07.拷問部屋

「もっとも俺等は、調教部屋だの拷問部屋だの、って呼んでるけどな」


 そう言うと柿崎かきざきは、例の淫虐な光を宿した瞳を細め、ニタリと唇を歪ませる。


 調教……拷問……。

 その、淫靡で暗鬱なフレーズがしずくの胸の中で木霊こだまする。


 限界だった。


「いっ……いやあぁぁぁぁっ! 助けてぇぇっ! 誰かぁぁ!」


 柿崎から逃れるように身体をよじりながら、天井を見上げ、力の限り叫ぶ雫。

 恐怖で抑えきれなくなった少女の叫びが、アジト内の淀んだ空気を切り裂く。


「ったく……うるせぇぞっ!」


 雫の小さな頬を、柿崎の大きな掌が思いっきり張り倒す。

 廊下に響く、バシンッ、という鈍く乾いた音。

 衝撃で雫の口の中は切れ、鼻血が流れ出る。

 吹き飛ばされて頭から壁に激突し、一瞬、意識が朦朧とする雫。


「この四方に建物なんて一軒もねぇんだ。叫んだって無駄なんだよ!」


 そう言うと柿崎は、台所のシンクの縁に引っ掛かっていた猿轡さるぐつわを手に取り、再び雫の口に巻く。

 へたり込んでいる雫を無理矢理立たせると、引き摺るように廊下を進む。

 突き当たりの壁の前まで来ると、壁の中段、右寄りにあった窪みに手を掛けた。

 一見、行き止まりだと思えた壁が、引き戸のようにスライドする。


 隠し扉――


 柿崎が、雫を引き摺ったまま、扉の先に現れた石造りの階段を下りて行く。

 石の土台に敷かれた三〇段前後の踏み板を下りきり、目の前に現れた扉を開くと、さらに寒々とした空間……恐らく、柿崎が言っていた地下室が奥へ続いていた。


 目が慣れていないこともあり室内はかなり薄暗く感じられたが、天井に近い部分には明り取りの小窓も設けられていて、まったくの暗闇というわけではなかった。

 地下室とは言っても、丘上の物件らしく、壁の一部が地表に出ているような造りになっているらしい。


 部屋の中央付近まで引き摺られていった雫の胸を、不意に柿崎がポンと突く。

 一、二歩、後ろによろめいた所で膝の裏に何かが当たり、バランスを崩す雫。


(倒れる!?)


 衝撃に備えて身をすくめるが、体が止まったのは床よりもかなり高い位置だった。

 思いがけず、下は柔らかい。

 これは――


(ベッド!?)


 すかさず、仰向けに倒れた雫の縛られた両手を、万歳をさせるように持ち上げてヘッドパイプに括りつける柿崎。


(な……何? これ!?)


 仰向けになったことで、まだ止まっていなかった鼻血が逆流して喉へ落ちる。

 むせると、猿轡に赤い染みが浮かび上がった。


 柿崎が、部屋の壁に掛けられていたランプに、順に火を灯してゆく。

 徐々に浮かび上がる部屋の全貌――


 全体が凸凹とした灰色の石壁に囲まれた、まるで地下牢獄を思わせる様相。

 部屋の隅に乱雑に積まれたいくつかの木箱以外は、今雫が縛られているベッドと大きな机があるくらいで、室内は意外と殺風景だった。

 

 足元へ目をやると、奥の石壁には十字架のような形をした……恐らく磔柱たっちゅうが固定されているのが見えた。

 横板の両端には穴が開けられ、そこからロープが垂れ下がっていのも見える。


 先程、柿崎が呟いた〝拷問部屋〟というフレーズから、それがどんな目的で据え付けられているのかは、雫にも容易に想像できた。

 横には給水用の手押しポンプも備えられている。


 六つのランプに火を入れ終わると、再び柿崎がベッドの横に立ち、両腕を上げた上体でベッドに繋がれた雫をニヤニヤと見下ろす。


「兄貴には美人の妹がいてなぁ。このアジトにも時々掃除に来たりするんだが……」


 不意に、柿崎が雫へ向かって話し始める。

 妹? あの須藤という男の? 一体何の話を?

 そう思考を巡らせても、柿崎が何を語ろうとしてるのか雫には見当がつかない。


「兄貴の妹だからな……手を出しゃぁ間違いなくぶっ殺されるし、俺もそこまで無謀じゃねぇが……よくみりゃお前、その妹に雰囲気がよく似てんだよ」


 そう言いながら、さらに唇を歪めて下品な笑みを浮かべる柿崎。

 そこまで聞いてようやく、雫の中でもぼんやりと話が繋がり始める。


 まさかこの柿崎という男……私に乱暴を!?

 そう思い当たった途端、その想像のあまりのおぞましさに吐き気を覚える。

 男女の知識についてはもう雫にも充分備わってはいたが、自分のような年端もいかない少女に、目の前にいるような大の男が興味を示すなど考えてもいなかった。


「どうせ須藤の兄貴が無事仕事を済ませればお前の命もねぇんだ。お前だってあの世に行く前に、一回くらい経験しておいてもいいだろ。男ってやつをよ」


 そう言いながら柿崎は、素早く手を伸ばして雫のTシャツの裾を掴むと、一気に胸元まで捲り上げる。

 柿崎の眼下で露になる、白いブラジャーに包まれた雫の小振りな双丘。


 ――――ッ!!

 声にならない悲鳴が猿轡の奥から漏れる。


「まあ、身体つきはまだまだガキくせえが……これはこれでまた別の……」


 そう言いながら、下品に笑う柿崎を前に身震いをする雫。

 私が……こんな薄汚い男に……これから、犯される?

 そんな、あまりにも現実味のない想像に、頭の中が真っ白になる。


(嫌だ、嫌だ、嫌だっ! こんな男にけがされるなんて……絶対に嫌だ!)


 ウーウーと唸りながら必死に首を振る雫だが、その行動は柿崎の嗜虐心を掻き立てこそすれ、いさめる効果は微塵もない。


 柿崎の手が、少女の胸からウエスト部分に移動する。

 そのまま一気に雫のショートパンツを摺り下ろすと、足首から抜き取って床に投げ捨てる。

 ショートパンツに引っ掛かった両足のローファーも、脱げて床に転がり落ちる。

 ブラジャーに続き、今度は白いパンツまでもが露になる。


「うーー……っ! うーー……っ!」


 猿轡を噛み締めながら唸るような叫び声を漏らす雫。

 両手をヘッドパイプに固定されたまま、下着姿で背中を丸めて縮こまる。

 溢れる涙が、ゴワゴワとした肌触りの悪いシーツを濡らしてゆく。


 先刻、柿崎に思いっきり張り倒された頬がまだヒリヒリと痛む。

 しかし、今流れている涙はそんな痛みのせいではない。

 あられもない姿を柿崎に晒している恥ずかしさ……そして、これから女性としての尊厳を踏みにじられようとしている悔しさがない交ぜとなった屈辱の涙だ。


「さぁて……兄貴が帰ってくる前に、二人で楽しむか」


 そう言いながら、背刀を外して壁に立て掛けると、柿崎もベッドに乗って雫に覆いかぶさる。

 到底、抗うことなど出来ようもない力で肩を掴まれ、仰向けにされる雫。


 顔だけは横へ向けてなんとか柿崎から視線を外すが……間違いなく、抵抗しても結果は変わらないだろうと悟る。

 抵抗しても結果が変わらないのなら――


(せめて……そう、せめて、目の前の男が私の大切な人だと想像しよう)


 固く目を閉じる雫。

 

(大切な人って誰だろう? 今まで男の子を好きになったことなんてあったかな?)


 瞼の裏に浮かんできたのは……あにの顔だった。

 これまで特定の男子を好きになったことなどない雫にとって、いつも身近にいた同年代の男性と言えば、義兄つむぎだ。


 血は繋がっていなくても、兄は兄だ。

 好きだとは言っても恋愛感情とは別の気持ちだろうが、それでも、好きでもない男の子を想像するよりは落ち着く気がした。


 一般庶民ではあまり聞かないが、皇族に近い上流層の間では血筋や家柄を守るための近親婚もよくあると聞いている。

 それに比べれば血は繋がっていないぶん、だいぶ真っ当な妄想だ……と、自らに言い聞かせる。


(お兄ちゃんが私に乱暴するなんてあり得ないけど……まあいいわ。目の前の男はお兄ちゃん! 私の〝初めて〟はお兄ちゃんにあげるの!)


 むりやり自分に暗示をかけて、雫は全身から力を抜いた。


「ふん……もう諦めたのか?」


 そう呟く柿崎のガサガサした右手が、雫の下腹部へと伸びていく。


               ◇


「さっきの魔動車で……間違いねぇんだな?」

「ええ……特徴的な形だったし、真っ黒も珍しいので……間違いないです」


 とらさんに答える俺の言葉を裏付けるように、隣で立夏りっかも頷く。

 たった今、緑の家……誘拐犯のアジトと思われる木組みの家コロンバージュの前を通り過ぎてきたところだ。

 周囲に建物や障害物もなく身を隠せそうな場所がなかったため、そのまま通り過ぎて少し先の雑木林の中に停車していた。


「んで……妹さんは、どっちなんだろうな? 車か……あるいは家ん中か」


 もちろん、寅さんの疑問に対する正確な答えは誰も持ち合わせていない。

 答える代わりに、俺もリリスに確認してみる。


「雫の居場所……解かるか、リリス?」

「あのね、サーモグラフィーじゃあるまいし、ちょっと耳がいいくらいでそこまで解かんないわよ」

 

 悪魔って言えば、もうちょっとこう、いろいろと上手いことできそうなイメージがあるんだが……ほんとリリスこいつは、普段はただのチビメイドだな。


「なんだったら、ちょっと様子でも見て来よっか?」

「できるのか?」


 エプロンドレスをひらひらさせながらスクワットを始めるリリス。

 経験上、やる気になってるリリスこいつはトラブルフラグなんだが――

 その時、前を見ていたメアリーが声を上げる。


「誰か、出てきましたよ!」


 全員で一斉に、身を屈めながら家の方を覗き見る。

 黒いコートをぴっちりと着込んだ長身の男が玄関から出てくると、すぐ横に停めてあったくだんの魔動車に乗り込むのが見えた。


「あいつは……」


 見覚えがある!

 ギルドホールで俺たちに絡んできた……確か、柿崎とか言う大男の上役うわやくだ。

 雫をさらったのはあの二人だったのか!?


「あいつって、確か……」

「メアリーを蹴った巨人の仲間なのです! マジヤバイ・・・・・!」


 リリスとメアリーも覚えているようだ。

 そうなると、二人組みの相方はやはり、あの柿崎とかいうイカれた剣士か!?

 メアリーから見れば、二メートル級は確かに巨人と言ってもいいだろう。

 黒コートが一人で出てきたということは、少なくとも柿崎の方はあの建物のなかにいる可能性が高い。


 ……と言うか、メアリー、萌花と話して変な言葉を覚えてないか!?


 やがて、黒コートが乗った魔動車が丘を下って行くのが見えた。

 今、俺たちが潜んでいる雑木林とは反対方向だ。


「よし。あの黒いのは俺に任せな!」


 そう言いながら魔動車を起動させる寅さん。 


「隙を見つけてこの場所も自警団に通報しておく。もしあの車にあんちゃんの妹さんが乗せられてるようだったら……体当たりしてでも助けてやらぁ!」

「寅さん……ありがとうございます!」


 ここは、雫の救出を第一に考えれば遠慮してる場合ではない。

 俺も、素直に寅さんの好意に甘える。


「何言ってやんでぃ! もうあんちゃんは俺の弟みたいなもんだ! 弟も妹も、大兄貴が面倒見るのは当たりめえだろ!」


 寅さんのこと、もうほんと、兄貴と呼ばせてもらいたい!

 同時に、まるで死んだ人間のように濁った柿崎の瞳孔を思い出す。


「あいつら……多分、そうとう危険な連中です。くれぐれも気をつけてください」


 魔動車を降りながら寅さんを顧みて念を押す。


「ああ、解ってる。んなことより、そっちこそ気をつけろ! 自警団が来るまで、決して無茶はするんじゃねぇぞ!」


 魔動車のドアを閉めながら寅さんがウインクをして見せる。


「じゃあ、またなっ、あんちゃん!」


 走り去る魔動車を見ながら、ふと、重要なことに気が付く。


 寅さんの住んでる場所、聞いてなかった!

 落ち着いたら、改めてお礼が言いたかったんだけど……もしかすると、これでもう会えないかも知れないぞ!?


「大丈夫」と、立夏。

「え?」

「ナンバーは控えたので、彼の住んでる場所は後で調べられる」


 まじまじと立夏の横顔を眺める。


「な……なんで俺の考えてること、解った?」

「顔を見れば、だいたいは解る……あなた限定だけど」


 なぜ俺限定なのかはさておき、エスパー立夏……だんだん神懸かってきたな!


「で、どうするの? 偵察」


 足を前後に開いてアキレス腱を伸ばし始めるリリス。

 どうせ飛ぶんだし、アキレス腱使わないだろ?


「とりあえず、黒コートが一人だけで出掛けたってことは、あの家には、例の柿崎って剣士が残ってる可能性が高いってことか……」

「いっそ、いきなり踏み込んでカタを付けちゃう?」


 俺だって、柿崎の奇矯ききょうな振る舞いを思い返せば、あんな異常者と雫が一緒にいる状況など一刻も早く解消したいのはやまやまだ。

 だが、しかし―― 


「あの剣士一人だけとは限らない。もし仲間がいれば、雫を人質に取られかねないし……そもそも雫がいるかどうかすらまだ解らない。慎重にいこう」


 やはり、一回は偵察をしてから……と言いかけたその時、家の中から響く大きな叫び声が、周囲の森閑とした空気をつんざく。


『いやあぁぁぁぁっ! 助けてぇぇっ! 誰かぁぁ!』


 これは……雫の声!?

 考えるより早く、隠れていた茂みから外へ飛び出していた。


「パ、パパ!?」

「メアリーと立夏はここで待ってろ! リリスは、一緒に来いっ!

「ち、ちょっと待ってよ。たった今、慎重にって……」


 慌てるリリスを無視して立夏にも声を掛ける。


「もし、三〇分経っても戻らなかったら……街へ降りて自警団に通報してくれ!」


 寅さんも通報をしてくれるとは言っていたが、黒コートを追いかけながらの話だ。

 万が一ということもある。


「気をつけて……」


 頷きながら呟いた立夏の返事も、既に駆け出していた俺の耳には届かない。


 待ってろ、雫! 今助けるからなっ!

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