだわけではないだろう。決して。
「ここから南東に行った所に〝トミューザム〟っていうダンジョンがあるんだけど、その周りで毎年、
「え! お祭り? 行きたいっ!」と、リリス。
神様を祀るんだぞ? 大丈夫か、悪魔!?
目を輝かせるリリスとは対照的に、 小首を傾けてチラシを覗き込む立夏。
「一八三九年……これ、去年の」
立夏の指摘を聞きながら俺ももう一度チラシを覗き込む。
あの数字……さすがに開催回数ではないと思ったが、年号だったのか。これが去年と言うことは、今さらだが今年は
それにしても、元の世界の二〇XX年とは結構ずれてるな。
約一八〇年くらいか……。
単に、基になったL・C・Oの設定の問題?
それともこの誤差に何か意味があるんだろうか?
「で……この祭りが何で、ブルーに耳寄りな話なの?」
「うん。
「え? ああ、えーっと……何だっけ?」
はあ~? と、目を見開く華瑠亜。
「去年も一緒に参加を申し込んだじゃない。抽選は外れたけど……忘れたの!?」
「……トミューザムダンジョン探索」
隣から助け舟を出してくれたのは立夏だ。
もう、やばい! 発言は慎重にしよう!
「でも、今年はトミューザムの
「うん。だから、去年のチラシを持ってきたんだけど……」
さすが華瑠亜。ゴミを取っておくのは得意だな。
「観窟士?」と、リリスが首を傾げる。
「簡単に言うと、
「マナ濃度、出現モンスターを始め、様々な要件を調べてランクを決める」
華瑠亜に続いて立夏も捕捉する。
オアラ洞穴の〝ランクF〟なんかも、そう言う観窟士が決めていたのか。
トミューザムダンジョンのランクは流動性が激しく、時期や季節によって出現モンスターの傾向がかなり変わるのだと、続けて立夏が説明してくれる。
「ところがね、二日前に再度観窟したらランクEに判定されたらしくてね。急遽、今年も開催されることになったらしいのよ」
「やけに急だなおい」と、勇哉が眉を
「だからこそチャンスなの!」
勇哉の呟きに、待ってました! と言わんばかりに華瑠亜が説明を続ける。
「急な開催決定だから、参加パーティーも殆ど集まってないらしいのよ。そもそも、今年も開催されるって情報すら、まだあまり知られてないみたい」
「つまり、抽選に当たり易いってこと?」
「うん……と言うか、抽選をするほど応募があるとも思えないし、開催までの期間も短いので、今年は申し込み順に早い者勝ちらしいのよ」
「へ~……。じゃあ、今から申し込めば、今年はまだ間に合うんだ?」
勇哉の質問に、華瑠亜が胸を反らしながら得意満面の笑みを見せる。
「って言うか、今日の午前中にもう、実行委員に申し込んできた!」
「はあ!?」
勇哉のみならず、俺と立夏も「えっ!?」という眼差しで華瑠亜を見る。
「参加オッケーだって!」
「参加条件、五人パーティーだろ? 誰が参加するんだよ?」
さすがの勇哉も、華瑠亜のマイペース計画にやや当惑気味だ。
「そんなの……とりあえずここにいるメンバーでいいんじゃない?」
「まず
万年暇人の
「残り一人は、ダンジョン攻略だし
「開催は……いつ?」と、立夏が訊ねる。
「今年は、八月二四日から三日間ね。ダンジョン攻略は二日目と最終日」
「私は……その日は予定がある」
立夏は無理なのか……。正直、残念だ。
こちらにきて何度か危険な目にも会い、常に冷静沈着でいられるメンバーの頼もしさというのを肌身に感じる。D班なら、
ルサリィズ・アパートメントは辞めてきたけど、他にもアルバイトしてるのかな。或いは……実家の用事とか?
何気なく横を見ると、隣に座っている立夏と目が合う。
「八月二十六日は……予定があるの」と、俺をジッと見ながら、再び立夏が呟く。
「う……うん」
なぜ二回言う!? 大事なことだから?
「そっかぁ。うーん……じゃあ、あと一人、誰にしよっか……」
「初美ちゃんがいいんじゃない? 同じ
そう言えばあったな、そんな謎組織が……。
リリスの提案に華瑠亜も頷く。
「そうね。彼女なら暇そうだし……まあ、だめならだめで、
「そんな適当でいいのかよ?」と、さすがにここは俺も突っ込む。
「
……という感じのデータを信じて、俺はトゥクヴァルスでもオアラでもえらい目に遭ってるんですけど、それは?
「で、そのダンジョン探索が、なんでブルーに耳寄りなんだよ?」
はぁ~、と溜息を
「ほんと鈍いわね、
ユニークアイテム? なんだそれ?
オアラガーネットみたいな特産品のことか?
慌ててチラシを見てみるが、インクが薄くなっていて詳細が解らない。
「
隣で、立夏が静かに呟く。
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