10.最後の仕事

 このダンジョン課題、これが最後の仕事か!

 もっとも、こんな場所に落ちた時点で課題も何も吹っ飛んではいるが……。

 六尺棍を地面と水平に持ち、背中に回して来た時と同じように立夏を背負う。


「よし、行こう!」


 可憐かれんの号令を合図に、全員がゆっくりと歩き出す。

 先頭は可憐。次に、紅来くくる優奈ゆうな先生が手を繋いで並ぶ。

 その後ろに、立夏りっかを負ぶった俺と華瑠亜かるあが並び、勇哉ゆうや歩牟あゆむは、ケイブドッグの襲撃に備えて念のため殿しんがりを務める。

 松明は二本。可憐と勇哉が持つことになった。


「あんた達、本当に……何も無いんでしょうね?」


 チラリと横を見ると、いぶかしげな表情の華瑠亜と目が合う。


「何も、って?」

「何て言うか……付き合ってたり、とか、恋人同士? みたいな……」

「ねぇよ」


 即答するが、面白くなさそうな表情を見せる華瑠亜。

 どうも納得していないようだ。

 もしかしてまた、林道の続きでも始める気?


「なんで立夏は黙ってるのよ?」

「立夏が無口なのはいつものことだろ? 俺に訊くなよ」


 なあ立夏? 何もないよな? と、代わりに俺が立夏の否定を促す。


「…………」


 しかし、どういうわけか、俺の問い掛けに口を噤んで黙っている立夏。


「立夏?」

「……ないと言えば、ない」


 おい! 言い方っ!!

 立夏の言葉に、案の定、華瑠亜の表情にさらに猜疑心が広がっていく。


「なによ、その『ないと言えばない』って。奥歯に物が挟まったような……」

「俺も知らん! とにかく、ないって言ってるんだからそれでいいじゃん!」


 立夏もなんなんだよ!?

 一言「ない」って言えばそれでいいのに、何でわざわざそんな言い回し?


 その時、華瑠亜の肩を借りていたリリスが「シーッ」と言いながら振り向く。

 この地下空洞に落ちてから何度か見た光景だ。


「また何か……聞こえるのか?」


 俺と華瑠亜も振り返ると、最後尾の勇哉と歩牟もこちらを見る。


「どうした、つむぎ? 華瑠亜も……」


 訊ねながら、さらに後方の暗闇を見つめている俺達の視線に気付き、勇哉と歩牟も同じように後ろを振り返る。

 先程までいた場所で、未だ明々あかあかと燃えている切り株のトーチ。

 既に一〇〇メートル程は離れただろうか?


「何が聞こえたんだ、リリス?」

「解からない。……でも、何か、来る」


 こんな、緊張に強張ったリリスの声を聞くのは初めてかも知れない。


「何かって……さっきの犬どもとは違うのか?」

「それもいるけど……何か別の音も聞こえるのよ……」


 俺達の様子に気付き、前を歩いていた可憐たちもこちらを振り返る。


「どうした?」

「いや、リリスが、何か来るって……」

「リリスちゃんが?」

リリスこいつ、耳だけは良いんだよ」


 リリスがむくれて頬を膨らませる。


「だけ、って何よ」

「他にあったっけ?」

「あるでしょうよっ! いっぱい!」

「シッ! 静かに!」


 膨れっ面のリリスを横目に、切り株トーチの向こう側へ目を凝らす。

 川の向こう岸に、少しずつ浮かび上がる不気味に光る数多あまたの眼。

 やはり……ケイブドッグあいつらか!


 見たところ、二〇~三〇頭はいるだろうか。

 また補充されてんのか?

 一体、何頭いるんだよあいつら!


「とにかく、先を急ごう。もし襲ってきたら……頼むぞ、勇哉、歩牟」


 可憐の要請に、二人も「おう! 任せろ」と胸を張る。

 勇哉が無敵状態で八秒も標的固定ターゲッティングできるのだ。

 襲ってくることもない★3のワンちゃんなど、歩牟の槍なら撫で斬りだろう。


「大丈夫だ。二人に任せておけば心配ない」


 まだ、不安そうに後ろを見ていたリリスに声を掛ける。

 うん、と頷きながら再び前を見るが、やはりその表情は晴れない。

 リリスだってさっきの戦闘は見てるはずだし、このメンバーなら最早、ケイブドッグの撃退など役不足だと解かっているはずだけど……。


「どうしたんだよ? まだ何か、心配事でも?」

「う~ん……。例の喉鳴らしの音、さっきも聞こえたんだけど……。やっぱりあの犬達から出てる音じゃないのよね」

「犬以外に、まだ何かいるってことか?」


 リリスが頷く。

 また、脇腹がチクチクと痛み出す。


「最初は気のせいかとも思ったけど、さっきはだいぶはっきりと聞こえた」


 もう一度後ろを確認する。

 ちょうど、ケイブドッグたちが次々と川を飛び越えてくるのが見えた。

 チラ、チラ、と後方を気にしながら歩いてた勇哉達だったが、それを見て迎え撃つ体勢に変わる。


「やっぱり、来るみたいだな。ちょっと、蹴散らして来るわ」


 行こうぜ歩牟、と声を掛けて勇哉が来た道を引き返すと、歩牟もそれに続く。

 念のため、俺たちから少し離れた位置で迎撃するつもりだろう。

 華瑠亜も、背中の矢筒から矢を三本抜き取る。


「万が一突破してきても、追尾棘矢ホーミングソーンの餌食よ!」


 見れば、ほぼ全てのケイブドッグが渡河を終えたようだ。


 ――――にも関わらず、なかなかこちらへ近づいてこない。

 それどころか、ほとんどのケイブドッグが、体はこちらに向けながらも頭を背中に乗せるようにグイッと首を捻った体勢でたたずんでいる。

 まるで、俺達のことよりも川の向こうに広がる暗闇を気にするかのように。


 と、次の瞬間、ようやくケイブドッグが一斉にこちらへ向かって走り出す。


「きたぞ! 準備はいいな?」

「おお!」


 勇哉の声に、歩牟も応える。

 三〇メートルほど離れてはいるが、背筒に差した松明のおかげで勇哉の位置はここからでもよく見える。

 先頭が残り五メートル位になるまで引きつけ、勇哉が盾を地面に突き刺した。


標的固定フィックスターゲット!」


 先程と同じように、勇哉を中心に波紋が広がる。

 あの位置なら、ほぼ全てのケイブドッグが射程に入っているだろう。


「標的を固定しながら、盾を動かさない限り、八秒間の無敵結界を……」


 例の説明台詞を続ける勇哉――――が、しかし、その横をケイブドッグの群れが猛スピードで駆け抜けて行く。


「え? ええ~~!?」


 目の前を通り過ぎる黒犬の群れを、首を左右に振りながら唖然と見送る勇哉。

 すぐ後ろで待ち構えていた歩牟が慌ててアイアンパイクを振る。

 二~三頭は斬り伏せただろうか。

 しかし、二人には目もくれずに走り続ける残りのケイブドッグ。


「なんで標的タゲが取れないのよ!」


 そう言いながら、華瑠亜が器用に三本の矢筈やはずを持って弓を引く。

 直後、宙に描かれる三筋の射線。

 二本は、迫るケイブドッグ二頭の顔面に綺麗に命中したが、もう一本は大きく上方へ逸れて勇哉の足元に突き刺さる。


「おぅわっ! あっぶなっ!」


 勇哉が慌てて片足を上げて仰け反るのが見えた。


「誤差一メートルって言ってたよな? だいぶ上を飛んで行ったような……」

「し、仕方ないでしょ! 急だったし、夜目ナイトアイもまだ完璧じゃないのよ!」


 二の矢を番えながら華瑠亜が叫ぶ。今度は二本だ。

 紅来も、立夏を背負った俺の前まで降りてきてダガーを構える。


「先生、杖を」


 立夏が声を掛けると、優奈先生が預かっていた杖を慌てて立夏に渡す。

 背中から、立夏が詠唱を開始する声が聞こえてきた。

 慌てて戻って来る歩牟と勇哉。


 二〇頭以上は残っていそうだが、まだ可憐もいるし、なんとかなるか?

 そう考えた直後、列の先頭から「待て!」と可憐の声が響いた。


ケイブドッグあいつら、攻撃の意思はないぞ」


 え? と言った様子で、全員が思わず可憐の方を見る。

 程なくして、可憐の言葉を裏付けるように、俺達の横を全速力で駆け抜けていくケイブドッグの群れ。


標的固定ターゲッティングが出来ない原因は、力差があり過ぎるか……」


 可憐の説明に紅来も、ハッと気が付いたように言葉を繋げる。


「若しくは、相手に攻撃の意思がない時……ね?」

「そうだ」


 駆け抜けたケイブドッグの群れが、足音だけを残して暗闇へ吸い込まれて行く。

 俺たちが進んでいるのと同じ方向だ。

 あちらにも、奥へ続く空間があったのだろうか?

 

「とりあえず、助かったわね! 先を急ぎましょ!」


 優奈先生が、立夏から再び魔道杖を預かりながら明るく声を掛けた。

 しかし、可憐がそんなにお気楽に考えていないことは、その表情からうかがえる。

 恐らく、俺と同じ疑問を抱いているのだろう。

 なぜケイブドッグあいつらは俺たちに目もくれず走って行ったんだ?


「そうだな。急ごう」


 そう言った後、独り言のような可憐の小声が続いた。

 嫌な予感がする――――と。


 再び、皆が歩き始める。

 しかし、それから五分も経たぬうちに、今度は全員がはっきりと聞いた。


 ギュルヵヵヵヵヵヵヵヵヵ――――


 猫科の動物が出すようなゴロゴロした音ではない。

 蝉の鼓膜こまく音や蛙の鳴嚢めいのう音にも似た、乾いた喉鳴らしの音が窟内に響く。


 全員が一斉に振り向いた。

 かなり小さくはなったが、切り株トーチの明かりはまだ見える。

 その横に浮かび上がった、二頭のケイブドッグの姿。


 しかし、明らかにどちらも体勢がおかしい。

 まるで後ろ足を持たれて吊り下げられているかのように、体が宙に浮いている。

 前足を必死で動かす姿は、まるで何かから逃れようともがいているようだ。


 不意に、上に引っ張られたかのように、一頭のケイブドッグの姿が消えた。

 ギャウン……と言う短い悲鳴に続き、グシャグシャという、肉と骨を砕くような嫌な音が窟内に響く。

 再び現れたケイブドッグの姿に、全員が息を飲む。


 先程まで必死で動かしていた前足が消えていた。

 いや、前足だけではない。

 前足の付いていた胴体も、そして当然、そこに付いてたはずの頭部も無い。

 上半身が丸々消えている!


 残った下半身からは、まるで蟹の脚を食べた後に残る腱のように、白い背骨だけがプラプラとぶら下がっていた。

 その背骨も、下半身から滴り流れるドス黒い血でみるみる赤黒く染まっていく。


 再び、下半身だけとなったケイブドッグの姿が消える。

 今度は……二度とその姿が現れることはなかった。


 あれは――――ヤバい!!


 平和ボケした現代日本人の俺でも、一気に全身に鳥肌が浮く。


「あいつはまずいぞ! 急げ!」


 可憐に言われるまでもない。

 あの光景を見た後で、悠長に歩いていこうなどと考えるメンバーは皆無だ。


 現世界ここでずっと暮らしてきた……少なくともその記憶を持っている他の七人ですら――――いや、だからこそ・・・・・、俺以上にあの犬を食った奴・・・・・・に戦慄したのだろう。


「降ろして。私も走る」


 背中で立夏が呟くが、そのお尻を支えるように後ろから華瑠亜がサポートする。


「大丈夫、このまま行きましょう! その足じゃ降ろしたって走れない!」


 もちろん、同意見だ。

 立夏のお尻を乗せている六尺棍を跳ね上げ、もう一度しっかりと背負い直す。

 駆け足になると同時に、俺の首に巻かれた立夏の両腕にも力が篭る。


 これだけ密着されれば、いくら控えめだとは言え、背中に当たる立夏の胸の感触がしっかりと伝わってくる。

 立夏の吐息も耳にかからんばかりの近さだ。

 だが、そんなことに頓着している余裕もないほど気持ちは急いている。


 感覚的には、あと四~五分で崩落現場に着くだろう。

 あの、謎の生物の移動速度は解からないが、もう一頭ケイブドッグを掴んでいたし、あれを食うまで動き出さないとすれば――――


 根拠は無いが、逃げ切れそうな気はする。


「リリス、あいつの位置、解かるか?」

「こんなに雑音が多くちゃ解からない!」 


 今度は、華瑠亜に向かって訊ねる。


「あいつ、何なんだよ!?」

「私だって解からないわよ! あんなヤバそうなの、見たことない!」

「チラっと見えた印象だけど……多分あれ、食人鬼グールよ」


 前を走る紅来が振り返って説明する。

 目が光っている。

 夜目ナイトアイか!


「グールなら死肉は食べないし……さっきの犬の群か、若しくは私達を追ってくる可能性が高いわね」


 華瑠亜の目も、紅来ほどではないが淡い光を放っている。


「でも、グールって言やせいぜい★4だし、あそこまでデカくもないだろ!?」


 後ろを走る勇哉が、怪訝そうに訴える。


「足しか見えなかったが……三メートルくらいはありそうだったな」


 歩牟が、さっきの情景を思い出しながら分析する。


「きっと、ここの、ユニークモンスターじゃ、ないかな? ハアハア……」


 今度は優奈先生だ。

 紅来と手を繋いでいるおかげで帰りは一度も転んでいない。

 頼むから、走ってもその調子でお願いします!


「ユニークモンスター?」

「面白い、って……意味じゃないよ? ハアハア……」

「知ってますよ! 固有種のことでしょう!?」


 うんうん、と頷く優奈先生。


「きっと、ここに……ハアハア、食人鬼グールが、ハアハア……、迷い……」

「ああ、もう、いいです! 後で聞きます!」


 ダメだ。これ以上喋らせたら転ぶぞ!?

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