09.戦姫の名は

 弓を構えたまま、驚いたような表情でこちらを見ている戦姫の名は――


 華瑠亜かるあ!?


華瑠亜おまえ……どうして!?」


 俺の呼び掛けで、ようやく我に返ったようにハッとする華瑠亜。

 目には、微かに光る物が見える。

 汗? 涙?


「あ……当たった!」


 恐らく、三〇メートルほど離れているだろうか。

 声は聞こえなかったが、華瑠亜の口の動きでそう呟いたように見えた。

 そして――――


追尾棘矢ホーミングソーン、三本同時、初めて成功!」


 振り返って叫ぶ華瑠亜の声が、今度ははっきり聞こえた。

 その視線の先から突っ込んできたのは――――勇哉ゆうやか!?

 D班ではないから装備は持参していないと言っていたが……。

 持っているのは、スモールシールド? 

 可憐かれんから借りたのか?


「ったく! 弓兵アーチャーが一人で勝手に前に出るな!」


 そう言いながら華瑠亜の横をすり抜け、俺の手前七~八メートルの距離まで近づくと、シールドの先を地面に突き立てながら「標的固定フィックスターゲット!」と叫ぶ。

 同時に、勇哉を中心に衝撃波の様な空気の波紋が円状に広がる。

 一瞬で、俺の位置まで到達する波紋。


 直後、俺の足から牙を抜き、反転して勇哉の元へ突進する三頭のケイブドッグ。


 しかし――――


 勇哉に近づくも、一メートルほど手前で止まると、攻撃を加えることなくグルグルと勇哉の周囲を回り始める。


「テイムキャンプの後に猛特訓した技だぜ! 標的ターゲットを固定すると同時に、盾を動かさない限り、八秒間の無敵結界を張るのだぁ!!」


 技のお披露目が嬉しくて堪らない、と言った様子の、非常に説明臭い台詞。

 更に、勇哉の後ろから姿を現したのは歩牟あゆむと、松明を持った可憐。


「三秒あれば充分」


 槍兵ランサーの歩牟が手にした槍でケイブドッグの一匹を突き伏せたかと思うと、くるりと槍を回転させて残りの二頭も同時に薙ぎ払う。


「あいたたたた……」


 更に後方から聞こえてくる、あまり緊張感のない声。

 遥か向こうで転んでいるもう一人の松明係は……優奈ゆうな先生か。


「みんな……来てくれたのか……」


 向こう岸に視線を向けると、まだ一〇頭以上は残っていたはずのケイブドッグも既に姿を消していた。

 相当数を減らされた上に、強力な加勢の出現を見てさすがに退散したのだろう。

 立夏りっかも、既に詠唱を中断している。


 助かったのか……。

 俺も、ようやくホッとして、ヨロヨロとその場にへたり込んだ。


つむぎ! だ……大丈夫!?」


 真っ先に駆け寄ってきたのは、華瑠亜だ。


「まあ、なんとか。他の二人も、怪我はしてるが……大したことはないよ」

「よかった……」


 華瑠亜も力が抜けたように俺の前でペタリと座るなり涙を拭う。

 なんだよ、泣いてんのか? と、いつものように軽口を利きかけたが、止めた。

 今は、俺たちのために泣いてくれる華瑠亜の気持ちが、ただ嬉しい。


 でも、こう言う時ってどんな言葉を掛ければいいんだろう?

 泣いている女の子を目の前にして、すぐに気の利いた言葉が思いつくような十七歳男子も、そうそういない。

 

「え~っと……そうそう! ガーネット、ちゃんと採れた?」

「そんなのどうでもいいわよっ!!」


 そ、そうですか。

 これじゃなかったようだ。


「紬! はい、ポーション」

「おう、ありがと」


 紅来くくるから受け取ったポーションを流し込み、痛み止めの瓶も食べ切る。

 右腕と両足から、ズキズキとした痛みがス~っと引いていく。

 もう、痛み止めだけ個別に買っておいてもいいんじゃないだろうか? と言うくらいの活躍ぶりだ。


「紬くん……大丈夫?」


 俺の、痛々しい足の傷を眺めながら眉をひそめるリリス。


「うん。傷自体はそれほど深手じゃないからな。痛みさえ引けばなんともない」

「さっさと私を使えば良かったのに」

「得体の知れない場所だし、できるだけ切り札は温存しておきたいだろ?」

「き……切り札……」


 切り札という響きが気に入ったのか、ニンマリと笑いながらリリスの鼻の穴が大きくなる。

 レイピアを抜いて、得意気にビュンビュン振り回し始めた。

 解かりやすい性格だ。


「リリスちゃんが……切り札?」


 俺達の会話を聞いていた華瑠亜が不思議そうに首を傾げる。


「ああ、まあ……そのうち説明するよ。それよりさっきは、ありがとな!」

「ああ、いえいえ~、どう致しまして!」


 華瑠亜も、ニンマリと笑いながら鼻が膨らむ。

 こいつも、かなり解かり易そうだな。


「それにしても……三頭同時って、凄いな」

「でしょ~? 追尾棘矢ホーミングソーンってスキルよ。マスタークラスだと十頭同時とか狙える人もいるみたいだけど」

「十頭!」


 まさにイージス艦だな。

 矢を十本とか、どうやってつがえるんだよ?


「そう言えばお前、さっき初めて当たった、って言ってなかったか?」

「あ、うん、三本同時は……。でも、二本なら五割の確率で成功してたから!」


 それでも……五割?


「そう言えば、夜目ナイトアイも練習中って言ってなかった?」

「まあ、でも、さっきは調子良くて、よく見えてたから……」


 なんだろう? とてつもなく危険な賭けをされた気がする……。

 薄目の俺に気付いて、華瑠亜が慌てて取り繕う。


「だ、大丈夫よ! 万が一外れてたとしても、誤差一メートル程度だし!」

「あそこから一メートルずれてたら、俺に当たってないか?」

「そ、そうかなぁ? 私は、ギリギリ大丈夫だった気がするけど……」


 ……まあ、この際、細かいことはいっか。

 結果オーライだ。

 弓道部にいた華瑠亜も、妙に本番に強いところがあったからな。

 きっと現世界こっちの華瑠亜も同じなんだろう。


 遅れて、勇哉、歩牟、可憐も集まってくる。


「なんだなんだ? ★3相手にボロボロじゃね~か、紬」

「うっさいな。そもそもは、勇哉おまえのせいなんだぜ?」

「なんで俺のせいなんだよ?」

「ああ……いや、こっちの話……」


 前の世界あっちの勇哉が、神でも大悪魔でも、使い魔としてノートに書いておいてくれてれば今頃こんな苦労してないんだよ。

 勇哉の言葉を聞いて、紅来が珍しく俺の弁護に回る。


「★3って言うけどね、今まで五〇〇頭くらいは相手してたんだからね! 紬だって頑張ってたんだぞ」

「ご……五〇〇! そりゃすげえな! よく生きてたな……」


 紅来もだいぶ盛ったな!

 信じる方も信じる方だが……。


「遅くなって、悪かったな」


 そう言いながら、華瑠亜の横で可憐も膝を折る。


「傷、大丈夫か?」

「ああ。痛みさえ抑えられれば、なんてことない」

「ここに降りてすぐ、声を掛けようと思ったんだが……爆裂音が聞こえてたからな。状況を確認するまで、こちらの存在に気付かれない方がいいと判断した」

「ああ、そうだな。それは仕方ない」

「結果的に、紬の負担が大きくなってしまって……すまない」

「結果論だろ? それに、まだ数日はここにいるつもりでいたから……来るのが早くて驚いたくらいだよ」


 そんなことより……と、可憐の背中越しに広がる暗闇へ視線を移す。

 可憐が振り返ると、まだ三〇メートル程先に、よろけながら慎重に歩を進める優奈先生の姿があった。


「あれ、誰か手を引いてやった方がいいぞ?」


 やれやれ、と言った様子で立ち上がる可憐。


「あの先生……転び過ぎじゃない?」

「そうなんだよ。……きっと、左右の足の長さが違うんだ」



               ◇



「これで、よし!」


 俺の右腕と両足に包帯を巻き終わると、ポンと俺の肩を叩く歩牟。


「さんきゅ! ……先生も、もう大丈夫ですよ?」

「そう? 平気?」


 優奈先生が回復呪文ヒールの詠唱を中断する。


「もう帰るだけですからね。ポーションも飲みましたし……そもそもろくなもん食べてないので、薬や魔法だけでは回復量も限定的でしょう?」

「そうね。もう少し、食料持ってくれば良かったね」

「いえいえ、パン一個でも本当にありがたいです」


 そろそろ本当に、何かゲテ物でも食べなきゃならないと思い始めてたからな。

 つい一ヶ月前まで現代日本人をやってた身としては、さすがにまだ、昆虫や蛇はハードルが高い。


「こっちも、済んだよ~」


 華瑠亜が、フィッティングルームを作るように持っていたタオルを退けながら、皆に声を掛ける。

 その奥で、可憐と、包帯を巻き直してもらった紅来が立ち上がる。

 立夏も伸縮性のない皮バンドで捻挫の足首を固定してもらったようだ。


「とりあえずこれで、必要な応急処置は済んだな?」


 可憐はそう言いながら、鞄から長さ三〇センチ程の黒いコードのような物を取り出すと、ナイフで八等分に切る。

 更にそれを、小さな八個の小瓶に分け入れ、紐を通して全員に配る。


「これは?」

「ライフテールと言われる魔具だ。管理小屋で売ってたので買ってきた」

「ライフテール?」


 首に掛けると、程なくして小瓶の中の黒い物体が黄色に輝き始める。

 

「思い出した! これ、グループで認識させると、全員が生きてる限り光り続けるってやつだ!」


 紅来の説明に可憐も頷く。


「そう。だいたい一週間くらいは有効だ。場所などは解らないが、はぐれても全員の安否だけはこれで確認できる」


 危険な山などでは入山者に携帯を義務付けて、救難活動時には優先順トリアージの判定に使われるらしいということも、可憐の説明で解った。


 なるほどな。

 こんな得体の知れない地下空洞だし、地震だってまだ沈静化してない。

 万が一の時でも、とりあえずこれで生きてるかどうかだけは解るってわけか。


「で、帰りなんだけど……立夏は、どうする?」


 全員のライフテールが光り出したのを確認してから紅来が訊ねる。


「大丈夫。歩ける……」と、立夏。

「いや……狭い洞穴路は歩いて貰うしかないが、崩落地点までは誰かにおぶってもらった方がいいだろう」


 立夏の、固定された足首に視線を落としながら可憐が提案する。

 華瑠亜も頷きながら立夏に確認する。


「立夏、どうする? 勇哉と歩牟、どっちがいい?」

「紬くん」

「え?」

「紬くんでいい」

 

 全員が一斉に俺の方を見る。

 え? 何?


「えっと、負ぶってもらうなら、って話よ? あいつは怪我が……」

「無理ならいい。歩く」


 全員がまた、一斉に俺の方を見る。

 はい!?


「ど、どうなのよ、紬?」

「いや、まあ……怪我自体は大したことないし、薬で痛みも消えてるから、大丈夫は大丈夫だと思うけど……」

「なんでわざわざあいつなのよ?」


 怪訝そうに、立夏に訊ねる華瑠亜。

 それは俺も是非聞きたい。


「慣れてるから。それだけ」

「慣れてる!?」


 華瑠亜がジロリと俺の方を見る。


「え? いや、この場所に来るまで一度負ぶっただけだぞ?」

「慣れてるから……」と、立夏が繰り返す。


 ここまでのやりとりを見て可憐が口を開く。


「解かった。紬が大丈夫なら紬でもいいだろ。またケイブドッグあいつらが襲ってくるかも知れないし、勇哉と歩牟がフリーになるならそれはそれでありがたい」


 まあ、確かに、今の俺じゃもう戦闘には参加できないしな。

 このダンジョン課題、これが最後の仕事か!

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