08.リリス、お前は何者だ?

「リリス、お前は何者だ?」

「うーん、私、思ったんだけどさ。そんなに必要な情報かな? 私が何者かなんて……」

「必要不可欠」

「…………」


 両目をギュッと閉じて、ツバメのように首を傾けるリリス。


「俺は直接ノートの精とやらと話したわけじゃないし、これまでなあなあ・・・・にしてたけど、他人ひとに話すならお前の体験抜きでは説明できないだろ?」


 俺とリリスのやり取りを不思議そうに眺めるうらら初美はつみ


つむぎくん? リリスちゃんって……紬くんの使い魔じゃないの?」

「こっちの世界ではそういう設定になってるけど……実はこいつも、俺と一緒に元の世界から転送されてきたんだよ」


 麗と初美も目を丸くする。そりゃそうだろうな。

 この世界にいた存在というならともかく、元の世界でもこんな人外の存在がうろちょろしてたなんて、すぐに信じてもらえるはずがない。

 俺も最初に話したときは相当パニクったからなぁ……。


「そうね。あんな不思議なノートがあったくらいだし、リリスちゃんみたいなのがいたって不思議じゃないわよね」


 あ……あっさり!?

 麗の言葉に初美もウンウンと頷く。

 さすが腐女子コンビ……適応速度がハンパない。


「ってことで、リリス、おまえが元の世界をうろついてた経緯、そこから全部聞かせてくれ」

「…………」


 リリスが、両腕で目隠しをするように、クッションの上でうつ伏せになる。


「もう今さら、何を聞かされたって驚かないから」

「……紬くん、絶対怒るもん」と、リリスがうつぶせのまま首を振る。

「それは聞いてみなきゃ解らないけど……おまえが元凶だとか、そんな話でもないんだろ?」


 わずかな逡巡のあと、黙ってうなづくリリス。

 ん? ちょっと迷う程度には関与しているのか?


「おまえが関わってないなら、怒るようなこともないだろ」

「絶対怒らない?」

「いや……絶対かと言われると……聞いてみなきゃなんとも言えないけど……」

「…………」

「解った! 怒らない。絶対!」


 再びうつ伏せになっていたリリスだが、俺の言葉を聞いてようやく、のろのろと身体を持ち上げる。


「絶対だからねっ!?」


 こちらに向き直ると、スカートの皺を伸ばしながらクッションの上で座り直し、キッ、と眉尻を上げて念を押す。


「あ、ああ……」

「じゃあ、話してあげるから……本当に怒っちゃダメだからね?」


 なんだ? なんでこいつ、こんな上からなんだ?


 そのあと、小一時間、三人でリリスの話を黙って聞いた。

 魔界ハイスクールで、リリスは女夢魔サキュバスコースの優等生・・・であったこと。

 夏休みの課題で、人間の男性を誘惑するという課題がでたこと。

 誘惑するなら自分の気に入った人にしたくて、夢ノートで調査を始めたこと。

 夢ノートだと思って買ったのが、よく分らない謎の黒ノートだったこと。

 ノートを誤って人間界に落としてしまったこと。

 ノートに呼び出されてみたら、それが紬のもとであったこと。

 そして、ノートによる世界改変に立ち会ったこと……。


 身振り手振りを交えながら、リリスの知っている事実は概ね話したようだ。

 肩の荷を降ろしたように晴れ晴れとしたリリスの表情がそれを物語っている。


「なるほどねぇ……」


 麗が妙に関心している。

 話は突拍子もない内容だったが、魔界の存在をまるっと飲み込めば、一応辻褄は合っている。

 それにリリスも、下手な嘘をつけるほど器用な性格でないことは、これまでの共同生活でなんとなく理解している。

 もっとも〝優等生〟ってところだけは目が泳いでたので妄言だろう。


「まあ、俺とリリスの方は……そういうことだそうだ」


 そう言った俺に、眼鏡の奥から白い目を向けてくる麗。


「で、その、ハーレム設定って何よ、イヤラシィ~」


 本気で怒ってるわけではなさそうだが、麗がしかめっ面を作る。

 ぷくっと片頬だけ小さく膨らませるのは彼女の癖なのだろう。

 意識しているかどうかは分からないが、あざと可愛い。


「ああ、いや、あれは勇哉ゆうやが全部考えたんだよ」

「川島くんが?」

「そうそう。話すと長くなるんだけど、元々ノートを拾ったのは勇哉なんだ」


 リリスも驚いた表情になる。

 そういえばこのことはリリスにも話したことなかったな。


「よく、拾ったノートの表紙を真に受けて、そんなバカなこと書いたわね?」

「ま、まあ、そのへんは、ほら……勇哉だからさ」

「で、川島くんが書いたノートをなんで紬くんが持ってたの?」

「それも話すと長くなるんだけど……いろいろあって、勇哉が中身をチェックしてくれと……」


 このあたりのことを説明するにはNASA眼鏡のくだりから話す必要がありそうだが、あまりにもくだらない話だし、俺まで同類と思われても困るので伏せておく。


 麗の目を見るとまだ納得はしていないようだが、とりあえずそれ以上突っ込んでくることもなさそうだ。

 代わりに、何かに気づいたようにパンッと拍手を打つ。


「そっか! だから突然、戦闘実習班の組み換えなんてやって、D班みたいな男女比のおかしい班ができたのね」

「まあ、結局ハーレムなんて存在してなかったんだし、勘弁してくれよ」

「感情的にはそうだけどさぁ、女の子だらけなのは事実じゃない?」

「それはそれで結構キツぞ? 最初の戦闘準備室なんて針のむしろだったし」


 あの時の険悪な華瑠亜かるあを思い出すと、今でも少しへこむ。


「あれは、可哀相だったわねぇ……特に、華瑠亜ちゃん? の、紬くんへの心象、最悪だったでしょ?」

「ああ。俺も昨日知ったんだけど、俺が来る前、この世界の俺が華瑠亜に恋の相談をしてたのが原因っぽい。その……初美関連の……」


 初美がうつむきながら体を小さくする。


「ああ、別に怒ってないからな、気にするなよ?」


 声を掛けると、初美が小さく頷く。

 そんな初美を横目で見ながら、麗が不思議そうに首を捻る。


「でも、初美のことで紬くんを怒るなんて、もしかして華瑠亜ちゃんも紬くんのことを……」

「いや、そりゃあない。あいつのつてでちょっとしたバイトしててさ。俺に好きな子でもできたらそれが頼み難くなる、ってぶつぶつ言ってただけ」


 バイト内容が、華瑠亜の部屋のハウスキーパーだと言うことは黙っておこう。

 あれも、いろいろと誤解を招きかねないからな。


「えーっと……私のことは、怒ってない?」


 リリスが恐る恐る……といった様子で、机の上から訊ねてくる。


「ん? おまえの話に、何か俺が怒りそうな要素あったっけ?」

「ノートを間違って買ったこととか、ノートを落としたこととか……」


 確かに俺の転送のことだけを考えればリリスの失態チョンボが原因と言えるかも知れないが、麗や初美が既にこの世界に来ていたのは変わらない。

 二人の話を聞いた後だと俺だけ怒るのもなにか違う気がする。それに――


「成り行きで始まったことだけど、今はこの世界の生活もそれなりに大切に思っているし」


 リリスの顔がパッと明るくなると同時に、少し涙ぐんでいるようにも見えた。


「そっかそっか! それじゃあ、それは私のおかげだね!」

「い、いや、そこまでポジティブに評価はしてない」

「なんか、安心したらお腹減ってきた!」


 こいつ、そればっかりだな。

 テーブルからお菓子を一つ取ってリリスに渡してやる。


「それにしても、川島くんが考えた内容が、たまたまこの世界にマッチングしてたのはすごい偶然ね」


 麗の言葉に、俺は首を振る。


「いや、偶然じゃないだろう。麗がこっちに来た後、勇哉もそのL・C・Oとか言うゲームを始めてたからな。」

「そういえばさっき、そんなこと言ってたわね……」

「うん。あいつの世界設定も、そのゲームがベースになってたんだと思う」


 ノートに直接、L・C・Oの設定らしきものが貼ってあったくらいだからな。


「リリスの魔力だけじゃ、一から世界改変は割に合わないと思ったノートの精が、以前作ったこの世界をちょこちょこっといじって俺たちを転送したんだろ」


 聞いてみれば手抜きもいいところだ。

 だが、それとは別に腑に落ちないことがもう一つ。


「世界観なんかが似通にかよっていたのは解るけど、みんなの専攻職までピッタリ一致してたのは、さすがに出来過ぎなんだよなぁ……」

「そうねぇ……」と、麗が、釣られて初美も頷く。

「麗を、ゲームの通り踊り子にしたのは解る。でも、D班の他のメンバーの専攻職まで、麗は設定してたわけじゃないだろ?」

「そうね」

「勇哉はなんで、この世界のD班の専攻をピタリと当てることができたんだ?」


 麗が束の間、うーん、と考え事をするように片頬を膨らませる。

 あざと可愛い。


「あまり考えたくはないんだけど……」

「うん」

「紬くんがこっちの世界に転送された時点でみんなの職業も、そして関係者の記憶も上書きされたのかも知れない」


 確かに、全世界の人間の記憶を一から再構築するような改変を行う連中だ。

 学生数人の専攻職を書き換えるくらい造作も無さそうにも思える。

 しかし――


「仮に記憶の改変が可能だったとしても、職業に合わせて……いろいろ装備なんかもあるわけだよな? そんなものまで全部変えられるものかな?」

「そう……ね」


 少し考えたあと、再び麗が口を開く。


「それじゃあ、紬くんを転送する際に、紬くんの記憶をこの世界に合わせて改ざんしたとか?」

「それは俺も考えたけど……そんなことができるなら、ノートにあれこれ書かせる意味がなくないか?」


 う~ん、と、片頬を膨らませながら、再び考え込む麗。

 反対側の頬には人差し指――相変わらず可愛らしい思案顔だ。

 決して目立つタイプの女子ではなかっただけに、これを見出みいだしたのが俺だけじゃないかと思うと、ちょっとした優越感も味わえる。


「まあ、それについてはもう、これ以上ここで話しても答えなんて出なそうだな」


 議論を切り上げた直後、今度はお菓子を頬張りながらリリスが首を傾げる。


「私までこっちに送られたのは、なんでかな?」

「俺が飛ばされたのが別の世界線じゃ、リリスおまえの『夢を調査する』って目的も達成できなくなるからな。後からゴチャゴチャ言われるのが嫌だったんじゃ?」

「えーっ! じゃあわたしは、あのポンコツに騙されてこの世界に来たってこと?」


 そういえば、ノートの精もなんだかバタバタやってたしなぁ、と思い出しながら、リリスもようやく得心したようだが……気づくのがおせーよ!

 

「とりあえず、初美の話を聞く限りでは、俺たちの存在も元の世界では初めから居なかったものとして操作されてそうだな」

「そうね……なんだか寂しいわね」


 俺の言葉に、麗もやや神妙な面持ちになる。

 確かに喪失感は大きいが、しかし、逆に安心した、という気持ちもある。


「もしかしたら、突然居なくなって家族に心配かけてるかな、と思って気が重かったから……そういう点では少し気が楽になったかも」


 初美も、俺の言葉に小さく頷く。

 麗と違って初美も、向うで自分の代わりとなる存在はいないと言われてるし、立場としては俺と一緒だ。


 時計を見ると、もう少しで夕方の六時になろうとしているところだった。

 だいぶ日も傾いている。

 結構長く話してたな。


「時間も時間だし、今日はそろそろおひらきにするか?」

「そうね。……初美も、いい?」


 初美もコクンと小さく顎を引く。


「そうそう、転送組で今後も何か話すこともあるかも知れないし、一応これ……」


 そう言って麗と初美に俺の電話番号を渡す。

 初美も慌てて、自分の番号を書いたメモ用紙を返してくる。


「じゃ、駅まで送るよ」

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