08.悲嘆と絶望

 悲嘆と絶望がない交ぜとなったしずくの叫びが頭の中で反響し続ける。

 まるで、頭蓋骨の内側が空洞になってしまったかのように。

 あれは……一刻の猶予も許されない、搾り出すような恐怖の慟哭だ。


 雑木林からアジトと思しき建物までは約八〇メートル。

 全速力で一〇秒ほどの距離だったが、いつまで経っても辿り着けないようなもどかしさに、足がもつれて何度か転びそうになる。


「ちょっとぉ! 待ってよ紬くんっ!」


 道沿いに立てられた柵沿いに走る俺に対し、飛べるリリスは建物の玄関へ向かって一直線にショートカット。

 しかし、それでも先に玄関へ辿り着いたのは俺の方だった。

 メイド騎士リリスたんモードでは神速のリリスも、小さいうちはただのチビメイドだ。


「あのねぇ! 一人でどんどん行っちゃって! もしあの剣士かいぶつと鉢合わせにでもなったらどうするの! 私無しで戦えるのっ!?」


 僅かに遅れて辿り着いたリリスが玄関の前でぶうたれる。


「ごちゃごちゃ言うな! さっきの声、聞いただろ? ただごとじゃない!」

「そんなこと言ったって、もし紬くんにもしものことがあったら、私だって消えちゃうかも知れないんだから……文句くらい言う権利あるわよ!」

「うん。しっかり守ってくれ」


 さっき慎重に……って言ってたのは紬くんの方じゃない、と渋い顔をするリリスを横目に、ゆっくりと横向きのノブレバーを押し下げる。


「開けちゃうの? ってか、開いちゃうの!?」と、リリスが目を丸くする。


 カチャリ……と音がしてドアが開き、僅かに隙間が開く。

 鍵、かかってないのか!?


 中の様子を伺うが、シンと静まり返って人の気配はない。

 つい先ほどの、あの尋常ならざる雫の叫び声からのこの静寂……。

 胸騒ぎが治まらない。


 やはり、先にリリスで偵察を……とも思ったが、あの雫の叫び声を聞いてしまったあとでは、これ以上じっと待っていることなどできそうにない。


「おれつえぇ……」


 六尺棍を召喚し、リリスとともに思い切って家の中へ潜入する。


 この世界の民家は、外観は西欧風でも玄関には土間のある……つまり、靴を脱いで上がる〝日本式〟の造りが一般的なのだが、この建物には土間がない。

 もともと、居住用とは別の目的で建てられたのかも知れない。


「リリスは、二階を探してくれ。俺は一階を調べる。誘拐犯を見つけたら、迷わずでかくなっていいぞ」

「うん、分かった! 紬くんも、気をつけて」


 二手に別れると、廊下を進んだ俺はとりあえず左側の一番手前のドアを開く。

 中はダイニングになっていて、テーブルには買い物袋に入ったパンも見える。

 乱れた木製チェアーの座面に手を当ててみると、まだほんのりと暖かい。

 やはり、つい先程まで誰かが使っていたのは間違いない。


 足音に気をつけながら慎重に、且つ、素早く残りの二部屋も調べてみるが、やはり人の気配はない。

 俺が一階を見終わるのとほぼ同時に、二階からリリスも戻ってくる。


「上には誰もいないわ」


 ダイニングテーブルに降り立ち、買い物袋のパンを物色ぶっしょくするリリス。


「うん。一階もだ……」


 おかしい。

 悲鳴が聞こえてから家に入るまで数分……長くても五分は経ってないはずだ。

 ずっと家を見るように行動していたし、人の出入ではいりがあれば絶対に見落とすはずはない。


 なら、二人はどこへ消えた?

 まだどこかに隠し部屋でもあるんだろうか?


 もう一度、表から外観を確認しようと玄関へ向かったその時――


「ちょっと待って!」と、リリス。

「一度、表から確認してくるだけだから。……いいよ、とりあえず食ってて」

「そうじゃない! 今、何か聞こえたような……」


 そう言いながらリリスが、お腹に手を添えながら耳を澄ます。


「そんなもん食うから、下痢にでもなったんじゃないのか?」

「悪魔はウ〇コなんてしないわよっ! ……って言うか違うって! 声がしたの! 呻き声のような声!」


 せめてウ〇チと言えよ……などと突っ込んでいる場合ではない。

 慌ててリリスに詰め寄る。


「ど、どこからっ!?」

「ち、ちょっと待ってよ……ほんとに、微かにしか聞こえなかったから……」


 そう言いながら部屋を出ると、廊下の奥へ向かって宙を進むリリス。

 少しキョロキョロと辺りを見回しながらも、目指す先はさらに奥だと目星を付けているようだ。


「この先はもう……行き止まりだし、部屋なんてないぞ?」

「う、うん……。でも、多分、この下辺りから聞こえた気がするのよね……」


 そう言いながら、廊下の突き当たりで着地すると床を調べ始めるリリス。

 俺も、軽く床を眺めては見るが、入り口のような物は見当たらない。

 ふと視線を上げると、目の前の壁の不自然な窪みに目が止まる。


 これは……?


 窪みに六尺棍を突っ込んで上下左右に力を掛けてみる。

 と、次の瞬間――

 壁全体が引き戸のように左へスライドし、その奥に現れる地下へと続く階段。


「ここかっ!」


 覗いてみると、下りきった先に地下室でもあるのだろうか?

 解放された階下の扉から漏れ出た明かりが、ぼんやりと階段を照らしている。


 音を立てないよう、急いで階段を下りきる。

 目の前には内側へ開いたままのドア――

 そこから、地下室の中を真っ直ぐに見通すことが出来た。


 奥にはベッドのようなものが設置されており、その上には――


 し……雫っ!

 一目で間違いなく雫であることは解った。

 だが――同時に目を疑う。


 両手は縛られてベッドのヘッドパイプに括りつけられ、猿轡さるぐつわを嵌められた表情からは、いつもの瑞々しい精気はすっかり失われていた。

 綺麗だった黒髪はボサボサに乱れ、頬は殴られたように赤く染まっている。

 鼻の下には、薄っすらと赤い筋も見えた。


 最もショッキングだったのは雫の服装だ。

 両足の靴は脱がされ、ショートパンツも剥ぎ取られ、さらに、Tシャツも胸元まで捲り上げられている。

 下着はまだ身に着けたままではあったが、ブラジャーとパンツ、そして靴下だけにされたその小さな身体をベッドの上で丸め、頬には涙の跡も見えた。

 あらわになった全身の白い肌には、あちこちに擦り傷も浮き上がっている。


 な、なんだあれは……?

 俺の妹に――

 雫に……、一体何をしたぁっ!!


「雫ーーっ!!」


 一瞬で怒りは沸点に達し、頭の中は真っ白になる。

 気が付けば、雫の名を叫びながら部屋に飛び込んでいた。

 俺の声にハッと顔を上げ、潤んだ瞳でこちらを見る雫。

 ……が、しかし、目を見開いて必死に首を振る。


「ダメッ! 紬くん! まず私がっ……」


 背中からリリスの声も追いかけてきたが、既にその時、俺の身体はどこからか繰り出された強烈な一撃で、真横に吹き飛ばされていた。

 六尺棍が手から放られ、青い光を放って形を失う。


 錐揉きりもみ状態で墜落する飛行機からの視界も、きっとこんな感じなのだろう。

 周囲の景色が何回転もグルグルと回ったあと、思いっきり石の壁に叩き付けられてようやく止まった。

 右脇腹に残った激痛――


 な……なんだ……?

 何が起こった!?


「なんだぁお前は!?」


 そう言いながら、ドアの後ろに潜んでいた影がゆっくりとこちらへ近づいてくる。

 声だけですぐに解った。

 あいつだ……柿崎だっ!


 手に持った大剣は鞘に収まったままだ。

 どうやら、部屋に入った瞬間、隠れていた柿崎に蹴り飛ばされたらしい。


「てっきり自警団かと思ったんだが……まさかお前がそうじゃねぇよなぁ?」


 そう言いながら右足を振り上げた刹那、再び俺の脇腹に柿崎の爪先がめり込む。

 慌てて両手で庇ったが、ガードの上からでももの凄い衝撃で内臓が潰れる。


「がはっ……!」

「どこのガキだよ、お前?」


 まさか柿崎こいつ、午前中のギルドホールでのこと、覚えてないのか?


「妹に……何をした……?」

「いもうとぉ? なんだおまえ、この小娘ガキの兄貴かぁ?」


 どこか嘲笑に似た感情もにじんでいるのが分かる。

 柿崎の声を聞きながら、無防備に部屋へ飛び込んでしまった自らの軽率さに歯噛みするが、後の祭りだった。


 やっちまったぜ……くそっ!

 こんな場面だからこそ、なおのこと冷静に行動するべきだったのに……!


 まだ、リリスはどこかに潜んでるはずだ。

 もう一度六尺棍さえ召喚できれば……。

 そのためには、もう少し柿崎こいつから距離を取らなければ!


 柿崎が、手にした大剣を入り口近くの壁に立てかけると、再び右足を振り上る。

 また、くる!?

 歯を食いしばり、腹筋に力を入れながら両腕で腹部をガードする。


 ……が、次の瞬間、途中で軌道を変えた柿崎の右足は俺の右側頭部テンプルを綺麗に蹴り上げていた。

 予想していなかった部分への強激が、威力を実際の何倍にも増幅させる。

 ミシリ、と頭蓋骨が鳴り、身体の向きからは有り得ないような方向へ顔が向く。


「しず……く……」


 ケタケタと、柿崎の下品な笑い声が聞こえたような気がした。

 目の前に星が飛び、直後、視界が……そして俺の意識が、暗闇に囚われる。


               ◇


 河南の屋内露店街バザールの駐車場に入った黒い魔動車を追って、山田寅之助やまだとらのすけも、慎重に距離を取って駐車場へ車を入れる。

 黒い魔動車が停まり、操縦席から降り立った男は……黒コートを着ていない。


 別人か!?


 一瞬、そう思った寅之助だったが、顔や背格好から、降りた男が黒コートと同一人物である事はすぐに分かった。

 恐らく、真夏にあの格好ではさすがに目立つと考えて外套がいとうだけは車内で脱いだのだろう。

 それでも、黒いホンブルグハットを被り、同じく黒の長袖のタートルネックにレザーパンツという黒ずくめの出で立ちは、この季節にしては異相と言っていい。


 尤も、バザールともなれば人間以外にも、商用等で滞在中の亜人も多く訪れる。

 中には直射日光を極端に嫌う種族もいると聞くし、彼が人間か亜人かは分からないが、その出で立ちが周りから特に注視されるということもなかった。


 黒ずくめの男がバザールの人混みに消えるのを確認して寅之助も車から降りる。

 時間は、午後四時半頃だろうか。

 だいぶ日は傾いているが、それでも八月のこの時間帯はまだまだ蒸し暑い。


 素早く、追っていた黒い魔動車に近づく。

 幌の入り口は閉め直されていたが、隙間から覗くかぎり人らしき姿は見えない。

 続いて操縦席から中を覗き込むが、こちらもシートはもとより、座席裏のスペースにも人影は見当たらない。


(やはり、あんちゃんの妹さんはあの緑の家か……?)


 そう確信すると、通話機を借りられそうな店舗はないか辺りを見渡す。

 バザールは基本的に露店の集まりなので通話機を備えている店はまずない。

 借りるなら店舗を構えてる飲食店がベストなのだが……。


 不意に、背後から左肩をトントンと叩かれ、寅之助が振り返ると同時に、強烈な痛みが腹部を襲う。

 飛びかけた意識をなんとか手繰り寄せるも、その場にひざまずき、激しく咳き込む。

 落とした視線の先には、レザーパンツの裾から伸びた黒い革靴。


(間違いない……黒ずくめの男だっ! いつの間に!)


 どうやら、黒ずくめの男に膝蹴りでも喰らわされたようだ。

 顔を上げようとした寅之助の左胸へ、再び鋭い蹴りが浴びせられる。

 メリッ! と、嫌な音を立てる肋骨。

 すぐ後ろの黒い魔動車に、ドスンと激しく背中を打ちつけられる。


「がはっ……!」

「顔は上げるな。そのままの体勢で答えろ」


 黒ずくめの男……須藤が、寅之助の頭上から静かに問いただす。


「ずっと尾けてきてたな? 何をしていた?」

「な……なんのことだか……。バザールに用事があって来ただけでぃ……」


 フン……と鼻を鳴らし、須藤が右手を寅之助の頭に乗せる。


「本来ならこんなことにマナは使いたくないんだが……。生憎あいにく、拷問をしてるような時間もないんでな。抵抗回路を遮断する」

「抵抗……回路?」

「端的に言えば……しばらくの間、おまえは嘘を付けない」


 そう言いながら須藤は僅かに身を屈めてもう再び質問を繰り返す。


組織・・や自警団のようにも見えんが……一体、何を探ってた?」


               ◇


「何分経ちましたか?」

「一〇分」

「…………」


 立夏りっかの答えを聞きながら、意味もなく目の前の雑草をむしり続けるメアリー。


「何分経ちましたか?」

「一〇分と三〇秒」

「…………」


 草むしりをしながら、メアリーが不安そうに茂みの隙間から視線を通す。

 その先にあるのは、つむぎが潜入した緑色の木組みの家コロンバージュ

 

「もう……行きませんか?」

「町に?」

「違いますよ! アホですか!?」


 紬は〝三〇分経って戻らなければ自警団に通報を〟と言っていた。

 当然、自警団に通報するなら町の詰め所まで行かなければならない。

 ここから、急いでも二〇分はかかるだろう。


 しかし――


「あの緑の家にです!」


 メアリーの言葉を聞きながら、立夏がくだんの家を黙して見つめる。

 そんな立夏に、草むしりの手を止めてさらに訴えかけるメアリー。


「パパは……有体ありていに言えば、戦闘はヘッポコもいいところです。正直、リリっぺのおかげでなんとかなってきたようなものですよ」

「知ってる」

「でも、〝ジジ臭さ〟だけはかなりのものです」

「……そうね」

「あのジジ臭い落ち着きっぷりで、これまでの窮地も乗り切ってきました」

「うん……でも……」


 と、口を開きかけた立夏の腕を慌てて掴んで、言葉を繋げるメアリー。


立夏にごうさんの言いたいことはわかります! チームではリーダーの言葉に従い、独断で行動しないことが鉄則だと、学校でも習いました」

「…………」

「でもですね……しいちゃんの叫び声で、唯一の長所である落ち着きを失ったさっきのパパを、リーダーと認められるでしょうか? いえ、認められまい!」


 立ち上がり、胸の前に握り拳を作ってメアリーが力説する。


「そもそも三〇分って何ですか? 長すぎませんか? リリっぺがちゃんと機能すれば五分でカタが付く話です!」

「…………」

「三〇分どころか、何の動きもなく一〇分も経ってる時点でマジヤバイ・・・・・のです!」

「…………」

「あの大男は……マズいです。あの目……絶対人間じゃありません。まるで、墓場から蘇ったモンスターです……」


 柿崎の暴力をまともに受けたメアリーだからこそ感じる怖気おぞけだろうか?

 目を潤ませながら握り拳を震わせるメアリーの頭を、立夏が優しく撫でる。

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