07.今日の予定

 食堂で朝食を取りながら今日の予定について軽く打ち合わせをした後、エントランスで待ち合わせをして解散する。

 しずくはまだ、肋骨を負傷した腹部が痛むらしく、モーニングセットのミルクだけを飲んでパンは持ち帰り用に包んで貰った。


 帰り支度を整えてエントランスへ降りると、時計の短針は八を少し回った位置。

 待ち合わせの八時半まではまだ時間があるので、それならば……と、近くを通りかかった修道女に声を掛ける。


「すいません、水無月みなづきさんは……今はお仕事中ですか?」


 可能なら、施療の礼も兼ねて挨拶をしていきたかったのだが――


「水無月……ああ、応援の花椒かぐわさん? 今朝、早朝に急患が担ぎ込まれて、ちょっと前までずっと施療に当たってたんですよ……」


 どうやら、水無月さんは苗字ではなく下の名前で呼ばれているらしい。


「じゃあ、今は……」

「日勤と交代して仮眠室ですが……急用であれば呼んできましょうか?」

「ああ、いえ、もし手隙であれば昨夜の施療のお礼を、と思っただけなので……そのままで結構です。お礼だけ伝えておいて下さい」

「昨夜の施療と言うと……」


 修道女が俺の右腕と、続いてしずくやメアリーにサッと視線を走らせた後、もう一度俺に向き直る。


「確か……綾瀬さん、でしたよね? 解りました、お伝えしておきます」


 そう言って修道女はニッコリ笑うと、お大事にどうぞ、と一礼しながらエントランス横の大きな扉を開けて姿を消した。


「あの、わざとらしい扉、なんですか?」


 メアリーが、修道女の消えた方を指差して質問する。

 わざとらしい……かどうかはともかく、ステンドグラスの嵌め込まれたおごそかな二枚扉は、院内各所の簡素で機能的なだけの開き戸とは、明らかに趣を異にしている。


「解らないけど、たぶん――」

「礼拝堂ね」と、しずくが言を継ぐ。


 近づいて少しだけ隙間を空け、中を覗いてみる。

 やはり、礼拝堂だった。学校でも同じような施設がある。

 今開けた扉は、礼拝堂側から見ると右側の壁の中央付近にある出入り口だ。


 中央の通路を挟むように、左右に整然と並ぶ長椅子状の参列席。

 二〇列ほどあるだろうか?


「わぁ!!」


 感嘆の声を上げ、隙間を押し広げて中へ入ろうとするメアリーの襟首を掴まえて引き戻す。こんな厳粛な雰囲気の中でメアリーに騒がれては目立ってしょうがない。


「リリスは、大丈夫なのか?」

「私? なんで?」


 俺の目の前をふわふわと飛びながら、リリスも物珍しそうに礼拝堂内をキョロキョロと見渡している。


「何でって……悪魔って言や、教会は天敵みたいなもんじゃないの?」

「まあ、元の世界むこうの教会ならかなり気分が悪くなるわね。現世界こっちのは、なんだろ? たまに胸ヤケするくらいかな」 

「それ、礼拝堂のせいじゃないだろ……」


 通路の先には祭壇の様な物が設置されており、その奥の台座に鎮座しているのは、背中から二対の翼を生やした女神をかたどった石膏像。

 元の世界で見たヴァルキリー像に似ているが、よく見ると先がやけに尖った……いわゆる〝エルフ〟のような笹の葉型の耳をしている。

 奥には、石膏像を見下ろすように設置された大きな金色の十字架。


 細部でデザインが異なる部分も散見されるが、端的に言って、元の世界にあった〝教会〟とそっくりの雰囲気だ。


 以前、塩崎信二しんじが入院していた施療院にも礼拝堂が併設されていたのを思い出す。

 恐らくこの世界の施療院は、施療の専門施設というより、教会の付属施設としていとなまれているのだろう。

 もちろん、教会の様に寄付だけで運営というわけにはいかないからこそ、対価も要求されるのだろうが。


あんたんち、クリミア教徒だっけ?」


 振り向くといつの間にか華瑠亜かるあと、その後ろに立夏りっかも立っていた。


「ああ……いや、うちは……なんだっけ?」と、隣の雫に訊く。

「うちは昔から曹言そうごん宗でしょ」と、溜息混じり答える雫。


 曹言宗……なんだか、何かと何かをくっつけたような名前だ。名前からして、こっち版の仏教的な宗教だろうか。


「うちの学校も伝道局ミッション系だからねぇ……和教徒でも、在学中に洗礼を受けてクリミアンになる生徒、多いみたいだけどね」

「因みにさ……キリスト教、って知ってる?」


 話が出たついでに、軽くリサーチしてみる。


「キリ……スト? なにそれ?」

「ああ、いや、なんでもない」


 以前、オアラで買い物係になった時にクリスマスのことが話題なったことがあったが……やはり、こちらにはキリスト教は存在しないらしい。

 その代わりに存在するのが、このクリミア教なんだろう。

 クリスマスも、このクリミア教が関係している祭日なのかも知れない。


「じゃ、行きましょうか!」


 顎で玄関を指して出発を促す華瑠亜の後に、全員で続く。


 表へ出ると、昨夜は暗くてよく見えなかった野菜畑が、トマト、ナス、ピーマンなどの夏野菜を実らせて延々と続いている。

 元の世界でも農地の多い地域ではあったが、それにしても建物が少ない。

 以前リリスが予想したように、俺と関係の薄い人物が世界改変によって間引かれているのかも……という予想、あながち的外れではないのかも知れない。


 この後は、ティーバに戻って自警団への報告だ。

 本来であればその後は、さっさと家に帰ってゆっくり休みたいところだが――


「確認だけど、夕方六時に華瑠亜かるあの部屋に集合で、本当にいいんだな?」

「うん、こっちは、その時間までには絶対戻れるから大丈夫」

「いや……心配なのは時間じゃなくて、華瑠亜おまえの部屋の状態……」

「う~ん、大丈夫、大丈夫! ちょっとしたサプライズもあるから」


 最初に見た華瑠亜の部屋が一番のサプライズだったけどね? 悪い意味で。

 普通に部屋を掃除してくれればそれで充分なんだけど……。


 バクバリィ駅前広場に着くと、駅周辺に設置されたベンチを一通り見渡してみるが、勇哉の姿はない。


勇哉ゆうや、いないなぁ……」

「まあ、普通はこんなところで寝ないわよ。いくら馬鹿でも」


 特に疑問に思う風でもなく華瑠亜が答える。


「え? だって華瑠亜おまえ、昨日は駅のベンチでって……」

「あんなの冗談に決まってるじゃない。無用心、ってのもあるけど、ペット連れだからね。いくら繋いでても、犬を公共の場で放置なんてしてたら通報されるわ」


 その後、立夏のレクチャーによれば、ペットは自宅か、若しくはそれなりの施設のある所でなければ長時間留まることは禁止されているらしい。

 施療院と言う事もあって昨日はブルーを出していなかったが、有らぬ誤解を受けないためにも、結果的には正解だったかも知れない。

 あいつ、見た目は普通の子猫だからな……。


「じゃあ、勇哉、金も持ってなかったし、あれから歩いて自宅に帰ったのか?」

「だと思うわよ。後で連絡してみたら?」


 そこまで解っててよく、ペットと一緒の勇哉なんか連れて来たよな。

 そういう手心のなさに、逆に感心するわ。


「そうだな。六時からのミーティングの連絡もしなきゃないし……」

「ああ……いいわよ勇哉あいつは呼ばなくて。面倒臭いし」

ひでえな……」


 広場の周囲には様々な店が立ち並んでおり、その中に一軒の服飾店を見つける。


「ちょっと待ってて」


 皆にそう告げると、雫の手を取ってその服飾店に向かう。


「ど、どうしたの、お兄ちゃん!?」

「うん……その服のままじゃ、恥ずかしいだろ、船電車ウィレイアの中とか」


 昨日、柿崎に地面を引き摺り回されたせいで、全体に土汚れなどが付いて薄汚れている。

 ここまで歩く道すがらでも、人と擦れ違う度に、恥ずかしそうにポンポンと汚れを払い落とすような仕草を見せていたのが気になっていたのだ。


「え……いいよいいよ! 家に帰るまでの我慢だし、もったいないよ」

「いいから。そんな姿で帰ったら母さんたちも心配するだろ」

「お金、あるの?」

「大丈夫、気にするな」


 ギルドホールで須藤が投げていった金貨は全て使い切ったが、もともと持ってきていた自分のお金はまだそれなりに残っている。


「うん……でも……」

「ん?」

「この年で手を繋ぐのは、恥ずかしいよやっぱり」


 そう言いながら振りほどこうとする雫の手を、もう一度しっかり掴む。


「いや、ほら……ああ言う事があった後だし、なんとなく、心配で」

「二日連続で誘拐なんてされないって」


 そう言ってクスクスと笑う雫。

 よかった……。あんなことがあってどうなることかと思ったけど、案じていたほどショックを引き摺ってはいなさそうだ。


「まあ、いいじゃん。気持ち的な問題だけど……今日だけだよ」

「うん……ありがとう」


 そう言って俯いた雫が、繋いだ手をギュッと握り返してきた。


               ◇


 ティーバに着くと、俺たちは駅前で二手に別れる。

 自警団へ報告に向かうのは俺と雫、そして立夏の三人。

 もちろん、リリスも一緒だ。


 自警団での用件が何時に終わるのかはまったく予想がつかない。

 さすがに半日は掛かるまい……とは思うのだが、元の世界の感覚で考えると、捜査機関の取り調べや聞き取りというのは、やたらと時間がかかるイメージがある。


「じゃあ、華瑠亜、メアリーのこと頼むわ」

「はいはい、任せといて。マナとかは、大丈夫なのよね?」

「うん。マナの供給が切れても、激しい運動をしたり魔法を使ったりしなければ二日くらいは持つらしいから」


 メアリーが不満そうに唇を尖らせる。

 船電車ウィレイアの中からずっとこの表情だ。


「せめて、立夏りっちゃんかしぃちゃんどちらかでも、こっちグループにしてもらえませんか? ダメなら、仕方ないのでリリっぺでも我慢しますよ」

「何よ、仕方ないって!」と、リリスも頬を膨らませる。


 俺たち三人が自警団へ行ってる間、メアリーの買い物には華瑠亜に付き合ってもらうことにしたのだ。

 結果的には、そのまま夕方六時までその面子で過ごす事になるだろう。


「事件の場にいた人は全員行くように言われてんだよ。それにリリスも、そこまで離れたら声も姿も消えちまうし……」

「でも、メアリーは、華瑠亜かるっぺと二人きりなんて気が重いです」

「ったく……メアリーあなたも、けっこうハッキリと物を言うわね」


 華瑠亜が腕組みをしながら憮然とした表情になる……が、それでいて、どこか楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。

 華瑠亜も相手の顔色をうかがいながら人付き合いをするようなタイプではないので、メアリーのようにざっくばらんに話せる相手の方が合ってるのかもしれない。


「まあ、半日だけだから我慢しろよ。華瑠亜かるっぺも、話してみると意外といい奴だぞ」

「意外とって何よ。って言うかあんたまでかるっぺ言わなくていい!」

「仕方ないですね。解りました。半日だけ我慢してあげますよ、かるっぺで」


 メアリーが肩を竦める。


「じゃあ、お願いしますね、かるっぺさん」と、雫。

「またね、かるっぺ」と、立夏。

「後輩をよろしく、かるっぺちゃん!」と、リリス。

「ちょっと、あんたたち……マジで止めてよね! ほんとにこのまま〝かるっぺ〟になったら、私困るからっ!」


 意外と可愛いかもしれない。かるっぺ。

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