09.駅まで送るよ
「じゃあ、駅まで送るよ」
腰を上げた俺を見て、
リリスは……と、机の上を見ると、すでにクッションでお昼寝モード。
いつになく幸せそうな寝顔を見る限り、打ち明けイベントをクリアした開放感は
ま、駅まで送るだけだし、わざわざ起こすほどのことでもないか。
表に出ると、少し生暖かい、ジメッとした風が頬に貼りつく。
西の空を見ると、夕陽に蓋をするように徐々に広がる灰色の雲。
もう少しで夕立がくるかも知れないな……。
「傘、持っていく?」
「ううん、大丈夫。
麗に訊かれて初美も首を振る。
「じゃあ、雨になる前に……急ごう」
◇
駅までの道すがら、前を歩く麗と初美を眺めながら、今日話したことを振り返る。
考えてみれば麗がこの世界の創造主の一人みたいなものなんだよな……。
それを知ることができたのは本当に大きい。
「麗の回答結果に基づいてこの世界が改変されたってことはさ……解らないことは麗に訊けばだいたい解決するってこと?」
「うーん、ある程度は答えられるかも知れないけど……でも、解からないことのほうが多いよ、やっぱり」
やはり、そうなのか……。
リリスの言う『自動改変プログラム』もそうだし、初美の話でも、世界観のベースは麗の回答に関係なく、何者かによって設定されていた節があった。
無限にある世界の構成要素の一つ一つを、数百の質問だけで網羅するなど土台無理な話だろう。
雨模様の中やや急ぎ足だったこともあり、駅には十分ほどで着いた。
もう少し話を聞きたい気もしたが、今日は時間も遅いし、また今度にしよう。
元の世界の日本ほど治安の良くないこの世界では、日のあるうちでも、夕刻となれば戒心すべき時間帯というのが常識らしい。
「それじゃあ、またな」
俺が手を挙げると、麗と初美も手を振る。
でも……あれ? 初美の位置がおかしいぞ?
初美が俺の隣に立って、一緒に麗を見送るように手を振っている。
俺の不思議そうな表情に気付いたのか、一旦駅へ向かいかけた麗が、少し芝居がかった様子でこちらを振り返る。
「そうそう! 言い忘れてたけど、初美の家、紬くんのうちのご近所さんだから」
はあ?
「いや、だってお昼は……二人で駅で待ってたじゃん?」
「初美だってこっちに来てまだ三ヶ月だからね。元の世界の紬君の家は知ってたって、建物の様子も変わってるし、正確な場所は解らないでしょ」
まあ、知っていたところで、初美一人で訪ねて来られたら、それはそれでかなり戸惑っただろうが……。
「なんでそんな大事なこと、言い忘れてるかなぁ……」
麗がペロっと舌を出しながら、眼鏡の奥で悪戯っぽく目を細める。
俺も軽く顔を
「じゃ、またねぇ、紬くん。初美のことは頼んだぞっ!」
麗のやつ、あれは、わざと黙ってて楽しんでたな。
昨日、麗の家を訪ねるまでは、もっと風変わりなオタク女子という先入観を持っていたが、話してみると、意外とお茶目な普通の女子高生だと分かる。
もっとも、もう一人が風変わり過ぎるので麗の方が普通で助かったが……。
姿が見えなくなるまで麗を見送って、ふと横を見ると、ちょうど俺の方を見上げた初美と目が合う。……が、頬を赤くしながら慌てて俯く初美。
確かに、初美は昔から俺を知っているようだったし、華瑠亜にも家が近いかも……とは言われてた。
しかし、これまで偶然に見かけるようなこともなかったし、最寄り駅まで同じご近所同士だとは思ってなかった。
「じ、じゃあ、行こっか? 家まで送るよ」
しかし、初美が首を振って空を指差す。
「あ……雨」
空を見上げると、確かに今にも
「大丈夫。 降ったって濡れて帰ればいいだけだし、家が近いなら場所も覚えておきたいしさ。もしかして
「あ……んと……あぅ……」
初美が俯いたまま、首を横に振ったり頷いたりと忙しく動かす。
一度にいろいろ訊き過ぎたか?
初美に話す時は、短く答えられるような質問を一個ずつ……一問一答形式だ。
「家は、どっちの方向?」
初美が指差す方向を見ると、今来た道からは少しずれているが、恐らく自宅同士は元の世界で言えば隣の町内くらいの位置関係だろう。
「じゃあ、行こっか」
俺が促すと初美も頷く……が、一向に歩き出そうとしない。
どうやら、俺が歩き出すのを待っている様子なのだが――
「俺、初美の家知らないし、先に歩いてもらわないと送れないないんだけど……」
俺の言葉に慌てた様子で、小走りで俺の隣に並ぶ初美。
「もしかして、俺たちって、
初美が、どうなんだろう? とでも言うように少し首を傾げて考えたあと、まあそうかな? とでも言うように二、三度小さく頷く。
どうやら初美た慣れるまでは、表情と首の動きから考えを読む必要がありそうだ。
幼馴染とは言っても、初美の記憶だって元の世界での話だ。
この世界でもそうだったのだろうと言うのは、
とその時、ついに、ポツ、ポツと頬に雨粒が当たり始める。
慌てて、二人で近くの民家の軒下に避難する。
時を移さず雨足が強まり、激しく
この世界にも下水施設はあるようだが、雨水対策で作られているわけではないし、元の世界と比べると道路の水捌けも決して良くはない。
石畳の道にみるみる雨水が溜まっていく。
「まいったね……。わりと激しいな」
異常気象みたいな問題とは縁遠いこの世界では、向こうのゲリラ豪雨のような降り方も少ないだろうと高を括っていたのだが、あてが外れた。
初美は、俺の呟きに答えることもなく、小川のようになった表通りをボォ~ッと眺めている。
「ここから家まで、歩いて何分くらい?」
初美が右手を差し出してパーの形に広げる。
「五分くらい?」
頷く初美。
走れば二、三分かも知れないが、初美の上げ底のローファーに、水が流れる石畳という条件を考慮すると、もう少しかかりそうだ。
いや、下手をすれば転んで怪我でもしかねない。
西の空も明るくなってきたし、恐らくそれほど長くは降らないだろう。
「すぐに
再び、小さく頷く初美。
最初から、彼女がご近所さんで家まで送っていくことになると解っていれば、傘だって持ってきたのだが……。
麗の顔を思い浮かべて、少しだけ恨めしい気持ちになる。
不意に、初美が鞄からファミリアケースを出すと、左手の指輪で軽く叩いた。
飛び出してきた黒い球体が人型に変わる。
「クロエだにゃん!」
……知ってる。こいつは、いちいち名乗らなきゃならないんだろうか?
寡黙に過ごすのは
わざわざクロエを出すということは、初美も居心地が悪かったのだろうし、今はクロエが居てくれた方が助かる。
それに、いろいろと衝撃の事実が明らかになった直後だけに、ついつい何か質問もしたくなるというものだ。
「
「保育園の頃は、元の世界ではお互いの家に頻繁に行き来してたにゃん」
「そうなのか……じゃあ、ほんとに幼馴染ってやつじゃん」
「そうだにゃん。お風呂だって一緒に入ったことあるにゃん!」
初美が顔を赤くしてクロエの背中をひっぱたく。
ああ……使い魔に、そういう突っ込みもアリなんだ。
「じゃあ、こっちの俺はなんで、恋の相談を華瑠亜なんかにしたんだろ? 幼馴染ならそのまま伝えればよくない?」
自分の行動について質問するというのも変な話だが、自分のことはもちろん、元の世界の初美についても記憶がないので仕方がない。
「元の世界でも一緒に遊んだりしてたのは小二くらいまでだにゃん。それ以降はほとんど話す機会もにゃかったし……こっちの綾瀬くんも声をかけ辛かったんじゃないかにゃ?」
言われてみれば、下手に昔を知っている分、初めて話す相手よりも照れ臭かったというのはあるかも知れない。
「初美んだって綾瀬くんより少し早く転送されただけだにゃん。この世界の初美んについては想像するしかないけどにゃん……」
雨宿りを始めて五分も過ぎると、雨足はだいぶ弱まってきた。
これなら、もう少し待てばまた歩き出せそうだ。
「綾瀬くんは……」
不意に話し出したクロエに少し驚いて初美の方を見る。
相変わらず初美は俯いたままだが、クロエがいれば自分から声をかけたりもするのか。
「えーっと、紬でいいよ。俺も下の名前で呼んでるし……幼馴染ってことならなおさら」
初美が頬を赤らめながら軽く咳払いをしたあと、再びクロエが話し始める。
今の咳払い、必要?
「紬くんは、こっちの世界に来て良かったと思ってるにゃん?」
これはまた、やけにフワッとした質問がきたな……。
「来たばかりの頃はさすがに、どうすんだよこれ? とは思ったけどね」
チート、俺TSUEEE、ハーレム――ことごとく期待を裏切られ、絶望に打ちひしがれて……とまで言ったら大袈裟かも知れないが、相当気分が滅入ったのは事実だ。
でも、今は?
「今は……こっちの世界も悪くはないな、とは思えるようになってきたよ」
「元の世界より?」
「両方の世界で同じ時間を過ごしているわけじゃないから比較は難しいけど、少なくとも最初みたいに、『帰りたくて仕方が無い』と言う気持ちはなくなったな」
一ヶ月も経たないうちにそれなりに大事なものも出来たし、これから更にそれは増えていくんだろうと思える。
見ず知らずの土地に一人きり……なんていう
いい意味で、少し鈍感な性格だったのも幸いしているかもしれない。
とにかく今は、この世界に早く慣れることが今の俺の最大の目的だ。
いつかまた元の世界へ帰れるかも……などという根拠のない期待はとりあえず横に置いて、覚悟を決めるべき段階なのかも知れない。
この世界で骨を埋めることになるかも知れない、という覚悟を。
夕立が止むと同時に太陽もほとんど沈み、夕闇がすぐそこまで迫っていた。
「行こっか」
俺が声をかけると、初美もハッとしたように空を見上げ、慌てて道に出る。
「ああ、
俺が右手を差し出すと、初美はびっくりしたように一瞬固まったが、恐る恐る左手を出して俺の手を握る。
妹にでもするように何気なく手を差し伸べてしまったが……幼馴染なら手くらい繋いでも普通だよな?
初美の肩に乗ったクロエが俺の方を振り返る。
「久しぶりに、二人になれたんだし、もうちょっと話していても良かったかにゃん」
再び初美が、顔を真っ赤にしてクロエの背中をひっぱたく。
なんていうか……直接女の子に言われればトキめくような言葉かも知れないが、猫語のクロエを通してだとどうも茶化されているような気がしてならない。
「そのカミングアウト妖精、もうちょっとなんとかならないの?」
初美のように極端に喋れないのも困るが、本音を隠せないというのもまた、コミュニケーションにおいては重大な弊害だろう。
「その辺で、飯でも食べていく?」
付近に食事のできそうな店も何軒かあるし、クロエの言葉をスルーしてこのまま家まで送るのも無粋な気がして、一応訊いてみる。
どうせ断られるだろうな……という予想に反して、「行くにゃん!!」と、勢いよく答えるクロエ。
行くんだ!?
「じゃあ、
近くの
テーブルの上に一つだけ置いてあったメニューを二人で覗きこんでいると、近づいてきたウェイトレスに「お酒はどうされますか?」と訊ねられる。
そっか……この世界では十四歳でお酒も飲めるようになるんだよな……。
自宅の夕食では何度か何度かワインも出たりしたので知識としては知っていたが、表でも当然のように飲めるということに、まだ慣れていないのか不謹慎な感覚を覚える。
顔を上げると、慌てて首を振る初美の肩の上で、クロエもと首を振る。
「初美んがお酒を飲むと、大変なことになるにゃん! やめた方がいいにゃん!」
なんだか、最後の一言はクロエの実感も篭っているような気がするが……。
俺がこの世界に来る前の二ヶ月の間に、既にお酒で失敗した経験でもあるのだろうか?
結局、飲み物はそれぞれ、バターミルクとアーモンドミルクを注文する。
そのあとはクロエをケースに戻したこともあり、会話らしい会話はできなかった。
ほとんど俺の方だけ、この世界に来てからの苦労話を話しているような状態だったが……。
何となく初美も楽しそうにしていたし、今日はそれで良しとしよう。
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