18-2.後悔してないか? <その②>

「おいブルー。おまえ、猫だし、こっから飛び降りても無事だったりする?」

「死にんす」


 ……ですよねぇ。


 普通の猫が落ちても大丈夫な高さは……確か六~七メートル程度だったかな?

 体長三メートルのブルーなら十倍の高さまでこなせる……なんて単純な話でもないだろうが、仮にそうでもやっと六、七十メートルだ。今の高さの半分にも満たない。


「よし。ブルー! 戻れ!」


 命令と共にブルーが青白く輝き、すぐにただの光源体へと姿を変える。

 みるみる小石ほどの大きさにまで収縮し、そのままベルトポーチを透過するように、中のファミリアケースへと戻っていった。


「さてと。それじゃあ仕方がないか……」

「し、仕方がないって……な、何する気!?」


 俺の呟きに、慌ててリリスが問い返す。


「まさかとは思うけどつむぎくん……ここから飛び降りる気じゃないでしょうね!?」

「おっ! よく分ったな」

「いやいやいやいや……分りたくないわよ! 馬鹿ばっかじゃないの!? こんな高さから落ちたらタダですむわけないじゃない!」

「まあほら、多少怪我しても、下にメアリーもいるし……」

「多少の怪我ですむわけないじゃん! 死ぬよ! 床に当たって爆散だよ!」

「そうだ! おまえ……空中で俺を引っ張り上げてくんない?」

「無理無理無理無理っ! このサイズで、できるわけないじゃん!! それにあの魔物……ゾンビだって、高いところから落ちたくらいじゃ死なないよきっと!」

だからこそ・・・・・、だ。悪いがもう、説明してる余裕はない……」


 ぐんぐんと、猛スピードで階段を駆け上がってくるケルベルロスゾンビ。

 説明どころか逡巡している暇さえなさそうだ。


 ふと、いつの間にか微笑んでいる自分に気がついて驚く。

 なんだ? こんな緊迫した場面で、なぜ俺は笑ってる!?

 自暴自棄?

 切羽詰って、知らず知らずのうちに投げやりになっているのだろうか?


 ――いや、違う。

 根拠はないが、加速する思考の中で、今から俺がやろうとしていることはきっと成功するだろう……そんな、妙な自信に溢れている。

 アドレナリンが分泌されて、思考までポジティブになっているんだろうか。


 なぜかは分からないが、怖くもない。

 正確に言えば、恐怖がボルテージに上手く変換されているような……脳の中で何かがガッチリと噛み合ってるいるような高揚感。


 幅二メートル足らずの階段通路で目いっぱい体を壁際に寄せると、短い助走を経て、躊躇ためらいもなく宙へ向かって跳ぶ。


 訪れる、スローモーションの世界。

 どこからかリリスの悲鳴が聞こえてきた気もするが、それもすぐに消える。

 脳が勝手に、雑音をシャットアウトしたのか?


 音が消え、視界は色彩を失う。

 振り向けば、ケルベロスも俺たちを追って宙へ身を躍らせるのが見えた。


 よし、来いっ!! 


 やはり、高いところから落ちたくらいでは死にはしないのだろう。ケルベロスゾンビにも躊躇はみられない。……もっとも、そうじゃなきゃ困る!


 跳躍力ジャンプの頂点へ達した身体が、次の瞬間、降下へと反転。

 重力の牙が、俺を下へと引き摺りおろそうと、一気に全身に突き刺さる。


 下から上へ――加速する景色の中、右手の指輪魔石ムーンストーンでベルトポーチを叩いた。


 来い! マナブッ!!


 突如、目の前に現れる黒い球体。

 慣性の法則が働いているのか、共に落下しながら膨張し、その形を変えてゆく。


 スカルドッグ――マナブ。

 そういえばこいつも、タナトスと同じ闇精霊だったっけ。


 最後にマナブが背中でカラカラと広げたのは、骨と風切羽かざきりばのみの翼。

 両翼一メートル弱のそれは、まるで始祖鳥の化石を連想させる。


 右手を伸ばし、マナブの肋骨あばらの隙間に五指を滑り込ませ――握る!

 次の瞬間、ビンッと腕が伸び、腱板の鋭い痛みと同時に訪れる浮遊感。

 空中でマナブにぶら下がるように急減速した俺のすぐ横を、ケルベロスゾンビの巨体が通り過ぎていく。


 闇の粒子を撒き散らしながら、ビリビリと肌に突き刺さる圧倒的な禍々まがまがしさ。

 恨みがましく、六つの赤い魔眼をこちらへ向けながら……。


華瑠亜かるあぁぁぁ――! 撃てぇぇぇ――!」


 空中から眼下へ、思いっきり声を張り上げる。

 いくらケルベロスゾンビの動体視力が高くても、攻撃を避けられるのはあくまでも地上での話だ。


 加速しながら、ぐんぐんと床へ近づく漆黒の巨体。

 真上に向かって構えた華瑠亜の連弩ボウガンから三本の矢が同時に放たれる。

 魔狼の眼前で、弾幕のように展開する追尾棘矢ホーミングソーン


 あいつの目と運動能力があれば、横滑りスキッドで避けるのは造作もないだろう。

 そう、足場さえあれば……!

 だが、今のあいつにとって、華瑠亜の矢はまさに鉄の処女アイアンメイデンの蓋!


 直後、すべての矢が中央の狼面を穿うがち、黄金こんじきに輝く三枚の聖痕アステリスクがその顔面を彩る。

 そのまま、床に激突するケルベロスゾンビ。

 弾け飛ぶ床石ライムストーンとともに、響き渡る大きな破砕音。


 あわよくば、その衝撃で魔物の体躯に損傷でも……と思って見下ろしていたが、その願いはどうやら叶わなかったようだ。


 しかし――


 ゆっくりと巨体を持ち上げたその動きは、明らかに緩慢かんまん

 物理限界を突破したような、先ほどまでの神速は見る影もない。


「うおぉぉぉぉぉぉ――っ!」


 雄叫びを上げてケルベロスゾンビへ突進する毒島ぶすじま

 たずさえたみどりの退魔剣〝玄武〟――その刀身を魔物の首元へ突き立てると同時に、身体を半回転させて片膝を突く。


 刎ね飛ばされた魔狼の首は宙を舞い――。

 両眼と眉間に突き刺さった三本の矢が、回転しながらヒュンヒュンと風を切る。


 毒島の背後で、憑依核を失った漆黒の巨躯が、再び轟音を上げて崩れ落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る