09.田村俊太郎

 観窟補佐官・田村俊太郎たむらしゅんたろうが、静かに通話機を戻す。

 それを待って、二級観窟士・石乃森東吾いしのもりとうごが口を開いた。


「チラっと聞こえたんだが……自警団チームが召集魔法コール発動だと?」

「はい。そろそろ、詠唱が終わるそうです」


 連絡を受けたばかりの田村も、少し信じがたいといった表情で東吾に目を遣る。


「何があった?」

「解りませんが……ライフテールが暗転したので、規則により自動的に、と……」

「ドジなメンバーがライフテールを落としでもしたか?」


 レースの投票券を買ってた連中からは非難轟々だろうなぁ……などと引きつった笑みを浮かべる東吾を、しかし、田村はクスリともせず真顔で見返す。


「その程度の話なら良いんですがね……」

「どういう意味だ? まさか……ランクEごときで不測の事態でも起きたと?」


 そのランク判定自体がはなはだ怪しいじゃないですか! と言いたい気持ちをぐっと抑え、人を小馬鹿にしたような東吾の顔から視線を外す田村。

 運営委員会だけじゃなく、ランク判定を行った観窟事務所にまでこうして連絡が入ったことに、田村は一抹の不安を抱いていた。


「コール完了後、また結果の連絡が入りますから……それを待ちましょう」


 ほどなくして室内に響く呼び出し音。

 すぐに通話機を取り、連絡を受ける田村の顔がみるみる血の気を失い、蒼白……を通り越して鉛色に変わる。

 ここでようやく、ただ事ではないと悟った東吾の顔からも笑みが消えた。


「どうした?」


 黙って通話機を戻した田村に、思わず腰を浮かせて訊ねる東吾。


召集コールできたのは、三人です」

「……三人?」

「はい。うち一人は、肩から右腕を失っています」

「なん……だと?」

「さらに一人は腰から下……つまり、下半身・・・が消失しているそうです」


 田村の報告を聞きながら椅子にへたりこむ東吾。

 数瞬間、宙を彷徨った東吾の視線が再び田村に固定される。その瞳には、何かを取り繕うとしている人間特有の薄暗い淀みが揺らめいていた。


「何が、あった?」

「詳しいことはまだ。これから東口へ行って状況を確認してきます。が……恐らくは魔物でしょう。場合によってはすぐに他のパーティーも強制コールが必要です」

「まてまてまてっ! そんなことをすればランク判定の不備を認めるようなものじゃないか!」


 再び椅子から立ち上がった東吾が、笑顔とも泣き顔とも判断つかないような、唇を歪めた複雑な表情で田村へ近づく。


「第一層は東西南北で綺麗に区画が分かれているんだ。東区画の異変だけなら、他のパーティーはそのまま続行しても……」

「残念ながら、コール先は二層だったそうです」


 にべもない田村の返答に、しかし、東吾も予想済みだったのだろうか。とくに驚いた様子もなく言葉を繋ぐ。


「まだ被害が出ているのは自警団チームだけだろ? 幸いあそこは、兵団チームに対抗心も強いし、自警団とさえ話をつければそんなに大ごとにしなくても……」

「そんなことを言ってる場合ですか!」


 ついに感情を抑えきれなくなり、わずかに声を荒げる田村。


「とにかく、現場の様子を見てきます。場合によっては、運営委員会にその場で強制コールの要請もします。いいですね?」


 事務所から退室しようとする田村の背中を、さらに東吾の声が追いかける。


「おまえを雇ってるのはこっちだぞ! 指示に従えないなら……」

「どうぞ、解雇でもなんでもなさって下さい。但し、私はあなたの父上……進吾しんごさんに雇われた身ですからね。解雇するにしても、進吾さんの了解は取って下さいね」


 それまでは私も業務に専念させていただきます、と、東吾の方を振り返りながら、田村も断固とした口調で返答する。

 時間は夜の九時を回ったところだ。

 進吾が入院している施療院に確認するとなれば、急いでも面会時間が始まる明朝までは待つ必要がある。


「ま……待てって、田村……」


 高圧的だった東吾の口調が一転、今度は相手を諭すような弱々しさがにじむ。


「よく考えてみろ。もし魔物だとして……自警団チームを壊滅させるような相手だ。ランク修正となれば、一ランクや二ランクじゃ済まないかもしれん」

「でしょうな……。下手をすればランクB以上の可能性も視野に入れてます」

「そうなりゃ、大幅な観窟ミスってだけじゃねぇ。こう言っちゃなんだが……いい加減な観窟方法の実態だって追求されるかもしれねぇんだぞ?」


 田村が、冷ややかに東吾を見つめ返す。


「ようやくお認めになりましたね。いい加減な調査だったと」

「んな話は、今はどうでもいい! おまえだって補佐官として認定書にサインをしてるんだ。責任を追及されれば実刑も免れん」

「そんな事こそ、今はどうでもいいです!」


 もう行きます、と言って再び出口へ向って歩く田村の後ろから、なおも東吾の声が追いかけてくる。


「おまえにだって家族がいるんだろ!? それでいいのかよ!」

「東吾さん……」


 ドアノブに手を掛けながら、しかし、今度は振り返らずに田村が言葉を繋ぐ。


「ダンジョン攻略に参加している彼らにだって、家族はいるんですよ」


 田村はそう言い残すと、呆然と立ち尽くす東吾を残し、事務所を後にした。


               ◇


 東口のスタート地点に、軽魔動車に乗った田村が現れたのは十分後だった。

 時空魔法士イスパシアンの待機用天幕テントの入り口を開けると、緊急の救護テントと化した幕内は騒然としていた。


「ああ! 田村さん!」


 幕内で慌しく行き来する人混みの中から声をかけてきたのは、田村の知り合いの運営委員――志木沢海都しきざわみとだ。


「やあ……海都さんも来てたのか。連絡はりょうくんからだったけど?」

だんなはさっき、下半身消失の隊員を麓の施療院まで運びに……」

「そうか……助かりそうなのか?」

「いえ、おそらくダメでしょうね。下半身を丸々再生するなんて、施術者も患者も少なくとも数千、もしかすると一万以上の魔力が必要になるわ」


 かき上げた長い黒髪を耳にかけながら、海都が伏目がちに答える。

 再生魔法リジェネレーションは人数をかけて補えるとしても、患者はそうはいかない。


「右腕欠損の隊員は?」

「彼女は、止血だけは済んで一命は取り止めた。欠損部が完全に消失してるので、再生はやはり、無理だけど……」


 彼女――と聞いて、被害者が女性だったことを初めて知り、田村の表情が歪む。

 男だからいいというわけではないが、女性と聞くと、やはり不憫に感じる感情が大きくなるのは否めない。


「無事な隊員も一人いるんだよな? 話は聞けそうか?」

「いえ。若い隊員で……精神的なショックが大きいので、とりあえず眠ってもらってるわ。一応、大まかな事情だけは聞いておいたけど……」

「一体、何があった?」

「信じられない話なんだけど……ケルベロスが出たと」

「……!?」


 一瞬、言葉を失う田村。

 ケルベロスと言えば★6の魔犬――いや、魔狼だ。


「間違いないのか!?」

「一応、右腕欠損の女性隊員にも確認したので……確度は高いわ」


 自警団が魔物を相手にする専門機関でないとは言え、エリートの戦闘集団であることは間違いない。

 そこに所属する隊員が、二人揃って★6クラスの魔物を誤認するとは考え辛い。


「隊員の一人はすでに死亡。隊長の毒島ぶすじまさんって人は、解除剤を飲んでコールを拒否。一人残って交戦中らしいわ」


 毒島と聞いて、田村は受付の時に学生パーティーと揉めていたいかめしい大男を思い出す。

 かなりの手練てだれのようには見えたが……それでも★6と言えば通常は数人の熟練パーティーで相手にするような魔物だ。一人の力でどうこうできる相手じゃない。


「観窟の責任者として……」


 わずかな沈黙のあと、田村が静かに口を開く。


「フェスティバル運営委員会にランクBへの変更を申告。併せて、全パーティーの強制コールを進言する」

「責任者? 東吾さんは?」

「彼は……体調不良で、観窟に関する全権は、今は私が一任されてる」

「そうなの。……ああ、ただ、強制コールに関してはもう、ランク変更の申告を受けるまでもなく委員会の判断で通達させてもらったわ」

「……そうか」


 田村がホッと胸を撫で下ろす。


 毒島のことは……仕方がない。解除剤を使用したとなればそれ以上は自己責任だ。

 自警団パーティーについては気の毒だが、ただ、それ以上の犠牲を出さずに済みそうだ……と言うことについては、一応の安堵感を感じる。

 コール要請が委員会独自の判断で成されたのなら、自分が東吾を裏切ったことにならずに済んだ……という気休めもある。


 東吾の父親――石乃森進吾には田村も、観窟のスキルなど持ち得ない頃から拾ってもらい、ここまで育ててもらった恩義がある。

 例え出来の悪い息子であっても、恩人の肉親であるならば自分は最後まで味方でいたい……そういう気持ちは持っていた。


「ただ……」

「うん?」


 ポツリと呟く海都の声に、再び不安感を募らせる田村。


「どうした?」

「西口担当のイスパシオン……えーっと、雑魚井ざこいさんだっけ? コール要請後、彼から直ぐに委員会の方に連絡があったみたいで……」


 雑魚井……そうか、あの学生パーティー、雑魚井あいつの担当だったか!

 思い出した田村の表情にみるみる不安の色が浮かぶ。


「彼が……どうかしたのか?」

「コール対象の反応が感知できないって……。ライフテールでパーティーメンバーの無事は確認できてるらしいけど――」


 田村が時計を確認する。時間は九時半を回ったところだ。


「聞いたところによると、雑魚井さん、三級らしいじゃない? 確かトミューザムの結界貫通は準一級以上か……せめて二級の術士じゃないと難しいんじゃなかった?」


 その通りだ。

 彼の選出に関しても責任は観窟士にある。当然、田村や東吾の責任は免れないだろう。しかし、今はそんなことを心配している場合ではなかった。


「とにかく……一旦、西口に行ってみる。ここは、お任せしていいかな?」

「ええ。人出は充分だし……こっちは平気」

「では、お願いします」


 そう言い残すと、踵を返して天幕の外に出る田村。

 やはり……細工してでも雑魚井の担当は退魔兵団チームにするべきだった――

 そう後悔して奥歯を噛み締めながら、再び軽魔動車に乗り込んだ。

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