06.八房の仙珠

八房やつふさ仙珠せんじゅ……」


 隣で、立夏が静かに呟く。


「そう、それ!」


 立夏を指差しながら華瑠亜が深く首肯する。


「毎年なぜか、八月の終りになるとダンジョン最深部の祭壇に八つの宝珠を繋いだ数珠のようなアイテムが現れるのよ」


 ほう……なんだか、王道ファンタジーっぽい設定になってきたな。

 要は、それを取ってくるって話か?


「因みに、その水晶の宝珠に浮かび上がる八つの文字、知ってる人~!」


 手を挙げて訊ねる華瑠亜に、すかさず勇哉ゆうやが手を挙げて答える。


「巨・乳・天・国! 一・夫・多・妻!」


 華瑠亜に張り倒される勇哉。


「願望かっ!」


 続いてハイっ! と手を挙げるリリス。


「暴・飲・暴・食! 酒・池・肉・林!」


 華瑠亜が優しく、リリスの口の周りについていた生クリームを指で拭き取る。


「えーっとね、リリスちゃん。自分の願望を述べるコーナーじゃないのよ? って言うかまず、四字熟語から離れよっか?」


 最後に答えたのは立夏。


「……仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」


 ようやく華瑠亜も、腕組みをしながら満足そうに頷く。


「さすが立夏! それそれ! そんな感じ!」


 華瑠亜おまえも知らねぇんじゃねーか。


 ……と、待てよ?

 伏姫ふせひめ八房やつふさ、そして八つの文字……。

 なんか聞いた事があると思ったら、もしかしてこれって――


「里見八犬伝!?」


 俺の言葉に、しかし、「何のこっちゃ?」とでも言いたげに全員小首を傾げる。

 僅かな沈黙の後、最初に口を開いたのは華瑠亜だ。


「さとみ発見? 誰?」

「あ、ああー、いや、別に、何でもない……」


 八犬伝、ってことは、トミューザムは……恐らく富山とみさんか。

 元の世界の千葉県民ならその地名を聞いたことがある人も多かっただろう。

 しかし、華瑠亜の疑問を聞く限り、この世界線には八犬伝という物語は、少なくともそのタイトルでは存在していないらしい。

 作者の曲亭馬琴きょくていばきんが実在したかどうかだって疑わしい。


 またもや、由来を置き去りにして事象だけがコピーされている案件……。いや、考えてみれば、この世界の言葉や文字からしてそうなのだ。

 俺が暮らしてきた現代日本とほぼ差がなく、ここでも日本語、外国語、外来語、俗語、その各種を使って会話を成立させることができる。


 しかし、それらの言葉や文字の起源は?

 ロリコンという言葉は通じるが、ちゃんとナボコフ原作の小説はあるのか?

 ダンジョンだのアイテムだのと普通に話しているが、フランス語や英語はどこから伝わった?

 街では白人を一切見かけないが、この世界にも欧州やアメリカはあるのだろうか?


 勇哉の犬の名前にしてもそうだ。

 全てとは言わないが、背景にそれまで積み重ねらてきたであろう歴史や、そこに至るまでの経緯が感じられない事象がそこかしこで目につく。


 まるでジオラマの草木だ。

 見た目は本物そっくりでも、地下に根を張り生命活動をしているわけじゃない。必然の裏付けがない、ハリボテのような結果だけの世界。

 これが、なんとなく最近感じ始めている、この世界に漂う〝箱庭感〟の正体?


 不意に、トントンと右肩を叩かれて我に返る。

 横を見ると、僅かに首を傾けて「どうしたの?」とでも言うようにこちらを見ている立夏と目が合う。


「ごめん、ちょっと考え事してて……」


 俺の顔を覗きこむ華瑠亜も、呆れ顔からやや心配そうな表情に変わる。


「大丈夫? だんだんお爺ちゃんっぽくなってきたわよ?」

つむぎがジジ臭いのは今に始まったことじゃないだろ?」


 勇哉の指摘に、しかし首を横に振る華瑠亜。


「そう言うんじゃなくて……なんか、脳が縮んじゃう的な感じの……」


 うるさいぞ華瑠亜と勇哉おまえら

 とりあえず、とりとめのない閑話かんわについてはまた一人の時にでも考えよう。

 今は……そう、フェスティバル!


「その……八房の仙珠、だっけ? それは何かブルーの役に立つのか?」


 華瑠亜が呆れたように溜息を吐く。


あんた、ほんとに何も知らないのね。……勇哉、説明してやって」

「俺も知らねぇよ、テイマーのことなんて……」と、肩をすくめる勇哉。

「しょうがないわね男子は! ……じゃあ、立夏、お願い」


 華瑠亜おまえも本当はよく知らないんじゃないのか?


「あくまでも噂の域を出ないけど……」

「うん」


 静かに説明を始めた立夏の声に耳を傾ける。


「八房の仙珠を使い魔に与えると、大きく成長すると同時に特殊な進化をさせられることがある、という話。特に獣系のモンスターに対する効果は絶大」

「与えるって、どうやって? 食べさせたり?」

「それは……解らない」

「ことがある、って……失敗することもあるってこと?」

「それも……解らない」

「獣系に効果絶大、ってことは、過去にも何回か試されてるってことだよね?」

「……さあ?」


 なんだか画竜点睛がりょうてんせいを欠いたような、具体性のない情報だ。

 こんな四方山話よもやまばなしをアテにしてもいいのか?


「毎年行われてる祭りなんだし、もうちょっと具体的な情報があるだろ?」

「うーん、だいたい売却しちゃうみたいなのよね、売れば金貨一枚は堅いから」


 今度は華瑠亜が答える。

 まあ、テイマー人口も少ないらしいからなぁ……。

 いや、テイマーだったとしても、餌にするよりは金貨一枚だよな普通。

 円換算で十万円……五人で分けても一人頭二万円ずつ。まあ、祭りを楽しんだ後のちょっとしたお小遣いとしては悪くない。


「しかも、水晶の色、普通は無色透明なんだけど、稀に赤かったり青かったりする年もあるらしいのよ」

「ほう……」

「紅珠なら金貨一〇枚、蒼珠なら金貨五〇枚くらいで取り引きされた記録も」


 ファぁっ!?

 一〇枚でも鼻血が出そうな破壊力だが……金貨五〇枚って! 

 五〇〇万ルエン……つまり、円換算でも約五〇〇万円ってことだぞ!?

 お祭りのちょっとした余興で頂いていいような金額じゃないだろそれ。


「すごい! ほんとに、暴飲暴食が現実に!?」とリリスが目を輝かせる。

「すでに、いつもやってるだろそれ」


 というか、もし青かったらどうするんだ?

 そんな高級品、ブルーになんてあげちゃっていいのか!?


「ま、そういうことなんで。二十五と二十六日、立夏以外はみんな、予定空けておくこと!」

「お、おう……」


 五〇〇万円に当てられて・・・・・思わず華瑠亜のマイペースプランに同意する。

 時計を見ると、いつの間にか時間は午後一〇時を回っていた。


「じゃあそろそろ……寝る準備でもしますか?」


 そう言いながら長椅子の方へ移動して横になる勇哉。


「ちょっと勇哉あんた……何してんのよ?」


 すかさず、ベッドの上から華瑠亜が問い質す。


「何って……そろそろ寝ようかなって……」

「ったく……勇哉あんたもいつのまにか、冗談が上手くなったもんね」

「いや、普通に全然本気だけど」


 みるみる眉尻が吊り上る華瑠亜。


「ぶわっかじゃないの!? この部屋で寝かせるわけないじゃない! 女子二人も一緒なのよ!」

「なんにもしねぇよ。俺、草食系だし」

「面白いギャグね。最近の草食系は巨乳天国好きなのかしら? とにかく出てって」

「巨乳天国好きだからこそ、おまえらなんかに興味は――」

「ゲッタァーウトッ! 出て行けっ!!」


 華瑠亜が激しく入り口の方を指差す。


「マジかよ……じゃあ、紬の部屋は?」

「こっちも無理。全部塞がってる。別の部屋借りたら?」

「犬の散歩してたんだぞ? そんな金持ってるわけ……」


 その時、ドアを叩く音と共に入り口から修道女の一人が声を掛けてきた。

 やや年輩の、デフォルトで眉が吊り上ったようなちょっと恐い顔立ち。


「表の犬の飼い主の方、こちらにいらっしゃいますか?」

「え? ああ、俺ですけど……」と挙手する勇哉。

「すいませんが、当院周辺への動物ペットの立ち入りは禁止されておりますので。すぐにお引き取り願えますか?」


 言われてみれば、この世界の狂犬病ウイルスへの対策なんかは、元の世界に比べればかなり脆弱ぜいじゃくなのではないかと想像はつく。

 医学の代わりに魔法が進歩しているとはいえ、やはり神経質にはなるのだろう。


「お引き取りって……今から? 帰れってこと!?」


 うろたえる勇哉に対し、華瑠亜が掌を見せて手を振る。


「バイバイ勇哉。夏だし、駅のベンチで大丈夫よ。何だったら、今から歩いて帰ることだってできるし」

「鬼かっ! 他人事ひとごとだと思って……元はと言えば華瑠亜おまえが――」

「すいませんが、急いでもらえますか!? 他の患者さんからも苦情がきておりますので!」


 華瑠亜への抗議も修道女の催促にさえぎられ、勇哉は渋々部屋を後にする。

 頑張れよ、勇哉……アディオス!


               ◇


 翌朝、七時頃に水無月みなづきさんではない別の僧侶が病室へやってきて、腕の治療の仕上げを施してくれた。

 水無月さんが他の患者の施療で魔力を使い果たしたのか、それとも立夏と顔を合わせるのが気まずかったのかは解らないが、ともあれ俺の右腕は完治した。


 立夏も、報告を聞いて心做こころなしか安堵の表情を浮かべる。俺たちを助ける為だったとは言え、跡でも残らないかと心配だったのだろう。

 治療が終わった後は、勇哉以外の全員で食堂で朝食をとる。

 勇哉、どこに行ったんだろうな……。


「今日はこれから、どうするの?」と、華瑠亜。

「うん。とりあえずティーバに行って、自警団に今回の件を報告、かな」

バクバリィここじゃだめなの?」

「団員が殺されたのはティーバの方だし、捜査の統括権は向うになったって……昨日バクバリィの詰め所に立ち寄った時は、受付の人がそう話してたね」

「ふーん……」


 千切ったパンの欠片を、肩の上のリリスに渡す華瑠亜。

 リリスと華瑠亜こいつら、いつの間にこんな仲良くなってるんだろう?

 オアラから帰る船電車ウィレイア辺りからか?


「じゃあ……その後は?」

「うーん、そうだなぁ……」

「パンツです!」

「え?」


 横を見ると、ホットミルクの入った木製のコップを両手で抱えながら、メアリーが俺の方を見上げている。

 口の上にミルクが付いて、白い髭のようになっているのが可愛らしい。


「約束したじゃないですか! 一緒にはっつん・・・・みたいな大人っぽいパンツを買いに行くって、一昨日! 忘れたんですか!?」


 そう言えばそうだった。

 昨日も昼食のあと買いにいくつもりだったのが、しずくの誘拐事件があったせいで午後の予定が全部吹き飛んだのだ。


「そう言えばそんなこと話してたっけ……。ついでに何か服も買うか? いつまでも雫のを借りてるわけにもいかないだろ?」

「私は構わないわよ。もう着る予定の無い服を下ろしただけだし」と、雫。


 因みに今は、雫が昔着ていた白いTシャツにガウチョパンツと言う出で立ち。

 ガウチョパンツの方はピッタリサイズだが、Tシャツの方はやや大きめで首元が大きく開いているため、上から見下ろすと中まで見えそうでドキリとする。


「それにしても、服ならまだしも、あんな下着どこで売ってるんだよ……」

「ちょっと待った!」


 右手の掌を突き出しながら、俺の言葉を遮る華瑠亜。


はっつん・・・・、って誰よ? もしかして、初美はつみのこと?」

「うん、そうらしい」


 どうも納得がいかない様子でメアリーに向き直る華瑠亜。


「そう言えば、立夏のこともりっちゃん・・・・って呼んでたわよね、メアリーあなた

「はい。ノームは、あまり本名で呼び合わないのが習慣なのですよ」


 そもそもはソウルイーター対策だし、ソウルイーターが破壊された今は特に本名を隠す必要もないのだが……長年染み付いた習慣はそう簡単に変えられないのだろう。


「じゃあ、私は?」

壱号いちごうさんです」

「ただの番号じゃんそれ!」

「本名じゃないんだから何だっていいじゃないですか」

「だって、立夏だって最初は〝弐号さん〟だったのがいつの間にか〝りっちゃん〟でしょ? なんか、差をつけられてるみたいで、お姉さん、引っかかるなぁ……」

「じゃあ、どんなのがいいんですか?」

「ん~~、例えば、〝かぁりん〟……とか?」

「オエッ……」と、メアリー。


 華瑠亜の隣でミルクを飲んでいた立夏も、無表情のままプッっと吹き出す。


「オエって何よっ、オエって!」


 ごめん……〝かぁりん〟に関しては俺もメアリーとほぼ同意見だわ。

 まあ、昔から『私の事は〇〇と呼んで!』って言う奴がピッタリの愛称を提示してきたためしなんてないんだけどな。

 メアリーがいかにも面倒臭そうに溜息を吐く。


「解りました。……じゃあ〝かるっぺ〟でいいです」

「か、かるっぺ? かるっぺ、かるっぺ……」


 少し考えるように、何度か〝かるっぺ〟と呟く華瑠亜。


リリっぺリリスちゃんと一緒か……。もうちょっと可愛い呼び方がありそうな気もするけど……。まあ、番号よりはマシね! とりあえずいいわ、それで」


 確か〝ぺ〟は、ノームの間では弟や妹に付ける愛称じゃなかったか?

 ……まあ、面倒臭そうなので、その事は伏せておこう。


「と言うか……」


 テーブルを挟んで真正面に腰掛けていた立夏がジッと俺の方を見ている。


「見たの? パンツ……」

「……え?」

黒崎初美くろさきさんのパンツ……」


 華瑠亜も、立夏の言葉を聞いてハッと顔を上げる。


「そう、それ! 私も気になってたのよ!」


 嘘け! 華瑠亜おまえはあだ名のことしか気にしてなかったじゃん!


「み、見てねーよ! メアリーからそう言う話を聞いただけで……」

「でも紬くん、『あんな下着どこで売ってるんだ』って言ってた」と、立夏。

「うん、そうそう、言ってた!」と、隣で華瑠亜も同意する。


 嘘吐け! 華瑠亜おまえは気づいてなかっただろ!


「それはだから、言葉の綾で……メアリーからちょっと詳しく聞いたもんだから、だいぶしっかりとイメージが出来てたって言うか……な、なあメアリー!?」


 隣のメアリーを見下ろしながら、必死で片目をパチパチと瞬かせて合図を送る。

 そんな俺をキョトンと見上げるメアリー。


「そうですね。パパは見てません。メアリーが見たのをパパに伝えただけです」


 よし! でかしたメアリー!

 同じKYでもリリスに比べれば、アイコンタクトが使える分だいぶメアリーの方がマシだ。まあ、ウインクがアイコンタクトと呼べるかどうかはおいといて……。


 安堵する俺の横でメアリーが小声で呟く。


「貸しですよ……」


 そっか。メアリーこいつに頼み事をすると、これがあったんだ。

 どんどん借りが溜まっていく……。

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