06.脱出ルート
「メアリー。ここから地上への脱出ルートって、あるのか?」
食後、可憐が洗い物をする後ろで、メアリーが空いた食器をシンクまで運ぶ。
俺も両親が共働きのため、家では妹と分担して家事をすることが多い。
そのためただ座ってるだけと言うのはどうも落ち着かないのだが……。
今は、部屋が狭いので手伝いもかえって邪魔になりそうだ。
そもそも、後片付けなど可憐だけで充分なのだが、母親の手伝いというものをメアリーも楽しんでいるようなので放っておく。
「脱出ルートですか?」
食器を運びながらメアリーが訊き返す。
「そういう大事な話は家族会議の議題ですからね。メアリーとママの仕事が終わってから、改めて発議して下さい」
「りょ、了解……」
手持ち無沙汰だったので、雑談のつもりでなんとなく質問しただけなんだが……発議とか、ちょいちょい難しい言い回し知ってるんだよな、メアリー。
本当に知能は七歳レベルなんだろうか?
「それにしても、美味しかったな、ママの手料理」
今度は、当たり障りのない雑談ネタを振ってみる。
可憐の事をママと呼ぶのも、だんだん抵抗が無くなってきた。
「まあ、料理は文句ありませんでしたけどね」
「ん? なにか不満でも?」
「お二人の、夫婦としてのルーティーンの再現度にはかなり難ありですよ。キスもできない両親なんて、娘として嘆かわしいです」
「娘の前でそんなことしてる夫婦こそ難ありだわ!」
洗い物をしながら可憐の横顔が赤くなっているのが解る。
普段、こういったネタで弄られることが少ないからな。免疫がないんだろう。
メアリーの要求には少々辟易するが、珍しい可憐の表情が見られるのは、正直ちょっと面白い。
「もともとここって、どれくらいのノームが住んでたの?」
相変わらず干し肉をかじりながらリリスが質問する。
ポーチのおやつは水没して全部駄目になったので、代わりにメアリーから貰ったものだが、なかなか気に入っているらしい。
「大勢です」
「大勢って……どれくらいよ?」
「大勢は、大勢です」
メアリーの口調に、僅かに眉根を寄せるリリス。
「だから、数を聞いてるのよ。百人とか、千人とか……だいたい解るでしょ?」
「リリっぺは細かいですね! そんなこと聞いてどうするんですか?」
「別にどうもしませんけど……ただの好奇心よ」
「とにかく大勢です! 一兆億人くらいです!」
「いっ……一兆……億??」
小学生かよ!
言語能力だけはマセてるが、算数に関しては確かに七歳レベルだ。
可憐とメアリーが後片付けを終えて隣へ座る。
丸テーブルなので幾分マシだが、それでもこれから話をするという場面で横一直線に座るというのは、やはり妙だ。
「では、先程のお話……脱出ルートについて、でしたね?」
「ああ、うん。あるのか? そういうのが」
「メアリーも実際に見たことはないですが、ここから北へしばらく歩くと、ご先祖様がこの地に来た時に使った昇降穴があると聞いたことがあります」
「しばらく……って言うと、どのくらい?」
「だいたい、三時間くらい歩くと聞いてますよ」
分速八〇メートルだとすると十五キロ近くの距離になるが、整備もされていない地底の話だ。その半分以下で見てもいいかも知れない。
しかし、そんな情報だけで見つけられるほど目立つものなんだろうか?
「何か、目印みたいなのはあるのか? 見つけ易いような……」
「それは分かりませんが、他のノーム達がその付近に移住してるはずですよ」
「マジか!?」
実は、メアリーをこのままにはしておけないし、地上に戻る前にどうにか他のノームたちの元へ送り届けたいと考えていたんだが、目的地は一緒ということか!
可憐も同じことを考えていたらしく、メアリーの話を聞いて口を開く。
「それじゃあメアリー。私たちと一緒にそこまで行かないか? いつまでもここに一人で住むわけにもいかないだろう?」
「せっかくですが……メアリーは行きません。あんな連中と一緒に暮らすくらいならここで一人で居た方が一兆億倍マシです」
倍率はともかく、かなり嫌がってることは分かる。
「パパとママは気の毒だったけど……まだおじいちゃんとかも居るんだろ?」
変態さんを警戒していたらしいお祖父ちゃんの話を思い出しながら訊ねてみる。
「おじいちゃんと言うのは長老たちのことです。八〇歳以上のノームは、特別な事情がない限りは家族の元を離れて長老衆として生活を始めるのですよ」
八〇歳とは言っても、人間で言えば二十五歳くらいの肉体だろう。
その段階で、家族ではなく一族の為に働くことを義務付けられるということか。
まあ、八〇年も家族と過ごせば、人間の感覚でいえば、もう充分かな、という年月ではあるが。
「仲間と暮らすのが、どうしてそんなに嫌なんだ?」
「あいつらは仲間なんかじゃありません。自分たちが助かるためにパパとママを見殺しにしたんです」
思わず、俺と可憐が目を合わせる。
まだ聞いていない複雑な事情でもあるのだろうか。
「だってメアリー、さっきはパパとママの事を誇りに思ってるって……」
「パパとママを尊敬しているのは本当ですよ。でも、パパとママが助けた者達も同じように尊敬できるかどうかは別の話ですよ」
「一体……何があったんだ?」
可憐が、メアリーの顔を覗きこむように問い掛ける。
俺と可憐の間で、膝を抱えるように座りながら、メアリーがポツリポツリと語り始めた。
「そもそも、守護家はメアリー達のアウーラ家だけではないのですよ」
確かに、一族を守る役目が、たった一家族だけというのは考え辛い。
「ジュールバテロウ家、レアンデュアンティア家、そしてメアリー達アウーラ家が、現在洗礼を受けている守護家です」
但し、今回の件でアウーラ家は残り一人になったので、他の家族に変わる可能性もあるとメアリーは続けた。
こんな複雑な名前が覚えられるのに、なぜ俺たちはツムリとカリンなんだ?
「しかし、守護職とは言っても化け物と剣を交えるようなことは数百年無かったと聞いてます。有事の際、実際に解決するのは別の方法でしたので……」
別の方法?
「そこに、例のグールがやって来たのです」
グール、と聞いてさらわれた時のことでも思い出したのだろうか。
可憐がグールに掴まれた太腿を軽く摩りながら微かに眉を曇らせる。
「パパとママは守護三家で力を合わせれば撃退できると主張しましたが、他の両家は昇降穴付近への移住を優先すべきだと主張したのです」
まあ、一族の安全を最優先で考えるという主張も解らないではないけど……。
「パパとママも、選択肢の一つとして移住案は認めていました。しかし、何れにせよ移動中の護衛は三家で協力する必要があると提案したのですが……」
「他の両家は……それにも協力しなかったの?」
メアリーが、答える代わりに黙って頷く。
「ジュールバテロウは移住先警護の名目で真っ先にここを立ち去りました。移住先はかなり細い洞穴を抜けていくので、グールに追われる心配はないんですけどね」
淡々としたメアリーの言葉に、僅かに怒気が混じる。
「もう一つの、なんだっけ……レアン……なんとか、って家は?」
「メアリー達と一緒に最後のグループが移住を開始するまで留まっていましたが、グールが出現した時、警護のためと言って皆と一緒に去ってしまいまいました」
う~ん……。
話を聞いてると、どうもメアリー達が貧乏くじを引かされていたような気がしてならない。
また、メアリーの目に光る物が見えたような気がした。
しかし、今は両親を失った寂しさではなく、そう仕向けた者達に対する憤りの涙のようにも思える。
「他の……守護家以外のノームたちは、それで何も言わなかったのか?」
「そうですね……。三家のうち、もっとも最近洗礼を受けたのがジュールバテロウ家なのですが、彼の家は代々
シャーマン……。
確か、巫師とか祈祷師の意味だよな。
超自然的な存在と交信して予言のようなものを伝えるって言うアレか。
「ホビット、エルフ、ドワーフ……。様々な亜人族がいるが、何れの種族においてもシャーマンは絶大な発言権を有すると聞いている」
可憐が、なんとなく俺に聞かせるかのように説明をする。
そろそろ、俺の知識が
「本来、守護家とはノームの一族にその身を捧げる役目であり、決して一族の上に立つような役職ではなかったのです」
尤も、元の世界で見かけた公務員にも、たまに勘違いをしていそうな人物を見かけることはあったけど。
「ところが、ジュールバテロウ家が守護職に着いたことで、その発言は常にシャーマンのお墨付きを得たと同義になり、誰も意を唱えられなくなりました」
「確かノームは……一族の重要な決定は長老議会で決めるはずだよな?」
可憐の質問に頷きながらも、しかし直ぐに首を振って答える。
「今は長老衆に強い発言力はないのです。シャーマンの発言は絶対だからです。だからこそ、長老衆が事前に認めない予言の儀式は禁忌だったのですが……」
なるほどな……。
まあ、政治と宗教が結びつくといろいろ問題が起こるのは歴史も証明してる。
「ジュールバテロウ家が、アウーラ家に最後まで残って戦うようにと告げれば、いまの一族にとってはそれが最終決定事項になるのです」
話し過ぎたせいか、メアリーの声が少し掠れてきたのを見て可憐が腰を上げる。
「お茶でも、煎れてくる」
少し間が空いた後、再びメアリーが口を開いた。
「なのでもう、メアリーは一人でいいのです。ジュールバテロウにもレアンデュアンティアにも近づきたくありません。ジュールバテロウの言いなりになっている長老衆も、そんな人たちの言いなりになってる他のみんなも信用できません」
うん、まあ、気持ちは解った。
お茶を運んできた可憐とも目があったが、やはり複雑な表情をしている。
気持ちは解ったが――――
それでも消去法で考えた場合、とりあえずここにメアリーを一人で置いて行くというのは絶対に有り得ない。
俺たちが去った後、また、いつまで続くかも解らない一人きりの生活が始まる?
想像するだけで、俺なら圧倒的孤独感に絶えられそうにない。
約五〇日間、両親を目の前で殺されたという壮絶な経験を引き摺りながら、ここで一人で過ごしてきたメアリーの孤独感を想像するだけでも胸が締め付けられる。
もし天啓があるとするなら、メアリーをなんとかしろということこそ、このタイミングで俺達がここに流れ着いた意味のように思える。
どんな連中であろうと、やはり一人でいるよりは絶対にマシなはずだ。
話を聞く限りでは、全員が全員、悪意を持ってメアリー達に損な役回りを押し付けたとも考え辛い。
「なあ、メアリー」
「何ですか、パパ」
可憐が煎れたお茶を啜りながら、メアリーが横目で俺を見る。
「やはりここに一人でずっと暮らすなんていうのは、どう考えても無理だ」
「無理じゃないです。現に今まで……」
「今まではまだなんとかなったかも知れないが、これから何年も、何十年もそんな生活を続けたら、例え命は繋いでいけても、心が壊れちまう」
「パパとママを死に追いやった人たちと過ごすなど、孤独よりも辛いです」
チラリと、メアリーの隣に戻った可憐を見るが、静かにお茶を啜るだけだ。
指揮能力は相当高いし、グループ内の空気を読むのことにも長けてはいるが、こういうデリケートな問題の説得というのはあまり得意じゃなさそうだ。
能天気に干し肉と奮闘しているリリスは言わずもがな。
ふぅ、っと俺も溜息をつく。
「思うんだけど、みんながみんな、そのジュールなんちゃら、って家の方針に納得して従ってるわけじゃないんじゃないかな?」
「それはそうかも知れませんが、何も言わずに従ってる時点で同罪ですよ。いじめは、傍観者も同罪だと学校で教わりました」
いじめ――――
無理もないが、メアリーには今回の経緯がそう見えているのか。
「そうかも知れないが……やっぱり、神様の言葉だと思えば、みんなも従わざるを得ないかも知れない。メアリーのことを心配してる仲間だってきっといると思う」
「でも……それじゃあ何で、誰もメアリーのこと探しに来ないのですか?」
じわりとメアリーの目に涙が溢れる。
確かにそれは、俺も気になっていた。
五十日間も放っておくということは、今後も来る可能性は少ないだろう。
「それは俺にも解らないけど……メアリーが生きていることを知らないのかも知れない。とにかく、何らかの事情があるんだと思う」
俺の言葉に、メアリーがキッと睨んで噛み付いてくる。
「思うとか、かも知れないとか……パパの言ってる事は全部想像じゃないですか。それが間違っていたらどうするんですか? パパが責任取ってくれるんですか?」
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