03.あんた、大丈夫なの!?

つむぎ、この部屋!? あんた、大丈夫なの!?」 


 入り口のドアが開き、病室内に聞き覚えのある声が響く。

 タータンチェック柄の赤いプリーツスカートからスラリと伸びる美脚を、さらに引き締めるように包む黒のニーハイソックス。

 フレアカット袖の白いTシャツに、小型のボウガンとリュックを背負っている。

 そして、シンボルマークの茶髪のツインテール――


 か……華瑠亜かるあ? なんでここに?


 と言いかけたが、ちょうど立夏が差し出すスプーンを咥えた瞬間だったっため、そのままの体勢で固まりながら華瑠亜を見つめるのみ。

 ベッドの周りにいたしずく、メアリー、リリスの三人も、振り返って華瑠亜を見る。


「華瑠亜ちゃん!?」

壱号いちごうさん!」


 ほぼ同時につぶやくリリスとメアリー。

 そんな二人を横目に、スタスタとベッドに歩み寄る華瑠亜。


あんた……これ、どういう状況なのよ?」


 慌ててオートミールを咽に流し込みながら、包帯でグルグル巻きの右手を挙げて華瑠亜に示す。


「いや、ほら、こんな状態でさ……魔法治療受けるために当直の僧侶プリースト待ち……」

「それは聞いたけど……なんで立夏に食べさせてもらってるのか? って話」


 そっち!?


「怪我したのが利き腕だし、立夏の魔法でこの状態になったから、立夏も残っていろいろ手伝ってくれてて……」

「り、立夏だって大変だったんでしょ? 甘えすぎよっ! あとは私が手伝うから、立夏はもう帰って休んでいいわよ」


 そう言いながら、立夏に近づいてオートミールの皿を受け取る華瑠亜。


「もう終わったから……お皿、給仕室に下げてきて」と、立夏。

「…………(チッ)」


 ん? 今、軽く舌打ちが聞こえたような……。

 華瑠亜が一瞬固まった後、からの皿を袖机の上に乗せる。


「皿なんて、後から誰か取りにくるわよ……」


 そう言いながら椅子を用意し、俺と立夏の間に割り込むように華瑠亜も腰掛ける。

 と、さらに病室の入り口から、聞き覚えのある声が……。


「おいおいおい! 犬を繋いでる間に、とっとと先に行くなよ!」


 そう言いながら病室に入ってきたのは……勇哉ゆうやだ。

 俺の顔を見ると嬉しそうに手を挙げる。


「よう、つむぎ! どうだ、容態は? 元気そうじゃん!」

「いや、って言うか……なんで勇哉おまえまでここに?」

「犬の散歩してたらさ、華瑠亜かるあに突然声かけられて、おまえの見舞いに行くから付いて来いって無理矢理……」

「駅の近くで偶然会ったのよ。時間的に、女子の一人歩きは物騒でしょ?」


 華瑠亜が取り繕うように弁明する。

 でも、今、犬を繋いでるとか何とか言ってなかったか?

 そのまま、犬ごと連れてきちゃったの!?


 少し腰を上げてベッド脇の窓から網戸越しに下を覗くと……確かに、薄暗い中、門扉の辺りに小犬が柵に繋がれているのが見える。

 まだ成犬ではなさそうだが、前の世界では警察犬や盲導犬などでよく活躍していた犬種だ。


「どうよ、うちの愛犬は?」

「どうよ、って……暗いし遠いしよく解らないけど……レトリバー?」

「そうそう。姉貴が知り合いから貰って来たんだけど……なんて言ったっけな、ラ、ラブ、ラブ……ラブドール・レトリバー?」

「ラブラドールだろっ!」

「そう、それそれ! 血統書はないんだけど、姉貴が一番可愛がっててさぁ……。さっきバクバリィまで散歩に来た、って連絡したらすげぇ怒られたわ」


 そりゃそうだろうな。

 ほんとに散歩だったなら片道二〜三時間はかかる距離だ。

 何度か会ったことがある、気の強そうな勇哉姉の顔を思い出す。

 勇哉はテヘヘ、って顔をしているが、帰ったらこってり絞られそうだ。


 そう言えば、前の世界でも勇哉、犬飼ってたよな。

 犬の名前、好きなセクシー女優から付けたって言ってたけど……なんだっけ?

 ゆま、そら、キララ……いやいや、そんなメジャーどころじゃなかった。

 確か――


「さらさ……」


 思わず呟いた俺の言葉に、勇哉がびっくりしたように目を見開く。


「あれ? 何で知ってんの、うちの犬の名前!?」

「え? ああ、いや、前に話してなかったっけ、そんなようなこと……」

「話さねぇよ。だって、あいつ貰ってきたの一週間前くらいだし、俺が名前を知ったのもオアラから帰ってきてからだぞ?」


 げっ……そうなのか。

 言われてみれば昔から飼ってた犬が仔犬というのは確かにおかしい。

 やはり前の世界とは、現状はともかく経緯にズレが生じてることも多いようだ。


「そ、そうだっけ? まあ、あれだ。なんとなく、そんな感じかなぁ、と」

「すげぇな、おまえ……」


 そうだよな。犬の名前を一発で当てるとか、よくよく考えたらかなり凄い。

 立夏のジト目がやや気になるが、それよりも――


「こっちにもそんなセクシー女優いるのかよ?」


 と、思わず聞き返してしまう。


「こっち? セクシー……って、何の話だよ? 寝呆けてんのか?」


 やばい……聞き方を間違えた。

 立夏のジト目がさらに細く、鋭くなっている。

 

「ごめん、なんでもない。その……なんでその名前にしたの? 犬……」


 再び、興味本位で聞いてみる。


「姉貴が付けたんだよ。聞いてないけど、なんとなくじゃね? 毛並とか?」


 いや、ラブラドールの毛は短めだし〝さらさ〟と名付けるほどサラサラヘアーって感じでもないだろ。

 やはりこの世界、事象だけがコピーされて物事の経緯や由来、成り立ちなんかが端折られているケースがちょくちょく見受けられる。


 並行世界パラレルワールドと言うよりも、なにかもっとこう……上手く表現できないが、人工的な箱庭のように取り繕った空気が漂っている気がする。

 これも、世界改変とやらで生じた違和感なんだろうか?


 まあ、とりあえず今はそんなこと考えてても仕方ない……と頭を切り替えて、今度は華瑠亜の方に向き直る。


「ところで、華瑠亜たち、なんでこの場所が分かったの?」

「さっき初美はつみから連絡があったのよ。事件は一応解決したけど、あんたが負傷したから、バクバリィの第一施療院に泊まるって」


 華瑠亜の答えを聞いて、すぐに妹の雫を見る。

 食事へ行くついでに、実家への連絡も頼んでおいたのだが――


「雫、初美にも連絡したの?」

「うん。萌花と、あと初美さんの番号も知ってたし。心配してるだろうと思って」


 そっか。それで、初美経由で華瑠亜に連絡が……。

 それにしたって――


「それにしたって、こんな遅い時間にわざわざ見舞いなんて来なくても……」

あんたねぇ! それが、わざわざ心配して来た人に言う言葉?」

「し、心配してくれたんだ……」

「そりゃそうよ! こんなのだって一応クラスメイトだし、D班の班長だし……何かあったら私の部屋の掃除だって、どうするのよ……」


 華瑠亜の言葉に、立夏と雫が首を傾げる。


「部屋の?」

「掃除?」


 ったく、もうちょっと気をつけろよ、華瑠亜っ!

 

「紬くん、華瑠亜ちゃんの部屋でハウスキーパーのバイトしてるのよ」


 いつもの、リリスのKY捕捉説明。

 普段なら「要らんことを」……と腹を立てる場面だか、ここまで情報漏洩してしまっては下手に隠し立てするのはかえって逆効果だろう。

 雫がいぶかしげな視線を俺に向け、「ほ~ぉ」という感じで頷く。


「もう一個のアルバイト、教えてくれないからどんな仕事してるのかずっと謎だったんだけど……そう言うことだったのか」


 この世界の俺も、このバイトのことは妹にすら隠していたと言うことか。

 やはりこっちでも、あまり体裁が良くないことだったらしい。


 ……って言うか、ちょっと待て!

 もう一個のアルバイト?

 この世界の俺、他にもまだアルバイトしてたのか!?

 

「まあ、ほら……バイトとは言え、女子の部屋に定期的に通うなんて話になると、いろいろと余計な誤解を招きそうだろ?」

「誤解なんだ?」と、話を聞いていた勇哉が突っ込む。

「ったり前だろ! 俺と華瑠亜の間に何かあるわけ……」

「いや、でも、紬と華瑠亜おまえら、春頃までけっこう親しげだったじゃん? もしかしたら付き合ってるんじゃね? って噂も、少しあったんだぞ」


 ほんとかよ。

 それ、職員室の中だけの噂じゃなかったんだ……。

 もう一個のアルバイトの件も気になるが、とりあえずこの場で雫に確認するのはまずい。また今度、二人の時にそれとなく探りを入れてみよう。


「とにかく、純粋なバイト以外の関係は何もないから! なあ、華瑠亜?」

「うん、まあ……ないと言えば、ないわね」


 だから華瑠亜おまえまでっ! 言い方っ!

 ジットリ度を増す立夏の視線を避けるように身をよじりながら、華瑠亜に訊ねる。


「って言うか華瑠亜おまえ、こんな時間に来て、この後どうするつもりよ?」

「ん? 泊まってくわよ」

「どこに!?」

施療院ここに。そのベッド、使えるんでしょ?」と、隣のベッドを指差す華瑠亜。

「無理無理! そこ、雫が使う予定だから」

「結構大きいベッドだし、妹さんは紬と一緒でいいじゃない。私はそっちで、メアリーちゃんと一緒に寝るわよ」


 患者二人を一つのベッドに追いやるとか、どんな見舞いだよ?


「ダメだって、そんなの!」

「なんでよ? どちらも重傷ってわけじゃないし、兄妹なんだからいいじゃない」

「兄妹じゃねぇよ! ……あ、いや、まあ兄妹だけど」

「メアリーだって華瑠亜いちごうさんと一緒なんて嫌ですよ!」


 メアリーが頬を膨らませながら眉根を寄せると、華瑠亜も困ったような表情で小首を傾げる。


「じゃあ、私……どうすればいいのよ?」

「それを、俺に訊く?」


 華瑠亜の肩を人差し指でツンツンとつつく立夏。


「隣の部屋で……一緒に泊まる?」

「え? 立夏りっか、今日泊まる予定だったの!?」


 こくんと頷く立夏。


「ルームチャージだから料金は変わらないし……半分出してくれるなら」

「う、うん……それは全然構わないんだけど……」


 と言いながら、訝しそうに俺と立夏を交互に見遣る華瑠亜。


紬と立夏あなたたち、本当に何もないんでしょうね!?」


 この質問、なんか既視感あるなぁ。立夏の返事も恐らく――


「……ないと言えば、ない」


 やっぱし!

 流行かよ!?


 華瑠亜も一瞬憮然ぶぜんとした表情で立夏を見るが、それ以上食い下がる事もなく俺の方に向き直る。


「って言うか今日ね、本当はバイトに来てもらった時にでも話そうと思ってたんだけど……」と言いながら、華瑠亜が背中のリュックを下ろして膝の上に置く。

「ん? 俺に?」

「うん……って言うか……ブルーちゃんに、耳寄りな情報がね……」


 あれぇ……無いなぁ? などと言いながらリュックの中をガサゴソと漁る華瑠亜。

 部屋と同じく、リュックの中も整理整頓ができていないのだろう。

 と、その時――


 グゥゥゥゥゥ~~……


 室内に大きな腹鳴音が鳴り響く。いわゆる〝お腹の虫〟だ。

 慌ててお腹を抑えながら、みるみる赤面する華瑠亜。

 自室を見られた時とか、もっと赤面するべき場面はあったような気もするが。


「ご、ごめん! お昼から何も食べてなくて……」

「お昼から?」


 話によると、遅めの昼食を取るために出かけようとしていた矢先に、初美からの最初の連絡があったらしい。


「あんな連絡を貰った後じゃ、食事なんて喉を通らないし……」

「そっか……ゴメン……じゃなくて、ありがとな! 心配してくれて」

「ああ、うん、別に、いいわよお礼なんて……」

「食堂は夜九時までらしいし、とりあえず、閉まる前になにか食ってこいよ」

「う、うん。じゃあ、そうする」


 勇哉も夕飯はまだだったらしく、案内役を買って出たリリスとともに、華瑠亜も一旦席を立つ。

 廊下を遠ざかる足音と共に「私はバナナクレープでいいよ」というリリスの声。

 あいつ、まだ食う気かよ!

 と言うか、案内役になったのもそれが目的か……。


 それにしても、ブルーに耳寄りな情報? って、どんな話だったんだ?


 そんな事を考えていると、ふと、右頬の辺りにヒリつくような感覚。

 思わず、ベッドの右側に腰掛けている立夏の方を見ると――

 まだ、ジト目継続中!

 ハウスキーパーの件でもいぶかしんでいるんだろうか?


「な……なに?」

「さらさ……」

「ん?」

「やっぱり、ああ言うのが好きなの?」


 さらさ? 勇哉の犬のことか?

 別に、ラブラドールに好きも嫌いもないけれど……。


「そうだね……まあ、嫌いではないかな?」

「そう……。セクシーだから?」


 セクシー?

 まあ、名前はセクシー女優から取ってるけど、犬自体は……どうかな?

 成犬だったら、セクシーと言えばセクシーかも知れないが……。


「セクシーって言うのかな? まあ、将来は綺麗な体つきになるだろうけど……今はまだ可愛いらしいって感じじゃない?」

「そう……。将来の体つきまで見てたのね。可愛らしい真樹更紗さん」

「まきさらさ!?」


 誰だそれ?

 一瞬戸惑った後、急速に頭の中のシナプスが脳細胞同士を連結し始める。


 まきさらさ、まきさらさ……真樹更紗!?

 そっか! 〝さらさ〟って最近もどこかで聞いたことがあると思ったら、ギルドホールで治療してくれたあの修道女……彼女も〝さらさ〟だったっけ!


「いや、ちがっ! 俺が言ってたのは勇哉の犬の話で……」


 慌てる俺の横で、今度はメアリーが口を開く。


「でも、確かにあの川島勇哉お調子ものの犬の名前を一発で当てるなんて、エスパーでもない限りありえないですよね」

「それは、俺の頭の中でも、いろいろと巡る思考ってのが……」

「しかもその後、セクシーがどうとかわけの解らないことも言ってましたし」


 聞けよ話を!

 雫が首を傾げながら名推理を披露する。


「じゃあ、その〝真樹更紗〟さんって人の事をぼんやり思い出して呟いちゃったのが、たまたま勇哉さんの犬の名前と同じだったってこと?」


 立夏とメアリーが同時に頷く。


 思い出していたものが違うからっ!

 ……と、否定したかったが、真相を語るには元の世界の、しかもセクシー女優の話までする必要があることを考えると――

 このまま勘違いして貰った方が好都合?


 でも、勇哉との会話中に美人修道女の事を思い出してるって、どうなんだ?

 下手すると〝色呆けテイマー〟の二つ名を拝命しかねないが、それでいいのか?


 しばし心の中の葛藤に耳を傾けていると、不意にノックの音が響き、続いて病室のドアが開く。


「失礼します……綾瀬紬さんの病室は、こちらで間違いないですか?」


 見ると、白い修道服に身を包んだ三〇代前半くらいの修道女が立っていた。

 今夜の当直のプリースト……いや、女性なので尼僧プリーステスか?


「お待たせしました。腕の魔傷の治療に……」


 そこまで話した後、立夏に目を止めたまま言葉を切るプリーステス。


「雪平……立夏さん?」


 出入り口に立つプリーステスを見据えながら、立夏も無表情のまま呟く。


水無月花椒みなづきかぐわ……さん」

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