02.NASAだぜ、NASA!

NASAナサだぜ、NASA!」


 二年B組の教室に入ると真っ先に、大きな声で何やら熱く語っている川島勇哉かわしまゆうや――去年から同じクラスの悪友の姿が目に止まる。


 平均的なボリュームで話し始めても、周囲のリアクションが薄いと際限なく声が大きくなるのが勇哉の特徴だ。

 机の上に腰掛けた勇哉を、呆れたような表情で見上げる車座くるまざの友人達を見る限り、今回もお馴染みのパターンに違いない。


「よう! つむぎ!」


 俺と目が合い、嬉しそうに手を挙げる勇哉。

 見たところ、周りのお座なりな反応に物足りなさを感じていたのだろう。俺を見る目が、まるで新しい獲物を見つけたかのようにキラキラと輝いている。


「おはよ……NASAがどうしたって?」


 俺も軽く手を挙げ、さっき聞こえた単語について義理・・で訊いてみる。


「それそれ! 見てくれよこれ!」


 勇哉が、表紙に水着の女の子が四人ほど写ってるアイドル雑誌を机の上に置いた。

 アイドルにはあまり興味がないのでパッと名前が出てこないが、広告やCMで何度か見た記憶がある四人組のグループだ。


「誰だっけ? この子達」

「ペイントフォーだよ、ペイントフォー! じゃなくて、こっちこっち!」


 勇哉が、雑誌の最後の方の白黒の広告ページを開く。

 持っているだけで恋人ができるペンダントとか、宝くじに当たったりする水晶とか、一週間で二十キロ痩せるダイエットサプリとか――

 そんな、猫型ロボットのポケットのような夢満載の通販ページだ。


「これこれっ!」


 勇哉が、H・M・Dヘッドマウントディスプレイのような商品写真が掲載されている箇所に指を乗せる。

 説明文には、『NASAが、コールドスリープ中の脳死を防ぐために開発したレム睡眠誘導&明晰夢めいせきむ編集技術がついに日本上陸! これを使えばあなたも明晰夢を自由自在に編集して理想の世界を堪能できます!』と書いてある。


 何のこっちゃ?


「真面目に聞かないほうがいいぞ」


 俺も、かなりいぶかし気な表情を見せていたのだろう。苦笑しながら話しかけてきたのはその場にいた友人の一人、森歩牟もり あゆむだ。

 言われるまでもなく、勇哉の話を真面目に聞く機会なんて年に一度あるかないかだが……。


「おまえは黙ってろ!」と、勇哉が歩牟の肩を小突こづく。

「明晰夢って、確かあれだろ? 夢の中で、これは夢だって気付くやつ」

「そうそう! なんだよ紬、博識じゃぁん!」


 俺の言葉に勇哉が嬉しそうに頷く。


「で? それがなに?」


 聞いて驚くなよ! という昭和チックなフレーズに続いて、勇哉が胸を反らせて説明を始める。


「この機械で、その明晰夢の内容を自由に変えることができるんだよ!」


 束の間、流れる沈黙――


「マジかよ……」


 この『マジかよ』は、もちろん商品に対してではない。勇哉の頭に対する懸念だ。

 勇哉の顔を心配そうに眺める俺を見て、周りの友人達はみな悟っているのだが、一人だけ解っていない勇哉は得意満面で話を続ける。


「マジマジ! なんてったって、あの・・NASAだぜ?」


 あの・・NASAがそんな下らないことに時間を浪費するわけがない。


「コールドスリープ中に脳が死んじまわないように、定期的に明晰夢を見せる技術を開発したらしいんだけど、それがいよいよ日本に上陸したのよ!」


 そもそも、コールドスリープは和製のSF用語であり、正確には長期冷凍睡眠ハイパースリープ、若しくは冬眠タイプハイバネーションの二つに分けられる。間違ってもNASAが使うような単語ではないし、もちろん、技術的にはどちらも確立されていない。


 そもそも、脳死対策になんで明晰夢?

 あまりにも突っ込みどころが多い内容に言葉を失ったのだが、それを感嘆の沈黙だと受け取った勇哉がさらに畳みかける。


「例えばさ、ペイントフォーの四人とあんなことやこんなことしたい! って願望も、まさに夢の世界で叶えられるってわけ!」


 さすがに、そこはヒソヒソ声にトーンを落とす。

 なんか、既視感ある光景だと思ったら、確か去年の今頃も――


「そう言えば、去年は、FBIの技術を応用したモザイク除去メガネとか言って買ってなかったか?」


 途端に表情を曇らせる勇哉。

 五角形フレームの奇妙なメガネをかけ、バッチリモザイクがかかったままのアダルトビデオに愕然とする勇哉を想像して、腹を抱えて笑った記憶が蘇る。


「あ、あれは、俺も若かったって言うか……よくよく考えたらFBIがモザイク除去技術なんて研究するわけないんだよ……」


 なぜ、それと同じ論理を今回のNASAにも応用できないんだろう。


「何しろ、米国あっちのAVにはモザイクなんてないからな!」


 いや、問題はそこじゃない。


「でもさ、今回は全然次元が違う話じゃん? コールドスリープ中の脳死を防ぐ明晰夢だぜ?」


 広告のキャッチコピーを復唱してるだけなのは、去年と変わってないな。


「で、どうすんの? 買うの?」

「それがさ……値段、九千八百円なんだよね」


 高っ!

 まあ、でも、あの写真のH・M・Dヘッドマウントディスプレイみたいなのが届くなら、確かにそれだけでそこそこの値段はしてもおかしくない。


 いや、むしろ安い?


 ……と思ってもう一度よく見てみると、写真のHMDはNASAの専用モデルで、日本に上陸するのはメガネ型の量産タイプだと書いてある。

 五角形フレームの悪夢、再びか?


 そもそも、夢を見るということは目を瞑っているはずだ。HMDのような機械マシンならともかく、量産型まで眼鏡である必要があるのか?


「でさ、今、金出し合って買わないか、って相談してたところなんだけど……」


 すかさず、話を聞いていた森歩牟、塩崎信二しおざきしんじ小野沢光おのざわひかるの三人が「パ~ス!」「俺もパス」「同じくパス」と順に答える。

 相談だと思ってたのは勇哉だけで、他の三人はいつもの与太話を呆れ顔で聞いていただけらしい。


「本当に明晰夢が見られたって、お前らには絶対に貸さねぇからな!」


 勇哉はそう言うと、今度は俺の方に向き直る。


「で、紬はどうよ?」


 昨日、バイト代が入ったばかりでお金はあったが、ドブに捨てると解かりきっていることには一円だって使いたくはない。

 五千円……と聞いてふと、先月勇哉に五千円借りてたことを思い出す。どうしても欲しかった、「メイド騎士リリカ」のブルーレイボックス(初回限定版)のために不足分を借りていたのだ。

 ダメ元で勇哉に提案してみる。


「先月借りてた五千円、あれチャラでいいならこのメガネに五千円出してもいいよ」


 よく考えるまでもなく、まったく割り勘になってないのだが……。

 勇哉は少し考えて「解った! それでいいよ!」と、OKサインを出して頷く。


 ほんとかよ!?

 思うに、本人の中で買うことはほぼ決定していて、あとはほんの少し、誰かに背中を押して欲しかっただけなのだろう。


 話が決まったところで丁度チャイムが鳴り、副担任の鷺宮優奈さぎみやゆうな先生が入ってくる。今年大学を卒業したばかりでいきなり、母校であるこの船橋第二高等学校に赴任してきたのだ。

 身長は百五十五センチと華奢で小柄ながら、童顔&推定Eカップ(勇哉調べ)というわがままボディーで、一気に学校中の男子生徒のアイドルとなっていた。


「今日は担任の奥村先生がお休みのため、HRホームルームは私が担当しますね~!」


 教壇で一生懸命声を張り上げる優奈先生を見ながら、ほんと、この先生の声を堪能できる点だけは、このクラスでラッキーだったとつくづく思う。



 三日後――――


 NASAの話などすっかり忘れた頃、休み時間に声を掛けられる。

 業間休みや昼休みでもない限り、自販機コーナーには滅多に生徒も来ない。そこへ、なぜかリュック持参で俺を呼び出す勇哉。


「何だよ、コソコソと?」

「あのさ、例のNASAのアレなんだけど……」


 NASA?


「…………」


 ああ! マジで忘れてた。


「あ、ああ、はいはい。夢の、アレね……。どうした、アレ?」

「それがさ、届くには届いたんだけど……」

「早いな」

「うん、それもそうなんだけど……届いたの、これなんだよ」


 勇哉が、リュックの中から取り出した物は――


「何これ? スケッチブック?」


 ……にしては少し小さいか?

 A4版位の黒いノートで、表紙には白いインクで何か書いてある。


【こののうとに みたいゆめおかいてねると そのゆめがみれます】


 このノートに見たい夢を書いて寝るとその夢が見れます?

 字も文章も、とても日本人が書いた物とは思えない。


「どう思う、これ?」


 どうもなにも――


「少なくとも、NASAには見えないな。字と文章だけは外国人っぽいけど」

「だよな。でも、メガネではないけど、一応好きな夢を見るためのアイテムっぽいし、偶然にしては出来すぎてないか?」


 仮に偶然だとしても、どんな偶然が重なったのか全く想像できない。


「しかもこれ、宅配便とかじゃないんだよね。俺の部屋の窓に、このまま立て掛けてあったんだよ」

「何それ? こっわ!」

「だろ? 細かいことは気にしないことで有名な俺も、さすがに突っ込み所が多過ぎて当惑してると言うか……」


 そりゃそうだろうな。俺なら除霊を頼むレベルだ。

 そう思いながらノートをペラペラと捲ると、何やらビッシリと文字が書きこまれている。良く見ると……勇哉の字だ。

 他にも、何かウェブページをプリントアウトして貼り付けたような箇所も。


「何これ?」

「ああ、まあ、せっかくだから試しに何か書いてみようかと……」


 それ、当惑してる奴がやることか?


「試し……って量じゃないだろ、これ」

「実はさ、商品届いたらこんな設定の夢にしようって、忘れないようにノートに箇条書きでメモっておいたんだよね」


 その中の一つを基にして書いてたら、何だか筆が乗っちゃってさぁ、と笑いながら勇哉が頭を掻く。

 筆が乗るとか、おまえは人気作家か何かか?


「で、夢は見れたの?」

「いや、それが、書きかけのまま机に置きっぱなしにしちゃってさ」

「それじゃダメなの?」

「そういうのって普通、枕元に置かないか?」

「そういうもんかね……」


 まあ、言われてみればそんな気もする。


「でさ、一応二人で買ったもんだし、お前も何か書くかと思って持ってきたんだけど……」

「律儀かっ! 俺はいいよ、あからさまに怪しいし。勇哉が先に使えば?」

「まあ、使うのは俺が先でもいいんだけど、こういう形式だと、二人で別々の夢ってわけにもいかなそうだろ? だから、一応紬にも目を通して貰おうかと思って……」


 まさかほんとに、五千円ずつ割り勘したつもりでいるのか?


「一応、二人の共通の夢ってことで、クラスネタの設定にしたんだぜ!」


 勇哉が得意気に話し始めたところで、始業のチャイムが鳴る。

 持って帰るの面倒だな……とも思ったが、学校ネタと聞いて少し興味が湧く。

 勇哉が先に試した後じゃ、その伝説の設定も闇に葬られかねないし……今のうちに読んでおくのも悪くない。


「解った。じゃあ、今晩目を通しておくよ」

「おう! 紬も、何か書き足したいことがあったら書いておいていいぞ」


               ◇


「ああ~、ミスったよぉ~!」


 リリスがシャワーを浴びながらガックリうな垂れる。


 放課後、夢ノートを買った後、人間界に繋がるワームホールを開いたまでは良かったが、座標を間違えて出口を空中に開いてしまったのだ。

 ホールゲートを即座に再開してしがみついたので落下は免れたが、気が付けば夢ノートが消えていた。慌ててしがみついた際に、地上に落としてしまったらしい。

 人間界に実体化している間は、例え悪魔でも、それなりの用意がなければ重力を無視してふわふわ飛ぶようなことはできない。


 一旦シャワーを止め、泡立てた魔界シャンプーで髪を洗う。

 肩口まで伸びた菫青色サファイアカラーの髪先から落ちた泡が、最近少しずつ膨らみだした乳房の先を隠すように、ポタポタと滴り落ちる。

 尤も、これまでが俎板まないた状態だっただけで、サキュバスとしてはまだまだ物足りない自称・・Bカップ程度の主張ではあるが。


(誰かがたまたま拾って表紙の字を読めば、使ってくれる可能性もあるけど……)


 もし、川や森の中など、人目に付かないところに落ちていたらそれも絶望的だ。


 月のお小遣いが五百ダミエンのリリスにとっては、百五十ダミエンとは言え、なかなか痛い出費だ。もう一冊買おうにも、お小遣いは底をついているので来月まで待つ必要がある。

 使用済みページを廃棄しながら使い回せば、あのノート一冊でも結構な人数の調査ができたはずなのに……と歯噛みするリリス。


(もう、相手の趣味趣向なんて無視して、ぶっつけ本番で誘惑しようかしら?)


 しかし、そうなるとどうしても、ほとんどの男性に効果があるであろうお色気全開の淫夢作戦に頼らざるを得なくなる。

 百歩譲ってお色気誘惑作戦を実行するなら、せめて自分が好きになれる男の子を見定めたい。その為にも、本性が出やすい夢のチェックはやっぱりしておきたい……。


 結局、堂々巡りだ。


 再び蛇口を回して頭からシャワーを浴びる。胸元を隠していた泡も幼気なボディラインに沿って流れ、薄桃色の小さな蕾が顔を出す。

 圧倒的に純血悪魔が多い同級生の早熟ボディに比べれば、人間の血が混ざったリリスの肢体は未だ、男性を誘惑するにはあまりにも少女のそれだった。


(とりあえず二、三日待ってみて、様子を見よう)

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