10.雑魚井一正

 雑魚井一正ざこい かずまさが、先端に藍銅鉱アズライトのあしらわれた魔法杖マジカルワンドを寝かせて構え、何度目かの詠唱を開始した。


 ……が、始めて一分も経たないうち唇を結ぶ。

 これも、もう何度目かの中断だ。


(やっぱり……感知できねぇか……)


 召集魔法コールの詠唱では、序盤の韻を踏んだところで召集対象を感知できるのが普通だ。逆に言えば、感知できなければコールも不可能ということになる。


 天幕の中には雑魚井の他にも、運営委員の人間が数人待機していた。

 しかし、自警団チームの異変について詳しく聞かされている者がいないため、緊急時のはずなのにどこかのんびりとした空気も漂っている。

 なかなか上手くいかない雑魚井の詠唱に対して、最初こそもの珍しそうに視線を向けてくる者も何人かいたが、それも今は皆無だ。


 しかし――


 何度か同じような仕事をこなしている雑魚井は、緊急の強制コールという指示の裏に、重大な事由の存在が往々にしてあることを知っていた。

 特に今回、ここにいる運営委員にすら詳細が伏せられているという事実が、逆に事態の深刻さを示しているように雑魚井には思えた。


 再び、詠唱を試みる雑魚井。

 しかし結果は変わらない。


(トミューザムは初めてだが、ダンジョン規模から考えて充分に効果範囲内なのは間違いねぇ。なのに、パーティーメンバーが感知できねぇって事は……)


 その時、入り口の鹿皮ディアスキンがめくられ、男が一人、やや焦りを滲ませた足取りで入ってくると、一旦立ち止まって素早く幕内を一瞥する。


(あいつは確か、観窟事務所の――)


「……村……田?」


 雑魚井の声に気がつき、足早に近づきながら男が口を開く。


「田村だ。コールが発動できないと聞いたが……やはり、だめなのか?」


 田村が近づくにつれ、天幕内にいる他の運営委員とは明らかに違う、緊迫した空気を彼が纏っていることに雑魚井も気づく。


「発動だけなら可能だよ。だけど、序韻で感知できるはずのパーティーメンバーの気配が一切しねぇ」


 つまり、発動しても誰もこの場に招集できないということだ。


「失礼だが、アルコールでろれつが回っていない……ということはないか?」

「フン。俺は酒でなんて酔わねぇよ。今のやりとりの間で、少しでも怪しげな部分があったかい?」


 答える代わりに、田村が小さく首を振る。


「メンバーの感知が出来ねぇ理由で考えられるとしたら……強結界だ。このダンジョン、相当強力な結界が作用してんじゃねぇのか?」

「……ああ。二級以上の術士でなければ、魔法貫通はできないといわれてる」


 なんでそんな現場に俺を……と言いかけて、言葉を飲み込む雑魚井。

 こういう事態は大抵、金を出す連中が経費をケチったせいで陥るもんだと相場は決まっている。


「一体……何があったんだ?」


 雑魚井の質問に、田村が顔を近づけて小声で返答する。

 こうなっては、例え雑魚井が不適格な術者であったとしても、正確な情報を与えた上で協力してもらうしかない、と覚悟を決める。


「まだ他言無用だが……★6が出た。自警団チームは壊滅だ」

「なっ……」


 想像以上の重大事案に絶句しながら、思わず首にかけたライフテールを手に取る雑魚井。そこから放たれる淡い光を確認して、思わず愁眉しゅうびを開く。


(まだ学生達あいつらは無事ってことか)

 

 とは言っても〝とりあえず〟の安堵ではあるが……。


「何か……学生達かれらをサルベージできる方法はないか?」


 田村の質問に一瞬考えた後、雑魚井が口を開く。


「出入り口の結界は解除できるか? 中に入れれば感知できるかも知れねぇ」

「解除は可能だが……但し、中からは決まった時間でなければ出られなくなる」


 決まった時間――毎日開放されるという、十八時からの三十分間のことだ。


「構わねぇ。すぐに解除しろ。一層でコールできりゃあ、比較的安全な場所で夕方まで過ごせるだろ」

「いや……」


 田村は首を振ると、センターポールに吊るされた巻き時計を確認する。


「もうすぐ十時だ。窟内隔壁が作動する」

「くつない、かくへき?」

「八時間、ダンジョン内の移動が制限されるから、入ってもすぐに動けなくなる。それに……移動できなくなるのは魔物も同様だ」

「ってことは、中の学生達あいつらも、とりあえず朝までは安全ってことかい?」


 頷く田村。


「ダンジョンへは明日の朝一番で潜入しよう。私も同行する」

「言っとくが……特別料金、弾んでもらうぜ?」

「ああ、解ってる」


               ◇


 最初に左手甲の異変に気づいたのは、剣士の堂島左近どうじま さこんだった。


「何でしょう、これは……」

「堂島くん?」


 堂島の呟きに、隣に立っていた女性楯兵ガード牧原朱華まきはら はねずが問い返すが、堂島の視線に気づいてすぐに自分の左手も確認する。

 楯の内側でグリップを握る左手の甲。そこに描紋された魔法円からも、堂島と同じように山吹色の光が漏れ出ている。

 ほぼ同時に、背中合わせで立つ三人も同様の現象に気がつく。


「こ、これは……」と、盗賊シーフ貝塚浩二かいづか こうじ

「まさかぁ……」と、隣の魔導師ウィザード芽梁寿々音めばる すずねも大きく目を開く。

召集魔法コールの詠唱が……始まってますね」


 ベールの下から〝先天性白皮アルビノ〟特有の銀髪を靡かせ、淡紅色の瞳孔を細めながら静かにそう呟いたのは――白銀の聖女、白浦峰 聖しらうらみね ひじりだ。


 慌てて全員が、首から下げたライフテールを確認する。

 ……が、淡い光を放ち続けるその魔具に、とくに異常は見当たらない。


「強制コール……ですか?」


 誰に訊くともなく呟いた朱華はねずに、リーダーの貝塚が答える。


「それしか考えられないが……なぜだ!?」


 そんなの決まってるじゃないですかぁ、と間延びした口調で答えたのは寿々音すずねだ。


「二層に上がった途端に、これですよぉ……」


 そう言いながら、目の前全体を指し示すように、魔道杖を左から右へ大きくスライドさせる。

 背中合わせで円を作るように立っている五人を遠巻きに取り囲んでいるのは、おびただしい数の人骨達――スカルポーンだ。


墓地型迷宮タペストリータイプでもないのに、こんなに死霊系アンデッドが湧くなんて……緊急事態ですよぉ!」

寿々音おまえの口調じゃ、まったく緊急性を感じないけどな」


 最も年配の貝塚が寿々音をたしなめる。


「それにしても……さっき二層に上がったばかりですよ? こんなに手際よく、内部の状況を把握して強制コールなんてかけられるものなんですか?」


 パーティーではもっとも年下の堂島の疑問に、女性ガードの朱華はねずが答える。


「もしかすると、わたし達より先に二層へ上がったパーティーが、アンデッド達に遭遇してコールを要請したのかも知れませんね」


 そこから報告を受けて強制コールに踏み切ったのではないでしょうか、と、噛んで含めるように説明を続ける朱華はねず


「或いは……第一層の湧敵ようてき状況もランクEにしては異常だったからな。例の学生パーティー辺りがさっさとリタイアして報告したのかもしれん」


 貝塚の言葉に、しかし、朱華はねずが首を振る。


「確かに一層も異常でしたけど、かといってわたし達兵団チームまで強制コールするほどではないでしょう? やはり、二層の状況が理由ではないでしょうか」


 と、その時、スカルポーンの一部が寿々音に向かって突進してくる。

 数は三体。スピードは意外と速い。

 それぞれ、手には石や棍棒など原始的な武器を携えている。


「魔導師が一番打たれ弱そうだ、って智恵くらいはあるみたいですねぇ!」


 骸骨のくせにぃ! と続けながら、一歩前に出た寿々音が自分の背丈ほどもある魔道杖を鋭く前方に突き出す。

 先頭のスカルポーンの頭骨を吹き飛ばすと、間髪入れずに逆回転。

 金属板で強化された杖の石突いしづき(反対側の先端)ですぐ隣の敵を攻撃する。


 二体目が崩れ落ちたのを確認することもなく、そのままさらに体を一回転。

 大きな石を振り上げていた三体目の腰を思いっきり砕き飛ばす。


 一体目から三体目まで、約二秒の瞬殺。

 のんびり口調とは裏腹の、神速の杖術じょうじゅつだ。


 寿々音の動きに合わせてふわりとなびいていた魔導ローブが、遠心力を失い、再び彼女の華奢な体を包み込む。

 その足元に散らばる、砕けた骸骨三体分の残滓ざんし


「こいつら、すっごく脆いんだけどぉ……」


 そう呟く寿々音の足元で、砕け散ったばかりの骨の欠片がカタカタと動き出す。

 傍にある破片同士が結合を繰り返し、再び元のスカルポーンの姿を形成していく。

 後ずさって元の位置に戻る寿々音。


「やっぱりすぐ復活するぅ。わたしの魔法攻撃じゃ時間稼ぎにしかならないね」


 いや、今の物理攻撃だから……と、他の四人が心の中で突っ込む。


 直後、寿々音の隣で魔導杖・・・を構えたのは白銀の聖女――白浦峰聖しらうらみね ひじりだ。

 杖の先端が、無詠唱で白く輝き始める。


死霊浄化ターンアンデッド!」

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