19.紬くんの馬鹿っ!

「ったくバカバカバカッ! つむぎくんの馬鹿っ! 無分別! 無鉄砲! 命知らず! ん~っと、それから、それから……バカバカバカッ!!」

「なんか、ループしてるぞリリス……ってか、危ないからやめろ!」


 肩に跨りながら、ポカポカと両手で俺の側頭部を叩いてくるリリスを避けるように、軽く首を捻る。

 上へ、上へ……視界の奥で流れる祭壇部屋の壁から、手元へ焦点を戻す。

 そこには、背に翼を持った、骨だけで出来ている犬型の闇精霊。


 よく俺の体重を支えてくれたぜ、マナブ。


「だいたいからして紬くん、この骨々ほねほねにぶら下がれるって知ってたの!?」

「ほねほね、って……。まあ、知ってた……と言えば嘘になるけど……」

「ダメじゃん! 全然ダメじゃん! そんなあやふやなことをアテにして、階段の天辺からダイブしたってこと!?」

「ま、まあ、そうなんだけど……なんとなく確信があったというか……」

「〝なんとなく〟なんて枕詞のつく確信はないんだよ! 私はね……紬くんなら危険なことはしないと思って選んだんだよ! 私のパートナーに指名したんだよ!!」

「うそつけ! ただの成り行きじゃねぇか!」


 マナブが、俺の身体をきっと支えられるだろう……という、確信にも近い予感めいたものがあったのは事実だ。

 両翼一メートル弱――浮力や揚力の計算ができるわけではないが、俺の六十六キロの体重を支えるにはあまにも小さな翼であることは、感覚的にも分かる。


 でも、鳥類や翼手類が持つ翼とは根本的に異なった、骨と風邪羽かぜきりばのみで形成された特殊な翼。そもそもが、浮力を得られるような代物じゃない。

 浮いている仕組み自体が、この世界の物理法則とはまったく異なると言っていいだろう。

 もちろんそれが、なぜこんな作戦を迷わず実行できたのか……という疑問の答えになっているわけではないのだが。


「せめて……囮になるなら、私一人じゃダメだったの?」

「大丈夫だったかもしれないし、ダメだったかもしれない……。でも、あいつをダイブさせるには、二人で囮になった方がより確実だった……そう思ったんだよ」

「そりゃそうかもしれないけどさぁ……ちょっとでもタイミングが狂ってたら、紬くんも真っ逆さまだったんだよ?」


 そうなんだよな……。今考えれば、そうとう無謀な行動だった。

 いや、頭の中ではずっと分かっていた。解除剤を飲んで〝召集魔法コール〟を拒否した時点から、俺の行動はとっくに合理性を欠いていた。


 それでも俺を突き動かしたあの感覚は……なんだったんだ?


「ちょっとあんた! 何やってんのよ、いったい!」


 下に降り立ちマナブをファミリアケースに戻していると、華瑠亜かるあが真っ先に近づいてきた。


「いや……空中なら矢を避けることもできないだろうと思って、上まで誘い出して、それから……」

「そんなことは見てたから分かってるわよ! そういう作戦ならそういうそういう作戦で事前に打ち合わせする、ってのが普通でしょうに!」


 ごもっとも。


「ご、ごめん……。しようと思ったんだけど、ブルーに説明したとたん、あいつ、即実行に移すもんだから……こっちも慌てて……」

「下からじゃよく見えなかったから、あんたが階段から落ちたとき、あたしてっきり魔物に突き落とされたのかと思って……心臓が……」


 胸元で、シャツをギュッと掴んで俯く華瑠亜。

 わずかに肩が震え、瞳からこぼれた水鞠みずまりがポタポタと彼女の足元を濡らす。


「お、華瑠亜おまえ……な、泣いて……」

「泣いてるわよっ! でもこれは……あれよ!? 怒りの涙だからっ!!」

「い、怒り……?」

「ようやくあたしを頼るようになったと思っても……これじゃあ意味ないじゃない! 独断でいっつも勝手に……」


 近づいてきた華瑠亜が、両の拳を俺の胸に当て、その間に額を付けて肩を震わせる。彼女の涙で、シャツの胸元が湿っていく。

 不安からか、あるいは怒りからなのか……とにかく俺のために泣いてくれているのは確かだろう。


 今はもしかして、あれか? そっと背中に手を回したりとか、ドラマなんかではお決まりの、優しくハグする場面だったり……するのか?

 普段よりしをらしい・・・・・華瑠亜に、少し気持ちが揺れる。


「ご……ごめん……、華瑠亜……」


 そう言って腕を回そうとした瞬間、斜め下から立ち昇ってきた、刺すような感覚に思わず身震いする。

 気配の出どころへ視線を落とすと、まぶたを半分閉じながら俺を見上げていたのは……メアリー!


「その手は、どうするんですか、パパ?」

「え、ええ!? あ、いや……ど、どうしよっか?」

「まさかとは思いますが、万が一、メアリーの前で破廉恥な行動でも見せようものなら、可憐ママに報告しますよ」


 可憐ママよりもむしろ、ママ友の紅来くくるの方が怖い。

 あと数センチで華瑠亜の背中に触れそうだったてのひらをゆっくりと元に戻し、そのまま華瑠亜の両肩に載せる。


「か、華瑠亜? 相談なしで突っ走った件は、俺が悪かった。謝る。……だからさ、もうそろそろ、機嫌直してくれると嬉しいな、みたいな……」


 ゆっくり引き離そうと両腕に力を入れると、華瑠亜が俺のシャツを掴んで両目の涙をゴシゴシと拭く。

 ……と、そこまではよかったのだが、続けて鼻を挟んでチ――ン。


「お、おい! 馬鹿! なに人のシャツで鼻かんでんだよ!」

「い、いいでしょそれくらい! 男のくせに細かいこと気にするな!」


 そう言いながら俺から離れると、すぐにプイッと後ろを向いてしまった。

 細かいこと? Tシャツで鼻をかまれたのって、そこまで細かいことか?

 そこそこ気持ち悪いんですけど……。


 とはいえ、俺の思いつきみたいな行動に、危険を覚悟で付き合ってくれたのも事実だ。ここはまあ、大目に見ておくか。


「……っ!」


 腕を下ろすと同時に、右肩に鈍い痛みが走る。

 緊張で忘れてたけど、そういえば空中でマナブを掴んだとき、肩を痛めた感じだったな……。


「め、メアリー? ちょっと、肩を診てもらっていいか? なんか、筋を伸ばしちゃったみたいで……」

「まったく! パパは手がかかりますね。一人で腱板損傷も治せないんですか!?」

「治せないだろ普通!」


 っていうか、なんで嬉しそうなんだよ、メアリー?


「もうあれだね。こうなったら紬くん、罰としてわっふる十回、おごりだからね!」

「こうなったら、って……どうなったんだよ? 俺に罰せられる理由、ある?」


 未だに腹の虫がおさまらないといった様子のリリス。

 ……にしては、ワッフル十個とは意外と控えめな要求だな。


「そもそも、この世界にもワッフルなんてあんの?」

「はあ? わっふるって言ったらあれでしょ、和牛ステーキフルコースの略に決まってるじゃん」

「決まってねぇよ! フルコースってなんだよ!?」


 華瑠亜が赤い目を擦りながらも、振り向いて訝しそうな視線を向けてくる。


「さっきからなに? この世界・・・・がどうとかこうとうか……?」


 なんだなんだ?

 自分で言うのもなんだけど、俺、けっこう頑張った気がするんだけど……なんでこんな針のむしろ状態になってんの?

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