07.ノームの集落

「ノームの集落まで、あとどれくらいなんだろう……」


 呟きながら、ゆっくりと身支度を整え始める可憐かれん

 俺も、食べかけの干し肉を口に放り込むと、ローブの上から鞄を背負う。

 念のために設置しておいた結界石を回収しながら、メアリーが答えた。


「そうですね……今通ってきた横穴の位置が道程どうていの半ば程だと聞いてますから、距離的にはあと半分くらいだと思いますよ」


 松明の消耗具合を見るに、既に三時間近くが経過していると思われた。

 魔物の襲撃や、その後の治療などでも足止めをされたため、予定の時間を大幅に超過している。

 ただ、半分まで来たのが本当なら、残り一時間程度の道のりと言うことになる。

 もちろんそれも、このあと何事もなければの話だが。


「食事と治療は……もう大丈夫だな? そろそろ行こうか」


 可憐の号令を合図に、幅の広い洞窟路を再び三人で手を繋いで歩き出す。

 脳震盪で手元が不安だったため、登壁時は念のため可憐に代わってもらっていた松明たいまつ係だが、再び俺が担当する。二本目の松明だ。

 まだ予備がもう一本残っているが、余裕を持っておくに越したことはない。


「なんか……臭くないか?」


 どうも先程から、独特のアンモニア臭のような臭いが漂っている。

 クンクンと鼻を鳴らしながら訊ねる俺を横目に可憐も口を開く。


「うん。……それに、だいぶ暖かい。これまでより気温は三、四℃高そうだ」


 オアラ洞穴内の平均気温が十二℃だったから、もしかすると十五~六℃あるということか。

 前の世界向こうの千葉県で言えば、だいたい四月頃の平均気温だ。


「この辺りはコウモリの巣にだいぶ近いと聞いてます」と、メアリーが説明する。

「臭いや気温と何か関係があるのか?」

「コウモリは巣で糞尿を垂れ流すのですよ。巣の下は糞が降り積もってもの凄い臭気だと聞いたことがあります」

「想像しただけで、鼻がムズムズするわね……」


 肩の上で、リリスも顔をしかめながら呟く。


「おまえは悪魔だし、コウモリくらいどうってことないだろ?」

「あのね、悪魔がコウモリを使役するとか、そう言う人間の勝手なイメージを押し付けないでよね」

「別に押し付けはしないけど……違うのか?」

「私は、人間界で使役するのは……スズメとかウサギ、コアラが多かったわね」


 甚だ、悪魔らしくないな。

 そもそも、スズメ、ウサギはともかくコアラって……。

 オーストラリア以外じゃ動物園内しか活動できないだろ?


「紐パン師匠は悪魔族なんですか? あんな低知能の種族にこんな亜人に近い存在がいるとは知りませんでした」


 隣で話を聞いていたメアリーが、改めて物珍しそうにリリスを眺める。

 現世界こちらにおける悪魔の定義は、前の世界向こうとは違うのかも知れないな。

 少なくとも異界の住人ではなく、実際に存在する魔族の一つらしい。


「ひ、紐パンって何よ! ちゃんと “リリっぺ” って呼びなさいよ!」


 リリスが顔を赤くしながらメアリーをとがめる。

 “リリっぺ” はもう ちゃんとした・・・・・・呼び方ってことでいいのか?

 リリスの抗議には特に何も答えず、メアリーが説明を続ける。


「臭気だけじゃないですよ。発生するガスで窟内の温度は上昇し、糞を餌にするゴキブリや蛆虫、更にそれを餌にするムカデや大ゲジやアシダカグモがうごめいて……」

「いや、もう説明はいいよ。気持ち悪くなってきた」


 制止する俺をメアリーが不思議そうに眺める。


「地底で暮らすノームにとっては虫も貴重なたんぱく源なんですけどね」


 マジかよ!?

 こりゃ、もしノームの集落でおもてなしを受けても迂闊に食べられないな。

 今のうちにもう少し腹ごしらえをしておこう……。

 休憩中にメアリーからもらった干し肉をもう一本頬張る。


「あ! 紬くん、いいな~!」

「あげないぞ。俺は朝食べてなかったんだからな。……って言うか、リリスおまえも自分の分もらってただろ?」

「もうなくなった」


 だからさっき、眠たくなってたのか……。


「メアリーちゃん 、干し肉、まだある?」

「ありますけど……紐パンにあげる分はもうありません」

「こら! チビ助! ちゃんと “師匠” くらい付けなさい!」


 師匠を付ければ紐パンでも “ちゃんと・・・・” になるのか。

 どんどんボーダーが下がってることに気づいてんのかな、リリスこいつ


「その体でよく人のことをチビとか言えるものですね。とにかく紐パン師匠は、サイズの割に燃費が悪すぎるんですよ」

「そうかも知れないけど、私のせいじゃないから! こっちに送られる時になぜかこんな体にされちゃったのよ、ノートの精にっ!」

「全く言ってる意味が解りませんが……大丈夫ですか?」


 可哀想な人でも見るかのような憐憫れんびんの眼差しでリリスを見上げるメアリー。

 ふ~、っと息を吐き出すと、これ以上メアリーと話してもらちが開かないと悟ったのか、リリスは再び俺の方に向き直る。


「ねえ紬くぅん。両手塞がってるのに、咥えながらじゃ食べにくいでしょ? お肉、私が持っててあげるよ」と言って、肩の上から手を伸ばしてくる。

「いいよ! おまえ、自分で食う気満々じゃねぇか!」

「いいからいいから」


 唇を片側だけ上げるような、明らかに悪そうな笑みを浮かべてリリスが迫る。


「止めろって! 遠慮しとく! もう寝てていいよおまえ!」

「あー! 食べられないとなると余計欲しくなる! こんなんじゃ寝られない!」


 食べるために起き、寝るために食べる……リリスこいつの人生の目的ってなんだろう?

 俺の肩の上で足をバタバタさせるリリスを見上げながら溜息をつくメアリー。


「仕方がないですね……。じゃあ、これが最後の一本ですよ?」と言いながら、メアリーが鞄の中から干し肉を取り出した。

「え! いいの!?」

「はい。なんと言ってもパパとママのかたきを取ってくれた立役者ですからね。メアリーにできることなら何でもしてあげたいと言う気持ちはありますし。……なので、もう一度紐パンを見せてくれたら、この干し肉をあげますよ」


 そこまで言うなら無償であげろよ!


「いつまでもブタさんのままじゃ、確かに子供っぽいですからね。二十歳らしく、下着にもレディーのたしなみを取り入れたいので、参考にさせて下さい」


 やはりメアリーも女の子ということだろうか。

 ファッションに関してはかなり興味があるようだ。


 少し考えた後「わかった。ちょっとだけよ?」と答えるリリス。

 リリスおまえリリスおまえで、いいのかそれで!?

 そこまでして食べたいの、干し肉?

 少し可哀想になり、俺の肉でもいいなら分けてあげようと思った次の瞬間――


 リリスの返事を聞いたメアリーがジャンプをして、俺の肩に座るリリスの足を掴むと、そのままあっという間に引き摺り下ろした。

 更に片足を持ったまま、まるで子供が女の子の人形でも扱うかのように無造作に逆さまにする。

 まさに一瞬の出来事だ。

 当然エプロンドレスは、中のパニエごと全て捲れて裏返しになり――――


 目を背ける暇もなく、逆さまになったリリスの黒い紐パンツが俺の視界に飛び込んできた。

 メアリーじゃないが、布の面積が非常に少ない。

 如何わしい雑誌くらいでしか見たことがないような、黒いレース地の紐パンツだ。


「いやあああぁぁぁぁぁ!!」


 これまでに聞いたことのないような、リリスのもの凄い悲鳴が窟内に木霊した。


               ◇


「ったく! なんて弟子よっ! 信じらんないっ!!」


 リリスが、俺の肩の上で激おこプンプン丸だ。

 でも、しっかり干し肉は食べるのな……。


「わざとじゃないですよ。跳んだ時にたまたま掴んだのが足で、着地した時にたまたま逆さまになってただけです」

「あのね、“わざとじゃない” で済むなら警察要らないのよ!」

「警察?」


 因みに現世界こちらでは、前の世界の警察に当たるのは自警団だ。

 住民の中から有志を募り、人数が多い場合は投票が行われる場合もある。

 当然、水際で治安を維持する組織なので、腕っ節や魔法力も必要だ。

 人間に魔力を使って危害を加えることは禁止されているが、犯罪者など、相手が刃物や魔力を使ってきた場合の正当防衛は認められているらしい。


「えっと……現世界こっちの警察代わりって……何だっけ……? まあいいわ! とにかく、弟子なら弟子らしく、師匠のことは丁寧に扱え、って話! ジャンプして足掴むとか、どんだけガサツなのよっ!」

「まあ、女同士なんですから、いいじゃないですか」

「さっきのはどう考えたって紬くんにも見られたでしょっ!!」

「見たんですか?」


 メアリーが首を傾げるように俺を見上げる。

 思いっきり目の前だったし、見てないと嘘を付くのも流石に白々しいような……。


「見えたような気もするけど……暗かったし、よく見えなかった気も……」

「見えなかった、って言ってますよ」と、メアリー。

「そんなにはっきり否定してないじゃん! 寧ろ、文章的には見えたってニュアンスの方が強いじゃん!」

「まあ、仮に見られたとしてもですよ? 娘なんだしいいじゃないですか」

「娘じゃね~し……自分が見られた時とえらく態度が違くない!?」

「メアリーの場合はわざわざ捲られて見られたと言う、謂わば犯罪の被害者ですからね。追求の姿勢も自ずと厳しくなりますよ」


 なんて人聞きの悪い!

 捲ってないからっ!


「リリっぺの場合は事故ですから。誰のせいでもないです」

「おもいっきりメアリーあんたのせいよっ! そもそもよ? 何で干し肉もらうのにパンツなんて見せなきゃないのよ!?」


 ようやくそこに気づいたか……。


「だから言ったでしょう? セクシー下着の研究だと」

「その研究、今必要!? 私のなんかじゃなく、あとで可憐ママにでも見せてもらいなさいよ!」


 そろそろ話題変えないと、俺や可憐に変なとばっちりがきそうだ。


「そう言えば、静かだな、可憐ママ……」


 俺の呟きに反応して、可憐が横目で俺達を一瞥する。


「おまえらが、賑やか過ぎるんだよ」


 ごもっとも。


 ――――そう言えば、休憩地点を出てどれくらい経っただろう?

 松明の火がだいぶ心許なくなってきている。

 結局後半は、魔物にも遭遇せず平坦な道を順調に来たが、火を絶やしてしまうと、また火打石で点け直すのも面倒だしな……。


「松明、そろそろ三本目に切り替えるか?」


 そう訊いた俺の言葉に被せるようにリリスが前方を指差す。


「あっ! あれは!?」


 目を凝らすと、前方に小さな明かりが点々としてしているのが見える。

 まだ数百メートルは先だろうか?

 明かりも薄っすらとしか見えないが、夜目の利くリリスにはもう少しはっきりと見えているのだろう。


「あれですね。ノーム彼らの新しい集落で間違いありません」


 仲間であるはずのノームを “彼ら” と呼ぶところに、メアリーの複雑な心境が見て取れる。

 このまますんなりと、丸く収まってくれればいいんだが……。

 

「よし、急ごう!」


 足を速めようとする可憐の右手が、しかし、メアリーに引き戻されるように後方に伸びきる。

 今にも立ち止まりそうなほど、メアリーの足の運びが鈍くなっている。


「どうした、メアリー?」という可憐の言葉にも、ノームの少女は黙ってうつむく。

「大丈夫だ、メアリー。パパもママもついてるだろ?」


 俺の言葉でようやく顔を上げると、「はい」と短く答えて再び歩き出す

 ……が、やはり表情は硬いままだ。

 一体、あの集落で何がメアリーを待ち受けていると言うのだろう?


 とにかく、一つだけ確実に言えることがある。

 ここを立ち去る時は、必ずまたメアリーの笑顔を見ながらだ!

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