11.食人鬼

「多分、迷い込んだ食人鬼グールがこの空洞内で独自の進化をしたんだ」


 紅来くくる優奈ゆうな先生に代って、早口で説明する。


「進化? そんな簡単に?」

「魔物は一般の鳥獣に比べると適応速度が格段に早いからね……常識でしょ?」


 紅来の「常識でしょ」は、もう、半分口癖でしょ。


「見えたぞ!」


 緊張の中にも、僅かに安堵を感じさせる可憐かれんの声。

 更に五〇メートルほど走り、ようやく崩落現場の真ん前に到着する。

 崩落した大小の落盤が不安定に折り重なり、小山のように積み上がっている。

 俺も最初、この上の何処かで気を失っていたんだよな……。


「ここを登ったところに縄梯子が一つ掛けてある。最初は勇哉ゆうや歩牟あゆむが登れ」


 振り返ってテキパキと指示を出す可憐。


「はあ? 最初は女子からだろ? 男は最後だ」


 勇哉がオトコらしさをアピールするが、可憐が首を振る。


「上にザイルを置いてきただろ。あれで立夏りっかを引っ張りあげるんだ」

「わ、解かった!」


 捻挫をした立夏では、縄梯子を登るのは確かに難しいだろう。

 先に上がる理由に納得すると、勇哉と歩牟が急いで土砂の山を登っていく。

 それを見て、背中の立夏も、俺の耳元で口を開く。


「もう、降りる」

「いや、その足じゃこの土砂を登るのは厳しいよ。上まではおぶって行く」

「私も手伝う」


 華瑠亜かるあがまた、立夏を後ろから支えてサポートする。

 可憐が足元を照らす中、手を繋いだ紅来と優奈先生、そして、立夏を背負った俺と華瑠亜が慎重に土砂の山を登る。


 足を乗せる度に、スケートボードのようにぐらりと揺れる落盤も多い。

 転んで高い場所から転落でもすればそれこそ大惨事だ。

 急ぎながらも慎重に歩を進める。


 その時、緊張で強張った声が辺りに響く。

 リリスだ。


「近づいて来てる! 多分、あいつ!」

「来たか……。どのくらいのスピード?」

「けっこう速い!」


 それじゃ解かんねぇよ!


「あと、どれくらい余裕がありそうなんだ?」

「多分、まだまだ食べれそう」


 はあ? 


「あいつの空腹度を聞いてどうすんだよ。時間だよ時間! あいつがここに来るまでの!」

「そ、そんなの解かんないわよ私だって! ご……一〇分くらいじゃないの?」


 間違いなく、適当だ。

 最初、五分って言いかけただろ?

 一〇分と言うのもほとんどアテにできない。

 とにかく可能な限り急げ、ってことか。


 一分ほどで土砂山の頂上付近に到達した。

 真新しい縄梯子が垂れ下がっている。

 見上げると、梯子を登り切った勇哉が上層の地盤に這い移るところだった。

 勇哉の担いだ松明の明かりが隠れると、次に紅来が登り始める。

 ほぼ同時に、先に登っていた歩牟から投げ込まれる、赤と緑のまだらのザイル。


「立夏を固定してくれぇぇ」


 歩牟が上から叫ぶのが聞こえた。

 歩牟なりにいてはいるのだろうが、落ち着いた性格のせいか、なんとなくのんびりとした口調に聞こえる。


 ザイルの両端は上で歩牟と勇哉が持ち、U字に垂らされた部分で二つの輪を作り、立夏の両腕を通す。

 最後は、ザイルに付いていたカラビナで固定。

 優奈先生が魔道杖を立夏に渡して、これまたのんびりとした口調で声を掛ける。


「は~い! 上げていいわよぉ~」


 ギュルギュルギュル、という擦過音と共に、出番の終わったマリオネットのように立夏の体が一気に岩壁を上がっていく。

 その間にも、紅来に続いて華瑠亜が縄梯子を登り始めている。


 立夏を引き上げると、再びザイルが下に垂らされる。

 上から歩牟の声が聞こえた。


「もう一人、ザイルで引き上げるぞぉ」


 ザイルを掴みながら俺の方を振り向く可憐。


つむぎ、先生を固定するから、手伝って」

「おう!」


 優奈先生が両手を振りながら、慌てた様子で可憐を見る。


「え? 私は引率なんだから、生徒を上げてから最後に……」

「いいからっ! 先生は直ぐにザイルで!」


 可憐の迫力にたじろぎ、大人しくザイルに繋がれる優奈先生。

 締め上げられた脇とは対照的に強調されるEカップの迫力に、俺もたじろぐ。

 しょんぼりと上がっていく先生を眺めながら、なんだか可哀想になって思わず可憐に声を掛ける。


「可憐、もうちょっと言い方柔らかくした方がいいんじゃないのか?」

「そんな悠長な場面じゃないだろう」

「そりゃそうだけどさ……」

「紬は、縄梯子を降りる時の先生を見てないから解からないんだよ」


 ああ、まあ、それを言われると確かに、なんとなく想像はつくが……。


「リリス、あいつは今、どの辺りまで来てるんだ?」

「解からない。だいぶ近づいてたとは思うんだけど……突然音が消えたから」

「消えた? どこか別の場所に移動したのか?」

「解からないけど……音が消えた場所はかなり近かったと思うよ」


 もしかすると、ケイブドッグの群れを追って行った?

 食人鬼とは行っても、この空洞に特化して順応したなら、犬食主義イヌタリアン.になっていたとしてもおかしくはないか?


 華瑠亜が軽々と縄梯子を上り切ったのと同時に、再びザイルも下りて来る。

 下に置いてあった松明を拾い上げ、可憐がザイルに掴まる。


「私はこっちで上げてもらうから、紬は縄梯子を使え」

「ザイル、固定しようか?」

「大丈夫。これくらい掴まっていける。それより、紬も急げ」

「ああ、解かった」


 俺が縄梯子を上り始めるのを見て、可憐も上を仰いで叫ぶ。


「上げてくれ!」


 直ぐ横でザイルがピーンと伸びた瞬間、可憐の体が一瞬宙に浮いたが、直ぐにザイルを掴んだ右手がズルリ滑って外れる。

 ほら、言わんこっちゃない。

 俺も一旦、登りかけた縄梯子から手を離して飛び降りる。


「やっぱり固定を……」


 そう言いながら可憐の方を向いた俺のすぐ目の前……十センチほどの距離に突然、ニョキっと現れた可憐の顔。

 あれ? なぜこんな、不自然に近い位置に可憐の顔が?

 いや、そんなことより……距離よりももっと不自然なことがある。


 可憐の顔がなのだ。

 長いストレートの黒髪が枝垂れ柳のように揺れ、毛先が地面を撫でる。


 恐る恐る、視線を上げる。

 ショートパンツから伸びた可憐の白い太腿を掴む、腐りきった肉のような、黒ずんだ緑色の巨大な手。


 ギュルヵヵヵヵヵヵヵヵヵ――――


 突如、あの気持ち悪い喉鳴らしの音が大音量で鳴り響き、窟内に大きく木霊した。


 食人鬼グール!!


「リ…………」


 リリスッ!!

 そう叫ぼうとして言葉を飲み込む。

 恐怖に引きつった可憐の顔が、音も無く移動する食人鬼グールと共に、あっと言う間に遠ざかり暗闇へ溶けていく。


「ど、どうした? 何があった!?」と、上から聞こえる勇哉の声。

「可憐がっ! グールにさらわれたっ!!」


 プラプラと白い背骨だけが揺れるケイブドッグの下半身が脳裏に蘇る。

 そしてその下半身は、頭の中で可憐のそれへと変化する。


 躊躇している暇はない!


 可憐が落とした松明を拾い、直ぐに土砂山を駆け下りる。

 不安定な足元に何度もバランスを崩す。


「きゃあっ! ちょっと! 紬くん!!」と、肩から聞こえるリリスの悲鳴。

「しっかり、シャツか髪の毛に掴まってろ!」


 六尺棍を投げ捨てると、直ぐに形を失って体に戻る。

 転んだら転んだんで、それでも構わない!

 そう思って思いっきりダッシュをしていたのだが、よろける度に反射的に加重移動を繰り返し、奇跡的に転倒もせず底に辿り着く。

 もしかすると、俺って意外と体幹がしっかりしているのかも?


「あいつは、どっちだっ!?」

「川の方! 可憐ちゃんの……悲鳴が聞こえたっ!」


 悲鳴? 何だ? 何があった!?

 最初に食人鬼グールを見た時に聞いた、骨と肉を噛み砕くような不気味な音が、先程から頭の中でリフレインしている。

 無事でいてくれ!


「かれーーん! どこだーー!? かれーーん!」


 空洞内に反響する俺の声。

 ……と、意外にもあっさりと、求めていた反応に遭逢そうほうする。


「紬っ!?」


 可憐!? 生きてるっ! 意外と近い!?

 ……が、反響して方向がよく解からない。

 どこだ!?


「紬くん、あっち!」


 リリスの指差す方向へ全力でダッシュする。

 暗闇に潜む危険を警戒するよりも、とにかく今は可憐の姿を早く確認したい!

 二〇~三〇メートル程走った所で、突如、眼前の暗闇に浮かび上がる可憐の姿。

 近づきながら辺りを見渡すが――――

 食人鬼グールは……いない!?


 可憐が、ショートソードを抜き、片膝を着いて低い姿勢のまま構えている。

 太腿は、強い力で圧迫されていたせいか、やや黒ずんで変色はしているものの大したことはなさそうだ。

 寧ろ、それよりも――――


 上半身に視線を移すと、左側頭部から血が流れ、白くて綺麗だった左頬を覆い尽くすように掠り傷が広がっている。

 更に左腕はダラリと下がり、ボロボロに破れた袖の隙間からも、無数の傷から腕全体に痛々しいく血が滲んでいるのが見える。


「大丈夫か!? 何があった?」


 急いで鞄からポーションを取り出し、可憐に渡しながら訊ねる。


「あいつの体に、闇雲に剣を突き刺したんだが……それで驚いたのか、放り投げられて……この様だ」

「その傷……どうした?」

「落ちた場所に岩があって、受身を取り損ねた。軽い脱臼だと思うが……左肩だし、まだいける」


 一旦剣を置き、ポーションと痛み止めを飲みながら答える可憐。

 前の世界向こうの女の子であれば真っ先に肌の傷を気にするところだろうが、可憐は冷静に、戦闘力に影響がありそうな負傷のみを申告する。


 可憐が特別なのか? いや、恐らくこれがこの世界での常識なのだろう。

 見た目よりも、普通に命の心配を最優先で考えなければならない日常。

 そんなことを何も考えずに気楽に書いたノートの設定が、この世界に生きる人達に過酷さを強いているのだ思うと、言い様のない罪悪感を覚える。

 

食人鬼あいつはどこに行った?」

「解からない……が、まだ近くに潜んでいると思う」

「どこにいるか解かるか、リリス?」

「ううん、ダメ。完全に気配を消されてる」


 俺たちに悟られることなく土砂山に登って可憐をさらっていったような奴だ。

 今だって、ジッと息を潜めてこちらを伺っている可能性は充分にあり得る。

 どうする? 逃げるか? それとも――――


折れ杖おれつえぇ!」


 再び六尺棍を召喚して可憐の隣で構える。

 完全に気配を消せる優秀な捕食者だ。

 奴から見れば貧弱な俺達を前に、そうそう簡単に諦めてくれるとは思えない。

 迎撃一択だ! 頼むぞ、リリス。


「リリス。俺の指示は待たなくていい。奴を発見したら即座にだ」

「リリスたん?」


 ああ、そっか。

 変身リリスをそう呼んでるの、リリスこいつは知らないのか?


「デカくなってやっつけろ、ってことだよ」

「わかった!」


 俺達の会話を聞いて、可憐が僅かに首を傾げる。


「もしかして……トゥクヴァルスのあれは、やっぱりリリスちゃんだったのか?」


 やっぱり、可憐は見ていたのか、リリスたんの姿を。


「うん。MP消費が激しくて気安くは使えないんだけど……」

「見間違いかと思ってたが、やはり戦闘スキルがあるんだな、リリスちゃん」

「ゴメン、あの時は……。俺もリリスのことよく解かってなくて、みんなに余計な怪我をさせてしまって」

「謝る必要はない。紬が必死で仲間のために行動してたのは、ちゃんと見てる」


 どんなに必死になったって、そこに力が伴っていなければ死と隣り合わせのこの世界では意味がない。

 結果より過程が大事なんてのは、世界一安全と言われた前の世界向こうの日本での話だ。

 この世界では間違いなく、大事なのは過程よりも……結果だ。

 今度こそ、今の俺の全力を以って役目を果たす!


「リリス」

「何?」

「出し惜しみはしなくていい。最初から全開だ。目標は一分!」

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