07.【黒崎初美の場合】その弐
【黒崎初美の場合】その弐
(とにかく、試せるだけのことは試してみよう!)
――
そう書き記すると、再び折りたたんで枕の下に置く。
麗から見せてもらった内容を見る限り、本来であれば細かい世界設定などを書き込むためのアイテムらしい、ということは初美にも想像できた。
しかし、仮に麗とまったく同じ世界設定を書きこめたとしても、そこに麗がいないのであれば意味がない。
考えあぐねた結果、結局は、ただ素直な気持ちを書き記すことにした。
初美も、異世界の存在など本気で信じているわけではない。
しかし、初美が知っている麗がいる場所ならそこがどこであろうと、付いていきたいと思う気持ちは本当だった。
――午前零時。
ふと、部屋の中に何者かの気配を感じて初美が目を覚ます。
(何? 何か……いる!?)
布団から顔だけを出して、目が暗闇に慣れるのをじっと待つ。
部屋の中には……誰もいない。
しかし、たとえ姿は見えなくても、圧倒的な、得体の知れない存在感を放つ〝何者か〟が部屋の中に、確かにいる。
理屈ではなく、本能で感じた全身が総毛立つ。
「だ……誰か……いるの?」
恐る恐る声をかけてみる。
暗闇の中で、思っていたよりずっと大きく響く自分の声に驚く。
そんな初美の言葉を待っていたかのように、得体の知れない何者かが答えた。
『驚いたな。そんなノートの切れ端で
地の底から湧き上がってくるような、陰々滅々とした不気味な声だった。
それに呼応するように、枕の下から青い光が漏れ出す。と、同時に聞こえてきた、もう一人の声。
「今宵も、汝が我の契約者で間違いないですかな?」
『構わん。……が、姿が見えんようだが?』
「ノートの表紙がないので実体化は出来ませぬが……この者の望みを果たす程度の力は行使できましょう」
『この者の望みとは?』
「昨夜の人間……長谷川麗とやらと一緒の世界へ行くことだと書かれております」
『なるほどな……。願い事を叶えるアイテムではないんだが……。確か人間界にもそんな話があったな。七つの玉を集めるとドラゴンが出てきて……』
「ゴホンゴホン……それ以上はいろいろとお叱りを受ける可能性もありますので、そのへんで」
『そうか。……で? 複数人の転送を行っても、あの世界は大丈夫なのか?』
「それは問題ないでしょうな。もともとそれを想定して、
『なら、構わん。わざわざ呼び出されて成果なく戻るのもつまらん。やってやれ』
「分りました」
少し間があり、青い光の声が初美に話しかけてきた。
「人間よ。既に改変されている世界への転送につき、こちらの世界でのお前の変わりは用意できぬが、それで構わんか?」
あまりの非現実的な展開に、初美の頭はとうに正常な思考能力を失っていた。
しかし、自分の知っている麗ともう一度会えるなら、それがどこであろうと会いたい……その願いに対する執着だけは、初美の中で揺るぎない。
「ええ。構いません」
初美が答える。
人見知りでいつも言葉に詰まる初美だったが、人の姿が見えないせいか、これだけ非現実的な展開の中でも、いつもよりスッと言葉を発することができた。
「転送後の世界で、何か望むことはあるか?」
「望む……こと?」
「お前が成りたい者や、想い人との恋の成就など……今の段階であれば、ついでに聞いてやるぞ」
(魔族のような連中かと思っていたのだが、意外と優しい人たち? )
初美は、麗のノートに書かれていた世界が、
「それじゃあ、私の職業はビーストテイマーにして」
ゲームの中で選んでいるのと同じ
「……よかろう。他にはないか?」
想い人……そう言われて、一人の男子の顔が初美の頭に浮かぶ。
(
紬のことはクラスメイトになる前から知っているが、今まで異性として意識したことはなかった。
ところが最近、初美が好きな熱血バレーボールアニメに出てくる贔屓のキャラクターと、紬の声や雰囲気がそっくりなことに気付いてから、急に気になりだしていた。
恋愛感情かどうかは分らないが、異性への興味が、そんなきっかけでよいのだろうか?
さすがに我ながら腐女子脳だと自嘲した後に、しかし、また別の可能性が頭に浮かんでくる。
もしかすると、紬に似ているからそのキャラクターを好きになったのかも知れない……と。
(私は、紬くんのことをどう思っているのだろう?)
これまで三次元の男子に興味を持った自覚など無かったし、自分でもよく解らなかった。
しかし、紬のことは、そういう恋愛感情とはまた別の意味で、ずっと気になっていたような気もする。
だが今は、そんなことをゆっくりと考えている暇はなさそうだ。
(確か、麗の話では学校の存在を異世界に引き継がせたと言ってた。と言うことは、異世界にも同じように学校があって、綾瀬くんがいると言うこと?)
「同じクラスの……綾瀬紬くんと……両想いになれる?」
思わず、そう呟いていた。
そして、自らの声を聞いてようやく覚悟が決まる。
(とにかくものは試しだ。ダメ元で、頼めるうちに頼んでみよう)
「簡単なことだ」
直ぐに、青い光から答えが返ってくる。
(本当に!? 叶えられちゃうの?)
あまりに呆気なさすぎて、それはそれで心の準備が出来てない気もする。
「では、そろそろ、転送を開始する」
青い光の声と同時に、体がフッと宙に浮かぶような感覚を覚える初美。
しかし、それも束の間、気がつけば部屋からは、得体の知れない存在の気配も、青い光も消え去っていた。
慌てて枕を持ち上げるが、そこにたたんで入れていたはずのノートのページもなくなっている。
(夢……!?)
初美は、恐る恐る部屋のカーテンの隙間から外を覗いて息を飲む。
そこには、明るい月に照らされて、中世ヨーロッパのような
既視感のある光景だった。
そう……L・C・Oの公式ページ等で、街の様子を紹介するのに使われているキービジュアルそっくりの風景。
結局その夜は、朝まで一睡も出来なかった。
本当にL・C・Oの世界に来てしまったという、現実離れした体験からくる高揚感のせい……と言うのも、もちろんある。
だがそれ以上に、こんなリアリティのない状況だからこそ、もしここで寝てしまったら、まるで夢だったかのように元の世界に戻ってしまうのではないか――
そんな、目の前の光景が
翌朝、最初にこの世界にきた紬と同じように、他の生徒を見つけては見よう見まねで行動し、始業の五分前にはなんとか教室に入ることができた。
元の世界と同じ席に、見慣れた後ろ姿で座っている女生徒が見えた。
唯一違うのは、以前はコンタクトレンズだったのが、この世界では赤いオーバルフレームの眼鏡に変わっている点くらい。
――
「おは……よう」
麗の肩を叩いて初美が挨拶をする。
麗も振り返る……が、いつものような明るい笑顔ではなく、どこか緊張したような、よそよそしい笑顔に見えた。
「おはよう……初美」
もし、目の前の麗が、元の世界から一日早く来た麗であるなら、こちらの世界にいた初美と既に会話をしていることも充分に考えられる。
しかし、もしそうだったとしても、彼女が会話した相手は、L・C・Oどころか、アニメや漫画すら知らない、この世界の初美だ。
元の世界の麗が、同じように胸襟を開いて付き合える相手だとは思えない。
麗にとってこの世界の初美は、まるで初対面のように感じられたのではないだろうか。
麗の強張った表情がまさに、それを証明しているかのように初美には思えた。
「私もね……追いかけて……来たよ」
初美が、思い切って話してみる。
(もしかしたら、目の前の麗は元々この世界にいた麗かも知れない。もしそうなら、一時、怪訝な顔をされるだけで終わるだろう……)
そう覚悟しながらも、そうなった時の孤独感を想像すると、不安と緊張で心臓が止まりそうな気がした。しかし――。
初美の言葉を聞いて麗の目が大きく見開かれる。
「はつ……み? 船橋第二高校の、初美なの?」
「そう……だよ」
麗の目に、みるみると涙が溢れていく。
「初美ぃ~~っ!!」
泣きながら初美に抱きつく麗を、教室中の生徒が不思議そうに眺めていた。
◇
「……と、いうことにゃん!」
どうやら、クロエの話も終わったらしい。
「あ、ああ……」
俺も、なんて答えていいのか解らず間抜けな相槌を打つ。
だって、黒崎が俺を好きだとか……間接的に告白されたような内容だぞ!?
このクロエとか言う精霊、マズい部分は伏せておくとか、そういう機転をもうちょっと利かせられないのか?
クロエがその
そりゃそうだろうな。ただでさえ極度の人見知りだっていうのに、あんなことまでカミングアウトされちゃあな……。
恐らく、黒崎が話す内容を考えているわけではなく、黒崎の記憶を引き出しながらクロエが話す内容を取捨選択しているのだろう。
俺と黒崎の間に横たわる微妙な空気を察したのか、麗が、
「ま、まあ、初美の『好き』は、紬くんが……と言うよりも、そもそもはアニメキャラに対してだからね? その辺りはあまり深く考えないでいいと思うわよ」
よくは分らないが、二・五次元に生きている人間の独特の感性だろうか?
春頃にこの世界の俺が、黒崎の事で
但し、結局は何の進展もないまま、今の俺がこの世界に転送されたことで記憶と感情が上書きされてしまったようだが。
二ヶ月もあって進展なしとか、この世界の俺もなかなかシャイなやつだったんだな……。
とりあえず、話を聞いていろいろと繋がったことがある。
「麗は改変前のこの世界の麗と入れ替わることができたから、ほとんど同一の記憶を持った〝替わりの麗〟を、元の世界に残すことができたんだろうな」
その後、俺が見ていた、勇哉とL・C・Oを通じて話すようになった麗は入れ替わりの後の麗だったため、今ここにいる麗にはその記憶がないのだ。
「多分、元の世界に行った私は、別の世界線に移動させられていることにも気付いてないかもしれないわね」
「改変前の二つの世界はほぼ同一だったらしいからな」
「でも、初美の場合は、既に改変された世界に転送されたわけだから……こちらの初美に上書きされて、元の世界の初美はおそらく……」
麗が言い難そうに言葉を濁す。
「恐らく、元々存在していなかったように関係者の記憶が書き換えられたんだろう。俺に黒崎さんの記憶が無いのもそのためだと思う」
「異議あり!」
突然クロエが右手を挙げる。
「な、なんだ!?」
「私のことも、苗字じゃなくて名前で呼ぶにゃ! と、初美んは思ってるにゃん!」
「クロエ、戻れ!!」
慌てて黒埼が叫ぶ。
その声で、出てきた時と同じように黒い球体となって、ファミリアケースに戻っていくクロエ。
なんだか……便利なのか不便なのか解らん使い魔だったな……。
慣れてくれば、話す内容をちゃんと選り分けることができるんだろうか? そうじゃなかったら相当厄介な使い魔だぞ、あれ。
ともあれ、はっきり聞けた黒崎の声は、鈴を転がすような……という形容がぴったりの、とても可愛らしい声だった。
「じ、じゃあ、初美さん……でいいのか? 呼び方」
初美が首を左右に振る。
「じゃ、じゃあ……初美ちゃん?」と言う俺の言葉にも、首を傾げて迷ったような表情。
「初美……の方がいいか? 呼び捨てだけど……」
初美が、目を伏せながらもウンウンと頷く。
そう言えば、初美は俺のことを昔から知ってたと言ってたな。
華瑠亜も、俺と初美の家が近いかもと言ってたし、小学校から一緒だったりしたのだろうか?
詳しく聞いてみたいが、とりあえず俺の話もしないとな……。
「じゃあ、麗と初美の話を聞いたところで、俺の方の
俺は机の上のリリスを見る。
「俺の話だけじゃ、全然足りないよな、きっと」
クッションの上にちょこんんと座りながら、ギクッと両肩を跳ね上げるリリス。
「リリス、お前は何者だ?」
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