10.シルフの丘

 シルフの丘――――


 王道ファンタジーを連想させるおごそかな地名だが、見た目はぶっちゃけ、どこにでもあるよう丘陵だった。

 前の世界あちらで言えば、近所から家族連れが気軽に散歩に来るような低山。

 そのシルフの丘の遊歩道の入り口に、今は全員集まっている。


「なんでここ、シルフの丘なんて大層な名前が付いてるの?」

「頂上付近はいつも強風が吹いてるみたいでね。それで、風の精霊を祀るという意味で付いた名前みたいよ」


 俺の質問に、優奈先生が得意気に答えてくれた。

 因みに、オアラ洞穴の入り口は遊歩道から逸れた脇道を少し進んだところにあるので、頂上の強風などは全く関係ない。


「みんな、潜入準備はできたな?」


 D班のメンバー六人は、既に専攻職に応じた武器防具の装備を終えていたが、可憐の号令で再度確認をする。

 因みに、ポーション係は俺とうららが担当することになった。


「隊列はまず、盗賊シーフの紅来が先頭。直後に可憐わたしと麗だ。後衛は魔法使いソーサラーの立夏と弓兵アーチャーの華瑠亜。殿しんがりは班長の紬に努めてもらう」


 了解! と全員が返事をする。

 やはり、こう言う場面では可憐が自然とリーダーシップを発揮する。


「じゃあ、先生、行って来ます」と、可憐が代表で挨拶をする。

「はい。気をつけてね!」


 道端の岩に、歩牟あゆむと一緒に腰掛けていた勇哉も声を掛けてくる。


「紬ぃ~! そのチーター、役に立つのか~?」

「チーターじゃねぇ! パンサーだ!」


 もっとも、松明たいまつ係に指名されているし、この後は六尺棍も仕舞うのでブルーも一旦ケースに戻すしかない。

 例えリリスには使えないとしても、やはり初美のラピスラズリのような常時変換魔具が欲しいところだ。


 可憐が決めた隊列で、D班全員がゆっくりと脇道を歩き出す。

 未整備で道幅も狭いが、意外と多くの人が行き来してるのか路面はしっかりと踏み固められていて雑草も少ない。

 道端から奥は、クヌギやアオダモ、サンショウと言った夏の草木が生い茂る緑林が広がっている。

 

 洞穴まで約十五分程らしいが、そこまでは一列になって進むことにする。

 最後尾の俺の目の前では、薄茶色のツインテールが歩みに合わせてゆらゆらと揺れている。

 目の前の華瑠亜とは、今朝から一言も口を利いていない。

 ぶっちゃけ……非常に気拙い。


(ねえ、紬くん! なんとかしなさいよ!)


 俺の肩に座ったリリスが、耳元でひそひそと話しかけてくる。

 リリスにとっても、この気拙い空気はかなり居心地が悪いらしい。


「おまえ、悪魔だろ? こういう負の感情ギスギス、好物なんじゃないの?」

「悪魔だからって十把一絡げに考えないでよ。私は夢魔むまなの!」


 夢魔って設定すら怪しい気が。


リリスおまえ、夢魔らしいこと、何かしたっけ?」

「…………と、とにかくっ! 現世界こっちで人間の負の感情なんて何の役にも立たないし、私の意図しないところで勝手にギスらないでよ」

「俺だって意図してないけど……」


 リリスに言われるまでもなく、このままじゃまともにダンジョン課題にだって集中できないのは確かだ。

 洞穴に着くまでになんとか、せめて口くらいは利いてもらるようにしないと。


「おい……華瑠亜?」


 恐る恐る、華瑠亜に声を掛けてみるが……返事がない。

 ワシャワシャと響く蝉の鳴き声に掻き消されたのだろうか。


「華瑠亜ってば!」


 さっきより少し大きな声で話しかけてみるが、やはり無反応だ。

 間違いない。無視スルーモード継続中だ。


 それにしても――――

 本当に立夏から口移しの話を聞いたとして、そもそも何で華瑠亜が怒るんだ?

 緊急事態に取るべき施療行為として間違った判断ではなかったと確信しているが、仮に恋人同士のキスであったとしても華瑠亜に咎められる筋合いではない。


 ああ、もう、訳が解らん!

 最近はせっかく上手くいってたのに、こんなことでまた元の木阿弥?

 モンスターハント実習前の、あの戦闘準備室の状態にまた戻るのか?

 勘弁してくれ!

 だんだん腹が立ってきた!


「おいっ! 華瑠亜!!」


 今度は、更に大きい声で呼ぶ。と同時に、華瑠亜の左肩をグイっと掴んだ。

 俺の声に驚いて、前を行く四人までこちらを振り返る。


「な、何よ! さっきからうるさいわね!」と、華瑠亜も眉尻を吊り上げながら振り返る。

「さっきからって……ちゃんと聞こえてんじゃん! 返事くらいしろよ!」

「返事をするかしないかなんて私の自由でしょ!」


 俺達の様子を見て、可憐が他のメンバーに声を掛ける。


「先に行こう。…… 華瑠亜たちも、あまり遅くなるなよ!」


 そう言いうと、俺と華瑠亜を残して林道の先へ姿を消した。

 今朝からの華瑠亜の様子を鑑みて、ここは俺達二人で解決させた方が良いと判断したのだろう。

 指揮能力もあって空気も読める……完璧なリーダーだ。

 尤も、四人のうち紅来ひとりだけは、心の底から残念そうな顔をしていたが。


「一体何なんだよ、今朝からずっと。俺が何かしたか?」

「じ、自分の胸に手を当ててよ~く考えてみなさいよ!」

「もしかして、立夏からテイムキャンプの時の話、聞いたのか?」


 華瑠亜の肩がピクリと震える。

 間違いない。

 立夏から、俺が口移しでポーションを飲ませたことを聞いたんだ。


「そ……そうよ。テイムキャンプで頑張っているかと思えば、何よ、破廉恥な!」

「おまえが何をどんな風に聞いたか解らないけどな? あの時は仕方なかったんだ。立夏も体当たりを受けて体が麻痺していたし、口の奥に流し込まないと……」

「知ってるわよ! 聞いたわよっ!!」

「じゃあ何で怒ってるんだよ!?」

「知らないわよっ!」


 んな、理不尽な……。


「そんなの全部聞いたわよ。でも、イライラするんだから仕方ないじゃない」

「何にそんなにイライラするんだよ? 俺の行動、間違ってたか?」

「その場にいないんだから、そんなの知らないわ。でも……正しいとか正しくないとか、そう言う問題じゃないの」

「じゃ、どういう問題なんだよ?」


 華瑠亜も、自分でも何を言っているのか良く解らないと言った様子だ。

 それでも、何かにイラついているのは間違いない。


「確かにあんたの行動は立夏を助けるためだったかも知れないけど……でも、あんただって満更でもなかったんでしょ!?」

「なんだよそれ? 俺が喜んで立夏とキスしたとでも!?」

「キ……キス……」


 言葉の綾だが、思わず使ってしまったその単語に、一瞬、華瑠亜が固まる。


「や……やっぱりキスなんじゃない!」

「言葉の綾だろ。あれは完全な施療行為だ。そんな色っぽいもんじゃねぇよ」

「でも、やっぱり嬉しかったから、思わずキスなんて言葉が出るんじゃないの?」

「やけにこだわるなぁ……。嬉しいなんて気持ち、全くなかったってば」

「じゃあ嫌々だったの?」

「嬉しいだとか嫌だとか……そんな状況じゃなかったんだって! 命の危機だったんだぞ!?」


(ち、ちょっと、紬くん? 冷静になってよ!?)


 肩の上でリリスがあたふたしながら耳打ちしてくる。


「俺は冷静だよ!」と、思わず大きな声を出してしまい、はっとする。

「ご、ゴメン……」

「わ、私はいいんだけどさ……どうするのよこれ? 収集付かないわよ!?」


 確かに、華瑠亜が何に怒っているのか、ここまで話していてもまだはっきりと解らない。それが解らなければ収集のつけようもない。


「もう一度聞くけど……華瑠亜は何に怒ってるんだよ?」

「解らないけど……とにかくイライラするのよ。女の子と……その……唇を重ねるのって、やっぱり特別じゃない? 」

「そうかもしれないけど……そうじゃない! あれはそんな状況の話じゃない」

「まったく? 何にも? 下心はなかった?」

「ないね。そんなこと考えてる余裕なんてなかった」

「信じられないわね!」


 ハアァ……と、俺は大きな溜息を吐く。

 仮に俺に下心があったとしても、それでも華瑠亜に咎められる筋合いはない。

 ……が、そのことは今は置いておこう。

 それを言っても今はややこしくなるだけだ。

 俺に、何かよこしまな心があってそう言う行為に及んだと……華瑠亜こいつはそう考えて怒っているのだろうか?


「じゃあ、どうすりゃいいんだよ?」

「立夏に対して下心がなかったと……証明すればいいのよ」

「だから何度も、そう言ってるじゃん」

「それが信じられない、って言ってるの!」


 完全に堂々巡り……悪魔の証明だ。

 さすがのリリスも、そんな無茶な、と俺の耳元で嘆息する。


 リリスにとっても立夏との口移しの話は初耳だろうが、俺の話を聞きながら状況はきちんと把握してくれたらしい。

 このリリスとんちんかんにさえ解ることを華瑠亜が理解できないはずがない。

 つまり、理解できないんじゃない。納得してないんだ。


「じゃあ、どうするんだよ。このまま、この合宿中も、学校が始まっても、ずっと口も利かずに過ごすつもりか? 」

「そ、そんなの……私だって望んでないけど……」

「ならどうすればいい? 何をしたら許してもらえんの?」


 僅かに沈黙が流れ、そして華瑠亜がボソリと呟く。


「…………てよ」


 ワシャワシャワシャワシャ――――


 蝉の鳴き声が一頻ひとしきり大きくなり、華瑠亜の言葉を掻き消した。


「ごめん、何? よく聞こえなかった」


 もう一度、今度ははっきりと聞こえる大きな声で華瑠亜が言った。


「キスしてよ!」

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