09.モンスター

「あの大男は……マズいです。あの目……絶対人間じゃありません。まるで、墓場から蘇ったモンスターです……」


 柿崎の暴力をまともに受けたメアリーだからこそ感じる怖気おぞけだろうか?

 目を潤ませながら握り拳を震わせるメアリーの頭を、立夏が優しく撫でる。


「じゃあ……行こう」


 その言葉に、驚いたように顔を上げて立夏を見返すメアリー。


「ど、どっちへ……ですか?」


 立夏りっかが、鞄から魔法小杖マジカルステッキを取り出しながらメアリーを顧みる。

 韻度いんど【三】クラスの魔法まで発動可能な小型の杖だ。


「あの家に行くんでしょう?」

「い、いいんですか?」


 パッと表情を明らめ、メアリーも懐から治療小杖キュアステッキを取り出す。


「チームプレーでも、緊急時は個の判断が優先される場合もある。今がそう」


 そう言って茂みから出ると、足早に家を取り囲む柵の端まで駆け寄る立夏。

 メアリーも急いで後を追う。

 まだ、建物からは四〇メートルほど離れた位置だ。


 見えている窓から様子をうかがう限りでは、中で人の動きは見えない。

 物音もなく、しずくの悲鳴が聞こえた後は静まり返ったままだ。

 身を屈め、柵に隠れながら家に近づく立夏の後ろをトタトタと追いながらメアリーが声を掛ける。


「メアリーは、りっちゃん・・・・・とは気が合いそうな気がします!」

「りっちゃん……?」


 私のこと? と聞き返すように、僅かに目を見開きながら振り向く立夏。

 後ろで、碧い瞳を細めながらニッコリとメアリーが微笑み返していた。


               ◇


 バシャーンッ!


 つ……冷たい……。

 水音と、急速に低下する体温が、俺の意識を暗闇の底から引き上げる。

 同時に襲ってくる、脇腹とこめかみの痛みに顔をしかめながら薄く瞼をを開く。

 濡れた睫毛の向こう側には、水を蓄えた木桶を抱える柿崎の姿がにじむ。

 足元には、すでにカラになった木桶が一つ転がっている。


 バシャーンッ!


 再び顔面に冷たい水が浴びせられるが、避けることも防ぐこともできない。

 身体を動かそうとして初めて気が付く。


 はりつけ


 水飛沫みずしぶきを飛ばすように頭を振りながら左右を見ると、十字の形をした磔柱たっちゅうに身体が固定されているのが解った。

 左右に目一杯広げられ、横柱の先でロープで固定されている両腕。

 手首に噛み付くように食い込んだ荒縄を見る限り、ちょっとやそっとでほどけるような代物ではなさそうだ。


 両足も、足首が縛られ磔柱の根元に固定されている。

 いわゆる、十字架に磔にされたような状態だ。


「二杯で気づいてくれて助かったぜ。何度も汲むのは面倒だからな」


 空になった木桶を床に放りながら、ニヤリと口元を歪める柿崎。

 地下室に入った直後に目の前の大男に蹴り飛ばされ、その後の折檻で気を失ったことを思い出す。


 なんだ? なぜこんなことをされてる!?

 そのまま殺されてもおかしくない状況だったはずだし、たとえ殺されないまでも、わざわざ意識を回復させられる理由が解らない。


 もう一度頭を振って顔についた水滴を振り払うと、さらに視界が回復する。

 そこで初めて、柿崎の後ろに置かれているベッドに気がつく。


 ベッドの上では雫が、最初に発見した状態……靴下と下着姿のままで、両手首をヘッドパイプに括りつけられて横たわっている。

 猿轡さるぐつわのまま、眉根を寄せて心配そうに俺を見る雫と目が合う。

 あまりにも無残で痛々しい雫の姿に、俺も目頭が熱くなる。


 両手を広げて固定された今の体勢では、例え〝折れ杖おれつえー〟を召喚しても、繋げて六尺棍に変形させることは不可能だ。

 六尺棍にできなければリリスたん・・・・・も使役できない。


 くっそ! 俺はなんて下手を打っちまったんだ……。

 前後不覚に地下室へ飛び込んだ判断ミス。

 悔やんでも悔やみきれない。 


「これからこの小娘と楽しむつもりだったんだけどな。急に大人しくなったんで、ちょいとつまんねぇなぁ、と思ってたところだったんだが……」


 柿崎の瞳に、ギラリとサディスティックな光が横切る。

 こいつ……何を言ってるんだ?


「兄貴の前でられるとなれば、黙ってばかりもいられねぇだろ」


 口の端を上げて灰色の歯を見せながら、雫の体を舐めるように見下ろす柿崎。


 はあぁぁぁ?

 こいつは……正気か!?

 悪人とは言え、正常な思考回路を持った人間の感覚とはとても思えない。


「うーー……っ、うーー……っ」


 柿崎の言葉に、雫も激しく首を振りながら足をバタつかせる。

 ヘッドパイプから外そうと無理矢理引っ張った手首が擦れてみるみる赤くなるが、ロープが解ける気配は微塵もない。


「やめろぉっ! この、変態エロゴリラがっ!」


 俺も、あごを前に突き出しながら力の限り叫ぶ。

 こんな悪態で柿崎かきざきが思い止まるとは、もちろん思っていない。


 ただ、この感情的な男の注意を俺に向かせたかった。

 少しでもカッとして俺の相手をしてくれれば、それだけ雫への暴姦を先延ばしにすることができる。


 俺が戻らなければいずれ、外の立夏たちが自警団に通報してくれるだろう。

 或いはもう寅さんが通報してくれているかも知れない。

 とにかく今は、できるだけ時間を稼ぐしかしかない。


「この、ロリコン粗チン野郎がっ! 口がくせぇんだよっ!」


 慣れない悪態をなんとか捻り出し、柿崎につける。

 腐った肉のような、思わず眉をひそめたくなる口臭は本当だ。


 さあ、俺を殴れ!

 蹴ってもいいぞ!

 いくらだって耐えてやる!

 とにかくこっちを向けっ!

 雫から離れろっ!


 しかし、柿崎は嬉しそうに細めた目で俺を一瞥するだけで、全く動じた様子を見せない。それどころか――


「いいねぇ! その罵声! 兄貴の悲痛な叫びを聞きながら妹を犯すってのが、何より快感だぜ! 俺が粗チンかどうか、これからじっくり拝ませてやるよ」


 おまえの妹を相手にな……と続けながら、よだれすするように下卑げびた笑みを浮かべる。


 だめだ……柿崎こいつ、人間じゃねぇ……。

 姿形すがたかたちの話じゃなく、人の心を持ち合わせていない。

 中身はただの怪物モンスターだ!


 再び、磔柱からむりやり両手を引き抜こうと試みるが、皮の剥けた手首が荒縄を赤く染める以外にはなんの変化も見られない。

 肉ごと削ぎ落としでもしない限りとても抜けそうにない。


 いや、それでも構わない!

 手の肉くらい、いくら削ぎ落としてもいい。

 とにかく今、片手だけでも自由になってくれっ!


 必死に両手を動かす俺を横目に、柿崎が自分の履いていた黒いイージーパンツを脱ごうとベルトに手をかける――

 と、その時、尻のポケットから麻布でできた小袋が床に落ち、中から淡褐色の粉末がこぼれ出る。


「……そう言や、こんなもんがあったな」


 小袋を拾い上げながら、柿崎の目に、これまでとはまた別の被虐の色が浮ぶ。


「こいつぁ、今回の仕事で運んだブツからちょっとばかし失敬したもんだが……何だか分かるか?」


 小袋を俺の目の前で揺らしながら、口元を下品に歪ませる柿崎。


芥子ケシの実から採取したエキスを粉末状にしたもんなんだが……粉末にする時にちょっとした魔法処理を施してあるらしくてな……」


 そう言いながら、部屋の隅の手押しポンプで木製のコップに水を入れ、さらにそこへ、くだんの粉末を適当に入れると人差し指で掻き混ぜる。


 芥子の実?

 それってもしかして……阿片アヘンか!?


 確か、世界史の授業で習った記憶がある。

 いわゆる〝麻薬〟の一種だが……魔法処理ってことは、単なる嗜好品としての使い道だけではないということか?

 普通の阿片粉末なら水溶性ということはないだろうが、魔法処理ゆえの特殊な性質かも知れない。


 粉末を溶かしたコップを揺らしながら、さらに柿崎が説明を続ける。


「こいつを飲ませるとな……飲まされた奴はしばらく、相手の命令に逆らう事ができなくなるのさ。しかも、自我は保ったまま……な」


 つまり、肉体だけが言い成りになる、奴隷のような存在になると言うことか?

 なんだその、悪魔のような薬は!?

 まさに……〝魔薬〟!


「泣き叫ぶ小娘を無理矢理……ってのも良かったんだが、自ら進んで俺を受け入れる妹の姿を兄貴に見せるってのも、なかなか面白おもしれぇ趣向だろ」


 そう言いながら、不気味な笑みを浮かべて雫の顔へコップを近づける柿崎。

 ウー、ウー……と唸りながら首を左右に振る雫の鼻をつまみ、額を抑え付ける。


「しかもこの薬は常習性が非常に強くてな。一度でも口にすりゃあ、一生これ無しでは生きていけないような身体になるのさ」


 なん……だと?

 そんな身体になっちまったら、死ぬより辛い一生が待ってるんじゃないか!?


「そうなりゃもう、薬の効果なんて関係なく、薬欲しさになんでも言うことを聞く雌奴隷の完成ってわけだ!」


 そう言いながら、徐々に魔薬を雫の口元に近づける。

 猿轡の上から流し込まれれて口を塞がれれば嚥下えんげを拒むことは不可能だろう。


「ヤメロぉぉぉっ! この、クソ野郎がぁぁぁぁぁっ!」


 例えその滂沱ぼうだ咆哮ほうこうが柿崎を悦に浸らせるだけの効果しかないと解っていても、俺は力の限り叫ばずにはいられなかった。


               ◇


「誰も……いませんね」


 メアリーが首を傾げる。

 立夏と二人でアジトの一階を回り、その後二階の二部屋も覗いたところだったが、人の姿は見られなかった。


「そんなはずはない」


 再び二人で一階へ降りると、立夏がしゃがみ込んで廊下の足跡を注視する。

 土足で入る洋風の構造のため、床のいたるところに足跡がついている。


 その中の一つに、腐葉土のような土が付いた跡を見つける。

 恐らく、潜んでいた雑木林の土だろう。

 サイズ的にもつむぎの足跡で間違いなさそうだ。


 丹念に足跡を辿っていくと、一頻ひとしきり一階を探索した様子は見て取れるが、動き回るにつれて足跡も薄くなっていくためそれ以上の足跡そくせきは追えない。

 一応通話機も調べてみるが、やはり通話の前に暗証番号をダイヤルするタイプのようで使うことはできなかった。


 立夏が、目を閉じて家の外観を思い出す。

 家の間取りと比較しても不自然な部分はない。

 隠し部屋があるとすれば、おそらく、屋根裏か地下室だが――


「りっちゃん! メアリーは、ものすごく嫌な予感がします! 早くしないと、なにか取り返しのつかないことになりそうな、そんな予感が……」

「静かに」


 立夏の腕にすがりつくメアリーの前に掌をかざし、言葉を遮る立夏。

 二階は……一応調べはしたが、そもそも階段を上った形跡は最初から無かった。

 隠し部屋があるとするなら恐らく地下室だが……場所の見当がつかなければ入り口の探索もままならない。

 足跡が追えないなら、あとは音……聴覚に頼るしかない。


 メアリーも、立夏の意図を悟ったのか静かに目を閉じる。

 シンと静まり返った家の中で耳を澄ます二人。

 どこからともなく、薄暮はくぼの訪れを知らせる鴉の鳴き声が聞こえてくる。

 しかし、相変わらず家の中を支配する淀んだ静寂。

 

(お願い……何か、声を上げて、紬くん……)


 紬が声を上げられる状態なのかどうかも確信はないが、今は信じるしかない。

 ジリジリとした時間だけが、振り子時計の震音トレモロとともに静かに流れる。


 とその時、リリスに負けず劣らず聴覚が優れているメアリーが、ハッと目を開けて廊下の奥へ視線を走らせる。


「今、パパが叫んでました! なんだか、泣いているような声で……」


 そう話すメアリーの目も、今にも涙が零れそうに潤んでいる。


「どっちから?」

「こ、こっちです!」


 タッタッタッ、と廊下を駆けて行くメアリーの後を、立夏も足早に追いかける。

 行き着いたのは廊下の突き当たり。


「この先の方から聞こえたと思ったんですが……」


 涙声でそう話しながら両手と両膝を着き、落としたコンタクトレンズでも探すかのような姿勢で丹念に床を調べ始めるメアリー。


 しかし立夏は、そんなメアリーを避けて突き当たりの壁に近づく。

 この場所に着いた瞬間から気になっていた、壁の不自然な窪み。

 手を掛けると、壁全体が引き戸のようにスライドする。


 目の前に現れたのは……地下へ降りる階段!

 メアリーが、まるで知っていたかのように隠し扉を開いた立夏に目を見開く。


「りっちゃん……ま、まじやばい……」


 急いで降りようとするメアリーの腕を掴んで、慌てて引き戻す立夏。


「下の様子が分からない。……けれど、状況的にみてリリスちゃんを出せていない可能性が高い。まずは下の様子を確認するのが先」

「でも、パパのあの声……ただごとじゃありません!」

「心配なのは私も一緒だけど、でも、声を出せると言う事はまだ生きてる。相手は怪物モンスターみたいな奴なんでしょ?」


 メアリーがこくんと頷く。


「最初の奇襲でどんな手を打つかで結果が決まる。失敗すれば、全員やられる」


 焦燥と承服が入り混じった瞳でジッと立夏を見上げるメアリーだったが、やがて、「……分かりました」と頷く。


 改めて、今度は立夏が先に立ち、忍び足で階段を降りる。


「下に着いたら、メアリーあなたは結界で身を隠して」


 立夏の腰に巻かれたカーディガンをギュッと掴みながら頷くメアリー。

 二人が中へ消え、程なくして隠し扉も静かに元の位置に戻る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る