10.反撃

 くっそ……片手さえ自由になれば、反撃できるのに……!


 両手をぐりぐりと捻りながら拘束を解こうと何度も試みるが、どれだけ試しても手首の皮膚が剥けて赤く染まっていくのみ。

 そんな俺の様子を横目でほくそ笑みながら、柿崎がしずくの頭を押さえつける。


「こいつを飲めば、あっという間に従順な奴隷の完成だ」


 そう言いながら〝魔薬〟の入ったコップを雫の口元に近づけていく。

 ふざけんな、この変態野郎がぁ……!


「そんなことしてみろ! てめぇの両手両足ぶった切って串刺しにしてやる!」


 一瞬、動きを止めて俺を一瞥いちべつする柿崎。

 しかし、怒っているわけでもないのは釣り上がった口の端が物語っている。


「ったく、言う事だけは達者なクソガキだな。今の状況、解ってんのか? 身動きできないそんな状態で俺をどうするってぇ?」

「や、やるのは……俺の使い魔だよ……スゲェつええやつ……」

「はあ? おまえ、テイマーか。どこにいるんだよ、使い魔とやらはよぉ?」


 恐らく、リリスもこの部屋のどこかに潜んで状況を見守ってるはずだ。

 しかし、六尺棍を使えないうちは何の役にも立たない。

 正直、はったりにすらなっていないだろう。


 必死に、左右に広げられた両腕を動かし続ける。

 擦れて赤く染まった手首と、それを固く拘束する荒縄。


 だが不思議と痛みは感じない。

 怒りで感覚がマヒしているのかも知れない。

 身体の傷よりも、心の痛みの方がはるかに大きい。


 とその時、物陰から柿崎の手元へ向かって黒い塊が飛び出してくるのが見えた。

 あれは――


「ええ~いっ!」


 リリスかっ!?

 パンッ、という軽い打撃音とともに、柿崎の右手が僅かに弾かれる。


「痛っ!」


 予想外の体当たりを右手甲に喰らい、思わず手にしていたコップをベッドの上に落とす柿崎。

 こぼれた液体が雫の頭のすぐ傍のシーツを濡らす。


「なんだぁ、このチビ!?」


 急いで離れようと宙を飛んでいくリリスを追いかけるように、柿崎はコップを落とした右手で思いっきりリリスを打ち払う。


「ぎゃふんっ!」


 ベッドから勢いよく飛ばされ、石壁に激突して床へ落ちるリリス。

 〝ぎゃふん〟なんて叫び声、実際に上げてる奴は初めて見たぜ……。


「俺を串刺しにするスゲェつええ使い魔ってのは、今のチビのことか?」


 柿崎が壁際へ近づき、積んであった木箱や布袋を蹴り飛ばしてリリスを探す。

 ……が、どこかへ隠れたのか、既にリリスの姿はない。


「チィッ! まあいい。あんなチビがいたところでどうってことねぇ」


 まさかあのチビメイドが、うち火力担当だとは思っていないのだろう。

 柿崎はもう一度コップに、水と芥子ケシの魔法粉末を入れて掻き混ぜる。

 再びリリスが出てきやしないかと辺りを見回しながら警戒するが――


「言っとくが、もう同じ手は通じねぇぞ! 今度出てきたらぶっ殺してやる!」


 天井へ向かって叫ぶ。

 部屋のどこかに潜んでいるであろうリリスに聞かせるためだ。


 脅しじゃなく、実際にまた同じ事をすれば、今度は確実に殺されるに違いない。

 かと言って、ちびリリスのままではこの固いロープを切ることもできまい。


 どうすればいい?

 何か手はないのか?

 自警団はまだかっ!?



 その時、今度は開けっ放しになっていた入り口の外がボウッと明るく輝く。

 黄味がかったランプの明かりとはまた別の、純粋な炎の原色。

 暗がりの中、赤黄色に染まる小杖ステッキを掲げて立っていたのは――


 どこの女子高生!?

 ……い、いや、立夏りっかだ!


 ファイヤーウィップ!


 小杖ステッキから放たれる、ウィップ……というよりは蛇と形容した方がしっくりきそうな炎の筋。

 向かう先は……俺の目の前で魔薬を作っていた柿崎だ。

 入り口に背を向けていた柿崎の不意を突いた、完璧な奇襲攻撃!


 ――――のはずだった。


 灼熱の蛇に食いつかれようかという寸前、手にしたコップを投げ捨てながら柿崎が横っ飛びで炎を避ける。

 その巨体からは想像もできない軽やかな身のこなし。

 しかも、一度も入り口の方に目を遣ることなく取った回避行動。


 こいつ、立夏と魔法の気配だけを察知して、今のアクションを!?


 一回転して立ち上がった柿崎はすでに、体軸を部屋の入り口に向けている。

 間髪入れず、立夏へ向かって床を蹴る。


 一瞬間の縮地。


 小杖ステッキから、完全に炎蛇が放出されるのと、柿崎の右拳が立夏のみぞおちへ深々と突き刺さるのがほぼ同時だった。


「はあぁうっ……ぐっ……」


 立夏の右手から小杖ステッキが滑り落ち、身体をくの字に曲げながら床へ崩れ落ちる。


「ったく……次から次へと……なんなんだよテメーらは!」


 そう言いながらうずくまる立夏を、足で転がして仰向けにする柿崎。

 勢いで、膝上二〇センチがめくれて白い下着が覗く。

 足元に転がる少女の姿を見て、柿崎の口からほぉ……と、感嘆の溜息が漏れる。


「これはこれは……」


 あどけなさの残る身体つきとは言え、前の世界向こうの女子高生ルック……しかも、超ミニスカートというコスプレ中の美少女だ。

 雫にさえ気色けしきばんでいたロリコンゴリラにはさぞ扇情的な光景だろう。


 ぐふふっ……灰色の歯を覗かせた柿崎だったが、次の瞬間、何かを感じ取ったのか目を見開いて唇を真一文字に結ぶ。

 入り口の傍の壁に立てかけてあった自分の両手剣を引っ掴み、振り向きながら抜剣して正眼に構える。


 小刻みに揺れる切っ先越しに柿崎が見据えたのは――――俺の姿だ。


「て……てめえ……その棒・・・、どっから出しやがった?」


 肘から先が真っ赤に焼け爛れた俺の右腕は、しかし、焼き切れた荒縄から解放され、まだ縛られたままの左手に添えられている。


 両手で掴んでいる〝棒〟とはもちろん……六尺棍だ。

 俺の膨大なMPが六尺棍を通して一気に解放される。


 ただならぬ気配を感じているのだろう。

 得体の知れない空気の原因はまだ把握できていないようだったが、それが俺の持つ六尺棍と関係しているだろうということは分かっているようだ。


 気配の正体を掴めず、本能が迂闊に飛び込むなと命じているのだろうか?

 再び柿崎が叫ぶ。


「なんだよ、その棒は!?」


 いつのまにか現れたこの武器の情報を必死で収集しようとしているのが分かる。

 ばぁか! そうそうすんなり教えるかっつーの!


「さっきの炎はな……」


 柿崎の問いには答えず、代りに、立夏の意図・・・・・を柿崎に話して聞かせる。


「さっきの炎は、もともと柿崎おまえを狙ったものじゃない。最初から、俺の右手を狙って放たれてたんだよ」

「な……にぃ?」


 炎蛇の筋は柿崎に当たる直前、宙を迂回して俺の右手首を直撃していたのだ。

 そうとは気づかずに回避行動をとった柿崎だったが、例え避けずとも、炎は柿崎に当たることなく右の荒縄を焼き切っていただろう。


 俺も、炎の軌道を見て初めて、〝火球ファイヤーボール〟ではなく〝火鞭ファイヤーウィップ〟が選択された意味を理解した。

 威力を上げるためではなく、軌道を変えるためだったのだ。

 低韻度魔法では柿崎に決定打を与えられないと計算した立夏の本当の目的は――


「出ろ、リリス!」


 そう、こいつだったんだ!


 ベッドの下にでも隠れていたのだろうか。

 俺が命じると同時に目の前に出現する〝リリスたん〟!


 パニエで形の整った、ふわふわと揺れる黒と白のエプロンドレス。

 頭上の白いホワイトブリムに、足下は黒いエナメルの上げ底ハイヒール。

 白いニーハイレースソックスとスカートの裾が作り出す〝絶対領域〟は、相変わらずの芸術作品だ。


 この世界線では、コスプレ喫茶か小説の挿絵くらいでしかお目にかかれないような奇異なビザールファッション。

 柿崎にとってはまさに謎の存在だろう。


 せっかくだから、しばらく混乱してろっ!


「お……おまえ、さっきのチビか……?」


 目を見開いて凝視する柿崎を気にも留めず、出現するや否や、リリスたんが俺の前でレイピアをヒュンヒュンと鳴らす。

 左手と両足を拘束していた荒縄が切り刻まれ、俺の身体に自由が戻る。


 さらに、柿崎のことなどまるで目に入っていないかのようにベッドの横に近づくと、雫の上でも同じようにレイピアを振るリリス。

 雫の両手を拘束していたロープも刻まれ、ようやく、雫の体も自由を取り戻す。


 この間、隙だらけにも見えるリリスに、しかし柿崎は何も仕掛けてこない。

 本能的にリリスのヤバさ・・・を感じ取っているのだろうか。


 上半身を起こした雫が、猿轡さるぐつわを外しながら徐々に目を潤ませていく。

 お兄ちゃん……と、雫の唇が動いた気がした。


「雫……」

「お兄ちゃん!」


 今度は、はっきりと聞こえる声で俺を呼びながら駆け寄って来る。


「お兄ちゃん……えっぐ、えっぐ……」


 駆け寄った雫が、俺の胸に顔を埋めながら小さな肩を震わせる。

 そんな雫を俺もしっかりと抱きしめ……たかったが、左手には六尺棍、右前腕ぜんわんから先は火傷で赤黒く焼け爛れていてメチャクチャ痛い。

 とりあえず、うん、うん、と頷きながら左腕を雫の背中に添えるのがやっとだ。


 改めて近くで見た雫の全身は、土汚れとともに、大小合わせて思っていた以上に多くの切り傷や擦り傷で埋め尽くされていた。

 まるで地面でも引きずり回されたかのように。


 どんな扱いをされたらこんな状態になるんだ?

 想像するだけで、呼吸が苦しくなるほどのドス黒い何かが込み上げてくる。

 はらわたが煮えくり返るとはまさにこのことだ。


 部屋の入り口では、結界でも張って隠れていたのであろうメアリーが、いつの間にか立夏の治療を始めていた。

 先程は気を失っていたように見えた立夏が、苦しそうな表情を浮かべながらも、今は上体を起こしてメアリーの治療を受けている。

 あの様子ならなんとか大丈夫そうだ。


 助かったぜ、立夏。

 立夏の火鞭いちげきのおかげで状況は一変した。


 形勢逆転だ!


「一応警告しておく。武器を捨てて大人しく捕まれば、命までは取らない」


 半分無駄だと諦めながらも、柿崎に警告する。

 どちらにせよ殺すつもりはなかったが、抵抗されれば足の一本くらいは切り落とさなければこの柿崎モンスターは止められないだろう。


 二ヶ月前までは元の世界線で平々凡々の高校生活を送ってた普通の十七歳だ。

 殺さないとは言え、相手の腕や足を斬り落とすだけだって抵抗はある。

 だが、柿崎からの返答は案の定――


「何を偉そうにっ……! たかが女使い魔一匹デカくしたからって俺に勝てるなんて思うなよ? 俺は、等級クラスこそ準一級だが、実力的には上一級……」

「このロリコンゴリラはどうしますか、ご主人様?」


 柿崎にレイピアの切っ先を向けたリリスたんが、相手の言葉を遮るように訊ねる。

 柿崎から目を離さず、そして柿崎もリリスたんから目を離さない。


 クラス云々の話はよく解らないが、それでもかなりの修羅場を潜ってきているのは事実らしい。

 自分が感じている脅威の元凶が、目の前にいる不思議な使い魔であることを本能的に理解しているようだ。


 足の一本でも……と言いかけて、口をつぐむ。

 マナブを召喚した時の立夏の言葉を思い出す。


『相性さえよければきちんと使役者の意を汲んだ行動をとってくれるはず』


 リリスたんにかぎって後れを取るようなことはないと思うが、それでも、上一級とやらの実力がどんなものなのか俺には解らない。

 こちらの〝殺す気がない〟なんて意思を悟られるような情報は与えたくない。


「解ってるんだろ?」


 俺の言葉に、柿崎を見据えたまま僅かにあごを引くリリスたん。

 とりあえず、この場は戦闘不能にさえ出来ればそれでいい。

 どこに出掛けたのかは解らないが、黒コートの男が戻る前にはケリをつけたい。


「やれ! リリス!」

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