11.黒コートの男
どこに出掛けたのかは解らないが、黒コートの男が戻る前にはケリをつけたい。
「やれ! リリス!」
腕の中で、未だに肩を震わせている
雫のトラウマだって一生消えないかも知れない。
しかし、使い魔で人を殺したりすれば、後の捜査や審問がかなり面倒なことになるという知識も、これまでの生活の中で得ている。
それはリリスも、地底で
……解ってるよな?
とりあえず今は、戦闘不能にさえできればそれでいい。
予備動作もなく一気に距離を詰めるリリスたんの動きに、柿崎も目を剥く。
右肩に伸びるリリスたんの初撃を、正眼に構えた両手剣で横に払ったのは、さすがと言うべきだろうか。
しかし、動きに付いていけたのもそこまでだった。
右に動いたリリスたんを追って柿崎も体軸を回転させる。
……が、次の攻撃が繰り出されたのは柿崎の背後から。
横に移動しながらそのままさらに半周し、高速旋回で反対側に回り込んだリリスたんに、柿崎の視線は完全に置き去りにされていた。
直後、切断され、床に転がる柿崎の右足。
よしっ!
目の前の光景にどこか
さらに、右足に続いて転がる柿崎の左足。
えっ?
前後して、柿崎の両腕も剣を握ったまま宙に飛ぶ。
ええっ!?
四肢を切断された柿崎の胴体が、しかし、床に落下する
胸のど真ん中を串刺しにされた柿崎が、そのまま石壁に
ほぼ同時に、放物線を描いて落下した両手剣が床に突き刺さる。
衝撃で、
ええええ~~~っ!?
「そこまでやったら死んじゃうじゃんっ!」
慌てる俺を顧みて不思議そうに小首を傾げるリリスたん。
「私は、ご主人様の言った通りにしただけですが」
「……はぁ?」
今日の自分の言動を心の中で巻き戻してみる。
『てめぇの両手足ぶった切って、串刺しにしてやる!』
そう……雫に魔薬を飲ませてようとしていた柿崎に、確かに俺はそう叫んだ。
叫んではいたが――――
それはいわゆる、ただの悪態で、本当にそうするかはまた別の話だろ?
「め、メアリー!
「……はあ?」
立夏の治療をしていたメアリーが顔を上げて訝しげに俺を見る。
ったく、うちの
どっちも同じような返事しやがって……。
「なんでメアリーがそんなことをしなければいけないのですか? パパや
りっちゃん? 誰だよ!?
「いや、そりゃありがたいんだけど……」
今、のんびりと理由を話している時間はない。
とにかくあれじゃあ、柿崎はあっという間に失血死だろう。
こんな、まだよく知らない世界で拘留生活なんて嫌だぞ、俺は!
弁護人とか、この世界でも雇えるんだろうか?
もう大丈夫……と、立夏がゆっくり立ち上がると、メアリーも治癒の手を止めてこちらへ近づいてくる。
「それにですね……」
「うん?」
「
「え?」
メアリーの言葉に、壁に磔にされた柿崎の胴体を慌てて顧みる。
白目を剥いて完全に気を失っている柿崎。
前腕部分から切断された両腕、そして膝下で切断された両足。
その切断面からは当然大量の血が――――流れてない!?
そう、さっきリリスたんの剣舞を見ながら感じた違和感の正体。
いろいろ一杯一杯で頭が回ってなかったが、柿崎から一滴も血が流れていないことだったんだ!
リリスたんがレイピアを抜き取り、元のサイズの〝リリス〟に戻る。
支えを失って床に崩れ落ちる柿崎の胴体。
先端を失った両手両足。
しかし、その切断面に有機体特有の瑞々しさは見られない。
俺の肩へ戻ったリリスが先程の戦闘を思い出すように呟く。
「こいつ、生き物を斬ってるって感じ、全然しなかったわよ。芯の抜けた手応えというか……
黙れ! や〇きんに怒られるぞ!
腐って緑色に固まった筋肉。
干からびた血管と神経細胞。
枯れ木のようにささくれだった骨。
調べなくても解る。
明らかに生命活動を停止してしばらく経っている肉塊だ。
どうなってるんだ?
リリスたんに殺されたのだとしても、数分でこんな状態になるわけがない。
「腕をこちらへ。
「あ、ああ……。いや! 先に雫を……」
そう言う俺の胸を押して、自ら身体を離す雫。
「ううん、私は大丈夫だから」
その時初めて、下半身が下着姿のままだったことに気が付いて顔を赤らめる。
「先にお兄ちゃんのその手! 見てるだけで痛いから……早く治してもらって!」
そう言って顔を
確かに、肘から先が赤黒く
いや、実際に、メチャクチャ痛い。
「う、うん……じゃあ、頼む、メアリー」
「まったくもう! メアリーがいなかったらどうなってたことやら! 唯一無二の取り柄だった冷静さまで失ってたので拙いとは思いましたが……案の定です」
「唯一無二って……」
憎まれ口を叩くメアリーも、しかし、やや涙声だ。
メアリーも心配してくれてたんだな。
「ありがとな、メアリー」
「な……何を改まって! と、とにかく! いくら可愛くて優秀な
「…………」
メアリーが治療を始めると、立夏も傍に来て俺の右腕にジッと視線を落とす。
「ごめんなさい、火傷」
「ああ、ううん。謝ることはないよ。立夏のおかげで助かったんだから」
「でも、狙うならまだ左手の方がよかったのかも」
肩の上から俺の右腕を覗き込むリリス。
「それじゃあますます、
「余計なこと言うな!」
またメアリーに質問されたら何て答える気だ?
「角度的に、あの時立夏の位置から視認できたのは右腕だけだろ? 確実性を期すなら、やっぱり見えてる方じゃないと難しいじゃん」
どうせメアリーに治してもらえるんだから、と明るく笑う俺の顔を見ながら、しかし、まだ立夏の表情は冴えない。
理由は、続くメアリーの言葉ですぐに分かった。
「この傷は、メアリーでは治せませんよ」
「え? そ……そうなの?」
「魔傷は自然治癒力が殆ど働きませんので、治癒力を増幅させる〝
〝魔傷〟ってのは、魔法で受けた傷のことか?
マジかよ……。じゃあ、俺の腕は――
「ずっとこのまま?」
「十二時間以内に〝
立夏の説明に、とりあえずは胸を撫で下ろす。
十二時間以内なら、まあ、確実にどこかの施療院には飛び込めるだろう。
「但し、もう夕方だから閉院まで間もないし、遅くなれば全治も遅れる」
そんな立夏の言葉が終わるか終わらないかの時だった。
「誰かいるっ!」
俺の肩の上で立ち上がって叫ぶリリス。
全員の視線が一斉に、リリスの指差す先……地下室の入り口付近に集まる。
誰もいない。
そう思われた空間に、少しずつ浮かび上がる――
近未来物のアニメに出てくる光学迷彩のような
やがて、徐々に色を取り戻していく〝影〟。
黒いレザーパンツに黒い革靴。
黒いホンブルグハット、そして、黒いコート……。
間違いない、あいつだ!
黒コートの男!
「す……須藤……」
ショーパンツを履き終えた雫が、再び俺の隣に寄り添いながら呟く。
須藤? あいつの名前か?
左手の六尺棍を握り直す。
リリス……いつでも行けるな?
横目で送った俺のアイコンタクトに頷くリリス。
「
俺とメアリーの前を塞ぐように立夏が立ち詠唱を開始する。
……が、無理だ。
直感する。
根拠はない。……が、全身に纏うオーラのようなものがそう訴えかけてくる。
平々凡々の元高校二年生が感じとれるくらいなのだから、この世界で生きてきた立夏にとってはなおさらだろう。
立夏の詠唱に、僅かに震えが混ざっているのが分かる。
今この場であいつと対抗できるのは、恐らく〝リリスたん〟だけだ。
「今まで気づかれたことは一度もなかったんだが、その使い魔の感度は……」
相当なものだな、と言いながらリリスを見る須藤。
その瞳には、しかし、敵対も嘲笑も、警戒も油断も、一切の感情が感じられない。
ただ目の前の事象を静かに観測している、そんな眼差しだ。
しかし、ここでふと感じる違和感……。
細い切れ長の目は、確かにギルドホールでも見た印象のままだ。
しかし、顔立ち全体の造形は全く別人のように感じる。
かと言って、ギルドホールで見た顔を思い出そうとしても、今目の前にいる須藤の顔が浮んでくるだけでどうしても思い出せない。
こいつは本当に……ギルドホールで見た男と同一人物なのか?
……と、
俺たちの視線をまるで気にする風もなく柿崎の死体の傍まで歩み寄ると、すっと膝を着き、最後にリリスが開けた胸の傷に右腕を突っ込む。
何かを探しているのか、僅かに
表面はゴツゴツとしていて、見た目は
石の中央に開いた穴は、リリスの刺突によってできたものだろうか?
そこから、黒い粒子のようなものが煙のように霧散しているのが見える。
「こいつは
そう言って右手を大きく振り上げた須藤が、繰霊石を思いっきり床に叩きつける。
まるで木炭が砕けるような〝パンッ〟という乾いた音とともに繰霊石が砕け散り、その
「繰霊石……死者を蘇らせるという禁呪の魔具ですよ」
足元で繰霊石が消えゆく様子を見届けた後、視線を上げて須藤を睨むメアリー。
その瞳には、ある結論を確かめようとするかのような難詰の色が浮んでいる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます