第十二章 トミューザム 編 ~参加計画

01.はい、アーン

「はい、アーン……」

「いや、自分で食べられるから……」


 スプーンで掬ったオートミールを、俺の口元に近づける立夏りっか

 その目の前に、俺も左手を掲げて振って見せながら――


「左手は無事なんだし、スプーンくらいなら自分で持てるって」

「そう言ってさっき、落としてた」

「あれは、ちょっと感覚が掴めてなかっただけで、もうちゃんと解ったから……」

「いいから。開けて……口」

「う……うん」


 仕方なく開けた俺の口に、立夏がオートミールを流し込む。

 シリアルのように加工した燕麦を水で煮て、イチゴジャムで味付けをした療院食なんだが……正直、あまり美味しくない。


 須藤達のアジト近くで寅さんと再会したあと、地元の自警団に通報を済ませ、一番近いバクバリィの施療院……つまり、この場所に送って貰ったのだ。

 自警団にとっても団員二名が犠牲になっている事件だけに早速本格的な調査を開始したそうだったが、とりあえずは簡単な調書だけを取って治療を優先させてくれた。


 ティーバまで戻っていては施療院の開院時間が過ぎてしまうため、結局ここで治療を受けることになったのだが……。

 生憎あいにく再生魔法リジェネレーション〟を使える僧侶プリーストが出払っており、当直のプリーストが来るまで簡単な外科的措置だけを受けた。


 今は個室のベッドでご覧の状態。

 俺はベッドで上半身だけを起こし、立夏に付き添ってもらっている。


 別に大部屋でも構わなかったんだが、銀貨二枚を見せたらここに通された。

 恐らく、二万ルエンをきっちり使い切るようなプランなのだろう。

 親切なのか世知辛いのかよく解らない。


「そろそろ駅に向かった方がいいんじゃない? 終電、九時くらいじゃなかった?」


 熱いオートミールをほふほふと飲み込みながら立夏に確認する。

 治安の悪いこの世界では船電車ウィレイアもそれほど遅くまで動いてはいない。

 寅さんはティーバまで送ってくれると申し出てくれたが、僧侶の魔法治療を受けるまで待つことになりそうだと解ると、立夏も残ると言い出した。


 何やら、ニヤニヤしながら立夏に耳打ちをした後、バンバンと立夏の背中を叩いて去っていった寅さん。

 去り際、『じゃあまたな、あんちゃん!』と、片手を挙げながら俺にウインクをした寅さんの含み笑いを思い出す。

 相変わらず、俺と立夏について何か勘違いをしてる顔だったな、あれ。


「泊まっていくから、大丈夫」

「……えぇ?」


 オートミールを掬ったスプーンを差し出す立夏に、思わず聞き返す。


「泊まる? 施療院ここに?」


 こくんと頷く立夏。

 確かに、まだ八時前とは言え、今から直ぐに出ても家に帰る頃には九時を回っているだろう。

 全国津々浦々に電気の灯りが行き届いてた元の世界の日本とは違い、この世界においては、治安面で安心できる時間帯では決してない。

 女子一人で帰すには不安もあったのは事実だが……。


 個室には俺がいま使っているベッドと、付き添い人用のベッドが一台。

 後は長椅子が一脚あるだけだ。

 ベッドは雫が使うことになっているし、長椅子はメアリーのベッドになるだろう。


「どこで寝るの? この部屋?」

「さっき、施療院に隣の個室を借りられるように申し込んできた」

「そうなんだ……。お金、大丈夫だった?」

「患者じゃないから……付き添い料金」


 それがいくらなのか解らないが、施療の必要もないし安いのだろう。

 でも――


「そうは言っても……俺の介添のためだろ? 悪かったな……」


 立夏が不機嫌そうな無表情になる。


「ああ、いや、その……ありがとう!」


 立夏が、機嫌の良さそうな無表情に変わる。

 俺もだいぶ立夏の感情が読めるようになってきたな。


「そもそもはさ、バクバリィの事だって本来は俺の妹の話で、立夏が手伝わなきゃならない理由なんて何もなかったわけで……」

「…………」

「一緒に来てくれたことだけで、すっごい感謝してるんだ」


 頭を下げる俺に、特に何も答えることもなく、ただ少しだけ頬を赤らめる立夏。

 アーン……と軽く口を開けながら、スプーンを差し出す。


 少しだけ隙間のあいた、少し濡れた唇が妙に艶かしくてドキドキする。

 再び、俺の口の中に流し込まれるオートミール。


「だからさ、火傷のことなんて立夏が気にする話じゃないからな。あれがなければ俺も雫も、今頃どんな目に会ってたか……」

「大丈夫。べつに気にしてない。……夏休みで、暇だから」

「そ……そっか」


 そう言えば立夏も一人暮らしなんだっけ。


 交通網が発達していないこの世界では、遠方からの通勤通学が不便なことに加え、少し郊外に出れば日没後は灯りのない真っ暗闇に包まれる。

 そんな道を数年間も通学に使うことを考えれば、単身の無用心さを差し引いても学校に近い住まいの方が安全だと、親元から離れて暮らす学生も多いらしい。

 因みに寮もあるのだが、入寮できるのは十年生……つまり、元の世界で言えば高校一年生のみらしく、十一年生の俺たちは対象外となる。


 門限などに縛られず、比較的時間を自由に使えるのは一人暮らしのメリットだ。

 ただ、それでもいろいろと大変なことがあった一日の締め括りだし、普通であれば、さっさと帰宅してゆっくり休みたいと思うところだろう。

 そんな中、立夏がこうして残っているということは、やはり俺の魔傷に対して幾許いくばくかでも責任を感じているに違いない。


「アーン」とスプーンを差し出す立夏。


 もう俺も、何も言わずに口を開ける。

 流し込まれるオートミール。


「そう言えば……そのコスチューム、着替えないの?」


 未だに、某県立北高の制服姿のままベッド脇の椅子に座っている立夏。

 否が応にも、膝上二〇センチから覗く立夏の太ももに目が奪われる。


「そうね……着替える時間もなかったし」

「そっか……。まあそうだよな。ルサアパを出て、帰る間もなくここまで来ちゃったしな……」


 オートミールとジャムが、丁度良い割合で減るように配分を考えているのだろう。

 皿の中で丁寧に選り分けるように、スプーンを操りながら立夏が訊ねる。


「……紬くんは、どっちがいいの」

「どっちが? 私服と、そのコスチューム?」

「脇と、太腿」

「……え?」


 脇はともかく、太腿を見てたのまでバレてた?


「バレバレ」

「バレ……って、おい!」


 エスパー立夏、ついに、心の声と普通に会話し始めたぞ!

 何故に? なんで俺だけこんなに読まれる?


「アーン」

「あ、ああ……」


 流し込まれるオートミールをはふはふと甘噛みしながら、ふと、トゥクヴァルスでのことを思い出す。

 確かあの時、口移しでポーションを飲ませた後、気が付いた立夏が俺の顔を見て最初に発した言葉――〝兄さん?〟


 そう、確かにあの時、立夏は俺を見てそう言った。

 もしかして、俺限定の読心術ESPと何か関係があるんだろうか。

 あの時はとにかくバタバタしていたし、記憶の混濁でもあるのかと大して気にも止めなかったが……もしかして、俺――


「なあ、立夏……。もしかして俺って、立夏のお兄さんに似てたりする?」


 スプーンを持った立夏の右手がピタリと止まる。

 そう言えば、立夏のお兄さんは昏睡状態のまま意識が戻ってないんだよな。

 ちょっと、デリカシーがなかったか?


 立夏が、スプーンごとオートミールを皿に戻すと、ベッドに備え付けられた袖机にそれを置いてジッと俺を見つめる。


 また、あの、例の瞳だ。

 焦点が合ってないような……俺を通して誰か他の人を見ているような眼差し。

 もしかして立夏が俺と重ねているのは、お兄さんの面影!?


 おもむろに腰を浮かせた立夏が、ベッドに両手を付き顔を近づけてくる。


「!?」


 五〇センチ、三〇センチ、二〇センチ……。

 何だ?


 立夏の顔とともに近づく息遣い。

 髪の毛からふんわりと漂う甘い香り。

 

 十五センチ、一〇センチ……。

 鼻の先同士が触れ合おうかという五センチ手前で、ようやく立夏が止まる。

 大きな藍色の瞳。長い睫毛。白桃のように傷つきやすそうな頬。

 そこから生えた細かな産毛までがはっきりと見えるほどの距離。

 立夏の鼻息が俺の唇をくすぐる。


 このシチュエーションは……いわゆる、キ、キスか?

 キッスなのか?


 もしかして、寅さんから変な入れ知恵でもされた?

 でも、だとしたら、未だに両目が見開かれているのは不自然……だよな?

 まさに、立夏ヘビに睨まれたカエル状態。


 一〇秒ほど、俺の瞳を覗き込むように固まっていた立夏が、ようやく口を開く。


「似ていない」

「…………へっ?」

紬くんあなたと……兄さん」

「あ……ああ……そ、それか! そうなんだ!?」


 ここまでよく見なくても、似てるか似てないかくらい解るだろっ!?

 と、その時――


「ひゃうっ!」


 病室の入り口から突然、変な叫び声が聞こえた。

 見れば、いつの間にか入り口のドアが開き、その向こう側で両手を口に当て、大きく目を見開いたしずくたたずんでいる。


 やっべ!


 慌てて、立夏から離れるように上半身を後ろに引くが、その勢いで、ベッドのヘッドボードに思いっきり身体をつける。

 振動で備え付けの棚が揺れ、中にしまわれていた何かが俺の脳天を直撃!

 ゴチンッ……と鈍い音が響いて目の奥に火花が散る。


 あ痛たたたた……!

 落ちてベッドの横にカラカラと転がっていったのは……洗面用の木桶?


 昭和のコントかよっ!


「ご、ごめん! お邪魔しましたぁー!」


 慌てて雫が扉を閉めたその向こう側から「何かあったんですか?」と、メアリーの声も聞こえてくる。

 食堂で夕食を取っていた、雫、メアリー、リリスの三人が戻ってきたらしい。


「アーン……」


 頭を抑える俺の目の前に、いつの間にか椅子に座り直した立夏が、オートミール入りのスプーンを差し出している。

 いや、とりあえず、今、食事より先に頭を……。


「おーいっ! メアリー! ちょっと、頼む! 頭がっ……」


               ◇


 ティーバ郊外の長閑のどかな田園地域。

 蛙に混じり、ジィーー……と抑揚のないケラの鳴き声が夜闇やあんに響く。

 南西の空に漂う十日夜月が明るく照らす夜の農道を、夜とは言え真夏にはまったく似つかわしくない服装の男が一人、歩を進めていた。


 黒いレザーパンツに黒い革靴。

 黒いホンブルグハット、そして、黒いコート……須藤だ。

 肩に引っ掛けたロープの先の布袋が、須藤の歩みに合わせて左右に揺れる。


 まばらに建てられた木組みの家コロンバージュ……その中の一軒に近づく。

 柵門の直ぐ内側に備え付けられたポール式の郵便受には〝真樹〟と記された表札。

 家の中の様子を伺うように柵の前で少しだけ立ち止まった後、門をくぐってゆっくりと玄関に向う。


 僅かな逡巡のあと、ドアノッカーを鳴らすと「はぁーい」という若い女性の声が聞こえてくる。

 少し間があって、覗き窓の蓋がカチャリと上げられた。


「どちらさ……ま、って、なぁんだ、グレイ兄さん? ちょっと待ってて」

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