04.内観

 緩慢になった時間の流れの中で、相対的に加速した思考が俺の感情を内観し始める。


 あのまま全員で逃げていても魔物に追いつかれ、蹂躙されるのは目に見えていた。

 全員の身を危機に晒すより、一人で足止めができるならチームにとっては有益……という理屈は、頭の中では当然に理解している。

 しかし、だからといって自らその一人になるかといえば、それはまた別の話だ。


 仲間のために、痛みを――いや、場合によっては死のリスクすら伴うような自己犠牲を進んで受け入れる? 元の世界ではとても考えられなかったことだ。

 もちろん、それを要求されるような場面も、平凡な高校生の日常ではあり得ようはずもない。


 しかし、この世界では、もう何度もそういった選択を迫られてきた。

 考えるより先に体が動いて……というのもあったが、死線をさまよったことも一度や二度じゃない。

 結果的に無事だったとはいえ、いい加減俺だって学習してるはずだろ?


 なのにまた……二ヶ月前までごく普通の、平々凡々のどこにでもいる今時の学生に過ぎなかった俺が、なぜこんな行動をとることができるのか。

 自分を嫌いな自分にはなりたくない――そんな青臭い矜持モットーのせい?

 治癒魔法があるこの世界では、余程の事態でもない限り死に至るケースは少ないと、高を括ってる?

 

 確かにそれもあるだろう。でも、本当にそれだけだろうか。

 それだけで俺は、こんな選択ができるほど英雄的ヒロイックな人間なのか?

 もっと何か、シンプルな感情に突き動かされているような気がしてならない。



 時間の流れが戻り、一人残った俺と、五頭の死猟犬の視線が鼻先で交わる。

 そうだ……俺を見ろ!

 最も手近な敵に注意が向く――そんな、第二層で見せたティンダロスハウンドの性質は、★4に魔改造されても引き継がれているようだ。


 落ち着け!

 じっくりと、やつらの動きを見極めるんだ。

 集中力を高めながら自らに言い聞かせる。


 三日間の武技特訓では、対モンスターを想定した立ち回りまでは練習していない。

 しかし、機敏な死猟犬とはいえ、瞬間的なスピードは可憐と比ぶべくもない。


 モーションを鳥瞰ちょうかんするように眺めながら、敵の次の動きを予測する。

 独りでに動く、両足。

 先頭二頭の間に引いた仮想の動線をトレースするように、身体を滑らせる。


 バンッ、バンッ!


 乾いた打突音と共に、死猟犬二頭の横っ腹にアステリスクが浮かぶ。

 六尺棍による左右胴払い。

 ひるんだ二頭を置き去りにしてさらに後方の三頭の間へ滑り込む。


 ドンッ、ドンッ、バァ――ン!


 六尺棍の両端で次々と打突を叩き込んでいく。

 明滅する三枚のアステリスクと飛び散る肉片、そしてたたらを踏む三頭。

 五頭の標的が、完全に俺に固定された。


 よしっ!

 ★4ともなると、予想通りこの程度で致命打にはならないようだが、追加聖痕ADSTの効果はきちんと出ているようだ。


 怯んだ五頭の間隙を縫って離脱。

 向かう先はすぐ脇の……小部屋キューブの密集エリアだ。


 他のメンバーとは別ルートにはなるが、回り道になっても、キューブの間隙かんげきを上手く縫って行けば追撃をかわしやすくなるはずだ。

 重い荷物を担いでいた第二層までとは違い、今はものすごく体も軽く――。 


 隙間に飛び込むと同時に振り返り、襲い掛かってきた一頭の鼻っ柱を六尺棍で引っぱたく。

 青白いアステリスクが浮かび、死猟犬の顔面から再び飛び散る小さな肉片。


 ……だが今度は、ほとんど怯むことなく、すぐに追撃が再開される。

 俺の頭など一呑みにできそうな大きな口を開けながら。


 早くもADSTのダメージに慣れられたか!?


 素早く、持ち手を〝二分の一遣い〟からリーチを稼げる〝三分の二遣い〟へスライドさせ、再び六尺棍を突き出す。

 リーチを出した分、打突スピードがわずかに落ちる。

 狭い通路の中、器用に攻撃を避けて俺の右手に食らいついてくる死猟犬。

 腕を引いて間一髪かわすも、アンダーシャツのそでを牙がかすめる。


 あっぶなっ!


 バランスを崩して体が流れた死猟犬の上を、牙を剥きながら飛び越えてくる新手。

 やはり反撃は必要最低限に抑え、逃げることを最優先にした方がよさそうだ。

 キューブの隙間から飛び出し、すぐに次の隙間へ。


 狭い通路を走っているうちはやつらも一斉には襲って来られないだろう。

 確か、階段部屋は南西だったよな……。

 方向感覚だけを失わないように注意しながら、紅来たちを追う。

 再び接近した一頭に軽く打突を入れて牽制しながら二つ目の間隙を抜けて――


 思わず愕然とする。


 次のキューブ群までが……長い!

 距離にして三十メートルはあるだろうか。


 止まって考えてる暇などないし、そのまま飛び出して新たな間隙を目指す。

 ……が、広い空間に出て、明らかにスピードを上げた獰猛な追撃者パルサーたちの気配に全身の毛穴が粟立つ。


 みるみる迫る足音。

 ヤバイ、ヤバイ! マジヤバイ!!

 ここにきてようやく、麻痺していた恐怖感がふつふつと沸き上がってきた。

 残り、二十五メートル、二十メートル……とてもだが逃げ切れない!


 振り返った直後、眼前に迫っていた一頭を目がけて思いっきり打突を入れる。

 不意を突かれた先頭の一頭が、肩に六尺棍の先端を食い込ませてギャウン、と後方へ飛び退すさる。

 これまでの、命中率重視の軽い打突ではなく、力の篭った一撃で一際ひときわ鮮やかにきらめく蒼白のアスタリスク。


 すかさず体軸を回転させ、石突き(反対側の先端)で二頭目を攻撃。

 顎門あぎとに咥え込むように六尺棍を食らうと、顔面をアスタリスクで彩りながら後方へ吹っ飛ぶ。 


 ……が、迎撃もそこまで。

 強打を狙って踏み込んだ分、体軸が流れて次への構えが追いつかない。


つむぎくんっ!!」


 この声は……!?

 やっと見つけたよ! と、上空から聞こえてきたのは、リリスの声。

 だが、しかし……。


 メイド騎士を使役できるほどの魔力はもう、恐らく残っていない。

 結局、焼き豚に騙されたときのキューティーリリスアタックが、ここにきて重く圧しかかることになったわけか……。


 ったく、あのダボハゼメイドが!


 ……と、愚痴の一つでもこぼしたくなるが、しかしそれ以上に、彼女にピンチを救われた場面が多いのもまた事実。

 まあ、それはそれ、これはこれだが、やはり恨む気にもなれない。


 もともと、おとり役を選びながら無傷で乗り切ろうなんて考えが甘いんだ。

 こうなったら、多少咬まれるくらいは覚悟して、一番近いキューブに緊急避難だ、と、覚悟を決めたその時――


 眼前に迫っていた死猟犬、手前三頭の胸元が同時にきらめく。

 浮かび上がっているのは……黄金こがね色のアステリスク!?


 ――この色は!?


 慌てて振り向いたその視線の先に立っていたのは――構えた連弩ボウガンから二射目を放つツインテールの戦姫。

 再び三筋の射線が、動く腐乱体の胸元を正確に射抜く。


「か……華瑠亜かるあ?」


 腑抜けたような俺の呟きに、キッと眉を吊り上げるツンデレ女射手アーチャー


「なに間抜け面を晒してんのよバカ紬! どーなってんのよあんたっ!」

「ど、どうって……」

「何回言ったら、勝手にはぐれなくなるのか、って話! あんたはあれか? 運命の国デスティニーランドに初めて連れてってもらった子供かなにかか? あ~ん!?」

「で……ですてぃにーらんど?」なんだそれ?


 怒声を甲走かんばしらせながら、さらに追撃矢を放つ華瑠亜。

 直後、俺を襲おうとしていた三頭の横っ腹で再びアステリスクが輝く。

 死猟犬の敵対心ヘイトが、まるで俺の存在を忘れたかのように、自分たちを一方的に攻撃している女射手スナイパーへ移行する。


 やにわに、華瑠亜に向かって一斉に駆け出す五頭。


 ちょっ……まっ!!

 六尺棍を振りながら慌てて追いかけるが、すでに数メートル先に離れた死猟犬を捕捉することができない。

 あんな数を華瑠亜一人で……無理だ!


「華瑠亜――っ!! 早く逃げろ――!!」


 俺の叫びに、しかし、慌てることなく俺を見据えて口を開く華瑠亜。


「目の前に強敵が現れた時、あんたはまず、後ろを振り返って!」


 振り返る? なんの話だ?

 だんだんと涙でくぐもる華瑠亜の叫声。


「あんたの後ろにはね……味方なかまがいっぱいいるの!」


 次の瞬間、華瑠亜の背後から、今度は別の声が木霊する。


標的固定フィックスターゲットぉ――っ!」


 勇哉ゆうや!?

 雄叫びと共に拡散した波動が死猟犬たちを飲み込み、俺の足元で消滅する。

 スキルの効果でさらに目標を変えた五頭の死猟犬が、華瑠亜の横を駆け抜け、今度は勇哉に群がってグルグルと周回し始めた。


 すかさず、そのうちの一頭に向かってボウガンを連射する華瑠亜。

 死猟犬の顔面に何枚ものアスタリスクが明滅し、じわじわと動きが鈍くなる。


 ようやく追いついた俺も、同じ死猟犬の胴体にめくらめっぽう打突を叩き込む。

 ついに死猟犬の動きが止まり、倒れると同時に黒塵こくじんとなって霧散した。


 再び――思考が加速する。


 まだ、ようやく一頭倒しただけだ。

 残りまだ四頭。

 すぐに標的固定フィックスターゲットの効果も切れる。

 それまでのあいだに、二頭目まで仕留めるのはさすがに無理だろう。


 そう……まだ、まったく危機は脱していない。


 しかし、目の前の華瑠亜を見ながら――いや、それだけじゃない!

 同時に、ここにはいない、メアリー、紅来くくる優奈ゆうな先生のことも思い浮かべる。

 ぼんやりとしていた高揚感カタルシスの欠片が、胸の中でみるみる大きくなっていく。


 俺は、成り行きで仕方なく体を張っていただけじゃないんだ。

 犠牲をはらってでも守りたいと思える相手がいることに、ちゃんと喜びを感じていた。

 そして、体を張って自分をかばってくれる仲間がいることに幸せを感じていたんだ。

 

〝危機は真の仲間でない者を明らかにしてくれる〟とは誰の言葉だっただろうか?


 ならば逆に、本当の仲間だって明らかにしてくれているはずだ。

 華瑠亜、紅来、優奈先生。

 立夏や可憐、麗と初美、信二と歩牟、使い魔のリリスとメアリーだってそうだ。

 照れ臭くなるうような言い方だが、この二ヶ月間、危機に瀕しては一丸となり、我が身の犠牲もいとわずに手を取り合ってきた仲間たち。


「フィックスターゲット、もうすぐ切れるぞ!」と、勇哉が叫ぶ。


 そうそう、勇哉おまえもいたな……。


 とにかく、元の世界で言っていた友達だの友情だのなんてレベルじゃない。

 命がかかってるからこそ見極めることができた強烈な絆――それこそが、俺に体を投げ打たせる原動力なんじゃないのか!?


「なに笑ってんのよ、あんた!?」


 ボウガンを打ち込みながら華瑠亜が俺を流し見る。

 同じ死猟犬に連打を叩き込みながら、答える。


「なんていうか……仲間っていいな、って思って……」

「ば、バカじゃないの! こんな時に!」


 悪態をつきながらも、はにかんだように頬を染める華瑠亜。

 手元が狂ったのか、ボウガンの矢が明後日の方向に飛び始める。

 やばいやばい! こういう話も、時と場合を考えないと!


「二……、一……、切れたっ!」


 叫ぶと同時に、五角形剣楯エスカッシャンから仕込み剣ショートソードを抜き放つ勇哉。

 俺と華瑠亜が攻撃していた死猟犬は――。

 よろよろと華瑠亜へ向かって歩き出す。


「そっちは……任せるぞ!?」


 俺の言葉に微笑みながら頷いて、華瑠亜がさらにボウガンを連射。

 それを横目に、俺も別の一頭をぶっ叩いて自分へ標的を移す。

 数本の矢が刺さっているとはいえ、まだピンピンした元気一杯の死猟犬だ。

 それでもまだ、勇哉は二頭の敵対心ヘイトを集めている。


再発動不可能時間キャスティングタイム、乗り切れよ、勇哉!」

「おまえもなーっ!」


 俺と勇哉が、チラリと視線を交わしてほくそ笑んだその時だった。

 一瞬にして周囲が白く暖かい光に包まれる。


 な……なんだ!?


 死猟犬たちの身体がみるみる粒立つぶだち、寄せ集められたような肉塊が次々と剥ぎ取られていく。

 剥奪はくだつしたそれは、しかしすぐに分離して肉片となり、地に落ちる前には黒塵となって宙に消え去る。


 い……一体、何が起こった!?


 跡形もなく死猟犬たちが消え去ったあと、徐々に周囲の白さも薄らぎ、元の薄暗いダンジョンの景色に戻っていく。

 華瑠亜と勇哉、そして俺も、茫然としながら互いに目を見合わせる。

 ふっ、と、右肩に戻ってくるいつもの慣れた感覚。


「リリスか……」

「リリスかじゃないわよまったく! 私が華瑠亜ちゃんたちを連れて来たからいいようなものの……危うく紬くんの携帯口糧レーション、全部食べられちゃうところだったよ!」


 い、いや……もっと先に食べられそうなものを心配してくれないかな?


「お――いっ! 大丈夫ぅ~!?」


 聞き慣れた声に振り返ると、手を振りながら近づいてきた紅来、そして、彼女と並んで優奈先生とメアリーの姿も見える。

 さらにその後ろに浮かび上がったのは……ま、魔眼!?


「胸パットプリースト!」と、リリス。

「あれは本物だって!」と、すかさず勇哉が否定する。


 あいかわらず同じような会話してんな、こいつら……。


 紅来のすぐ後ろに浮かび上がる三人の影。

 一瞬、魔眼と見間違えた赤い目は、先天性白皮症アルビノ特有の淡紅色の瞳孔――白銀の聖女の赫奕かくえきたる赤眼だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る