08.寝室

 寝室……と言うのは勿論、最初に俺や可憐が寝かされていた狭い隣室のことだ。

 四畳半程のスペースに、子供用サイズの小さなベッドが一台。

 多分メアリー用だろう。

 その横の空いたスペースには布団が三組並べられている。


 三組?


「あれ? メアリーはベッドじゃないの?」

「ベッドはリリっぺが使います」

「いや……だとしてもあのサイズなんだから、メアリーと一緒に使えるでしょ?」

「いいんです! メアリーはパパとママの間で寝ます! でないとまた、ツムリがカリンにいやらしい事をするかも知れません」


 何でそこだけ名前に戻すんだよ。


「変なことするつもりはないけど……夫婦って設定なんだし、問題ないんじゃ?」

「設定って何ですか! そんな言葉、パパとママの魂に失礼なので控えて下さい!」

「ごめんごめん……いや、だからさ、さっきまでキスしろとかなんとか、散々言ってたのはメアリーじゃん」

「パパとママの魂が宿っていても肉体はお二人の物ですからね。変な事させたらパパとママが成仏した後、設定に付き合ってくれたママに申し訳ないです」


 メアリーおまえも設定って言ってるじゃん!


「いや……ぶっちゃけ、狭くない?」

「いいんです! メアリーが真ん中で寝ます! 異論は認めません」


 “親子で川の字” がしたいんだな……と言うのは分かるんだけどさぁ。


「なんだったら俺、隣の部屋で寝ようか? さすがにこれじゃ窮屈だし、俺がいなくてもママと寝られればいいんじゃない?」

「メアリーが寝てる間は結界石への干渉力が弱まりますので、二部屋は無理です」


 そっか。まだグールがいないとも限らないんだよな。

 仕方ないので、リリスをベッドに放り込み、残り三人は並んで布団に入る。


 布団が三組とは言っても、三人分あるのは掛け布団だけだ。

 敷布団は二枚。しかも、狭いので片側は壁に沿って縦に折られている。

 実質、一枚半程度の幅しかない。


 やっぱり狭いなぁ……これじゃあ寝返りも気軽に打てないぞ。


「メアリーはいつも、パパの腕枕で寝ていました」

「そうなんだ」

「…………」


 ゴツッ! という音と共に、膝下ひざしたに感じる鈍痛。

 いったっ!!

 メアリーこいつ、俺の膝を蹴りやがった!!


「メアリーに腕枕をして下さい! って意味ですよ!」

「はいはい……」


 父親の話は絶対嘘だろう。

 床とベッドで分かれてただろうに、どうやって腕枕をしてたんだよ?

 そう思いつつ、左腕をメアリーの首の下に差し入れる。

 まあ、狭い場所では腕枕をしてあげた方が、こちらの体勢も楽にはなるが。


 程なくして、俺の胸に顔を埋めるように眠るメアリーから寝息が聞こえてくる。

 こうしてると、なんだか本当に娘ができたような気分になる。


 責任かぁ……。

 万が一取る事になったら、結婚はさすがに無理だけど、養子くらいならあり得るかも知れない?

 そんなことを考えていると「起きてるか?」と、可憐の声がした。


「うん。どうした?」

「さっきの責任云々の話だけど、結婚はもちろん、養子とかも無理だからな」

「え!? 今、ちょうどそのこと考えてたんだけど……」


 はぁ……と、溜息をついて、可憐が体をこちらに向ける。

 間にメアリーがいるとは言え、腕を伸ばせば可憐まで腕枕にできそうな距離だ。

 薄明かりの中、かなり近い息遣いに思わず心臓が高鳴る。


「もしや、と思ったけど、やっぱりそんなことを……」

「いや、本気じゃないよ? 多少想像したけど、あまりにも現実味のない話だし」

「まあ、それもあるけど、もっとなんだよ」


 常夜灯用のランプに照らし出された可憐の瞳が真っ直ぐにこちらを見つめる。


「養子が未成年の場合、里親として認められるのは結婚してる夫婦だけだ」

「そうなんだ。二十歳でも、人間に換算すると七歳くらい、ってこと?」

「うん。まあ、そこは紬の両親に頼むとか、他に方法がないわけではないが……」


 そこまで本気で考えていたわけでもないが、この世界の制度的なことは、今後のためにも聞いておいて損はない。


「亜人と人間の養子縁組や婚姻は、国の許可が下りない限り禁止されてる。そして、身寄りがないからと言う理由だけではまず許可も下りない」


 その辺は、人間が介入する前にノームでなんとかしろ、と言う話なんだろう。


「そうなんだ……内縁関係だったら、どうなるんだ?」

「もっと悪い。見つかれば強制送還のうえ、量刑もかなり重い」


 これはなんとしても、メアリーの里親探しを頑張らないといけなくなったな。


「これは、人間側だけの取り決めじゃない。亜人側の方でも同様の取り決めが交わされている」

「そ、そうなのか……」

「もし亜人の集落で、結婚だの養子だのなんて言葉を迂闊に口にすれば、それぞれの集落の法律に基づいて何らかの処分を受ける可能性もある。気をつけろ」

「わ、分かった」


 やがて、可憐の寝息も聞こえてくる。

 俺の方に向いたままの体勢なので可憐の寝顔を真っ直ぐに眺める事ができる。

 綺麗すぎる寝顔。


 しかも、シングルベッド、プラスアルファほどの幅しかない所での添い寝だ。

 否が応でも顔が近くなる。


 もっと近くで眺めてみたい!

 不意にそんな衝動に駆られる。

 可憐の美しさと、薄暗い寝室、そして、メアリーに付き合って演じていた夫婦の設定が、俺の脳に何か勘違いでもさせてしまったのだろうか?


 少しずつ、可憐に顔を近づけていく。

 本当にメアリーの父親の魂が乗り移ったかのように理性の歯止めが効かない。

 おいおい、マズいぞ! このままじゃ――――


「チューですかっ!」


 どわぁぁぁっ!

 続いて、ゴーーン! という衝突音と共に、目の前に花火が散る。


 アイタタタタタ…………。

 突然のメアリーの声に驚き、慌てて体を仰け反らせた結果、後ろのベッドに激しく後頭部をぶつけてしまったのだ。


チューですか? ダイですか? ああ、ショウですか。手洗いはあちらです……ムニャムニャ……』


 寝言かよっ!

 トイレの夢? おねしょとか大丈夫だろうな?


 ……って言うか、“ちゅう” って何だよ?


               ◇


 翌朝目を覚ますと、既にみんな起きた後らしく、寝室には俺一人だった。

 昨夜はメアリーの寝言のおかげでなんとか理性を手放さずに済んだが、煩悩との戦いがそれで終わったわけではなかった。

 生殺しのような時間を悶々と耐え、ようやく眠ることができたのは二時間ほど経ってからだった。


 朝……と言っても相変わらず暗闇の中、廊橋を渡って隣の部屋のドアを開ける。

 ちょうど、メアリーが可憐に武器のような物を渡しているところだった。


「これは……クレイモアか」

「はい。ママが使っていたものです。両手剣ですが、女性でも扱い易いように小振りで軽い作りになってます」


 つばが長いので、シルエットは細長い十字架のようにも見える。

 四葉の鍔飾りが特徴的だ。

 メアリーの説明を聞きながら、可憐かれんが正眼に構えたクレイモアを軽く左右に二、三振りする。

 

「なかなかの業物みたいだが……いいのか? 借りても」

「はい。……と言うよりも、お譲りしますよ。そもそもママの物ですし」

「そうは言っても……母親の形見だろう? 地上へ戻る際にはお返しするよ」

「それはお任せしますけど、ノームには物を形見として大切にする習慣はないのでお気遣い要りませんよ。形見は、メアリーの心の中の想い出だけです」


 可憐が小さく頷きながら剣を鞘にしまうと、背中に担いだ。


「男性用の大剣も拾ってあるんですが……パパ、使います?」

「なんだよ、その薄目は……」

「いやぁ……だってパパ、細っちぃと言うか……ママより頼りなくないですか?」

「俺は普通なの! 可憐がとくべ――」

「使うんですか? 使わないんですか?」


 聞けよっ! 人の話を!


「……いや、いいよ。自分の武器あるし、そんなの借りても使えないだろうし」

「ですよねぇ」


 単語的には相槌あいづちなんだが、薄目のまま言われるとなんか腹が立つ。

 ただ、父親のものであったというローブを借りれたのは助かった。

 長袖二枚の重ね着ではあるが、それでも平均気温一〇℃台前半の窟内は肌寒い。


「で、リリス。俺のMPは、どんな感じ?」

「そんなの知らないわよ。パパ、自分で解んないの?」

「お前はパパって呼ばなくていいよ。……まあ、元気になった感じはするけど、どれくらい回復してるとかそこまでは解らん」

「とりあえず “匂い” は普通だし、少なくとも半分くらいは回復してるんじゃ?」


 器だけデカくても回復速度が遅けりゃ意味ないからな。

 その辺、リリスをあんな燃費にしたくらいなんだから、ノートの精も上手く調整してくれたと見ていいのか?


「では、パパ、ママ。出発しましょうか!」

「え? もう? 朝飯も食べてないんだけど……」

「寝坊したパパが悪いんですよ。干し肉を持って行くので歩きながら食べて下さい」


 そう言いながら部屋を出たメアリーが、先に橋廊から階段を下りる。

 最初に会った時と同じ、薄茶色のポンチョを羽織り、同じく薄茶色の、長靴のようなロングブーツを履いている。

 ポンチョの下にはリュックも担いでいるので、見た目は殆ど通学路の小学生だ。


 次に、クレイモアを背に担いだ可憐が続く。

 最後は、松明を持って俺が下りる。

 下に着いてすぐ、俺の方へ小さな右手を差し出してくるメアリー。


「ん? 何?」

「手を繋いで下さい。迷子になるといけませんので」

「ああ、はいはい」


 迷子? 俺が? メアリーが?

 と言うか、これじゃあ両手が塞がって干し肉食えないぞ?

 メアリーは、俺と左手を繋ぐと、続いて可憐に右手を差し出した。


「ママも、繋いで下さい」

「あ、ああ……」


 クレイモアを担いだ可憐、ポンチョのメアリー、そして松明係りの俺が、三人並んで手を繋ぎながら出発する。


 なんだこれ?

 休日の親子連れかよ。

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