08.芥子の魔薬

 芥子ケシの魔薬!

 聴聞官に、不意に机の上に出された時には一瞬何かと思ったが――

 あの質感、入っている麻袋……間違いない!

 柿崎が扱っていた、あの悪魔のような粉だ!


「じゃあ、やつらの話はこれくらいにして……こいつについて、ちょっと話を聞かせてもらえるかな……」と、小太りの聴聞官が話を切り出す。


 ティーバ自警団詰め所の聴聞室。

 少し大きめの机を挟んで、向こう側には聴聞官が二人、こちら側には立夏りっかしずく、そして俺の三人が並んで座っている。

 それ以外は、部屋の隅の机に書記官が一人いるだけだ。

 てっきり一人ずつ話を聞かれるのかと思っていたのだが、犯人というわけではないし、元の世界の警察に比べれば多少アバウトな部分もあるのだろう。


 小太りの聴聞官が〝やつら〟と表現したのはもちろん、須藤と柿崎のことだ。

 詳しく聞かれたところで、柿崎はそもそもが死体だし、須藤のことにしても、本名も容姿も解らない。

 種族はダークエルフであること、妹がいると言っていたこと、繰霊石という禁具を使っていたことなど、断片的に話せる情報はあったが、犯人の特定に繋がりそうな情報はなかった。


 それでも、自警団の団員を二人も殺めた犯人だ。もっと根掘り葉掘りいろいろなことを訊ねられると思っていたのだが……。

 結局、犯人二人に関する聴聞は、俺たち三人からさらりと話を聞くだけで、せいぜい三〇分も経たないうちに〝芥子の魔薬〟がテーブルに載せられたのだ。


 柿崎が持っていた物にしては、量的に殆ど使われていないように見える。

 もしかすると、ティーバで暴走する魔動車を最初に見たとき、俺たちの目の前で須藤たちが落としていったものかも知れない。


 木製のトレイにのせられた麻袋。

 そこから漏れ出た淡褐色の粉末。


「おい、ちょっと窓を閉めてくれ」


 吹き込む風のせいで舞い上がりそうになった粉末を見て、小太りの聴聞官が、もう一人の眼鏡ノッポに声を掛ける。

 木窓に比べて、この世界では高価なガラスの窓が閉められると、途端に部屋の中にムワっとした真夏の熱気が篭る。


 粉末を見て、昨日の恐怖の体験を思い出したのだろうか。

 雫が俺の隣で僅かに肩を震わせているのが解った。


「飲んだ人の自我を保たせたまま奴隷に変える魔薬だと、柿崎は言ってましたが」


 俺の返事を聞いた小太りの聴聞官が小さく首肯する。


「他には?」

「他?」

「他に……この薬について何か話してなかったか?」


 他に? あの時の事を思い出してみても特に思い当たる節はない。

 横を向くと、雫も首を振りながら口を開く。


「元組織の人が横流ししたとか、その組織にまた引き渡すとか……そういう話はしてましたけど、その薬のことについては何も……」

「取り引き場所については?」

「変更になったとは言ってましたが、バクバリィと言うこと以外詳しいことは……」

「そうか……」


 机に肘を着いたまま、何か考え込むように握りこぶしを口元に当てる小太り。

 今度はこちらから質問してみる。


「今回の件でこの〝魔薬〟は、どれくらい市中に出回ったんですか?」


 雫が白昼堂々と誘拐されるような治安水準の世界だ。こんな危険な魔薬が密かに出回っているとなれば、より慎重な行動を心掛けねばならない。


「殺された両替商の帳簿を見た限りでは、末端価格で約一億ルエン分……。一グラム千ルエンで計算すれば一〇万人分の使用量か」


 一〇万人分! よく解らないが、相当な量じゃないだろうか?

 いや、でも……一グラム千ルエン、つまり銅貨一枚だ。

 これほどの効果がある魔薬にしては、ちょっと安い気もするな。


「まあ、ただ、魔薬の隷属効果については耐性術式も開発されているから、もし被害が拡大するようなら予防魔法円の施描せびょうを推進してもいい」

「そうなんですか?」

「ああ……。強力な依存症についても魔法効果だし、解除術式は開発されている」


 なるほど……だから少し安価なのだろうか? 柿崎はそれを知らなかったか、ゾンビ状態で記憶が欠落してしまったのだろう。

 もちろん、だからと言って安心することはできないが、飲まされたら最後、絶望的な状態に陥る……ということは回避し得ると解っただけでも気持ちが軽くなる。


 しかし……そんな魔薬を、どこの組織かは解らないが、高額な報酬を払ってまで奪還に血眼になるものだろうか?

 雫の話では、須藤たちの前にも何人か雇われていたような話をしていたらしいが、対策済みの魔薬を取り返すためにしては、やや念が入り過ぎているような気もする。

 魔法処理されているので、本来の〝阿片アヘン〟としての使用も無理だろう。


「もしかしてその粉、他の目的で取り引きされてたりするんですか?」


 少し気になったのでダメ元で訊いてみる。


「ああ。まだ調査中なんだけど、人工生命ホムンクルスを作る際の触媒として……」


 今度は、眼鏡ノッポの聴聞官が得意気に話し始めた。


               ◇


「ホムンクルスってさ……あの、瓶の中で作る人工生命みたいなやつ?」


 自警団の詰め所から帰る道すがら、元の世界で仕入れたファンタジー関連の記憶を手繰り寄せながら、隣を歩く立夏に質問してみる。

 立夏からも雫からも、どうせ俺はアレ・・だと思われてるようだし、もう気にせずなんでも質問していくスタイルで!


「瓶かどうかは解らないけれど、人工生命体のこと」

「でも……」


 前を歩く雫も、立夏の方を顧みて質問する。


「ホムンクルスなんて空想科学やファンタジーの世界の話ですよね? そんなものが本当に存在するんですか?」

「昔は錬金術師アルケミスト達の間で研究はされていたようだけど……確立されたのは肉体の生成法までで、魂の発現には至ってないはず」


 てっきり遺伝子複製クローン技術のようなものかと思ったが、立夏の説明によると、ホムンクルスの原料はMPを触媒にして様々な金属や薬品を調合したものらしい。

 魂がないとは言え、それで肉体まで生成するというのは充分にファンタジックだ。


 尤も現在は、神の摂理に反するなど倫理上の理由により、ホムンクルスの研究は全面的に禁止されているらしい。

 この世界にも、一応そういう道徳は存在するんだな。


「それにしてもあの眼鏡の人、可哀想だったね……」


 前に向き直りながら、雫が思い出すように呟く。

 バクバリィの駅前で買った白いノースリーブに、同じく白いレースブラウスの重ね着。丈の短いピンクのフレアスカートから伸びる、脂肪の薄い幼げな太腿が眩しい。

 我ながら、雫の可愛さを引き立てるなかなかのコーディネートだ。


「眼鏡の人? ……って、ああ、さっきの聴聞官のことか」


 二人いた聴聞官のうちの一人、眼鏡ノッポ――

 ホムンクルスと口にした途端、もう一人の小太りの聴聞官に容赦のないボディーブローを浴びせられ、うずくまったまま部屋から引き摺り出されていった。

 やはり、気軽に口を滑らせていいような内容ではなかったらしい。

 それにしても、元の世界の警察に比べるとなかなか野蛮な組織だ。


 小太りが、聞かれてしまったものは仕方ない……といった様子でしてくれた説明によれば、秘密裏にホムンクルスの研究を進めている組織があるらしい。

 詳しいことは自警団も把握していないようだったが、芥子の魔薬が新しい触媒としてかなりの成果を見せている……という情報があるのだそうだ。


 ホムンクルスが内包するのは本当に倫理的な問題だけなのか、それとも、もっと他の懸念もあるのか、それは解らないが――


「まあ、俺たちには関係ないし……聴聞、早めに終わって良かったじゃん」


 どうやら聴聞は二人一組に書記官を加えて行う決まりらしく、代わりの聴聞官がすぐに来られないとのことで、今日の聴聞は終了となったのだ。


 ただ、いずれにせよ自警団の真の狙いは須藤や柿崎ではなく、二人を雇った謎の研究組織らしく、それについての情報は俺たちも全く持ち合わせていない。

 個別に連絡を取ることはあっても、今後また、詰め所へ足を運んでもらうことはないだろう、と最後に小太りは話していたが……。


「そんなことより、お腹空いちゃったなぁ」と、リリス。

「おまえ、その口癖、直した方がいいぞ……」

「お腹空いたは口癖じゃないわよ!」


 ちょうど駅前広場についたところだったので、近くにあった揚げ物屋の露店でフライドポテトのようなジャンクフードを購入する。


「とりあえずこれでも食っとけ」


 笑顔で受け取りながらも、すぐ、何かを思い出したように言を継ぐリリス。


「もしあれば、チーズバーガーとコーラも……」

「絶対ねーよっ!」


 広場の時計を見ると、まだ十一時を少し回ったところだ。

 六時まではだいぶ時間があるし……さてどうするか?


 ふと見ると、傍の書物屋の店頭に平台が出ており、恐らく今売れ筋であろう書籍が平積みで置いてある。

 『月島薫つきしまかおる 最新作!』という垂れ幕ポップが付けられた台上には、例によって〝チート修道士の異世界転生 第二巻〟が積まれている。


 そう言えば、初美はつみが本を貸してくれるって言ってたよな……。

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